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Fly me to the moon  作者: 月城砂雪
序章
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百合(GL)小説です(*'ω'*)

お楽しみいただけたら嬉しいです。

 物心ついた時から、あたしの周りに愛なんてなかった。

 あたしのものにならないものは、みんな嫌い。


 緑深い郊外にある、中高一貫性の女子高。蔦の這う煉瓦作りの校舎に、金色の鐘。紺色のセーラー服に黒のスクールタイツ。

 世間では、昨年来日した英女優を真似たショートカットやミニスカートが流行していると言うのに。ここの少女たちはみな長い黒髪を背に流し、膝に纏わるスカートを慎ましく靡かせている。一年生の名札には赤いラインが引かれていて、そこだけが少女たちの黒っぽい全身の中に唯一華やかな彩りを添えていた。

 戦前は高等女学校であったと言う伝統あるお嬢様学校らしい退屈な入学式が終わって、いかにもと言えばいかにも過ぎるシンボルの数々を視界に入れながらうんざりする。これからこんなところに三年間も通うのかと思えば、ため息しか出てこない。


(たかが三年、と思おうにも、やっぱり長い)


 けれどここは、わざわざ奨学金を申請してまで入った名門の女子校だった。

 義務教育を受けさせる気があったのかすら曖昧な、あの両親に頼る気なんて最初からない。ここを出て、経歴を手に入れて、生きて行くための足掛かりにする。そのためには、面倒なトラブルも役に立たない反抗も邪魔なだけだ。

 せめてもの息継ぎのためにと開けたピアスは、細い金のリング。きらりと光を受けるその色は少々目立つのか、すれ違う少女たちがちらりとこちらを振り向くが、特に声を掛けられる訳でもない。騒ぎが起こらなければ問題はないし、騒ぎを起こさなければ教師たちが何も言わないことも知っていた。

 吉野飛鳥。名前の書いた紙が貼られている机は、窓側の一番後ろ。あいうえお順に並べられたその席からは、クラスの全貌が一通り視界に入る。真面目そうな、大人しそうな気配を纏う少女たちは、こちらに寄ってくる様子もなく無害に見えた。耳に覗くピアスに気付いた少女たちからは多少怖がられているような気配を感じるが、端から友人を欲していない飛鳥には好都合だ。


「……どうせこんなお嬢様方じゃ、話なんて合わないしね」


 中学からの持ち上がり組なのか、同じクラスになれて嬉しそうな少女たちが手を取り合って帰路につくのを見るともなしに見ながら、小さな声で独り言ちる。高校から入ったのだろう、どこか寄る辺なく不安げな眼差しをした少女たちがおどおどと声を掛け合い、僅かばかりの安堵を含んだ微笑みを交わして席を立つ。一人、また一人といなくなり、静かになっていく教室で椅子に座したまま、何だか疲れてしまってもう一度ため息をついた。

 明日からお世話になるだろう、図書室の様子でも見て帰ろうと、席を立ってドアに歩み寄る。すっかり静かになった空気に、誰もいないと信じて些か無造作にドアを開けば、三人ばかりの少女とかち合ってしまった。


「あ……」


 声をあげた真ん中の少女の手から、入学証書を入れたケースが落ちる。それはからからと軽いだけの音を立てて、飛鳥の足元に転がった。足元に来たそれを拾い上げてやれば、屈もうとしていたらしい少女がまた、あ、と細い声をあげる。規則と寸分違いないような丈のスカートが、少女の戸惑いに合わせてひらりと揺れた。

 顔を上げれば、丸く見開かれた茶色い瞳と目が合った。

 茶色い髪、茶色い瞳。それでもその色が人工のものでないことは、そのすっかり色が抜け落ちたような白い肌が証明している。秀でた額を晒すように、前髪ごとハーフアップにされた髪型は、校内に貼られた白黒写真に写る大正時代の令嬢のよう。その茶色い髪に揺れる赤いリボンが、さらに時代を錯誤させた。

 真っ直ぐに長い茶色い髪と、赤いリボン。見覚えがあった。退屈なだけだった入学式、新入生代表として壇上に上がった少女。

 入試の順位はもちろん非公開ではあるが、新入生代表などというのは最も優秀であるという証に相違なく、薄茶の瞳には優しい柔らかな知性が確かな輝きとして宿っている。少なくともこのお嬢様は、飛鳥よりも優秀であるのだと思えば、あまり気分は良くなかった。

 隣に並ぶ少女たちが、険しい眼差しでこちらを見つめてくる。茶色い瞳のお嬢様も、その二人も、みな美しい顔をしていた。


「それ、渡して」


 奥にいる背の高い眼鏡から窺えるのは警戒だけだが、今口を開いたほっそりと小柄な少女はまるで敵を見つめるように飛鳥を見る。お嬢様をその華奢な背に庇うようにしている姿に、ナイトのつもりかと笑ってしまった。

 小綺麗な顔が苛立ちに歪むのを見て取って、面倒なことになる前にほら、と渡してやる。受け取った少女が、お嬢様に手渡した。


「桜川さん」


 行きましょ、と。より険しい眼差しで飛鳥をはっきりと睨んだ少女が、お嬢様の背中を押す。え、と。戸惑うお嬢様の清らかな瞳が、飛鳥を捉えてふわりと優しい色を湛えた。


「拾ってくれて、ありがとう」


 優しい瞳が、花開くように笑う。小柄な少女の敵意からも、眼鏡の少女の警戒からも程遠い、甘い甘い優しい声。

 新入生代表、桜川優花。廊下で、クラスで、中学からの持ち上がりだろう少女たちが、楽しげに噂をしていた。大企業のご令嬢、元は高位の士族の血を引くという、本当のお姫様。

 可愛い人。


「……お礼はいいよ、お嬢様」


 そう言えば、茶色い瞳が一つ瞬く。飛鳥の声から不穏な空気を察したか、眼差しが困惑に少しだけ揺れた。

 優しいお嬢様、綺麗なお姫様。品行方正で美しい。

 愛に溢れて可愛らしい。


「あたしあなたが大嫌い」


 そう言い捨てて、お嬢様の反応も見ずに背を向ける。一拍置いて、あの小柄な少女のものと思われる怒りを背に受けたら、図書室に寄る気もなくなってしまったのでさっさと校門に向かった。

 昇降口から校門までは桜の木々が等間隔に配置されていて、その薄いピンクの花びらが地面に静かに降り積もっている。髪に花びらが纏わりついた瞬間、墨を流したように黒く長い髪を急に煩わしく感じて、手で払いのけた。今日の内にさっさと切ってしまおうと考えて、鳥みたいな癖毛を捩る。苛々していた。

 最寄りの駅まではバスで十分、徒歩でなら四十分はかかる。駅と学校の中間地点には図書館があり、駅と反対側に三十分歩けば博物館がある。元々本数のあまりない駅へのバスを待つ気にもなれず、人もまばらな通学路を通り、駅までの道を早足で進んだ。

 学生以外はさして縁もない通学路は、日が沈んでしまえばいっそ危険な場所なのだろう。それなのに、太陽の光が満ちるだけでこんなにも平穏で暖かい。

 暖かいものは嫌い、優しいものも嫌い。


「嫌い」


 拾ってくれて、ありがとう。優しいだけの、甘ったるい声がまだ耳に残っていて気持ちが悪い。愛に満ちた声と瞳の、お姫様。苛々する。

 嫌い、嫌い、大嫌い。

 あたしのものにならないものは、みんな嫌い。




 それなのに、少しだけ思ってしまったの。

(なんて、きれいなひとだろう)


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