第十四話 新たなる敵
「死んでくれ」
探偵事務所にやって来た人物は、ドアを開けるなりそう言った。
本来なら、来訪者がいきなり「死んでくれ」などと言おうものなら、その場で取っ組み合いの喧嘩になるか、頭のおかしな奴が来たとすぐにドアを閉めて通報するところだろう。
だが、凸守は困ったな、といった感じで眉毛をハの字にするだけだった。前頭葉では《参ったな……》と苦々しい声が聞こえる。
「どうも『ツユさん』。ご無沙汰しています」
「どうも──だと?」
栗花落戌徳はギロリとニラんだ後、凸守を押し除けるように事務所の中へと入って行く。そしてソファに体を沈めるのだった。
「私がなんと言ったのか聞こえなかったのか?」
金髪に銀縁眼鏡。白いスーツに身を包み、長い足を組んだその姿は、まるで雑誌の表紙にでもなりそうだ。
だが、切れ長の目には殺気のようなものが漂っていた。
栗花落は落ち着いた口調で続ける。
「言っておくが、頼んでるんじゃないぞ。命令だ。いや、義務だ。決定事項だ。貴様には拒否する権利などない」
「しかしですね……」
栗花落は体を起こすと、鋭い視線を向けてくる。その迫力には、さすがの凸守もたじろぐしかなかったのだった。
「デコ。お前、やりたい放題やってくれたらしいな」
「と、言いますと?」
「トボけるな。駐禁をもみ消すようケツを脅しただろ。警察官を脅迫するとはいい度胸じゃないか」
凸守は心の中で、「アイツめ!」と苦虫を噛み潰した。
確かに「頼む」とは言ったものの、脅した覚えは微塵もない。きっと上司である栗花落の前で、さま自分が被害者であるかのように取り繕ったに違いない。
「他にも飲酒運転に、行方不明者の捜索を無理やり行った挙げ句の果てには自分の能力を過信し、あろうことか誘拐事件を通報しなかった──これだけでも万死に値する」
栗花落は再びソファの背もたれに体を預けると、足を組んだ。
「申し開きがあるなら言ってみろ。特別に聞いてやる」
「ありません……」
「だろうな。しかも、厄介な眷属を引き受けたそうじゃないか。なんという名前だったかな」
「はい……神威属性 八岐大蛇です」
「ご大層な名前だな──とにかくその八岐大蛇ってのは、契約者が死ぬと自動的に近くにいる人間と強制的に契約してしまうそうだな」
「そのようですね」
「だったら人里離れた山奥で死ぬしかないな。決して民間人の近くで死ぬな。わかったな? だったらさっさと言われた通りに──!!!」
突然、栗花落は頭から水を浴びせかけられる。
「あら? ごめんなさい。私の水属性の眷属、『琥珀鳥』がイタズラしちゃったみたいですね」
小鳥だ。
右手から水が滴っている。
凸守は目を剥く。
「な、何をやってるんだ!?」
「何ってデコさん。馬鹿の頭を冷やしてやっただけじゃない」
「なんて口の書き方をするんだ! この人はな──」
「デコ」
栗花落は眼鏡を外すと、上着の内ポケットから出したハンカチでレンズを拭いている。
「こちらのお嬢さんは?」
「じょ、助手の小鳥遊小鳥と言いまして……」
「小鳥遊──」
小鳥は眉根を寄せる栗花落の前に立つ。体の前で腕を組み、見下ろすのだった。
「デコさん。こちらの馬鹿は誰? あたしにも紹介してくださる?」
「こ、こちらの方はだな──」
「私の名前は栗花落戌徳。警視庁捜査一課、警部だ」
「ケイシチョウ ソウサ イッカ ケイブ?」
まるで呪文のように唱えると、小鳥は見る見る顔を青ざめさせていく。
「け、刑事さん!?」
凸守は少しずつ後ずさる小鳥の腕を取る。
「とりあえず謝れ。今すぐにだ。公務執行妨害──いや、暴行罪で逮捕される前にな」
《なんなら俺がツユさんの記憶を消すか?》
馬鹿か!
それこそ後でどうなるかわかったもんじゃないだろ!
「小鳥、俺も一緒に謝ってやるから」
「い、嫌よ! 人に『死ね』だなんて、間違ってるもの!」
「だからって水をかけるのはまずいだろ!」
「ちょっといいか」
栗花落はおもむろに立ち上がる。
その瞬間、凸守は顔を引きつらせ、小鳥はなぜかファイティングポーズを取っている。
「ツユさん。すみません、気の強い娘で。俺からしっかり言い聞かせますので」
「も、文句があるならかかって来なさいよ!」
「小鳥、いい加減に──ツ、ツユさん!?」
凸守と小鳥は目を剥く。
栗花落が、深々と頭を下げていたからだ。
「大変申し訳ないことした。
我々が貴方からの訴えに、もっと真剣に耳を傾けていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
警察を代表して謝罪させていただく」
予想外のことに、小鳥は一気にトーンダウンしてしまったようだ。
構えた拳をどうしたらいいのか迷っている。
「い、今さらそんなこと言われても……でも、それは貴方のせいじゃないんだし……」
「いや、現場の責任者の一人として──」
そこで栗花落は言葉を止めた。
《おい!》
黒鶫も気がついたようだ。
凸守は小鳥の腕を自分の方へと引っ張る。
「小鳥! こっちへ来い!」
「え? 何!?」
凸守は自分の背中で隠すように小鳥を誘導する。
「しょ、所長、どうしたんすか!?」
凸守と栗花落が事務所のドアに視線を向けていると、ゆっくりとドアが開けられる。
「どうも」
男が顔を出した。
「こちら、凸守探偵事務所ですかね? 逃げた猫ちゃんを探してもらいたいんですが」
「なーんだ」
小鳥は頬を緩める。
「依頼の方だったんですね。ごめんなさい。お出迎えもせずに──」
「小鳥。動くな!」
「もう! 依頼人の方なんですよ!」
「貴方は下がっておいた方がいい」
栗花落が凸守と小鳥を守るように前に立つ。
それを見た男は、ニンマリと口の両端を持ち上げるのだった。
「おやおや。ずいぶんと警戒なさってますね? これでも一応、そちらのお嬢さんが言うように、わたしはお客さんなんですがね」
ガッチリとした体型だ。
見る限り、スポーツで作った体ではない。
黒の半袖のTシャツに迷彩柄のカーゴパンツ。足元は靴底の厚いブーツといった格好だ。
短く刈り込んだ髪の毛に、エラの張った顎。
筋肉質の腕の先にある拳には拳ダコ。
凸守の頭に浮かんだのは「傭兵」という言葉だ。
何より、男から放たれるオーラだ。禍々しいそれは、決して娑婆で暴れた程度は身につくことはないだろう。
栗花落は眼鏡を押し上げる。
「お客さんと言う割には、物騒な雰囲気を出しまくってるじゃないか」
「おや? かなり押さえてたつもりなんですけどね。隠し切れてませんでしたか?」
すると栗花落は肩を揺すった。
おかしかったからではなく、呆れていたのだろう。
「お前、これまでに何人殺した?」
「たったの三桁程度ですよ。大したことはありません」
「ほう。ハッタリじゃないなら死刑確定だな。で、大犯罪者がこんな寂れた探偵事務所に何の用だ。まさか本当に飼い猫探しの依頼に来たわけじゃないんだろ」
「今日うかがったのは」
男は栗花落の肩越しに凸守を見る。
「我々の『荷物』を回収しに来たんです」
「やはり例の物騒な眷属が狙いってわけか。ということは、貴様も八咫烏のメンバーってことなんだな」
男は肩をすくめている。
「高橋くんは、色々と情報を提供してしまったようですね。大人しく渡してもらえるなら、貴方とそちらのお嬢さんには手出ししないつもりだったんですが、口を封じといた方が良さそうですね」
「残念だが、黙るのはお前の方だ」
「おや?」
男は目を丸くする。
一瞬にして、栗花落が隣に立っていたからだ。
「雷属性 雷鳥!」
栗花落の右手がバチチッ! と電気を放つ。
「しばらく眠ってもらおうか」
「さあ。眠るのはワタシではなく貴方の方では?」
電気を帯びた手が男の体に触れるより早く、栗花落は足をつかまれる。
「神威属性 天照」
漆黒の炎が栗花落の全身を包み込むのだった。