存在しない愛人
世界には、変わった人たちがいる。
多くの人を愛する人、たった一人だけを愛する人、存在しない誰かを愛してしまう人もいる。奔放であれ、純情であれ、狂おしいほどであれ、自分の物語に終止符を打てる人は、そう多くはない。愛することと愛されることが交差するこの世界で、ある者は泣き、ある者は笑い、誰かは幸福に、誰かは後悔と共に生きていく。
そしてもし、私が誰かを愛し、あるいは愛されるのだとしたら、どんな物語と結末を迎えるのだろうか?
そんなことを考えてしまった。
——
今、私と姜朴、奈音鈴、そして韵岚が同じ部屋にいる。ドアにもたれていやらしく笑っている姜朴、少し驚いた様子の奈音鈴、希望と絶望の間で揺れる韵岚、そして無言で呆れている私。
「退部させてくれ。」
「な、なんでですか?」
「そうだよ、佑くん、なんで入ったばかりなのにそんなこと言うの?」奈音鈴が私の手を強く握りしめ、少し痛いほどだった。振り返ると、姜朴が悪ふざけた笑顔でこっちを見ているのを見て、重い溜め息が出た。
「見てわかるだろ?こいつが余計なことしなければ、こんなことにならなかったんだよ。」私はドアのそばに立っている彼を指さしたが、彼はまるで指されていることすら気づかないようだった。
「……ええ、僕、ずっと前から文芸部に入ってたんだけど?」
「なんで早く言わないんだよ!俺が好き好んでお前と一緒の部活に入ると思うか!?なあ、奈音鈴、お前だって毎日放課後にこいつの恋愛話を聞きたくなんかないだろ!?そうだよな?」
「こ、恋愛話って……」奈音鈴の顔がみるみる赤くなり、私の手を離してうつむいてしまった。姜朴は、無関心そうに頭を掻きながら言う。「別に僕は幽霊部員だから、これからも君たちのラブラブ生活には影響しないさ。安心しろよ。」
「全然安心できないわ!それに、『ラブラブ生活』って何だよ!ちゃんと説明しろ!」
「おっと、お手柔らかにね。」姜朴は急いで手を振り、「僕はこれからも名前だけの幽霊部員だよ。許してくれよ……」
奈音鈴も顔を上げ、懇願するような表情で言った。
「佑くん、姜朴さんもこれだけ言ってくれてるし、もう許してあげようよ、ね?」
「そ、そうです!彼はずっと幽、幽霊部員で、これまで一度も活動に参加していませんから、退部しないでくれたら、本当に感謝します!」
……チッ。
「……これからもし姜朴が文芸部に顔を出すのを見かけたら、容赦なく始末するからな。」
その最後の三文字に、私は少しだけ語気を込めた。
「いや、僕は文芸部員なんだけど……」
「殺す!」
「……了解……」
——
私は姜朴、奈音鈴と一緒に帰り道を歩いていた。
ちょっと待て。
「奈音鈴、なんで俺たちと一緒に帰ってるんだ?」
「……だって、この道が私の家に帰る道なんだもん。」
まじかよ。
普段の登下校はほとんど姜朴と一緒で、道中奈音鈴と会ったことは一度もなかった。でも、今は彼女が一緒にいることに少し戸惑いを感じていた。
まあ、少しすれば別れるだろう。
——
「白佑、じゃあね。」
「おう。」
いつもの信号の前で、姜朴が手を振り去っていくのを見送った後、私と奈音鈴はぼんやりと横断歩道に立っていた。
あれ?
「お前の家、どこにあるんだ?」
「私の家?」奈音鈴が首をかしげて、左の方を指差した。「あっちにずっと歩いていった先にあるよ。」
「おいおい……それって俺ん家の方向じゃないか?」
「……え?」
顔を見合わせたまま、二人とも一瞬言葉を失った。
「たぶん、私が学校に行く時間が早かったり、帰るのが遅いせいで会わなかっただけかもね。」
「そっか、はは……」
ははじゃねえよ。
私と奈音鈴は、砂埃の舞う交差点を通り過ぎた。私は前を見つめ、彼女は私を見つめている。
「そういえば、佑くんってすごくたくさん着込んでるんだね。」
「寒いのが苦手なんだよ、文句あるか?」
「べ、別にないよ。ただ……」奈音鈴が振り返り、何か言いたげだったが口を閉ざした。私は彼女の方を向き、少し傾いた猫耳のヘアピンに目が行った。
「このヘアピン、もしかしてあの日からずっとそのまま?」
「うん、佑くんがくれた初めてのプレゼントだから……」恥ずかしそうに言う彼女に、私は思わずため息をついた。
「お前、ほんとに馬鹿正直だな。ヘアピンって毎日つけると逆効果なんだぞ。」
「え……そうなの?でも、つけ方がよくわからなくて……」
「ったく……」
私は歩みを止め、彼女のヘアピンを外して、長めの前髪を少し上げてみせた。右側の髪をまとめ、ヘアピンを留めた。ふと、彼女の瞳に目がいってしまい、どこか……
違うだろ、白佑!何考えてんだよ!
「佑くんって、女の子の髪を整えるのが得意なんだね。」
「まあ、小さい頃、母さんの髪をいじるのが好きだったからな。」
奈音鈴は何かを思い出したかのように、顔を上げて私に尋ねた。
「小さい頃のこと、覚えてるの?」
「残念だけど、細かいこと以外ほとんど覚えてない。何でそんなこと聞くんだ?」
「別に……」少し寂しげに俯き、私の前を歩き出した。私は彼女の心中を測りかね、黙って後ろをついて歩いた。
「ここが私の家だよ。」
奈音鈴が指差した先には、二階建ての家が建っていた。シンプルな造りで、華やかな装飾もなく、まさに一般市民の家といった感じだ。
「ここがお前ん家か?」
「そうだよ。」
……近っ!
視線を少し先に移すと、そこには似たような造りの建物が建っている。間違いない、あれが私の家だ。不吉な予感がじわじわと胸を占める。これから毎朝毎晩、もう一人にあだ名で呼ばれる生活が始まるかもしれない。
地獄かよ。
「じゃあね、佑くん。また明日。」
「お、おう。」
彼女の背中を見送り、私も自宅へ向かう。これからこういうことが何度も起こるのかもしれない。
——
「ただいま。」
「しろちゃん、おかえり。今日はちょっと遅かったわね。何かあった?」
靴を脱いでいると、母さんがキッチンからお皿を持って出てきた。
「仕方なく、部活に入ることになった。」
「へえ、部活かあ。青春って感じね……」
どうせまた母さんは、息子が青春を謳歌してる妄想に浸っているんだろうな。私はその様子を無視し、自分の部屋に戻り、カバンを放り出してベッドに倒れ込んだ。
今日、私は自ら自分の日常を破壊してしまった。
いや、違う。全部、奈音鈴が同じ部活に入ると言い出したせいだ。あの幽霊部員のせいでもある。どう考えても私のせいじゃない、絶対に。
天井をぼんやりと見つめながら、どうしようもなく心が空っぽだった。
「しろちゃん、ご飯できたわよ……どうしたの、なんだかしんどそうね。」
「心が疲れた。」
母さんが私の隣に座り、小さい頃のように頭を撫でてくれる。
「そんなに部活が嫌なの?」
「特に好きじゃない。」
母さんは微笑んで、まるで私の心を見透かすかのように言った。
「しろちゃん、日常生活も大切だけど、青春を楽しむこともその一部よ。もっと友達を作って、いろんな会話をするの。それができれば、きっといつか薬も必要なくなるはずよ。」
「別にどうでもいい。」
母さんは少し心配そうな顔をしたが、その表情はすぐに消え、見間違いだったのかもしれない。
「薬を飲むのはあまり良いことじゃないわ。だから、自分のために少し頑張ってみない。」
「でも、俺が何の病気かすら教えてくれないのに、どうやって頑張れって言うんだよ?」
まただ。またしても母さんが困ったような顔をしている。この態度があるからこそ、私はますます母さんに嫌悪感を抱いてしまう。毎回病院に連れて行かず、薬だけ渡してくる。そもそも、私は母さんがどんな仕事をしているのかすら知らない……
どうやって信用しろってんだ。
母さんは私の様子を見て、黙って部屋を出て行った。これは、おそらく私たちにとって初めての気まずい別れだった。
私はぼんやりとスマホをいじり、あちこちを無意味にスワイプした。特に好きなゲームもなく、平日はパソコンでゲームをする時間もないので、仕方なく自分の悲惨なSNSを開いた。
「佑くん、私、部長の連絡先ゲットしたよ。」
だが今日は珍しく、誰かからメッセージが来ていた。
「それで?」
「あなたにも彼女の連絡先を教えようか?これから文芸部のことがやりやすくなると思うよ。」
「残念だね。もう幽霊部員になるって決めたんだ。」
「そんなのダメ!私も部長もそれは絶対に認めないから!」
「部長が不満を持つのは分かるけど、お前が認めないってのはどういうことだ?」
私は表示される「入力中……」を眺め、何度も表示と消滅を繰り返す奈音鈴の入力中を見つめていた。しばらくして、ようやく彼女から次のメッセージが届いた。
「やっぱり、部長の連絡先送るから、本人に直接言ったほうがいいと思う。」
めんどくさいな。
——
「わ、私は幽霊部員になるのを許しません!」
「ええ……なんで……」
やっぱりか。学校に来た途端、文芸部の部長が階段で私を待ち構えていた。絶対に昨日SNSでの会話がきっかけだろう。
“私はもう部活には参加しません。”
「い、今、文芸部には既、既に一人幽霊部員がいます!も、もう一人増えたら、部が壊れてしまいます!」
「だったらなんで姜朴は幽霊部員で許されてるんだよ。不公平だろ?」
部長は腰に手を当て、怒りに満ちた顔をしていた。
「い、いいですか、もしあなたが本当に参加しないつもりなら、私、特別な手段を取ります!」
「特別な手段?」
彼女は顔を真っ赤にし、拳を強く握りしめ、指の跡がくっきりとついていた。
「せ、先生に報告します!」
その言葉を聞いて、私は本気で笑いをこらえるのが難しかった。
「いいぞ。先生に言って強制退部にしてくれたら最高だ。」
ほとんど嘲笑するように言い放った。今、どちらが有利かを彼女に思い知らせたかったからだ。現在、文芸部は人数不足で困っている。その状況下で入部してやったことに感謝すべきだろう。私は冷たく彼女を見つめると、彼女は黙り込み、下を向いて拳を握りしめたまま動かなかった。
しょうがないな、これは私がこの怠惰な日常を守るためだ。
「態度が悪いという理由で退部させられたら、他の部活に入らなきゃならないんだぞ、白佑。」気づけば、姜朴が私の背後に立っていた。その声は冷たかった。
「別に構わないさ。人が少ない部活に入れば……」
「もう、残っているのは体育系の部活だけだ。それでいいのか?」
その言葉に、私の体が一気に固まった。体育系の部活?この私に運動系の部活に入れと?
さっきまでの発言を後悔した。
「ま、別に文芸部に残るのは構わないが……なあ?」
部長はいつの間にかその場を去っており、足音も残さず姿を消していた。
振り返ると、姜朴の冷たい表情が見えた。
「白佑、お前、本当に女の子を傷つけるのが得意だな。」
——
今日は、奈音鈴と挨拶を交わさなかった。私は窓の外を眺め、彼女は黙々と本を読んでいた。まるでお互いに他人であるかのように振る舞い、奇妙な静けさが続いたが、これが普通の姿かもしれないと思い、黙っていることにした。
そんな無言の時間は一日中続いた。昼休みになると、いつもなら彼女が誘ってくれるのを待っていたが、今日は一向に声をかけてこなかった。
何か変だ。奈音鈴、今日何かあったのか?
「佑くん。」
「え? あ、うん、」声をかけようとした矢先、奈音鈴が先に私の名前を呼んだ。
「どうして韵岚にあんな酷いことを言ったの?」
「……今朝の会話を聞いてたのか?」
「違うよ。」彼女は首を横に振り、少し真剣な表情で私を見つめていた。「彼女が泣きながら話してくれたんだ。」
「泣きながら?」
「そう。」
一瞬、空気が沈黙に包まれた。
「……ただ、部活に参加する気がなくて、あの子の強引な態度が目について、少し教訓を与えてやろうと思っただけだ。まさかそれで泣くなんて、だろ?奈……」
「違う!」
奈音鈴が突然立ち上がり、ほとんど叫ぶように言い放った。
「部活に参加することが強引なんかじゃない!幽霊部員になる方が間違ってるの!」
「たとえ部活に興味がなくても、言葉をそんな風に使うべきじゃないでしょ!」
それは、私の知っている白佑じゃない!
その瞬間、私は動けなくなった。見当違いの説教をされた怒りが頭を駆け巡り、言葉が止まらなくなった。
「……お前が知ってる俺?そんなこと言って笑えないか?知り合ってたった二ヶ月で、俺の何がわかるって言うんだ?どうせお前も俺を哀れんで近づいたんだろうが。」
わけもわからず口にしてしまったその言葉に、自分でも怖くなる。ふと我に返ったが、奈音鈴はもう泣き出し、怒っているのか悲しんでいるのか分からない表情で私を見ていた。
「忘れたのは……佑くんの方なのに……」
彼女は震える体を押さえつけるようにして立ち上がり、机に手を置いて一言だけ言った。
「忘れたのは、佑くんの方なのに!!」
そう叫んで教室を飛び出していった。
あんなに怒った彼女を見るのは初めてで、クラスの全員がこちらを見ていた。おそらく今、姜朴も私を見ているのだろう。全く、最悪だな、白佑。
……なんでこんなにダメなんだろう。
私は机に顔をうずめて、何も見えなくなった。




