42 心がない男2〜クリストファー〜
学校で、公爵家で、そして女性から無理やり渡されたプレゼントにまで。あらゆる場所で毒が混入された。幸いなことに、俺の契約獣が口に入れる前に教えてくれるので、実害はなかった。ただ、悪意だけが残った。そして、
「あなたには心がないのね」
交際を断った女性からは、母と同じようなことを言われた。
行く先々で現れる女性たち。
「あなたを愛してるの。お願い、婚約者から私を奪って」
「クリス様のことばかり考えてるわ。私はもう、クリス様なしでは生きられないの」
ほとんど面識がない女性からそんな声をかけられる。なるほど、俺は心がないのか。だから、彼女たちの気持ちがさっぱりわからない。
そんな中、出会った一人の女性がいた。
成績はいつも俺に続いて二位。そして、いつも一人で本を読んでいる。一度、その女性がクラスメイトに囲まれているのを見かけた。俺が通りかかると、その集団はさっといなくなった。残ったのは、ライトブロンドに紺色の瞳の伯爵令嬢だった。
「あの、ありがとうございます。あの人たち、いつも、私のこといじめるんです」
俺は何もしていないのに、彼女は礼を言った。仕方ないので、落ちている本を拾うのを手伝った。「勇者の魔道具」と表紙に書かれていた。
「勇者の、魔道具が好きです。この、冷蔵庫って今、うちにもあるんです。壊れて動かないけど、でも、私、魔道具士になって修理するのが夢なんです。クリス様はまるで、勇者みたいだなって、私、思ってて。えと、」
一方的にしゃべる女性をよそに、俺は彼女が開いたページに目が釘付けになっていた。
なんだ、この設計図は? 全く意味が分からない。なぜ、こうなる? これを勇者が作ったって? 俺のことを勇者の再来だって勝手に言うやつはいるけど……。
俺は勇者にはかなわない。完敗だ。
これが、俺と勇者の出会いだった。この日から、俺は、人が変わったように、勇者に夢中になった。勇者の遺産にはどんな魔道具が隠されている? 俺よりはるかに頭のいい勇者。その存在を感じるたびに歓喜に震えた。やりたいことができた。俺は、冒険者になって、勇者の遺産を探す!
それからの日々はあっという間だった。俺は魔法学校を飛び級して卒業した。冒険者になって、公爵家と縁を切った。病床の父は怒りまくったが、兄と妹は応援してくれた。
だから、俺は知らなかったんだ。
魔法学校に入った妹が、文字の読み書きができないことで、愚かな令嬢とバカにされていたことも。そして、妹はそれに対して、何倍にも報復し、悪女オリヴィアと呼ばれていたことも。
国王が崩御したとの知らせを受けて、即位式には間に合うようにダンジョンを出たはずだった。平民になった俺は結婚式には行けなかったから、せめて、妹が王妃として城下町をパレードする姿を一目でも見たかった。
馬車が故障して、1日遅れた。白狼に乗って、駆けつけたけれども、全ては終わった後だった。
即位式で妹は、外国の来賓も見守る中で、白い結婚だとして城を追い出された。その場で王はフローラと結婚して、妹の代わりにフローラが王妃としてパレードの馬車に乗った。
王都では祝祭が行われ、いたるところで詩人が真実の愛を貫いた王の歌を歌っていた。歌の中で悪女オリヴィアはおとしめられた。
いったい王都を離れている間に、何があったのか。
呆然とする俺の前に、彼女が現れた。
「オリヴィア様の話、教えられます」
卒業後、魔道具士になったクラスメイトの彼女だった。俺に勇者との出会いをくれた子だ。彼女に誘われて家に行った。そして、妹の話を聞いた。妹がどんなふうに悪女になったのか。王とフローラがどんなに仲睦まじく真実の愛を貫いたのかを。
出された酒を飲みすぎたようだ。俺は、彼女にあやまちをおかしてしまった。
責任をとって結婚するように請われ、書類を書いて提出した。平民同士の結婚は簡単にできる。彼女は俺を縛らなかった。それどころか、彼女はほとんど部屋から出ることはない。一人でいることが好きだからと、一緒の家にいても会わない日が続いた。だから、俺は、そこから逃げるようにダンジョンに向った。
そして、ギルドを通して兄に呼ばれて、公爵家に行ったのは、しばらくたった後だった。
兄の腕の中に、小さな赤子がいた。金髪に鮮やかな紫の瞳をした女の赤子だ。
「オリヴィアと王の娘だ」
兄は腕に抱く子を俺に渡した。まだ、首も座っていない、小さなふにゃふにゃした赤子を俺はそっと抱いた。
紫の瞳が俺を見つめて、そして、安心したかのように目を閉じ、そのまま眠った。
「オリヴィアと王は初夜を済ませていたそうだ」
! なんてことを! 王に対する怒りがわいて来た。
神官を買収したのか?! 偽りでオリヴィアをおとしめたのか?!
すぐに白狼で飛んで行って、王をぶん殴りたい衝動にかられた。この頃の俺は、冒険者にすっかりそまり、腕っぷしで勝負をつけるやり方に慣れていたから。
「落ち着け。オリヴィアも婚姻無効には賛成していた。まあ、あんなやり方でおとしめられるとは聞いてなかったと思うがな。慰謝料はたっぷりもらったから、今のところはおとなしくしておくそうだ」
「そんな! だけど、この子はどうする? 王女だ」
予言の王女。一瞬そんな言葉が頭に浮かんだ。金髪で紫の瞳の王女。いままでにもそんな色合いの王女は何人か誕生した。全員、予言の王女ではなかった。だが、この子から感じる魔力は、とてつもなく高い気がする。
「オリヴィアは一度は堕胎を考えたらしい」
「なんだって?!」
「薬を買いに行かせたが、手に取って、やっぱりやめたそうだ。それを処分するように言ったが、侍女が彼女の食事に混ぜてしまった」
「そんな……。後遺症はないのか?」
「混ぜられたのは、堕胎薬ではなく、猛毒だった」
妹は生死の境をさまよったそうだ。侍女はその後、自殺している姿で発見された。公爵家に昔からいる侍女だった。なぜ、毒薬をもったのか? いったい誰が指示を?
生存が絶望的だった妹は、しかし、すぐに回復したそうだ。毒薬による障害は何も残らなかった。そんな奇跡のような回復後に、妹はこの娘を生んだ。
「今、オリヴィアはどうしてる? 無事なのか」
「先日、帝国に渡ったよ。心配ない。彼女なら、きっとうまくやる。この国よりも帝国の方が、オリヴィアにはあっているだろう」
即位式に出席していた帝国の第三皇子に一目ぼれされて、何通も手紙が来ていたらしい。だけど、たしか、第三皇子は、ハーレムに10人以上妻がいて、即位式にもお気に入りの数人を連れて来ていたと聞いた。兄にそれを言うと、大丈夫だと言われた。妹はうまくやるだろうと。
俺は腕の中の姪をながめた。俺なんかの腕の中で、安心しきってすやすや眠っている。まるで世界には何も恐ろしいことなどないかのように。生まれる前に殺されそうになったことなど、なかったかのように。
「この子をお前の娘としてほしい」
兄は俺にそう言った。驚いたことに、俺が結婚した女性は今、妊娠しているそうだ。もうすぐ生まれる俺の子とレティシアを双子ということにしてほしいと。
俺の妻はすでに了承していると言われた。そのかわりに、兄は金銭的援助を妻に約束した。妻の仕事、魔道具士とは金がかかるそうだ。そして、魔道具の研究場所も必要だとか。そのため、兄は家を買ってやった。妻は平民なのに、執事と侍女を雇っている。それを雇うのに使った借金も、兄は肩代わりしたそうだ。申し訳なかった。俺は、夫として最悪だ。冒険者の稼ぎは全て送っていたが、それではとても足りず、音信不通で、妻が妊娠していることさえ知らなかった。子供がこんなにか弱くて、守るべき存在だと言うことも、今まで何も知らなかった。
レティシアは妻が出産するまで、兄の元で育てられた。そして、俺に息子が生まれてすぐに引き取った。
妻は俺や子供たちがずっと側にいることを嫌がった。一人の時間を愛しているそうだ。だから、レティシアとリョウにはメイドと乳母を雇って、俺はその賃金を払うためにダンジョンに稼ぎに行った。子供に良い暮らしをさせてやるのが、父親の務めだからと言い訳して。いや、俺はただ、逃げただけだった。結局は、俺は愛する者さえ、守れなかったのだから。
だから、目の前でリョウが死んでしまったんだ。
黒炎に燃え尽きるリョウを見た後、妻はとうとう狂ってしまった。俺をずっと責め続ける妻は、息子が死んだことに耐えきれなかった。それなら初めから、息子などいなかったことにしたいと言い出した。離婚届を渡された。そして、二度と顔を見せるなと。そうすれば、自分に息子がいた過去を消せるからと。
意味が分からなかったが、そうするしかない。俺には人の心が分からない。レティシアを連れて出て行こう。そう思った。




