第六話 情報屋
ここが空振りなら、完全に手詰まりだ。
そんなことを考えながら、凸守は車のドアを開けて一歩足を踏み出した。
思わず顔をしかめる。
辺りからすえた臭いが漂ってきて、鼻を刺す。
わかっていたことだが、どうしても鼻の付け根にシワを刻まざるを得ない。
食べ物だけでなく、ネズミなどの小動物の死骸の臭い、他にも誰かの吐瀉物など、とにかく汚物がない混ぜになった臭いが容赦なく鼻腔を攻撃してくるのだ。
二日酔いの凸守にとって、控えめに言ってもこれは拷問だった。
ここは街の外れにある「埋め立て48号地」。
通称「天国」だ。
欲しいものはすべてあり、ないものはないと言われる場所だ。ただし、「天国」という呼び名には多分に皮肉が込められている。
早い話、ここはゴミ溜めというわけだ。
いらなくなったものは、この「埋め立て48号地」に運び込まれる。
物だけでなく、人間も例外ではない。
世俗に疲れた世捨て人はここに流れつく。時には変死体なども捨てられる。
人の業や欲望の成れの果てが、この「埋め立て48号地」。それを皮肉って「天国」と呼ばれているというわけだ。
《また一段と酷くなったみたいだな》
その言葉通り、ここへ来るたびにゴミの量が増えているようだった。もはや地面を拝むことは叶わず、置かないゴミは廃墟と化した建物の壁に寄りかかるようにして積み上げられいる。
ぼけっとしていたら、崩れ落ちて来た廃棄物に生き埋めにされてしまいそうだ。
凸守は可能な限り鼻で呼吸しないように意識しながら、ウイスキーを喉に流し込む。
シラフのままでは、とてもではないがまともに歩ける気がしない。
《で、今回はどうする?》
答えるまでもない。
「黒鶫。車を隠せ」
《あいよ》
凸守が乗っていた車には靄がかかり、やがて見えなくなっていく。
ここでは道端に停めて車を離れると、駐禁どころの騒ぎじゃない。ものの数分で解体されてしまうだろう。部品はどこかに売られ、二度と戻ってくることはない。
だから凸守の「固有眷属」に命じて、車を見えなくしたというわけだ。
慎重に足取りを進める。
間違って動物や、死体などを踏みつけてしまうかもしれないからだ。
《なんでこんなところに来なきゃならないんだよ》
前頭葉にいる「黒鶫」は不満げだ。鼻で呼吸していないのか、声がおかしい。
お前は臭いを感じるのか?
《いや。でも見ているだけでも臭ってきそうじゃないか。だから鼻で呼吸しないようにしてるんだ》
いい気なもんだな。実際に歩くのはこっちだってのに。
《ご愁傷さま。ところで本当にこんなところにいるのかよ。佐藤って奴は》
さあな。だが、もうここに賭けるしかない。
鐵工所で聞いた梶の話では、「固有眷属」を外せるモグリの医者は「天国」にいると話したらしい。普通なら冗談だと思うのだろうが──
佐藤なら、信じのかもしれない。探してみる価値はあるだろう。
《なるほど。それはわかったけど、ここをしらみ潰しに歩き回るんじゃないだろうな」
まさか。
佐藤を探すより、先に『アイツ』を探す。
凸守は辺りを見回した。
埋立地と言っても、かなりの広さだ。
仮に佐藤がここにいたとしても、偶然に出くわす確率はかなり低いだろう。
となると闇雲に動き回ったところで、徒労に終わる確率が高くなる。
いつもなら、この辺でゴミの中から金目のものはないかと漁ってるはずなんだがな。
《おっ、アレじゃないか。九時の方向》
黒鶫が言った方に顔を向ける。
見つけた。
小柄で痩せ細っていて、髪の毛は申し訳程度にしかない。
着ている服もボロボロで、ほぼ裸と言っていい。浅黒い肌は日焼けだけでなく、皮膚に浮いた垢のさいでもあるのだろう。
遠くから見ているだけでも臭ってきそうだ。
いつもはゴミを漁っているのだが、この日は女を足蹴にしているところだった。
「テメェ! 売り上げをチョロまかしやがって! バレねぇとでも思ったか!」
拳を振り上げたところで、凸守は枯れ枝のような細い手首をつかんだ。
「もう、その辺にしといてやれ」
「何だ、テメェ──あっ、デコの旦那」
「デコの旦那じゃねぇよ。ダダ、お前、いつから商売を変えたんだ」
ダダ──というのはもちろん本名ではない。凸守自身、この男の本名は知らない。
初めて会った時に周りから『ダダ』と言われていたから、凸守もそう呼んでいるのだった。
ダダは「ゲッゲッゲッ!」と、唯一残った一本の前歯を見せて下卑た笑い声を上げた。
「世知辛い世の中ですからねぇ、情報屋だけじゃあ食っていけねぇんですよ、旦那」
「で、拾った女に売春をさせてるってわけか」
凸守は倒れている女を見た。
たぶん、未成年だろう。
鼻血を垂れ流し、頬を腫らしている。
だらしなく垂れた前髪のせいで、ほとんど顔は見えなかったが、これ以前にも殴る蹴るの暴行を受けているらしいことはわかった。腕や太ももには古い打撲痕がある。
ダダはやや不機嫌そうに眉根を寄せたが、すぐにまた一本の前歯を見せた。
「お説教ですかい旦那。ところで、いつまでアッシと手を繋いでるつもりでやんすか」
乱暴に腕を離す。
「おお、痛ってえ。こりゃあ捻ったかもしれねぇなぁ」
大袈裟に手首をさすっている。
チラチラとこちらを見ているのは、いくらかもらえるのではと期待しているのだ。
凸守はそれには取り合わず、「聞きたいことがあるんだが」と、早速切り出した。
「この『天国』に、カタギの男が紛れ込んで来なかったか?」
「ゲッゲッゲッ! その男が本当にカタギなら、とっくに八つ裂きでさぁね。色男なら、誰かの慰みものになってるのでは?」
凸守は首をつかむ。
細身なので、片手でも十分に締め上げることができた。
「余計なことは言わなくていい。質問に答えろ」
顔を真っ赤にしたダダが何度も頷いている。解放してやると、地面に落ちた小男は四つん這いになった。激しく咳き込んでいる。
「だ、旦那……さすがに『カタギの男』ってだけじゃ……無理ですぜ。もっとこう、頭がスッキリするモンをいただかねえと」
そう言って手を差し出している。
金をよこせ、というわけだ。
凸守は何枚かの紙幣を握らせてやると、ダダはその場にあぐらをかいて座った。
こんなゴミ溜めでよく座れるものだ。
「珍妙なヤローがうろついてるらしいでさぁ。『モグリの医者ってどこにいますか?』って聞いて回ってるとか」
「その男はどこに行った」
「さあ。ただ、『砂漠』とモメてるらしいですぜ。奴さんたちもヤローを探してるようで」
前頭葉で《ありゃりゃ》という声がした。
凸守も舌打ちをしたい気分だった。やらなかったのは、できるだけ空気を吸い込みたくなかったからだ。
舌打ちの代わりに、凸守は顔をしかめる。
考えられる中で、一番厄介な状況になっているようだ。
「ところで旦那。まさか一枚ってことはありやせんよね」
揉み手しながら、ダダが上目遣いに見ていた。
「さすがは天国じゃ知らないことはないダダ様だな。助かったよ」
「ゲッゲッゲッ! じゃ、料金は弾んでいただけるんでしょうね?」
「そうだな」
凸守は小鳥から受け取った前金をポケットから出すと、倒れている女に渡した。女は不思議そうに凸守を見上げている。
よく見ると愛らしい顔立ちをしていた。歳はまだ十代だろう。
「さっさとこんなところから出て行け。そしてすぐに警察に駆け込んだな」
お金を受け取った女はヨロヨロと立ち上がる。ダダの方へと視線を向けると、そそくさと走って逃げて行くのだった。
「ちょ、ちょっと旦那! 何やってんでさぁ! アレはアッシの飯の種なんですぜ!」
「俺が買ったんだ。文句でもあるのか?」
口惜しそうに唇を噛むダダだったが、向かって来るようなことはしないのはわかっていた。
こんな場所で生き残っているだけあり、勝算があるかどうかの判断は的確だ。無駄な喧嘩はしない。それが長く生き抜くコツなのだ。
「じゃ、また何かあったら頼む」
「このクソヤロー! 二度と来んな!」
背中で情報屋の精一杯の負け惜しみを聞きながら、凸守はその場を後にするのだった。




