【銀星と黒翼・完結後リクエスト短編】同じ夜空の下で~後日談~
紙束を纏め、ウルは装丁に使う布や革を眺めていた。様々な色を比べていたが、結局は慣れた縹色に染め上げられた革に決めた。
すべてのはじまりを記した『はじまりの物語』の二冊目を作るのである。一冊目は旅立つシヴァの荷物にこっそり忍ばせたので手元になく、今後のためにもいくつか作ろうと思っている。
原稿は手元にあるので問題なかった。丁度今、丁寧に書き写した二冊目用の紙束を纏め上げたところである。
「……これで、よし」
植物性の紙束の、はみ出ている部分を切り落とし、ウルは納得の言葉を呟いた。ふと顔を上げ、窓へ目を向ける。
「あ、もうこんな時間か……」
窓の外ではとっぷりと日が暮れて、星の煌めく美しい夜空が広がっていた。ウルはぐっと固くなっていた背筋を伸ばす。
その時、コンコンと扉が叩かれた。誰何するとラビであった。扉を開いて迎える。
「どうしたの?」
「イルジラータ様と他の枝守の方々が夕食を一緒にどうか、と」
「本当? 分かった、行くよ。少し待っていて、仕度するから!」
ウルは室内にとって返し、鏡をちらっと見ていつの間にか頬にインクが付いていることに気づいた。
ユグドラシルの根元に生える草から作られる、黒に近い深い青色をしたインクであり、良い香りがして大変長持ちする。
目を瞬いたウルは手元に魔法で少量の水を生み出して手頃な布に染み込ませ頬を拭った。
(よし)
自分で確認するようにこくりと頷き、ウルは待っていたラビに続いて、自室をあとにした。
――――………
やって来たのは、世界樹ユグドラシルの幹の中、霊王ティリスチリスの園にある円卓の間であった。
完璧に磨き上げられ、美しくつるりとした象牙色の床、霊王の魔法によって空間が広げられた高い天井からは穏やかな風が吹き下ろす。
部屋の真ん中には大理石製の大きな円卓が置かれていた。余分な装飾のないどっしりとしたそれは、枝守の会議にも使われる円卓である。
普段は七脚の椅子が、今日は八脚並んでいることにウルは喜びを覚える。ただこれだけのことが、幼少期から長く家族の隣に並ぶことを望んできた彼にとっては嬉しくてたまらなかった。
兄姉たちはすでに集まっており、やって来たウルを見たイルジラータが席を立って迎えてくれる。
「よく来たな、さあ、こちらだ」
「はい、お招きありがとうございます」
「ハハッ、相変わらず固いなぁ」
少し緊張しつつ、穏やかに微笑んで礼をするウルの姿に、雷の枝守トルネアがカラカラと笑った。鮮やかな青の髪を高く結い上げる金の髪飾りが雷光の様にチカッと煌めいている。
「まだ、少し緊張するかな?」
「少しだけ。でも、嬉しいです」
席に座ったウルに優しく問い掛けたのは風の枝守トルネオ。双子の姉とそっくりな黄玉の瞳には暖かな光が揺れていた。
運ばれてきた食事を、談笑しながら味わう。穏やかな食卓、しかしそれが次第に変わってきたのは、食後の酒が運ばれてきてからだった。
「だ~か~ら~っ、不利な属性だとしても、火力で押し込めば勝てるって言ってるだろ!!」
「繊細さの欠片もないわねっ、きちんと有利な属性に切り替えるべきよ!!」
「はんっ。そんなの、自分の属性に自信の無い奴が言う台詞だぜ!!」
「それはどうかしら? 様々な属性を使いこなす才が足りないことを自己申告しているように聞こえるけれど!!」
ダンッと金属製のカップをテーブルに叩き付ける様に置くミルテル。彼女と額を突き合わせて「なんだとぉ?」と顔を歪めるトルネア。
(え、え……?)
慣れないながら、美味しいなぁと思って葡萄酒をちみちみ飲んでいたウルは、兄姉たちの様子に混乱していた。
「ん~……あっ、ねこちゃん」
「ちょっとぉ……トルネオが幻見てるんだけど……はぁ、めんどくさ。僕、帰って良い?」
「ちょっとロアルハーゼ義兄様、この酔っ払いたちの面倒を押し付けるつもり?!」
「義姉上とイルジラータに頼みなよ」
顔色の変わらないロアルハーゼとメリーニール。そそくさと逃げようとする義理の兄を引っ張って止めようとするメリーニールは「ちょっと、ジュラリア義姉様、助けて」と大人しく座っているジュラリアを振り返った。
「うふふ、なかがよくて、いいれすね~」
「あーーっ! そう言えば義姉様、弱かったんだったわ!」
ウルはぱちくりと目を瞬いた。艶のある褐色の肌を赤くしたジュラリアが、薄氷の様な色をした目を細めてうふうふ笑っている。
「あ、あの、兄上」
「どうした、ウルーシュラ」
「えと、皆、いつもご飯の時こんななんですか……?」
惨状、と言いたい光景から離しがたい目を何とか引き剥がして隣のイルジラータを振り返ったウル。物静かな兄は金色の瞳を細めてこちらを見つめていた。
「大方、お前と共に食卓を囲むことに緊張して飲み方を間違えたのだろう」
「それは……」
「皆、まだ怖いのだ。お前に、拒絶されやしないかと」
手元の金杯に視線を落とし、イルジラータは静かにそう言う。思わず言葉を失ったウルに「かく言う私も、緊張している」と彼は苦笑した。
「兄上……」
「だが、私はお前が我々を拒まぬことを知っているし、お前を大切に思っている。それはきっと皆も同じだ……」
「僕も、僕もそうです。兄上たちや、姉上たちのことが大切で、今日が、とても嬉しいんです」
視線を上げて柔らかく微笑んだイルジラータに、ウルは少し目を潤ませながらそう答えた。
「そうか……私も嬉しく思う。過ちは無かったことにはならない。それでも新たな時間はこれからいくらでも重ねて行ける」
「……そうですね」
兄姉たちが普段見せることのない砕けきった姿を見せるこの時間は、とても尊いものなのである。
(僕、今、とても幸せだ)
額を突き合わせてあーだこーだ言い合って止まらないミルテルとトルネア。微笑み続けるジュラリアと、見えない猫を追いかけるトルネオ。
逃げようとするロアルハーゼの足を蔓草で捕らえるメリーニールは、ウルの視線に気づいて「助けてちょうだい」と笑いかけた。
「それくらい自分で何とかしろ、メリーニール」
「えっ、あの、僕は別に……」
「ウルーシュラ、ここにいろ。私の隣に」
イルジラータが寂しげな上目遣いで立ち上がりかけたウルを見た。初めて見る兄の様子にウルは困惑して「えっ、えっと」と逡巡する。
「第一な、私は今日、お前と二人きりで夕食をとろうと考えていたのだ」
「兄上……?」
「それなのに、どこから聞き付けたか、ミルテルが枝守全員に広めてしまった」
「あの、もしかして……」
「私の計画はパーだ。まったく、腹立たしい。やっと可愛い弟を独り占めできると考えていたのに」
「兄上も酔っておられますか……?」
「ん? 酔ってなどいない。私の思考は至極落ち着いており、明瞭だ」
そうキッパリ答えたイルジラータは、確かに言葉もはっきりしているし肌に赤みも差していない。しかしウルは確信した。兄は確実に酔っている。
「ウルーシュラよ、先日形になったという本はどこへやった?」
「あっ、それはシヴァに……」
眉間にしわを寄せた兄は、ウルの答えに明らかに「むっ!」と言いたげな顔をして見せた。常とは比べ物にならないこの分かりやすさ、間違いなく酔っている。
「何か訊けば二言目にはシヴァシヴァシヴァ……お前はそればかりだ……確かにあやつがお前の中でそれほどに大切な者であるのは分かる。分かるが兄は寂しいぞ」
「えっ、僕そんなにシヴァの名前を出していましたか?!」
「出しているとも。私を呼ぶより多く呼んでいる。もっと“兄上”と呼んでくれ、ウルーシュラ」
かすれた声で言いながら、イルジラータはぐんにゃりと円卓に顔を伏せた。手は金杯をしっかり握り締めている。中は空っぽであった。
「ずっと、呼ぶことを許してやれなかった分、お前が飽きるほどに呼んでくれ……」
祈るように呟いて、イルジラータはそれきり静かになった。肩を揺すってみたが、どうやら寝入ってしまったらしい。
(……兄上も、僕との距離を縮めようと必死になってくれているんだな。この様子を見るに、意外と、不器用みたいだ)
そう思ったらつい笑みがこぼれた。
(僕、今、とても幸せだよ)
ウルは今一度その言葉を噛み締めて、それからメリーニールの手助けをするために席をたった。
―――――………
同じ夜空の下で。
「あーーっ、主、飛ぶな、帰ってこーーいっ!!」
「ジジ、星を、捕まえ、る!」
「ふふふ、相変わらずリンは弱いねぇ。あっ、次の樽、くれる?」
「兄さんはっ、本当に強くてっ、格好良くてっ、最高の兄さんなんだ! 異論は認めないんだからね!」
穏やかな気候のもと、魔法で灯した小さな焚き火を囲んでエルフたちが大騒ぎしていた。
シヴァはお気に入りのシリエール産の葡萄酒を飲みながら、そんな大騒ぎを笑って眺めている。
その隣に座って、顔色ひとつ変えることなく本日四個目の樽を手にした裂牙将軍のレイは、けらけら笑いながら、仁王立ちして演説じみたことをしている弟のリンを見上げていた。
「ねえ、シヴァ。リンは褒めすぎだと思わないかい?」
「さぁどうかな。ま、あいつがお前のことを好きで堪らないのは普段からバレバレだけど」
「ふふふ、そうだねぇ。私も、リンのことが好きだよ。大事な弟だからねぇ」
肩を揺らして笑い、ヘーゼルグリーンの目を優しく細めたレイは樽から手元のコップへ葡萄酒を注ぎながら「最近はだいぶ魔物の数が減ったよ」と呟く。
焚き火の橙を受けて柔らかな紫に変じた瞳をそちらに向けたシヴァは、結局何も言わず視線を焚き火に戻した。
「陛下の付き添いで、新しい皇帝にも会ったよ。不思議だね……あの皇帝の娘とは思えない」
「……そうだな」
「シリエールの女王と皇帝が会うなんて、冥界が、確かに変わっている証拠だね。感慨深いよ」
一から新たな政治体制を立ち上げ、それに反発する各地の魔王たちと言葉での勝負を繰り広げているらしいハルザリィーンのことを思う。
冥界一の屍術士であり、今は彼女の宰相であるドローリアの存在が、各地の魔王が武力行使に出にくい理由であるらしい。
変人、じゃ片付けられないところもあるが、やはり相当力の強い魔物なのだなぁとシヴァはドローリアの姿を脳裏に思い浮かべた。
ふと上げた視線の先で、ジジがふわふわと飛んでいく。そんな彼女の腰にしがみついて止めようとするマオごと飛んでいくので、あとで助けなければ。
そう言えば“魔物”の細かな分類が魔法学園のエルフたちの中で始まったらしい。今一番熱いテーマらしく、生徒たちがハァハァ言いながら駆け回っていたのをシヴァは苦い気持ちで思い出した。
「変わってきた世界がどんなものか、見て回るのは面白そうだな」
「ああ……旅に出るんだっけね」
「この俺に予言なんて面倒なもんを背負わせてくれた世界だ。成し遂げてやったんだからこれからはとことん楽しませてくれないと割に合わない」
答えて、シヴァはにやりと笑った。手にしていた杯を地面に置いて立ち上がる。
「たまには戻ってくるさ。その時は、またこうして飲もうぜ」
「うん、それはいい。楽しみだよ」
大きく伸びをして「ねえシヴァ!」と絡んできたリンを適当にあしらった彼は、満足げに息を吐いて一歩を踏み出した。
かなり地上から離れたことでマオが涙目になってきたので、そろそろ助けてやらねばならない。
手伝うよ、とついてきたレイに「どうするか」と苦笑混じりに訊いて、シヴァは歩いていった。
リクエスト、ありがとうございました!
連載形式にすると、長期更新が無いとかになりそうだったので短編として上げていくことにしました。