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Fly me to the moon  作者: 月城砂雪
第四章
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【幕間】誠一郎

 最初の誤りに気付いたのは、棺に縋って泣き崩れる小さな小さな少女の姿を見たその時。

 二つ目の誤りに気付いたのは、病院の寝台に、泣き腫らした目で横たわる娘を見た時だった。




 男の部屋は、半分以上が書籍で埋まっていた。乱読の気質は血を分けた二人の息子にも、血は繋がっていない娘にも伝わったらしく、屋敷内には書籍が溢れている。

 物事の整理整頓が苦手な男の部屋を綺麗にしてくれていた妻の死後は、折を見て使用人に片付けてもらっている。今日も、これから来てもらわなくてはと思いつつ、椅子に深く座したまま男はため息をついた。現在の部屋は、他人に見られるにはあまりに恥ずかしい。

 和服、洋服、宝飾類。輿入れする娘のために、かき集めた山のようなもの。もちろん、これに、持参金もつける予定だった。


「どうして、それでいいと思えたんだ、か……」


 今朝方から、散々息子に罵倒された。

 よく口の回る次男は畳み掛けるように、寡黙なはずの長男は心底呆れたと苦虫を噛み潰しながら。破談の申し入れやそれに付随する諸々で忙しい長男はその内に席を外したが、妹の泣き顔と昏睡姿を目にして怒り心頭の次男の説教は収まる気配がなかった。思えば幼い日、眠れなくなって衰弱した娘に気付いたのも彼だからだろうか。今までの鬱憤を全て込めたような、骨身に沁みる説教だった。

 そんな彼の言葉を遮るのは実に骨折りだったが、件の少女と話がしたいと持ち掛ければ、思い出したと言わんばかりの焦った表情を浮かべた彼はすぐに部屋を飛び出した。元々探す気であったらしい、方々を駆けずり回って、そうして一人の少女を連れて来た。

 釣り上った目をした、美しい顔の少女だった。だからよかったというわけでも、何が理解できたと言うわけでもないのだけれど。

 話したいと言ったものの、面と向かったその瞬間に、男は何を話せばいいのかを見失って沈黙した。理解しがたい覚悟を決めた瞳は、半ば睨み付けるような強さで男を真っ直ぐに見つめている。いつも目を伏せて微笑んでいた娘とはあまりに違うその様子に、ますます何を話せばいいのか解らなくなった。

 だから、娘のために揃えたもの全てを持ち出して、質問をした。


 ――あの子はどちらが好きだろう?


 唐突な質問に、怪訝そうに眉根を寄せた黒髪の少女は、それでも迷いなくそれに答えた。

 ピンクの上下よりも、マドラスチェックのロングワンピース。羽飾りの帽子よりも、コサージュが飾られた白い帽子。アレキサンドライト、キャッツアイ、ムーンストーン。赤い薔薇より白い薔薇。

 男は、娘の好きなものを知らなかった。けれど少女は、迷うことなく答えを言った。何故そう言えるのかと尋ねれば、優花はこれが好きだからだと、彼女は何の躊躇いもなく、不思議そうにそう答えた。

 では、あの子が一番好きなものは? と。そう尋ねれば、少女は少し考えて、ふふっと小さく微笑んだ。

 その笑顔は決して男に向けられたものではなくて。多分、今は病院にいる、娘に向けられたものなのだろう。


 ――月かしら、と。彼女は答えた。


 夜のように黒い彼女の瞳は、何を映したのか少しばかり潤んでいた。あの子は、月に行きたいの。はっきりとした発音の美しい、ともすれば冷たく聞こえるだろうその声が、愛や優しさといったものを含んで甘く響くのを聞いて、男はもうそれ以上何も言えなくなった。


「……月へ、か」


 まるでかぐや姫だと、ため息を付く。

 それでも、泣いていたあの子が、幸せになれるならそれでいい。だから男は、月への切符とは程遠いが、それに準ずるくらいの価値はあるだろう切符の手配のために、電話に手を伸ばした。




 男は、娘の好きなものを知らない。何をあげても、あの子は嬉しそうに笑ったから。

 部屋を出ようとしていた少女に、そう言ったら。彼女は驚いたような、呆れたような顔をして振り返った。そんなの、と、呟いて。少女は笑った。それは、男に向けられた笑顔だった。


 ――あなたのことが好きだったからに、決まってるじゃない。


 三つ目の誤りを、娘と同い年の少女に易々と指摘されて、男はしばらく口も利けなかった。



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