公爵令嬢と公爵子息
義弟登場
現状を分析したところで、彼女は再度脳裏でツッコミを入れた。
いや、だからって、軽率に遊びに来すぎでしょ、この王子様。
その息抜き先がアストリッヒ家であることは理解できる。
王都にある公爵家の中で、王太子と同年、あるいは年の近い子供がいるのはアストリッヒ家だけだ。加えて王家に繋がるアストリッヒ家の隠し通路が、王太子と同年である彼女が日中好んで過ごす図書室の傍にあることも、彼が遊びに来やすい要因になっているのだろう。
しかし、彼がこの公爵家に忍び込むのは月に数度の頻度に及ぶ。先触れのある訪問を含めば、多い時は月の半数近くはこの家に遊びに来ていることがある。
王太子の帝王教育ってゆとり教育なの?
なんて、不敬極まりない感想は勿論そっと胸の内だ。
勿論、帝王教育がゆとり教育なんて彼女も本気で思っているわけではない。王太子と言えども、まだ十歳と幼い時分ということで、甘やかされている部分は確かにあるだろう。
けれど彼女自身、同じように物心ついた幼少期より最高位の淑女教育を受ける身であり、高位貴族の教育が厳しいことは身をもって分かっているつもりだ。
王太子としていずれより多くの責任を負うことになる同い年の彼が、他の貴族令息子息に比べてより厳しい教育を受けていることも知っているし、手を抜くことなく真摯に取り組んでいることも知っている。
だから、時には多少の息抜きも必要だということも分かっている。正直に言うと、貴族の教育は幼子には厳しすぎると彼女は思っている。それが当たり前の世界なので、誰も異を唱えることはないけれど。世界が違えば虐待だと言われるような指導方法もある。鞭って何だ鞭って。彼女がそれを使われたことはないけれど、そういう現実を聞くと、世界の違いを思い知らされる。
だからこそ余計に思うのだ。
何で、この国で一番厳しい教育を受けているであろう王太子がそんな簡単に遊びに来れるのよ。暇人か?
もう一度零れそうになる溜息は押し留めた。
スッ、と出窓横に設置された小机から立ち上がる人影。
「義姉さまを煩わせる子鼠、追い払ってきましょうか?」
「子鼠って……」
一国の王太子に不敬が過ぎるんじゃないかしら、義弟よ。そして王子を子鼠と言えるほど、あなたも大きくないからね?
「処します?」
「処しません! というか処せないでしょ」
「頑張ればいける気がします」
「頑張らなくてよろしい」
彼女より頭ひとつ分ほど小さな少年の名はルクハルト・アストリッヒ。アストリッヒ公爵家と遠戚関係にある子爵家から四つの時にアストリッヒ家に養子に入った彼女の一つ年下の義弟だ。
アストリッヒ公爵の子は彼女一人しかいない。今現在、彼女がこのまま公爵家を継ぐのか、あるいは王家や他の公爵家に嫁ぐのかは決まっていない。そのため、彼女を夫として支え、あるいは他家に嫁いだ彼女の子が爵位を継げるまでの間、後見代理人となれる人間が必要だった。
そうして、彼女を立て、公爵家の為となる人間の教育は幼少期より行うのがいいだろうと、何人かの候補の中で選ばれたのがこの少年だった。
少年の生家は子爵位とさほど高くないが、先々代公爵の末の弟が継いだ家であり、公爵家直系の血が比較的新しく入っていたこと。
そして、アストリッヒ領は国内でも比較的温暖な気候の土地が多いが、全ての土地が等しく温暖で肥えているわけでもない。彼女の義弟が生まれたのはアストリッヒ領内でも北部に位置する場所にあり、先代の時代に起きた冷害の被害が大きく、子爵家だけでの立て直しが厳しい状況にあった。
そうした事情もあり、子爵家の一人息子であった少年が公爵家に入り、子爵領は公爵家預かりとなることで話がついたのだった。
四才という幼い時から実の両親と離され、生家から遠く離れた王都で公爵子息として泣き言を許されない環境に置かれながら、義弟はよく頑張っていると思う。
一つ年上の義姉にはすぐ懐き、こうして彼女が図書室に篭もるときもよく一緒に過ごしている。義姉の言うことは割と素直によく聞くし、「義姉さまと一緒にアストリッヒ家をお守りします!」と勉強にも真面目に取り組んでいる。
慕ってくれる姿はかわいいし、真面目で素直なところもとてもかわいいのだが、どういうわけだか、この国の王太子様とは反りが合わないらしく、すぐ物騒な反応を見せるところが玉に瑕というところか。
「そろそろお茶休憩にしようと思ってたところだし。ルークも一緒に来るでしょう?」
「もちろん!」
「それじゃあ、お茶の準備を手伝ってくれる?」
「はい、よろこんで!」
義弟の返事に、居酒屋かな? と思ったのは勿論秘密だ。




