第八話 決死の救出作戦
佐藤が置かれたこの状況を例えるのなら、さしずめハイエナの群れに放り込まれた一匹の哀れな子バンビ──といったところか。
《てことは、オレたちは我が子を救うために自らを差し出す母バンビか?》
冗談を言ってる場合か。
《お前から言い出したんだろうが》
それはさておき、どうしたものか。
ざっと見たところ、砂漠のメンバーは少なく見積もっても二十人はいる。
話し合いでなんとかなるわけがないのは、一目瞭然だ。ノコノコと出て行ったら、佐藤と一緒に凸守も袋叩きにされて、臓器を売られるだろう。
若い衆たちが「ぶっ殺すぞ!」と息巻いている。
それに対して佐藤と言えば──
「ち、近寄らないでください! 僕にはトンデモナ力があるんですよ!」
凸守は「そんなハッタリが通用するものか」と、内心では鼻白んでいた。
この手の輩たちは、命を賭けることなんて何とも思ってはいない。むしろ組織のために体を張るのが美徳だと考えるているような奴らだ。
挑発すると状況は悪化するだけ──そう思っていた。
どころが凸守の予想に反して、どういうわけか「砂漠」の面々は襲いかかろうとしない。誰かが一歩踏み出すが、次の足が出ない。行こうか行くまいか、迷っているようだった。
《何したんだよ、アイツらは》
黒鶫の疑問の答えは、すぐに出た。
痺れを切らした威勢のいい若い衆が「ナメんなよ!」と佐藤に向かって行ったその時だ。
空から耳をつんざくほどの雷鳴が轟く。
眩い光が煌めくと、天空から一筋の雷が降り注ぐ。
その霹靂は、佐藤に向かって来た若い衆を直撃したのだった。
一瞬にして黒焦げになると、その場に崩れ落ちるようにして倒れる。ヒクヒクと手足を動かしてはいるため、辛うじて生きてはいるようだ。
訪れる静寂。
ただし長くは続かない。
やがて地響きのようなどよめきが起こる。
先ほどまで統率が取れていた佐藤を取り囲む人の輪は、歪みを見せたのだった。
そこにいる誰もが恐れ慄いているのは確かだったが、逃げ出す者はいない。彼らに残されたわずかなプライドか。もしかするとここで背中を向けたら、後で折檻されるからかもしれない。
「あ、あのヤローは、一体何者なんだよ……」
誰からともなく声が上がる。
「さっきは確か、闇属性の眷属を使ってのに……」
「オレは風を見たぞ」
「今度は雷って……一体、何体の眷属と契約してんだよ……」
「砂漠」の連中が戸惑うのも無理はない。
それは凸守も同じだ。
前頭葉が静かなのもおそらく言葉が見つからないからだろう。
通常、一人の人間が契約できるのは固有眷属と、サブ眷属までだ。
にも関わらず、あの佐藤という男は現時点で把握できているだけでも、火と水、それから今見た雷。
「砂漠」の連中の言葉が見間違いや妄想の類ではないのなら闇と風──つまり五体の眷属と契約していることになる。
こんなことって、あり得るのか……。
自分の意思というより、口から溢れたといった感じで凸守はつぶやいていた。
さすがの命知らずの男たちにも、怯えの様子がうかがえる。「得ないが知れない」というのは、生物の細胞に訴えかける恐怖があるのだ。
コイツには近づくな──本能がそう訴えかけているにちがいない。
《デコ、チャンスだぞ!》
凸守は急いでスクラップの山から降りる。
「砂漠」たちが冷静さを取り戻す前に、佐藤を拐ってしまうのが得策だろう。
その前に、綻びがあるとは言え、取り囲むチンピラたちをなんとかしないと佐藤のところに辿り着けない。
どうする?
ここは古典的な手ではあるが、やってみる価値はあるだろう。
「サツだ! サツが来たぞ!」
騒然となる。が、それはほんの一瞬だけで、すぐに「落ち着け!」と声が上がる。
「こんなところまでサツが来るわけねえ! 来たとしても、見張りから連絡が来るはずだ!」
さすがに場慣れしている。
サツが来たと叫んだ凸守とて、それは想定内だ。あえて声を上げたのは、ほんの数秒だけ佐藤から目を逸らせたかったのだ。
思惑通り、全員が佐藤から視線を外した。
その隙に、強引ではあるが「砂漠」たちを押し除けて佐藤のところまで行く。
目の前に現れたくたびれた中年親父を見て、佐藤は「ヒッ!」と小さく悲鳴を上げた。大声で叫ばれてはたまらないので、凸守は右手を伸ばして佐藤の口を塞ぐ。
凸守は頭の中で叫んだ。
黒鶫、俺とこの男を靄の中に隠せ!
《了解!》
黒紫色の靄が凸守の右手から湧き出て来ると、それはやがて二人を包み込むのだった。
右手の内側で、モゴモゴと動く。
ふと見ると、佐藤の目が「アナタは誰ですか?」と訴えかけていた。
凸守は左手の人差し指を自分の口に当てる。さらに佐藤に向けて、唇を大きく動かしていく。
ダ、マ、レ。
ヤ、ツ、ラ、ニ、ハ、ミ、エ、テ、イ、ナ、イ。
佐藤の口に手を当てたまま、凸守はゆっくりと腰を屈めてその場に膝をつく。
「お、おい!」
異変に気がついたらしい。「砂漠」のメンバーは何度も首を振って状況を把握しようと必死だ。
まるで狐につままれた気分だっただろう。
まさか自分たちが取り囲んでいたはずの男は、跡形もなく消えてしまったのだから。
「あのヤロー、どこ行きやがったんだ!」
「そう言えば、ヨレヨレのジジイが突っ込んで来やがった! あの老ぼれが連れて行ったんだ!」
「ジジイと野郎を探せ!」
目の前で散り散りになって行く様を、凸守と佐藤は固唾を飲んで見守る。その間、生きた心地がしなかった。見つかればタダではすまないからだ。できることなら、ドクドクと胸を叩く心臓でさえ止めたい気分だった。
「砂漠」たちがいなくなると、凸守は額の汗を拭う。
寿命は確実に十年は縮んだはずだ。
すると前頭葉がからかうように揺れた。
《ジジイに老ぼれ──ずいぶんな言われようだったな》
やかましい!
二日酔いがすっかり消えてしまっていた。
たっぷりと冷や汗をかいからかもしれない。迎え酒の他にも二日酔いを治す方法があったとは意外な発見だが、こんなことは二度と御免だ。
「た、助けていただいて、ありがとうございます……」
佐藤も汗だくになっていた。
白のTシャツが体に張り付いていて、華奢な胸板が透けて見えている。
汗が顎から滴り落ちて、地面に小さな水溜りを作っていた。
「怪我はないか」
「は、はい。なんとか……。ところで、あなたは一体……」
「俺は探偵の凸守って者だ。君の婚約者、小鳥遊小鳥から依頼を受けた」
「小鳥から?」
「君が良からぬことを考えてるんじゃないかって心配してたよ」
「良からぬことって……」
なんのことだかわかっていないのだろう。怪訝な表情を浮かべていた。だがすぐに思い当たったらしく、「あっ!」の声を上げて凸守を見る。
「もしかして」
「ああ。自ら命を断つんじゃないかってな」
「バカだな、小鳥の奴。僕が小鳥を置いて死ぬわけないのに」
「自宅を出る前、『神さまが設計ミスした人間。生きていてはいけない』といったようなことを言ったそうじゃないか。その後、帰って来ないから心配したんだろう」
「そうか……悪いことをしちゃったな。帰ったら謝らないと」
「だな。ところで君に聞きたいことがあるんだが」
「もしかして眷属のことですか」
今度は凸守が「あっ!」と声を出す番だ。
当然、そのことも聞かなくてはいけないのだろうが、実は凸守が聞きたいのは眷属の件ではなかった。
「そっちのことも後で聞くが──凸守羊という名前の女性に会ったことはあるか」
「デコモリヨウ?」
佐藤はまるで異国の言葉を口にした時のようにたとたどしくつぶやくと、頭を傾けた。
「すみません……実は僕には記憶がなくて……。どこかで会っているのかもしれないんですが……わかりません」
「それじゃ、君が言ってた『神さまが設計ミスした人間』ってのは、誰から聞いたんだ」
「それもよく覚えてないんです」
ただ、と佐藤は続ける。
顔をしかめていたその表情は、なんだか苦しげに見えた。
「時々、頭に浮かぶんです。よくわかんないんですけど……忘れちゃいけない言葉な気がして──」