罪悪感③
その日の夜。
部屋の窓のすぐ外にある大きな木。
私がメラオニアに勝手に行った時に伝って降りたことになっているこの木。
なんだか眠れなくて、箒くんに手伝ってもらいながらその木の枝に腰掛けた。
少し冷たい風が吹く。ちょっとだけ肌寒い。
でもなんだか今日はあったかい日だった。
だからこそ…いつもは感じないような罪悪感が急に育ってしまった気がした。
チクチクと身体中に針が立つような…そんな感覚。
落ち着かない。
「このままじゃダメな気がする…」
バサッ
箒くんが私の周りをヒラリと舞っている。
「…箒くん。私、もう嘘をつき続けられないかもしれない」
ライルさんへの想いを自覚した途端、自分が酷い嘘つきであることを再認識した。
そして…いつか化けの皮が剥がれた時、私は全てを失うということを……でもだからと言って化けの皮を分厚くできるほど、自分の心が丈夫でないことを…知ってしまった。
いっそライルさん達が酷い人なら良かったのに。
そしたら嘘をついていたって、罪悪感に押し潰されることはなかったかもしれない。
でも…そうじゃなかった。
「昔、お母さんが言ってたの。何かを得るためには何かを失わなければならないって。神様は案外バランスよく世界を作ってるから、良いことと悪いことは平等に与えられる。欲しい物があるのなら…それ相応の何かを捨てなければならないんだって…」
そして世界で一番愛していたお父さんを失った母は、自分はこの先何を欲しがっても許されるんだと…メチャクチャなことを言っていた。
「私は…何もしていないのに…何も捨てられるものがないのに…こんな素敵なものを持ち続けられるわけがないと思うの」
良いことと悪いことは平等に与えられる。
だから、ここに来てからの私は…あまりにも幸せすぎて怖くなる。
それ相応の悪いことが起こるんじゃないかって…
「…箒くん」
バサッ
私の声に応えるように隣に降り立つ箒くん。
「…もしね…もしこの先、私の正体がバレるようなことがあって…全てを失う時が来たら」
外界人は見つかり次第極刑。
その法律がある限り、私には明日が約束されない。
だから…
「その時は…君だけでも逃げるんだよ」
バサ…
「私と一緒に捕まったら君も壊されるかもしれない。だから…ちゃんと逃げるんだよ」
箒くんは生きている。
姿は箒だったとしても、この子は確かに私の相棒として存在している。君を守りたい。
「約束してね」
バサバサ
「……そろそろ“バサ”以外の表現方法覚えてくれないとかなり会話がきつい気がする。字面的に」
はぁ…
夜はやっぱりちょっと冷えるな。
いつもはすんなり眠れるのに今日はなかなか眠くならない。色々考えてしまって、なんだか心が騒がしい。
……。
こんな夜は少し懐かしい。
元の世界にいた頃はしょっちゅうだった。
そんな時は家を出て、目的もなく街を歩いた。
いつも同じ歌を口ずさみながら、無理矢理自分の背中を押すように。
「しーあわーせのー…とーなりーにいーても」
バサ
「わーからなーい日もあーるんだねぇ」
バサ
ばさーですかー。
「いーちねーんさーんびゃーくろっくじゅうごーにち…」
…寒。
「…いーっぽちーがいーで…にーがしーてもー」
あれ?箒くんコマンドに帰っちゃった。
そんなに歌下手だったかな。
「じーんせーいは、ワンツーパンチ…」
……
「あーゆみーをとーめずーに……あれ?次なんだっけ」
「呑気な歌声だな」
え?
「こんな夜更けに何してんだ」
サァッと木が風に揺れる。
同じように風に靡く黒髪が見えた。
「…ライルさん」
木の上に座る私に声をかけたのはライルさんだった。
下で腰に手を当ててこちらを見上げている。
「いつからそこに?」
「1年365日〜」
よかった。箒くんとの話は聞かれてない。
ライルさんに気づいたからコマンドに帰ってくれたのか。
「…本当に木登り得意なんだな」
「まあ…」
「降りてこい。危ないだろ」
「…はい」
……
……
やばい。
箒くんなしでは降りられない。
「……」
「……降りられないのか」
「いや…あのー…はい」
「登ったくせに?」
「の、登りと降りでは違います」
「メラオニアに勝手に行った時は?」
「あー…ちゃんと怪我しました」
ということにしておこう。
「…さすが馬鹿だな」
なんだか…いつもより静かな会話。
私のテンションが低いせいだろうか。眠れない、深い夜のせいだろうか。
ライルさんがはぁとため息をついて私に向かって手を伸ばした。
「飛び降りろ」
「えっ」
「ずっとそこにいるつもりか?」
「…怪我しますよ」
「俺は元軍人だぞ」
「私がですよ」
「はぁ…国宝級のバカだな」
「天下一品ですよー」
「誇るな阿呆」
ライルさんがさらに大きく腕を広げる。
「早く降りろ」
「…受け止めてくれるんですか?」
「だから手広げてんだろ」
ライルさんの低く深い声。
緑の目が私を見ている。夜の闇の中で、私だけを…。
「……受け入れてくれるんですか」
「何?声が小さい」
…。
「……いえ、なんでもないです。頑張って着地しますから離れててください」
「ほう?」
ライルさんが腕を下ろして一歩下がる。
よっと枝の上に両足をついて屈む。
……。
…いや無理だわ。これ高いわ。
普段箒くんに乗ってもっと高いとこ飛んでんの?
すげぇな私。
まあいい。ライルさんの上に飛び降りるよりかはマシだ。多少の怪我くらい死ぬことに比べればなんてことない。
「あ、ちょっと待って」
「は?」
左手のミサンガを外す。
怪我したら葉が枯れちゃうからね。
外しておかないと万一着地失敗した時に回復されちゃうかもしれない。枯れたら嫌だ。
「よし。ヨシダ、行っきまーす」
「はぁ…」
踏み込んで飛びあがり、足から地面に向かう。
徐々に近づいてくるライルさん。なんだか視界が傾いていく。これは…まずい体勢かもしれない。
しかしその時、
一歩引いていたライルさんが徐に前に出て手を広げた。
「えっライルさっ」
そのまま案の定上手く着地できない体勢だった私は…ライルさんに見事キャッチされた。
「……」
「……」
私を抱えるライルさん。三度目のお姫様抱っこ。
昨日ぶりのライルさんの暖かさ。
ドクドクと心臓がやかましくなる。
決してそれを悟られないよう、全力で平静を装う。
「…なんで飛び上がったんだよ、普通に降りりゃいいものを」
「あ、そうか」
「馬鹿だな」
「すみません…ありがとうございます」
……
「…あの?降ろしてください」
「……」
「ライルさん?」
私を抱えたままのライルさん。
緑の目には何の表情も浮かんでいない。
「あ、もしかして降ろし方がわからないとかですか?」
「…はぁ」
「じゃあ勝手に降りるんで手緩めてください」
「……」
「ライルさん?」
なるべく早く離れたいのだが。
このままこんな至近距離にいたら、確実に私の心臓の8ビートが聞こえてしまう。
「あの…ライルさ…」
「…なんでミサンガ握ってんだよ。つけておけばいいだろ」
私の手に握られたミサンガを見るライルさん。
なかなか降ろしてくれない。
「だって怪我したら枯れちゃうじゃないですか」
「そのためのミサンガだろうが。外したら意味ねぇだろ」
「枯らしたくないもん」
「どうせお前は何もしてなくても頻繁に怪我するだろ。付けとけ」
「嫌です。枯らしたくない」
「はぁ…」
そろそろ降ろしていただけないかしら。
心臓がドンドコ祭りだわっしょい状態だから。
16ビートが聞こえてしまうよ。
仮にもあなたに恋してますんで、私。
「おい暴れんな」
「降りようとしてるだけです」
「怪我するぞ」
「ミサンガ付けてないんで大丈夫です」
「…だからそれじゃ意味ないだろってっ」
「わっ!?」
ひょいと私を軽く投げるライルさん。
投げ落とされるっ…かと思ったが…
体の向きが変わっただけで私の足は地面についていない。
ライルさんの組まれた腕の上に座ってるみたいな形。思わず彼の肩に手を置くと上からライルさんを見下ろせる。
私を両腕に座らせたまま見上げるライルさん。
な、なんだこれ…
まるで…恋人のような体勢。
「…な、なんですかこの体勢」
「暴れるから」
「降ろしてくれればいいのに」
「なんか、今降ろしたらお前逃げそう」
「…なんですかそれ」
新鮮な上から見るライルさん。
お姫様抱っこよりかは顔も心臓も離れているので、この32ビートは聞こえないだろう。
「お前…昨日からなんか変だぞ」
「…気のせいですよ」
「何してたんだよ木の上で」
「眠れなかったんです」
「…」
「ライルさんこそ何してたんですか?」
「外の空気を吸おうと思っただけだ」
いつもより近いライルさん。
なんでこんな体勢なんだろう。なんで私を逃してくれないのだろう…。
「なあ…聞いてなかったけど、なんでヨシダは家を出てここに来たんだ?」
「え?」
急にそんなことを言い出したライルさん。
緑の目が下から私を不思議そうに見つめる。
ローアングルの私ブスじゃないかな…。
…そうだった。
ライルさん達は私をシプトピアから出てきたこの世界の人間だと思ってるんだった。
「…特に理由はないです」
「……そうか」
本当に理由などない。
だって勝手に転生させられただけだもん。
その転生先であなたに出会ってしまったせいで、色々不都合が起きてるんだ。
そんな事、あなたは知る由もないけどね。
「何もかも…偶然なんです」
「…」
あなたに恋してしまったのも、正体を隠さなければならない生活をしているのも、何もかも偶然だ。
日本語には…偶然をもっとドラマチックに言い換えた言葉もあるが…私には、貴方に対してそんな言葉を使う権利などない。
“運命”だの“奇跡”だの…
そんなもの、私達の間には存在しない。
「…付けてろよ。ミサンガ」
少しの沈黙を破り、体勢は変わらないままそう呟いたライルさん。
「…枯らしたくないので」
「なんでだよ」
それは…
「ライルさんに貰った物だから」
「……」
「大事な…宝物だから」
「っ…」
「ずっと…このままであって欲しいから」
ずっと…変わらず、このまま。
「…いいから付けてろ。枯れたら…また新しいのをやるから」
「…え」
「それも枯れたら…また別のをやる」
ライルさんの声がいつもより硬く、そして深く、じっと私を見据える緑の瞳は…いつもより、柔く。
「何度でもやる。だから、付けてろ」
……
「はい…」
また、意味もなく溢れそうになった涙を歯を食いしばって堪える。
私には貴方に優しくされる理由がない。
なのに…優しくされることを幸せだと思ってしまう。
「…ありがとうございます」
「……」
夜が更けていく。静かに時間だけが流れる。
このまま時が止まってしまえばいいのにと
まるで何かの歌詞のような言葉を…本気で思いながら。
ライルさんが好きです。
好きになって、ごめんなさい。
私の初恋は、甘くも酸っぱくもなく…
ひたすらに……苦い。




