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Fly me to the moon  作者: 月城砂雪
第一章
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【幕間】優花

 新しいお父様に連れられて、新しいお母様に会うために、白い病室を訪ねた。

 二人のお兄様の視線を背中に受けながら緊張している私を見て、お母様は笑った。

 少しだけ悲しそうに、少しだけ嬉しそうに、優しい茶色の瞳でお母様は笑った。




 苗字が変わって、住む場所が変わって、小学校も変わってしまった優花はとても不安で寂しかった。優花が知っていた人は誰もいなくなってしまって、優花を知っている人も誰もいなくなってしまった。

 下のお兄様はよく優花を構って遊んでくれたし、上のお兄様は歳が離れていて少し怖かったけれど、ドアを開けてくれたり本を取ってくれたりと優しかった。お父様とはあまり会える時間はなかったけれど、貰われてきた優花があまり虐められたりしないように、色々考えてくれているのを知っていた。

 優花は、本当の家族のことをほとんど覚えていない。お父さんは優花が生まれたときにはもういなかったし、お母さんは朝と夜に髪を梳かしてくれたことしか覚えていない。

 優花は多分、ずっと寂しかった。


『優花ちゃん』


 白い病室にいるお母様は細い手をして白い顔をして、そうして優花と同じ茶色い髪と茶色い瞳をしていた。だから優花は、たくさんの子供たちの中から、どうしてお父様が優花を選んで娘にしてくれたのか、多分解っていたと思う。

 でも、優花はお母様の娘になれて嬉しかった。だってお母様は、優花の髪を梳かしてくれる。名前を呼んでくれるし、優花を別の誰かと間違えたりしない。

 だから、毎日毎日、病院に通うのは何も大変ではなかった。


『優花ちゃんの髪は、私と同じ色ね』


 病室でいつものように髪の毛をいじってもらっていた優花は、突然そう言われて悲しくなってしまった。優花のお母さんは、優花の茶色い髪を梳かしながら時々ため息をついていたから、お母様のこともがっかりさせてしまったのだと思ったから。

 どうしたらいいのか分からずに困っていたら、髪の毛を引っ張るような感触があって驚いてしまう。振り向こうとしたのだが、まだ駄目よと優しく言われてしまい、動けなくなってしまった。

 しばらく大人しくしていたら、笑い声と共に、お母様の綺麗な手鏡を目の前に差し出された。

 優花の茶色い髪に映える、ひらひらとした赤いリボンが結わえられている。


『とてもとても、可愛いわ』


 茶色い髪に、赤いリボンはよく似合う。お母様に可愛いと言われて、悲しかったことも不安だったことも寂しいことも、今だけ忘れてしまった優花は嬉しくなって笑った。

 笑った優花を見て、お母様がとてもとても嬉しそうに微笑む。いつも少しだけ悲しそうなお母様がにっこりと笑ってくれたことに、優花の胸はどきどきした。


『これはお守りよ』


 いい子、いい子、可愛い娘。このリボンが私の代わりに、あなたを悲しみから守ってくれますように。

 可愛い可愛いあなたに、どうか幸いが降り注ぎますように。


『恋や、愛や、暖かいものが。……あなたの心をいつも満たしてくれますように』


 あなたの寂しさや悲しさを幸せが埋めてくれますように、と。そう願いを込めて頭を撫でてくれたお母様は、それでも得てしまった病から回復されることはなくて。優花を初めて娘と呼んでくれた、一年の後に亡くなってしまった。

 頂いたリボンをつけていても、あまりにも悲しくて悲しくて、優花はずっとずっと泣き続けた。

 泣いて、泣いて。お父様たちが困っているのに気付いた優花は、もう二度と泣かないようにしようと心に決めて泣き止んだ。悲しくない、寂しくない。だから泣いたりしない。泣いては駄目。お父様に迷惑をかけるのも、お兄様たちに心配をかけるのも駄目。

 毎朝毎朝、自分で髪を梳かして赤いリボンを結ぶ。お母様のことを思い出しては、お母様のように優しくあろうと振る舞った。

 そんなある日、綺麗な人に会った。




 いい子、いい子、可愛い娘。優しい声が、優花に笑いかける。

 いつかきっと、あなたに幸いが訪れますように。そんなお母様の願いは――多分、今、叶った。




 優花は、廊下を走りたいくらいの気持ちを必死に宥めながら、ともすれば軽くなってしまう足取りを何とか落ち着けながら歩いていた。お昼休みまでがこんなに長かったのも、こんなにもどきどきしながら廊下を歩くのも初めてで、優花は内心とても混乱していた。

 いつも一緒の二人とも離れ、一人で廊下を歩く優花はそれなりに注目を集めている。けれど、きらきらとした瞳を真っ直ぐ前だけに向けて、逸る気持ちを宥めることに必死な優花はそんな視線たちに気付いていなかった。

 目的の教室に着いて、昼休みらしく空気の入れ替えのために開け放してあるドアから教室を覗き込む。真ん中の列の一番後ろに、望んでいた姿を見つけて嬉しくなった優花は緊張しながら口を開いた。


「――飛鳥」


 吉野さん、と。恐る恐る呼んでいたときから、本当はずっと呼んでみたかった名前を呼び捨ててしまったことに、またどきどきしてしまう。どきどきし過ぎて、胸が痛い。

 綺麗で真っ直ぐに澄んだ黒い瞳が優花を見つめて、驚いたように見開かれる。その目をこれ以上見つめていては、つい逃げ帰ってしまうような予感がして、優花は慌てて口を開いた。


「一緒に、お昼ご飯……!」


 を、食べましょう? と。そう言いたかった言葉は、期待と不安に押し潰されてはっきりと言い切れなかった。

 優花はいつもいつも、きちんとたくさんのことを考えてから話すようにしているのに、どうしてか飛鳥の前でだけ上手く行かない。今も一生懸命言葉を考えているのだけれど、あまりにどきどきし過ぎて何を言えばいいのか全く分からなくなってしまった。

 困ってしまった優花はもうどうしようもなくて、ただ願いを込めて縋るように飛鳥を見つめる。何度か瞬いていた黒い瞳が一度優花をじっと見つめ返して、そうして次に、笑顔になった。


「いいよ、優花」


 おいで、と手を伸べられて、優花の心に幸いが満ちる。

 茶色い瞳を微笑ませて、赤いリボンをなびかせて、優花は飛鳥に駆け寄った。




 一目で、恋をしたの。

(あなたが好きよ)



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