040:白の世界
十四番温泉に……
「ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ」
「ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ」
「この温泉は気持ちいいですわねー。」
「んっ! あっ! あんっ!」
「そような卑猥な声を出すのはお止めください」
「お母様、このお湯で心が洗われていくようですわ」
「ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ」
「ふふ、そうでしょう。私もとても気持ちが良くなってきてますの」
女性達の心地良さを実感するような声が耳に聞こえてくる。
あぁ、そうだった。今は温泉巡りをしていたんだよね。
お母様のお乳を飲んでたら意識を失ったんだ。いつものお乳とお母様から香る匂いに、すこし甘ったるい匂いが混ざっている。この匂いは嗅いだことがない。
薄目を開けて周囲を見ようとしたけど、目の前に映るのはお母様の胸だけだった。このまま目を閉じて身を委ねていた方が良い気がする。もう少しお母様の温もりを感じていたい。
「ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ」
足元に温かい水が掛けられる。足湯だけすると言っていたから、温泉のお湯を掛けてくれているのだろう。寝起きにはちょうどいい気持ちよさだ。なんだか、心の奥底まで温もりが染み込んできている錯覚を覚える。お乳を飲む前まで何をしていたんだっけ……。
確か十五番温泉で、ナーグローア様の絶景を目にして、動揺していた事までは鮮明に覚えている。
まだ、ここは十五番温泉の休憩室だったっけ?
お母様に抱っこしてもらっているし、どうでもいい事だな。
再び、お母様にしがみ付いて、足元から掛けてくれる温泉の温もりを楽しむことにした。
「ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ」
お母様の優しく語り掛けてくる声を耳にしながら、眠りについた。
心まで染み入る温もりが、身体の中にある何かを溶かしていくような感じが心地いい……。
「くちゅん!」
おー? なんか風がちょっと冷たいかも。女の子の服ってどうしてこう足が剥き出しなんですかね。スカートの中に風が入ってきたようで、思わずくしゃみが出た。ドロワースの下着を履いているとはいえ、脚から風が入るとスース―していけませんな。
「あら、アリシアちゃんがくしゃみしちゃいましたわ。そろそろ戻らないと湯冷めしちゃいますわね」
「はい、お母様。二つも温泉を堪能できましたもの。今日は十分楽しかったですわ」
「エルステアに喜んでもらえてよかったですわ。明日も温泉巡りをしましょうね」
「喜んでお供しますわ、ナーグローア様」
もうお帰りなんですね。本当に申し訳ないです、お開きにしてしまって。十五番温泉だけで終わってしまって……ない?お姉様は二つの温泉に行ったと言ってましたよね。
「おねえさまは、おんせんふたつもはいったのですか?」
二つ目の温泉って十四番? 自分は入ってないですよね? いや、入ってたらここにいないはず。
「あら、お目覚めですのね、アリシアちゃん。良く眠って気持ちよさそうでしたよ」
そっか、お母様のお乳を飲んで眠ってましたもんね。いや、それよりも十四番温泉の事を確かめないと……。
「おねえさま、じゅうよんばんにいかれたのですか?」
「ええ、とても気持ちの良い温泉でしたわ。アリシアちゃんもお母様の上で気持ちよさそうにしてましたわよ。ちゃぷちゃぷってお湯を掛けてもらって。」
えっ? 自分も十四番温泉に入った? 何故?
「ええ、アリシアは、とても気持ちよさそうに温泉に浸ってましたわね。見ているこちらが幸せになるくらい可愛い顔をしてましたわよ」
浸ってた? 温泉に? 十四番は魂を浄化……。
魂が無くなる! 今この瞬間に無くなるかもしれない!
えっ、どっどうしよう。 消えたくないです! まだ何もしてないのに、消えたくない!
助けて! お母様! お姉様! お父様!
「ぶっ! ぶごっ!」
喉が苦しくなり、胃が逆流し吐いた。
「おっおかあさま、しにたくない。しにたくないです……」
「どうされました、奥様。アリシア様のご様子が!」
涙目になりながらお母様に縋り付く。言葉がもう出ない。喉が狭くなり呼吸も浅くなっていく。
あぁ、自分はやっぱりこの世界で不純物だったんだ……このまま死んじゃうのかな……。
「あらあら、ちょっと湯あたりして具合が悪くなってしまったようですわね。直ぐに戻って温かくしてお寝んねしましょう」
「はい、奥様。リフィア! 先に戻り支度をするよう伝えてちょうだい」
「メリリア、リーシャも連れて行きなさい。何かあれば連絡が取りやすいわ」
「ナーグローア様、お気遣いありがとうございます。リーシャ様、よろしくお頼みします」
皆んなが慌ただしく動いていく。
お母様は自分を抱きしめながら、速足で駆けていく。
やはり、思った以上に自分の状態は良くないのかもしれない。
ヒューヒューかろうじて呼吸をしながら、お母様に胸にぐったり顔を寄せた。
何だよ、魂の浄化って……ちくしょう! 悔しい……誰のいたずらかしらないけど、こんな世界に生まれさせておいて、思わぬトラップで退場ですか? あんまりじゃないですか? まだ、この身体一歳とちょっとですよ! 何にも世界を知らないまま動けなくなるんですよ!
だんだんと諦めていた意識から、怒りに変わっていく。
「大丈夫よ、アリシアちゃん。気を静めてくださいね。もうすぐ皆んなが待ってますわよ。気をしっかりしなさい」
お母様の励ましに、諦めと怒りの思いを少しずつしまい込もうとした。
背中に当てられた手の温もりが、徐々に心まで伝わってくる。
気が付けば、心が穏やかになり、呼吸も少し楽になっていた。
「おかあさまー、きえたくない! わたしきえたくないです!」
声をふり絞り必死にお母様に助けを求める。
「アリシアちゃんは消えたりしませんわよ。いま具合が悪いのは温泉のせいではないの。安心してくださいな。貴女はどこにもいきませんわ」
お母様の抱きしめる力が少し強くなっていく。
「今日はゆっくりおやすみなさい。今は余計な事を考えなくてよいですよ。闇の神ネルガルよ、幼き娘に安穏の深き眠りを与えたまえ」
お母様の手が自分の目元を覆い、お祈りの言葉を唱える。
途端に、また自分の意識が落ち始める……。
これでお母様とはお別れなのかな……何も告げられず終わるなんて……。
目を覚ますと真っ白な光が目を覆う。眩しくて瞼を開けていられない。
少しずつ、薄目を開けて光に目を慣らしていく。
目が慣れた時に視界に映ったのは、何も無いどこまでも続く白い空間だった。
あぁ、これが本当の死後の世界か。諦めにも似た溜息を吐く。
自分の手を何気なく見る。小さくてぷっくりした可愛い手だ。死んでもこの身体なのか。まぁそうだよね、この身体の前はたぶんもう無いのだろう。この後、また次の命にでも移されちゃうのかねぇ……。
胸の辺りが凄く痛む。ちゃんと皆んなに別れを告げられないで、ここに来てしまった。
後悔と別れの悲しみで目に涙が浮かんでくる。
何も無い白い空間を宛もなく涙を零しながらあるいた。
「こんにちは! お嬢さん!」
突然、後ろから声が聞こえる。こんな場所で声を掛けられると思わなかったので、心臓が飛び出そうになるくらい驚いた。
恐る恐る振り向くと、白いドレスを着た少女が笑顔で手を振っている。
「どうしてそんなに泣いているの? 可愛い顔が台無しですわよ」
さっきまで少し遠くに立っていた少女が、突然隣に現れて声を掛けてくる。
「うぇえっ?」
思わず変な声がでた。何が起きているのか理解できない。瞬間移動ですか!? まぁ、魔法の使える世界でちょっとだけ生きた経験があるから、そこまで驚く事でもないけど、いきなり横に来ると驚かざるを得ないですよ。
「あら、泣き止みましたわね。よかったですわ。でも、まだちょっと変な顔になってますわよ?」
隣に来た少女は、無邪気に自分に笑いかける。
「せっかくお会いしたのですから、ちょっとお茶でもいかがかしら?」
ここにお茶を飲む場所なんてあるのだろうか……一面真っ白で何も無いのに。彼女もここに飛ばされてどうにかなってしまったのかな……。
「あら、お茶ならここにありますわよ?」
少女が指をさす方向へ視線を向けると、大きな木と側にはテーブルとイスがあった。
いや、そこにさっきまで何もなかったよね? どうしてあるの? 目を擦ってもう一度見るが、確かにそこにお茶が出来そうな場所があった。
「さっ、いきましょう? アリシアちゃん」
「えっ!? どうして名前を知ってるの?」
「ふふ、どうしてでしょうねー。秘密ですわー」
少女は自分の手を取ると、お茶の場所まで引っ張っていく。もう驚きすぎて、取り合えず言う事を聞くことにした。抵抗したところで、今の状況が変わるわけでもないし。
「さすがですわねー。大人の知識と経験があるから直ぐに順応されますのね」
何故、それを知っている? 誰にも言っていない事なのに。いや現実には言っても誰も理解しないだろうし、そもそも性別が変わったので言いたくない事でもあった。
「ふふ、私は何でも貴女の事を知ってますのよー。でも、教えてあげませんことよ、秘密ですわー。あははは」
少女は可愛く笑いながら、唇に指を当てる。
こんな場所でなければ、純粋に可愛い女の子だと思うよ。さすがにこの場所で会ってしまったので、不気味と思ってしまう。突然、少女の身体から魔物に変身して食べられるとかありそうじゃない?
「へー、そういうのがお好きなの? でも、残念ですわ。私そういう能力は持ってませんの。さぁ、どうぞこちらにお掛けくださいな」
完全に心を読まれている? この少女はもしかして神様とかじゃないのか……そうだったら結構無礼な事言いまくったからまずいかもしれない。
「正解ですわー。ここは考えてる事は声を出さなくても聞こえてきますよ」
うわー、まじかー。やっぱり、この少女神様なのか。すいません、知らずに無礼な事ばかり言って。本当にごめんなさい。また、変な世界に飛ばしたりしないでください。
「私、神様ではありませんわよ? それよりも、こちらをどうぞ。お口に合うと良いのですけど」
テーブルにはお菓子と温かいミルクが置かれている。これもさっきまでは何も無かったものだ。どうしてここにある?
「そうですわねー、その説明は難しいですわー。でも、毒なんて入ってませんから、どうぞ召し上がれ」
少女は手元にあるカップに手を取り、口を付ける。次いでお菓子もひとつ取り、一口食べた。
「ほら、毒なんてないでしょう。意外と用心深い方なのですね。結構、大胆な方かと思ってましたのに」
なんか貶されている? ちょっと腹が立ったので、ミルクを一口飲む。口の中に甘さが広がっていく、まるでお母様のお乳のような感じだ。
不思議とミルクを飲んでいると、涙が零れてくる。どうしてだろう、このミルクを飲むとお母様の元に帰りたい気持ちが抑えられない。
「あらあら、アリシアちゃん。また泣かせちゃったわね。ごめんなさいね。そんなつもりはなかったのよ。貴女が一番好きなものをお出ししたつもりだったのだけど」
そこまで気を使っておもてなしをしてくれたんだ。ありがとう謎の少女さん。この味を忘れないで次の人生を歩みたいよ……。
「ふふ、面白い人ですわね。まだまだ、そんなに直ぐには無くならないと思いますけど?」
少女は優雅にお茶を飲んでいる。と思ったら、同じミルクを飲んでいる。そうだよね、目の色が彼女は赤っぽくて少し白いに近い金髪だけど、雰囲気は自分に似たエルフの幼女だ。お茶じゃ苦くて飲めないですよね。
「あら? 貴女も今はお子様でしょ。お茶なんて苦すぎて好きではありませんわ」
ぷっっと頬を膨らませる彼女。年相応の少女っぽい感じに少しだけ緊張が解けた気がした。
「君はずっとここにいるのかい?」
「そうですわねー、んー、ここにいるようでいませんわね」
首をちょっと傾けてニコッと笑う少女。彼女の笑顔を見ていると、とても不思議な気持ちになる。まるで鏡を自分で見ているような気さえさせるのだ。
「あら、そろそろお迎えが来てましたわよ?」
「えっ?」
あー死神とかそんな類ですか? 少女と話してもう落ち着いたので覚悟できてますよ。何処へなりと連れて行ってください。
「アリシアちゃん。まだ、貴女は始まってませんわよ。これから大変ですけど、お姉様と一緒にがんばってくださいね」
少女は真剣な顔で両手を差し出し、自分の手を取る。
「また、お会いしましょう。アリシアちゃん。次は笑顔で会いたいですわ。ごきげんよう」
少女は自分の手を放して、スカートをちょっと上げてお辞儀をする。
その瞬間、自分の意識が薄れていき、少女の姿が霞んでいく……。
君は誰なの? そして、俺は……?
十四番温泉に入ったことで動揺し、
魂の消滅に焦るアリシアちゃん。
そして、目にする白い空間と少女。
白い世界の彼女はいったい?
そして、アリシアちゃんは何処に行く?
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ユグドゥラシル編はまだまだ謎の現象がいっぱいです!
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