第十三話 凸守が生きる理由
「大丈夫ですか? デコさん」
法華津が巨体を揺らしながらやって来る。
顔には苦虫を百匹くらい放り込まれて噛み潰したような表情が張り付いていた。
凸守の心配をしているのではなく、内心ではきっと、「この件を上司にどうやって報告しようか」ということで頭が一杯なはずだ──
《おいおい。それはちょっと意地が悪過ぎるだろ》
わかってる。
心配してくれる人の言葉をわざと読み違え、皮肉に変換するなんて、あまりにも性格が悪い。救いようがない馬鹿者だ。自分でも情けないと思いつつ、今の凸守には他人の優しさを真正面から受け止めるられなかった。
卑屈さが言葉にのって吐き出されてしまう。
「いいぞ、ケツ。思う存分俺のことをなじれ。なんなら殴っていいぞ。警察に頼らず自分一人でなんとかできると自惚れた馬鹿なんだからな、俺は」
「そんな減らず口が叩けるなら、大丈夫みたいですね」
「減らず口じゃないさ。今回ばかりは、自分の馬鹿さ加減に心底嫌気がさしてるんだ」
ここは例のロケット公園。
あちこちに救急車が入り込み、救急隊員と警察官たちがそこかしこにと忙しなく行き来している。
白いシートを被せ、救急隊員が担架を運んでいるのが目に入った。あれはきっと、佐藤なのだろう。
凸守は頭を抱える。
やはり小鳥が誘拐されたとわかった時点で、警察に助けを求めるべきだった。
時間がなかったことは言い訳にはできない。
自分の力を過信した結果、佐藤を死なせてしまったのだ。
罵倒されたくらいでは、ミスが帳消しにならない。これは凸守の驕りが招いた結果だ。心配なんてされたら死にたくなる。だから法華津に食ってかかってるというわけだ。
要するに、俺は救いようのない阿呆だ。
黒鶫も黙っているということは、そう思っているに違いなかった。呆れて言葉がないというわけだろう。
法華津は豪快に鼻から息を吐くと、凸守が座っている救急車の荷台にもたれた。
「僕にはデコさんを責める資格はありません。結局、この件はデコさんに投げたわけですから」
重苦しい沈黙が訪れた。
凸守がようやく口を開いたのは、やはり聞いておかなければならなかったからだ。
「ところで、彼女の方はどうだ?」
救急車の後部の荷台部分に座った凸守は、あたりを見回す。
「彼女」とはもちろん小鳥のことだ。
凸守が法華津に連絡して警察や救急車が到着するまで間、小鳥はずっと冷たくなった佐藤を抱きしめて泣き続けていたのだ。
壊れてしまう──本能的にそう感じた。
涙が枯れる、という表現があるが、小鳥を見てると、体にある水分を全部出して尽くして、それでもその奥にある「何か」まで失ってしまうのでないかと不安になったものだ。
だからといって、凸守にはこんな時、若い娘を慰めてやれる言葉を持ち合わせてはいなかった。無様にもオロオロとするしかなかったのだ。
法華津は険しい表情で首を振る。
「茫然自失ってカンジですね。何を言っても反応しなくて」
そう言って向こうに停まっている救急車に視線を向ける。どうやら小鳥が乗っているらしい。
「まあ、無理もないですよね。誘拐されたってだけでもトラウマものなのに、婚約者が目の前で死んだわけですからね」
すると「何をしてるんです!」と叫び声が上がり、あたりは騒然となる。
小鳥が乗っている救急車からだ。
凸守たちが駆け寄ると、乱れた髪の毛もそのままで、体を震わせていた。
手にはメスらしきものを持っている。
「死なせて……死なせてください……」
そうつぶやきながら、ゆっくりと自分の首に当てるのだった。
「待ってくれ!」
凸守は警官や看護師、救急隊員をかき分けて前に出る。
「俺が言えた義理ではないが──どうか死なないでほしい」
「生きてても意味ないんです……一郎さんが、私の唯一の家族だったんです……それなのに……」
「彼から頼まれたんだ。君を頼むって」
凸守は慌てて頭を振る。
「いや、すまない。今のは詭弁だ。きっと数分前の俺なら、君が死のうが知ったことではなかったはずだ。表向きには責任を感じたフリをしながら、俺はまた怠惰な生活を繰り返していただろう」
小鳥はハッとしたような表情になる。
凸守の目から流れる一筋の涙を見たからなのかもしれない。
「俺の妻は、自殺したんだ。
拳銃で自分の頭を撃ち抜いたんだ。
俺の目の前で。
どうして妻がそんなことをしたのかわからず、ずっと理由を探していた。
だが、今、君を見て答えが出た気がする。
たぶん、妻は孤独だったんだ。
俺が孤独にさせたんだ。
人は一人ぼっちになった途端、生きる意味を失う。
今の君と同じだ」
凸守はゆっくりと小鳥に近づいていく。
「はなはだ身勝手なお願いなんだが、どうか俺のために生きてはくれないか。
今までの俺は、妻が自ら命を絶った理由を探すことで生きながらえていた。
だが、俺なりの答えを見つけてしまった今、生きている意味がなくなった。
だから君が俺の生きる理由させてはもらえないだろうか。
君の婚約者から『小鳥を頼みます』と言われた約束を守る──それが俺の生きる理由させてはもらえないだろうか」
支離滅裂なことを言ってるのは百も承知だ。
だが、偽らざる本音なのも事実だった。
その気持ちが伝わったのかどうかはわからない。
少なくとも小鳥が自死するのをやめさせることはできたようだった。
その場に崩れるようにへたり込むと、声を上げて泣き出した。
凸守はそんな彼女をそっと抱きしめた。決して消えない後悔と共に。