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Fly me to the moon  作者: 月城砂雪
第三章
20/37

3-2

 結局四人で住所を交換したが、学校で毎日顔を合わせていれば、手紙を書く機会は訪れない。やけに綺麗な便箋に、結局電話番号も書いてくれた優花の丁寧な文字を時折眺めて幸せを感じつつも、何事もないまま日が過ぎて、風が少し冷たくなった。

 日中は暖かくとも、食べ物が傷む心配はもうそろそろいらなくなる。お弁当箱の中に生の野菜を入れられるようになれば、元々あまり熱意のない料理の時間を大分短縮できるので、飛鳥にとってはそれだけで有難かった。寒くなればなるほど、台所に立つ気力は減少する。もちろん暑い時でも同じことが言えるが、飛鳥は寒さの方が体にこたえる方だった。寒いだけでも体が重くなりがちなのに、その上お腹が痛かったりすれば、もう最悪だ。

 そんなことを思うのは、つまりは昨日、隙間風の吹き込む台所で痛く気怠い思いをしたからで。今日は大分楽になっていたが、それでも腹部に居座る違和感と全身に及ぶ気怠さは消えず、飛鳥はいつもに増してやる気なく食事を口に運んでいた。

 今日も相変わらず、四人一緒の昼休みだ。優花と有住はにこにこしていて、次子は一人で表情をくるくる変えている。事あるごとに飛鳥に突っ掛かって来る次子は、そんな飛鳥の食事の様子に目を止めて、何不味そうに食べてるのよ、と文句を言ってきた。


「そんなんじゃ、作ってくれた人に悪いじゃない」


 お母さんが作ってくれてるんでしょ、と。次子は立て続けにそんなことを言って、その瞬間に、飛鳥ではなく優花の体が固まった。別に今更、こんな言葉くらいでは動揺もしないのだから、気にしなくていいのになと。申し訳ないような嬉しいような、そんな複雑な気分で飛鳥は笑う。

 そして笑ったついでに、次子を馬鹿にするような言葉を呟いておいた。


「残念。あたしは自分で作ってるから」


 お嬢ちゃんとは違うのよ、と。優花をお嬢様と呼ぶ時とは明らかに違うニュアンスでそう言えば、次子はごく単純にどういう意味よと怒り出し、有住は優しく微笑みながらそれを宥め、優花は次子を気にしながらも飛鳥が無理をしていないかと気遣う眼差しをこっそりと送ってくる。

 それは割といつも通りの昼食の光景で、いつの間にか随分と仲良しに見えてしまいそうなこの関係に、ため息も出なくなってしまった。実際に仲良くなってしまったと、いくらかは認めざるを得ないならば、諦めが肝心だ。


「ね、九条さん、唐揚げいかが?」


 まだ何か怒っていたらしい次子の気を逸らそうとするように、優花が自分のお弁当箱を差し出して笑う。途端にころっと機嫌を直した様子の次子に、飛鳥は苦笑した。

 優花のお弁当はいつも、栄養バランスがとてもしっかりと考えられている様子の丁寧な作りで、それは全てあの蔦枝さんの手作りということだった。けれど、二学期に入ってから、少しそのお弁当の勝手が違ってきていることに、飛鳥は気付いていた。


「美味しい!」

「本当?」


 唐揚げを口にして、幸せそうに笑う次子を見て、少しばかり背筋を伸ばしながら見つめていた優花が安堵したように、嬉しそうに笑う。ほんの少しの、小さな違い。でも気付いてしまえばとても解りやすいその感情表現に、飛鳥も少し笑ってしまった。

 夏休みの間に、練習でもしたのだろう。優花はこのところ、自分の作った料理をお弁当箱に入れてくる。そしてそんなときはいつも、然り気無いように次子や飛鳥に差し出して、反応を窺いたいのか真摯な眼差しでじっと見つめてくるのだ。だから今日の唐揚げとやらも、優花の手作りなのだろう。

 そんなことを思う、飛鳥の何気ない視線に気付いた優花が、今度はお弁当箱を飛鳥に差し出してきた。


「飛鳥も、どうぞ」


 欲しくて見ていたわけではなかったのだけど、精一杯に然り気無く手料理を差し出してくる優花が可愛かったので、短く礼を言って有難く頂く。次子がちらりと飛鳥を見たが、自分の方が先にもらっていたからだろうか、それ以上突っ掛かってくることはなかった。

 今は丁度、恒例の球技大会の時期で、それぞれの部活のレギュラーメンバーである次子や有住は、昼休みの度に熱心に練習をしている。忙しそうな彼女たちに不満の色は見当たらなかったけれど、優花と離れるのは単純に寂しい様子で、二人とも、特に次子は最近少し元気がない。


(元気がなくても、頗る健康みたいだけどね)


 その小さい体の、どこに入れているのか判然としないほどの量の食事を手早く平らげて、次子はごちそうさまでしたと一人でお辞儀をしている。それに一拍遅れて、こちらは何故その量でここまで育ったのか不思議なほどに少食な有住も、ごちそうさまでしたと言って弁当箱を布に包み直した。

 慌ただしく立ち上がろうとする二人に眼差しを向け、何かを思い出したような優花が急いで自分の鞄を探る。何か渡すものでもあるのかと怪訝に思う飛鳥が見つめる中、お弁当箱の半分程度しかない小さな箱を取り出した優花が、蓋を開けながら二人に差し出した。

 途端、きゃあ、と。やけに可愛らしい驚きの声を上げた次子が嬉しそうに手を伸ばし、小食の有住も、同じような声を上げつつ手を伸ばす。きっちりと丸い何かをそれぞれ一つずつ手に取って、二人は教室を出て行った。最近はいつでも、教室から出る度に八つ当たりのような眼差しで飛鳥を睨む次子だったけれど、今日は機嫌よくにこにこしたままだった。手を振る次子と有住に、優花はそっと手を振り返している。


「二人とも、一生懸命ね」


 きっといい所まで勝ち進むわね、と。二人が見えなくなってから、優花が穏やかに笑う。茶色い瞳は優しい色をしていて、可能な限り傍にいたがる次子の気持ちが少し解ってしまうのが、何とも妙な気分だった。


「あんまり頑張られても、困るけどね」


 その妙な気分を隠すためにも、飛鳥は微妙な渋面を作ってため息をつく。そうすれば、優花はどうして?と、とても判りやすい疑問を瞳にだけ浮かべて首を傾げた。


「だってあたし、今年もテニスだもの」


 去年のリベンジなんて言って、変に燃えられたら面倒、と。いかにもうんざりした調子で飛鳥がそう言えば、理解したらしい優花がああ、と頷いた。


「だから最近はいつも、飛鳥を睨んでいるのかしら?」


 次子の行動に、一応は気付いていたらしい優花は、そう口にして可笑しそうに笑う。あれは多分それだけではなく、優花と二人きりになることが必然的に増加した飛鳥が憎いような恨めしいようなあるいは羨ましいような、まあそんな心境なのだろうと思うのだが、優花はその辺りには全く考えが及ばないらしい。

 そこまで会話を続けた辺りで、まだ優花の手元にある小箱に今更ながら気付いた飛鳥は、軽くそれを指差しながら問いかけた。


「ねえ、それ何なの」

「これ?」


 心なしか嬉しそうに、優花が問い掛けに反応する。次子と有住が、実に嬉しそうに手に取っていたものが見えやすくなるようにと箱を傾けて、にっこりと笑った。


「昨日、作ったの。ドーナツよ」


 輪っかではないけれど、と。そう続ける優花の声を聞きながら、もう一度箱の中身をよく見れば、丁寧な揚げ色とざらめ砂糖の飴色が綺麗なそれは確かに焼き菓子の様相を呈している。箱と菓子の間には、紙で出来た白いレース模様のシートが引かれていて、売りもののようだった。


「九条さんが最近疲れているから、甘いものを作ったの」


 岩倉さんも喜んでくれてよかったわと、優花は笑う。極度に小食な彼女が手に取ってくれるか、少し心配だったらしい。

 箱一杯に詰まった小さなそれはとても丁寧に作られていることが一目で判るもので、全て自分で作ったのなら、結構な手間だっただろうと飛鳥は思う。上手ね、と何気なく褒めれば、優花は顔を赤らめて微笑んだ。


「唐揚げよりも、簡単なのよ」


 油さえ怖がらなければ大丈夫なのよ、と。そう言う優花を見ながら、多分最初は油にびくびくしながら作っていたのだろうなと考えて、飛鳥は笑う。はい、と。当たり前のように差し出されたそれを一つ手にして、有り難く口に含んだ。ざらめ砂糖の単純な甘さが優しく口に広がるそれは、お世辞などではなく本当に美味しかった。

 これなら規格外に小食な有住だって、多少無理をしてでも手を伸ばすだろうと飛鳥は理解して、そうして、少し痛んだ腹部に手を当てる。どうせなら、余計な痛みのない日に口にしたかった。気が散って仕方がない。

 つい落としたため息に気付いたのか、優花が茶色い眼差しに心配そうな色を浮かべて首を傾げた。


「お腹が痛いの?」

「ん、まあね」

「……揚げ物は、危なかったかしら」


 自身の手元に目を落としながら、優花はやけに深刻な顔でそんなことを呟く。仮に食べ物が原因でも、いくらなんでも口にしてすぐと言うのは無いだろう。そこまで行ってしまったら、料理の出来云々ではなく、体質の問題だ。飛鳥は今までの人生の中で、過剰に苦手なものと出会ったことはない。


「どうしようもない方の腹痛だから、気にしないで」


 そう言った飛鳥をじっと見つめる優花は、数秒後に理解したらしく、何故か自分のお腹を押さえながら頷いた。


「お月様がいらっしゃる方ね……!」


 今度は、飛鳥が少し考えてしまった。

 確かに月のものとはよく言うが、その言い回しは何なのだろう。誰かがそう言っていたのか、何かの本で読んだのか。それともこの学校にいるような少女たちは皆、こんな言い回しをするものなのか。

 ともかくも、生理だということは理解したらしい優花が、それは痛いわ、と心なしか青い顔で呟く。やけに深刻な顔をしているところを見ると、彼女は痛み重い方なのかもしれない。今の所、優花が人前で具合の悪そうな姿を見せたことはないけれど。


「保健室に行く?」

「大丈夫よ」


 飛鳥は、そんなに痛むわけではない。痛いことには痛いが、それ以上に気持ちが悪くなることが問題だった。

 例えば舞子は、生理中は風に当たると悪寒が走ると言って、室内に籠り切りになる。しかし飛鳥は逆に、空気の通りの悪い所にいると頭が重くなり、吐き気がしてくるのだ。もちろん、真冬の風に当たれば痛みは重くなるが、今の季節であれば外にいる方がまだずっと楽だった。

 昼休み後は理科の時間だが、次の授業は生物のビデオを視聴して感想を書くというそれだけの予定で、正直あまり行く気が起きない。カーテンすら締め切ってある理科室は、今の飛鳥にとって最悪の環境だ。

 集中力も切れているし、出なくてもいいかな、と。そんなことを思うのと同時に、少しばかりいけない考えが頭を過った。


「……やっぱり、ちょっと、付き合って欲しいかも」

「ええ、いいわ!」


 飛鳥の独り言のような呟きに頷くが早いか、優花がいそいそと立ち上がる。それでも席は、かたん、という控えめな音しか立てなかった。何か盛大に誤解をしているのは承知の上で、飛鳥は何の訂正もしないまま立ち上がり、優花と一緒に教室を出る。

 予想通りと言うか何と言うか、廊下に出て真っ直ぐに保健室側の階段を降りようとする優花を、飛鳥は笑いながら引き留めた。


「どこに行くのよ」

「……保健室でしょう?」


 違うの?と、首を傾げる優花があまりに素直なので、違うと言うのは申し訳ないような気分になる。だけど、大人しく保健室に行くなんて気はないので、飛鳥は笑いながら首を横に振った。


「違うよ。付き合って、っていうのは、こっち」

「上?」


 飛鳥が指差す方を、優花は不思議そうな顔をして見上げる。天井をじっと見つめて、それでも答えが見つからないらしく、優花は困った表情を浮かべた。そして、問うように飛鳥を見つめてくる。

 無言の問いかけに、屋上、と答えて、飛鳥は笑った。


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