(8)
◇ ◇ ◇
「お疲れ様」
「ああ、ありがとう」
少し温めのお茶を一口すすると、パイプ椅子の背もたれに体重を預けて両腕を上げ、うーん、と伸びをする。肩がバキバキ、俺も歳だな。
「どうでした?」
「酷いもんだったよ」
典明たちのいる避難所にも連絡が入った。下位一万人の該当者全員をここから数キロ離れた陸上自衛隊の演習場へ移送せよ、と。それが何を意味するかなど、問いただすまでも無い。
この避難所に生き残っている五千人の中で該当者は百人ほど。その百人があんなことになったら、五千人などあっという間だ。しかもそのあとは……多分外へ飛び出してさらに被害を拡大させてしまうだろう。つまり、この判断は人としてはどうかと思う部分があるが、政治家としては賢明なものとも言える。どれだけの苦悩の末に出した判断だろうかと、感心する一方で他に手が無いことが残念でならない。
そして、移動を開始する旨を告げたときは、それはもうひどいものだった。
「俺たちを見殺しにするつもりか!」
「所詮自衛隊など、暴力装置でしかないと言うことか!」
「戦争反対!」
論点がずれているし、説明にあたった典明たちは消防士であって、自衛隊員ではない。だが、彼らはそんなことお構いなしに暴言を吐き、抵抗した。だが、もしもアレが嘘偽り無い事実で、本当に起こるとしたら、ここにいる全員が被害に遭うと根気よく説得を続け、ようやく全員をトラックに乗せ終えた。
「本当、どうなっちゃうのかしらね」
「さあな」
今朝、いきなりセッティングされた総理との面談の雰囲気から言えば、政府としても対応に苦慮しているようだった。そもそも、まだ未成年の大学生にすがるようでは末期だと思うが、総理にそんな様子は無く、念のために聞いておきたかったという程度だったからまだ何か考えているのだろうか?
「や、お疲れさん」
「お疲れ様です」
同僚たちがゾロゾロと戻ってきたので、碧がヤカンを手にお茶の追加をはじめた。スライムのダメージの後遺症は幸い残らなかったが、傷跡は酷く残ってしまい、避難している人たちの前に出るのはちょっと控えたいと、自らこうして裏方の役を買って出て、食事の仕度などをしている。二人の子供を育て上げた母親の姿というのは、殺伐とした空気を僅かだが和ませ、疲れ切った面々も少しだけホッとした表情を浮かべる。
「あ、どうも」
「ありがとうございます」
それぞれ適当に座り、茶をすすりながらさっきまでの酷い仕事を愚痴る。
「命を助けるのを仕事にしたつもりだったんだがな」
「割り切るしかない……けどな」
「まったく……どうなっちまうんだろうな」
答えが出るまであと……十二時間を切った。
◇ ◇ ◇
「日本からの回答はあったか?!」
「少しお待ちを」
「もうすぐ指定した六時間だぞ!」
まだ四時間だぞと心の中で突っ込みながら、連絡を取っている者が戻ってくるのを待っていると、ちょうどタイミング良く(悪く)入ってきた。
「日本政府からの回答、届きました」
「聞こう」
「『無理。人物特定できてないし、当然どこにいるかわかんないし』だそうです」
「ふざけるな!」
激怒した大統領がブツブツ言いながらうろうろと歩くのを見ながらささやき合う。
「おい、本当にそんな返事が来たのか?」
「来るわけ無いだろ。連絡すらしてないんだから」
「だろうな」
戦後、日本とアメリカは常に緊密な連携をする、まさに同盟国と呼ぶにふさわしい関係を築き、保ってきた。だからこそわかるのだ。外交オンチだとか、経済素人だとか、いろいろと国内では批判されることが多いが、国民全体の教育水準が高いために、アレでなかなか優秀で強かな者が集まっている。今この状況下でも、おそらく日本政府は身許の特定をほぼ終えているだろう。戸籍による国民の情報管理がしっかり出来ている国が羨ましく思えてくる。
アメリカはこの事態が起こってから色々と手を尽くしているが、電力状況が芳しくないため、コンピュータシステムが動かせず、国民のデータを探すことは非常に困難な状況に陥っている。しかし、あの国は下手をすると全て紙で記録した物が残っている。そして、それを効率的に保管し、必要なときにすぐに探し出す能力にも長けている。もしかしたら、ほとんどの国民の安否状況を把握しているかも知れない。
しかし、モンスターがそこら中にあふれている状況は日本も変わらないはずで、フジサキツカサと直接連絡するのは難しいのだろう。多分、本人の携帯が破損しているとか、通信が途絶していたり、交通網が寸断されたりしている地域にいるとか。仮に連絡が取れていても、簡単に移動はできないのだろう。
しかし、それを言うとこの大統領はきっと激怒する。自分の国が、現在生存している国民の数を把握できておらず、通信網の半分以上が使用できない状況を棚に上げて。
だが、だからと言ってのらりくらりと先延ばしにしたりするのも難しいので、程々にそれっぽい情報を伝えてやり過ごす作戦だが……うまく行くことを祈るだけだ。
「よし、指定の時刻になったら国会議事堂を吹き飛ばすよう艦隊に連絡だ。一秒の遅れも許さん」
「し、しかし……」
「これは命令だ!」
「わ、わかりました!」
ドアに近い数名が慌てて出ていくのを羨ましそうに見送る。アイツら、この空気から逃げやがったと。
「フン、これで少しは立場を理解するだろう」
イヤイヤ、お前が理解しろよ!と全員が心の中で突っ込みながら、中断していた現状報告を再開しながら、こっそりと小声で話し合う。あと十時間を切ったわけだが、いつここから逃げだそうか、と。
ちなみに、第七艦隊は確かに千葉県沖まで進んできていたが、ミサイル攻撃の指令は……「一応伝えたけど、やるなよ?色々問題になるから絶対撃つなよ?」と言われたので、とりあえず沖合に停船し、ただプカプカ浮いているだけであった。
日本にとって幸いだったのは、第七艦隊の上層部に日本人がいなかったことだろう。もしも日本人がいたら「それ、むしろ撃てってことですよね?」と解釈されただろうから。
◇ ◇ ◇
「夜の動物園って、ちょっと独特の雰囲気があるね」
「そうだな」
齊藤たちは結局、コアラの飼育で有名な動物園を選んだ。
理由は簡単で、村松の「動物園にしよ?ね?ね?」に齊藤が折れたためである。
もっとも、悪い選択では無いとも思っている。そこそこの広さがあるので、ボスモンスターがいきなり目の前に現れる可能性は低いし、密集した状況にもなりにくいだろう。
だが、
「独特の雰囲気はあるが……ひでえな」
薄暗く、誰が呟いたかわからないが、誰もがそう思っていた。
六月一日以降、世話をする者もいなくなってしまったのだろう。生きているのはごくわずかで、大半が無残な姿をさらしている。生きているのは、元々それほど食事を必要としないか、あるいは……という動物だけ。だが、生き残っている彼らも先は長くないだろう。
比較的状態がマシな遊園地エリアに移動し、夜を明かすことにした。
「なあ、ここが拠点になるとしたら、ボスモンスターはどこに現れると思う?」
「そうだな……」
「やっぱライオンか?」
「百獣の王って言うくらいだからな」
「意表を突いて、園長室とか」
「あり得……るな」
「人気という意味でコアラとか?」
「いきなり展示室に閉じ込められるボスモンスターとか、笑えねぇな」
「あの展望タワーは?」
「有る無しで言えば、有りか?」
予想は出来るが、根拠は無い。とりあえず駐車場で車を出し、寝ることにする。
「そろそろ寝るか」
「そうだな……って、もうすぐ日付変わるのか……」
「寝坊すんなよ?」
「お前こそ」
六月三十日……完!
いよいよ次回から七月一日です。




