アルバイト③
スライムの緑の腕が私達に向かって振り下ろされる。
割と本気で死を覚悟し、ぎゅっと目を瞑った。
……
あれ?
しかし衝撃波は何一つ感じなかった。
あっさり死ねた感じ?
恐る恐る目を開ける。
「え」
と私の視界には冥界ではなく、誰かの背中が写った。
見たことのある褐色の腕が私の前にかざされている。
「…ライルさん?」
「これは…モンスターなのか?」
ら……ライルさん!
その後ろ姿は間違いなく見慣れた上司のものだった。
作業着の上に黒い上着を羽織り、黒く艶のある髪を揺らすいつものライルさん、我が上司である!
「ライル殿!ライル殿!」
「お助け!お助け!」
「ライルさん…」
ちらりと後ろを振り返ったライルさんと目が合う。
相変わらず鋭い目。その目が少し上下に動き、私の体を見た。
「動くなよ」
静かにそう言い、スライムに向かって広げた手のひらをぐっと握った。
その瞬間
バチバチッと稲妻が走り、バーンとスライムが弾けて飛び散った。
……え?終わった?
え、飛び散った?
視界の半数を占めていた緑の塊はもはや跡形もなかった。
まさか…今ので倒したの?
拳握っただけよね…まじで?
「万歳!万歳!」
「ライル殿!ライル殿!」
す…すご…
呆気に取られていた私の前にかがむライルさん。
急に目の前に整った顔が現れてビクリと震える。
喜怒哀楽のない緑の目が私を凝視している。
「…怪我してんのか」
「あ…す、すみません」
「服も溶けてるな」
「え…わっ!ぎゃあ変態ぃ!」
作業服の左半分が溶けて可愛くもない下着を晒していることに気づく。
思わず腕で隠して反射的にライルさんに平手打ちをかましそうになったが普通に避けられる。
「誰が変態だ馬鹿。逆に粗末なもん見せられるこっちの身にもなれ」
「ひどいですひどいです!レディなんですよ私!」
「そりゃ初めて知ったな」
取り乱す私をめんどくさそうに見ているライルさん。
なんなのこの温度差っ!惨め!
「帰るぞ」
バサリという効果音と共に視界が暗くなる。
ライルさんが何かを私に投げつけた。
「それ羽織ってろ」
「え…あ」
ライルさんの着てた上着だ…。
太陽と石鹸が混じったような匂い。
「それと…」
上着を羽織るのを待たずしてぐいと身体が宙に浮かんだ。ライルさんに雑に抱えられている。
状況を理解して思わずカッと赤くなる。
「なっ何ですか!」
「怪我。這いずって行くのかよ」
「で、でもこの体勢はちょっと」
「文句あんのか、落とすぞ」
「な、ないです…」
お姫様抱っこじゃーん!
乙女の夢じゃーん!なんで鬼上司なのぉ!
ゴブリンさんが真っ赤になってる私を不思議そうに見ている。
…仕方ない。
帰るまでは我慢……あっ!
「まっ待って!待ってくださいライルさん!」
「おい暴れんな」
「まだ掃除が終わってないんです!」
「は?」
「外界通路と第五通路がまだなんです!」
「何言って…」
「下ろしてください!あの飛び散ったスライムの液は放っておくと腐敗が加速しちゃうんです!」
「……」
ライルさんの腕の中でバタバタと暴れるが一向に離してくれる気配はない。
何を考えいるのか、眉間に皺を寄せて私をじっと見ている。
「あのっ」
「スライムは熱で蒸発したから液は飛び散ってない。掃除はもういい」
「で、でも」
「とにかく戻るぞ」
「ライルさっうわぁ!」
「ご苦労!ご苦労!」
「また明日!また明日!」
ゴブリンさん達に見送られ、ライルさんは第一通路に向かった。
煮え切らない私とは裏腹にずかずか進んでいくライルさん。
通路を抜けると眩しい外の光が目を刺した。
目が慣れるのを待つこともなく、ライルさんは軽くイーデアの空に飛び上がった。
「うわぁ!おっ落ちてるぅ!」
「飛び上がったんだよ馬鹿」
「落とさないでくださいぃ!」
「だったらしがみついてろ」
「ぎぃやあああ!」
言われた通りライルさんの首にしがみつく。
なんで飛ぶ必要があるの!歩いて行こうよ歩いて!
生まれてこのかた空を飛んだ経験などない私には衝撃的な体験。思わず硬く目を瞑る。
しかし少しすれば頬を刺す冷たい風も穏やかなものに変わってくる。
暖かい風と重力を感じないふわふわする感覚がなんだか気持ちいい。
硬く閉じていた目をうっすらと開いてみた。
「うわぁ…すごい」
明けた視界に色鮮やかな景色が飛び込んできた。
まるで絵画のようなイーデアの全貌。
白く大きな城。そこから栄えた街並み。
たくさんの種族達が生活している。
「綺麗…お伽話みたい」
「見た目はな」
「素敵な国…」
「それはどうだろうな」
そう呟いたライルさん。少し体勢を変え、ヒューと足元から急降下しだす。
…え。
「うわぁ!降りるときは声かけてくださいぃ!」
「降りるぞ」
「遅いですぅぅ!」
再びがしりとライルさんにしがみつく。
優しくない!初心者には優しくないよ!
硬く目を閉じた私が次に瞼を開けたときには既にクールオンの前だった。
「快速急行ですね…」
「なんだそれ」
面目ないと思いながらもそのまま事務所まで運んでもらう。
誰にも見られませんように。
事務所に着くや否や雑に椅子に下ろされる。ちょっとお尻痛かったよ。
黙々と自分の机に向かうライルさんの背中にそっと声をかける。
「あの、ありがとうございました」
「別に」
「それと…すみませんでした」
「何が」
「だって…仕事途中で放り出しちゃったから」
「…」
怒ってるよね…
私の担当は連絡通路だけなのに、たった一箇所もまともに掃除できないんだもん…
はっ!クビ!?
それだけはご勘弁を!
「あっ明日はいつもの倍掃除しますから!」
「…第五通路は掃除しなくていい」
え?
「今までも第五通路はクールオンの掃除担当外だった。ブラトフォリスには近づくな」
「え…そうなんですか?」
「あの国の周辺は危険だ。連絡通路も例外じゃない」
「ええっ最初に言ってくださいよ!ずっと掃除してたんですよ!」
おかげで傷だらけだよ!もう!
玄関は顔とか大口叩いてたけど掃除しなくていいならしたくないよ!怖いもん!
「いつから」
「え?」
「いつからあのモンスターと戦ってた」
「えと、担当になってからですが」
「…毎日か?」
「はい。日に日に数も増えてて…汚染って大変ですね」
「…それで箒を壊したのか」
「え?」
がば
「へっ!?」
眉間に皺を寄せたライルさんがズカズカ寄ってきたと思った矢先、私の着ていた上着を唐突にひん剥いた。
「きゃあああ!変態!なんで脱がすんですかぁ!」
「お前…傷だらけじゃねぇか」
「ええ!ええ!そうですよ!弱小種族ですからねぇ!上着返してください!セクハラですぅぅ!」
「なんで報告しなかったんだ」
「はぁ!?私の話を聞かなかったのはライルさんでしょう!連絡通路の掃除の仕方だって教えてくれなかったじゃないですか!」
「……」
「あの!もういいですか!レディの身体をまじまじと見ないでください!」
「…ちょっと待ってろ」
え?
ライルさんは徐に立ち上がり事務所を出ていく。
私は相変わらずひん剥かれたまま、服が半分溶けた部分を腕で隠す。
こやつ…パワハラに加えてセクハラまでするとは…
労働環境の改善を訴えます。
「人間」
「はい?わっ」
しばらくして戻ってきたライルさんから投げ渡されたのは赤い瓶。
これは…
「ポーションだ。体力が回復する」
「あ、ありがとうございます」
「それから…」
私の前に屈むライルさん。
緑の瞳が相変わらず無機質に私を見ている。
でも…なんだか苦しそうな表情にも見える。
「すまなかった」
「え?」
ボソリと呟いたライルさん。
私の前に褐色の手をかざす。途端、ぽわーと体が不思議な光に包まれて痛みが消えて行く。
肩に残っていた切り傷も酸で溶けた跡もみるみる薄くなっていく。
魔法だ!
ライルさんの魔法…あったかい。
すげぇやすげぇや!魔法や魔法や!
「すごい治る…」
「そりゃ回復魔法だからな」
「えっ私なんかにそんな貴重な力使っちゃっていいんですか」
「貴重ってなんだよ。回復魔法くらい誰でも使えるだろ」
「えっそうなんですか」
「まあ人間は魔法使えないけど」
嘘やん。
誰でも使えるって嘘やん。
あっという間に傷は癒え、力がみなぎってくる。
さっきまでの疲労感も痛みも嘘のよう。
「ありがとうございます。おかげで仕事に戻れます!」
「もういい」
……え。えっ!
嘘嘘!待って!
「クビだけはやめてください!もっと頑張りますから!」
「は?んなこと言ってないだろ」
「え、違うんですか」
「今日はもういい。休め」
「で、でも」
「上司命令だ」
「ぅ…うー!」
「うーじゃない」
役に立たなきゃ、仕事させてもらわなきゃ。
これ以上使えないって思われないように…
私にできることは全部やらなきゃ…
「でもまだっ」
「…綺麗だった」
「…へ」
「今日久しぶりに連絡通路に行ったが…綺麗だった」
「…え」
「お前は…よくやってるよ」
ライルさんの大きな手が私の頭に乗った。
ポンポンと作業的だが優しく撫でられる。
ほわりと体が暖かくなる。
これも…ライルさんの魔法なのだろうか。
「お前の話を聞かなかったことも仕事をちゃんと教えなかったのも俺の落ち度だ。お前は悪くない。そんなボロボロになるまで働かなくていい」
「ライルさん…」
「怪我させて悪かったな。ご苦労さん」
褒められた…
私、役に立った…。
ライルさんが…褒めてくれた。
「…へへ、えへへ」
「…お前」
へ?
「笑い方キモいな」
「えっ」
「さっさと上がれ。俺は仕事に戻る」
「ええっ!もう褒めてくれないんですか!」
「甘えんな弱小種族」
「そんなぁ!」
「はい解散とっとと散れ」
今度は私の頭を鷲掴み、ブンっと押し返してくる。
やっぱ嫌なやつ!嫌な上司!
「帰ります帰りますーお疲れ様でした!」
「明日も遅刻すんなよ」
「わかってらぁです!」
ドカドカと出口へ向かう。
なんだよなんだよ!
「おいどこ行くんだよ。寮は反対だろ」
「寮?」
「従業員の寮」
「え?従業員の寮があるんですか?」
「……は?」
「……え?」




