第二話 不穏な空気
背中が隠れるほどの長い黒髪に、少し吊り上がった大きなアーモンド型の目。小ぶりの鼻に、薄い唇。
小鳥遊小鳥は、見れば見るほど──
《羊の生き写しって感じだな》
凸守の思考の続きを、前頭葉はシンプルな言葉で表現した。
妻の羊は三十五歳で命を絶った。
だから凸守の記憶に留めている妻の姿と比べると、二十代と思われる目の前の女とは艶っぽさや目尻に刻む皺など、細かな部分では同じとは言い難い。
それでも若いころはきっとこんな風だったのだろう、と凸守の想像を掻き立てるには十分過ぎるほど、彼女は妻の羊によく似ていた。
「あの……何か……」
凸守は慌てて「いや、なんでもない」と、目を逸らす。
《若い娘をジロジロと見るなよ。変態だと思われるぞ》
すっかり上機嫌な様子だ。
凸守がやる気になったのが嬉しいのだろう。
凸守は小鳥が座っているソファの向かいに腰を下ろした。
「早速だけど、まずは君のステータスを見せてもらおうか」
ソファに浅く腰を下ろしていた依頼人は、緊張した面持ちでうなずいた。
顔の前でやおら手をかざす。
空中に半透明の板が現れると、そこに文字が浮かび上がった。
・氏名 小鳥遊小鳥
・年齢 二十四
・眷属 水属性 琥珀鳥
名前の横に、顔写真が添えられている。間違いなく目の前にいる小鳥のものだ。
違う点と言えば、ステータスの中の小鳥は後ろで髪の毛を束ねていることくらいだろう。就職する際に撮ったものらしく、地味な黒色のスーツを着ている。
知ってるか?
前頭葉に問いかけた。
無論、小鳥の「眷属」にある「琥珀鳥」という名前についてだ。
《ああ。『普通』の『水使い』だ。警戒する必要はないさ。それより、サブの眷属とは契約してないんだな》
二十代なら、決して珍しくないだろう。
必要に迫られることがなければ、生涯で契約する眷属は一人、という者も少なくないからな。
小鳥は不思議そうに凸守を見ていた。
明らかに「誰かいる?」といった眼差しを向けている。
おそらく彼女は「感覚が良い人間」なのだろう。
「誰か」と話をしているのを感じることができる者のことを、凸守はそう呼んでいる。
ただし、前頭葉にいる「眷属」と会話しているなんて夢にも思っていないだろう。
凸守とて、自分と同じことができる者に出会ったことがないからだ。
妻が亡くなる前までは、他の者と同じで「眷属」はあくまでも人間の指示通り火を出したり風を起こしたりする「道具」だと捉えていたのだ。
それが「あの日を境に──
《デコ。いい加減にしないと、お嬢ちゃんがますます噛み悪がってるぜ》
ハッと意識を引き戻す。
小鳥の表情が、先ほどよりもさらに不安げになっている。
「おっきな刑事」さんからの紹介でなければ、とっくに逃げ出していたかもしれない。
凸守は咳払いをした後、本題に戻す。
「探して欲しい人というのは?」
「私の婚約者です」
再び空中に手をかざすと、別のステータスが浮かび上がる。
・氏名 佐藤一郎
・年齢 二十六
・眷属 火属性 赤鵯
凸守はソファの背もたれに体を預け、右手を顎に当てた。
「佐藤一郎……」
無意識につぶやいていた。
小鳥はそのことに不審感を抱いたのだろう。潤んだ目で凸守を見ながら、「あの……」と、恐る恐るといった感じで口を開く。
「何か、気になることでもあるんでしょうか?」
我に返る。
小鳥が黒目がちの目を不安げに揺らしながら、こちらを見ているのだった。
「気になるというか……一郎って今時珍しい古風な名前だなと思ったものだから」
「彼も、もっと格好いい名前が良かったって言ってました」
凸守は妻にそっくりな小鳥の笑みを見ながらホッと胸を撫で下ろす。
なんとか誤魔化せたようだ。
凸守は心の中で、額の汗を殴っていた。
実は凸守が婚約者の名前を見て真っ先に思ったのは、「いかにも偽名のような名前だな」ということだった。
佐藤一郎という名前だけで偽名と判断するのはあまりに乱暴だ。同姓同名の人が聞けば気を悪くするだろう。
ただ、婚約者を残して姿を消したという事実を加味すると、「結婚詐欺」の類ではないのかと疑わざるを得ないが──この時点でそれを依頼人に伝えてしまうのは酷だと判断し、飲み込んだというわけだ。
「彼が姿を消す理由に、何か心当たりはあるかい?」
「いえ……ありません……」
「そうか」
《じゃ、アレのことを聞けよ》
促されなくてわかってる。
むしろ凸守にとってはこちらの方が本筋の話題だったからだ。
「ところで彼が言っていたという『神さまが設計ミスをした』って言葉だが、一体どういう意味か聞いた?」
小鳥はうつむき加減で、小さな頭を振る。
「彼自身も、よくわかってないみたいなんです」
「というと?」
「実は彼、子供のころの記憶がまったくないんです。ただ、時々ですが、頭の中にさっきの言葉が浮かぶんだそうです」
「それはつまり、記憶喪失ってこと?」
「たぶん、そうだと思います」
「じゃあ、警察に行ってステータスをもっと深く調べてもらえば、両親や生まれた場所がわかるはずだ。申請してみた?」
膝の上に組んだ指が忙しなく動いていた。その姿は凸守に対して、「言いにくいことなんですけど」と前置きしていた。
「彼、警察には行きたくないって言ってて……」
「警察に行きたくない理由を聞いた?」
「一郎さんが記憶をなくしたまま街中を歩いている時に、お世話になった方がいるそうなんです。『青いさん』って人で」
前頭葉が少しだけ緊張したのがわかったが、凸守はひとまず置いておき、小鳥の話に耳を傾けた。
「いわゆる路上生活者の方で、その人から『警察は信用するな』って言われたそうなんです」
「君は彼の言葉を信用したの?」
「はい」
「君のご両親は? 記憶のない男との婚約をよく許したね。しかも警察に関わりたくない男なんて、反対されたんじゃないのかい?」
「私は一郎さんのことを信用してます。それに私の父はロクデナシで、母はそんな父を捨て──」
凸守はドキリとした。
「ロクデナシ」と語る瞬間だけ、小鳥に殺意のようなものを感じ取ったからだ。よほど酷い父親なのだろう。
「母は女手一つで私を育ててくれたんですが、無理が祟ってしまって──だから反対する人はいません」
小鳥はテーブルに両手をついて身を乗り出した。
「一郎さんは悪い人じゃないんです! とても真面目で、優しくて。私のことをとても大切にしてくれるんです」
身寄りのない娘に甘い言葉をかけてその気にさせる。交際中は自分の身元に繋がる情報は一切与えない。
ますますキナ臭い感じがしてきたな、と凸守は思ったが、そんなことを考えているとは悟られぬよう努めてポーカーフェイスを作る。
「最後に、彼の口から『凸守羊』という人物の名前を聞いたことはあるかい?」
「凸守……いえ、ありませんけど……」
小鳥は上目遣いに見た。
「凸守って、もしかして探偵さんのお身内の方ですか? その方は、一郎さんと何か関係あるんでしょうか?」
「いや、すまない。忘れてくれ」
「でも……」
やや不満げではあるようだったが、それ以上踏み込んではこなかった。
凸守としてはありがたい。
あれこれと詮索されると、嫌でも妻の最後を思い出さざるを得なくなるからだ。
凸守は顎に手を添えた。
妻の羊が最後に残した謎の言葉と、小鳥の婚約者の佐藤は、同じ言葉を使っている。細かなところは違っても、ニュアンスは同じだ。
神さまが設計ミスをした──
誰もが日常で当たり前のように口にする言葉ではない。
それだけに単なる偶然だとは考えにくかった。
だとすると、佐藤はどこかで羊と接点があったと見るのが自然か。
もしそうなら、二人には一体どんな関係が?
にわかに不穏な空気が流れているような感じがして嫌な予感がする。
それにさっきから気配を消したように静かな前頭葉のことも気になっていた。