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【二】そして船旅へ

 シビルは雑踏の中で途方に暮れてしまっていた。セント・ビターポートの港駅は、今や大混乱に陥っている。周囲の人々の話から拾い聞くに、どうやら海峡横断鉄道の鉄橋が崩れたらしい。午前中に大陸からやってくる筈の列車が、立ち往生してしまっているということだ。

「どうしよう……」

 思わず、独り言が口からこぼれた。

 今日、列車に乗れなければ、魔女ジャムカと約束した五日後に間に合わない。

 一瞬、人々が行列を為す公衆電話に目を向けたが、そもそもシビルはジャムカの電話番号を知らなかった。第一、知っていたとしても、世界中を駆け回っている彼女が電話に出られるとは思えない。彼女から手紙が届いたことですら、奇跡のようなものなのだ。

 彼女は振り返り、耳打ちするように呟く。

「ごめんね、ジミー。せっかく見送りにきてくれたのに」

「ううん、私はいいのよ。でも、本当にどうするの、シビル? 本当に鉄橋が壊れちゃったっていうのなら、直るのに一日二日じゃ済まないと思うけど」

 シビルは腕組みをして考え込む。海峡横断鉄道が正常運行するのは、どれだけ楽観的に考えても数週間以上はかかるだろう。

「とにかくジャムカに手紙を……って、それも駄目か」

 シビルは呟いた後で、ため息をついた。鉄道が使えない以上、その手紙もいつジャムカの元に届けられるか分からない。お手上げである。

「とりあえず、マイクおじいちゃんにジャムカの電話番号を聞いて、駄目もとでかけてみようかな」

 と、来た道を引き返そうとした、そのときだった。シビルは背後に立っていた人物にぶつかり、尻餅をついてしまう。

「きゃ」

「あら、ごめんなさい」

 見上げるシビルの目に映ったのは、妙齢の貴婦人のような女性の姿だった。深紅の外套に、同じ色のつば広の帽子を被っている。

 彼女はシビルに手を差し出し、妖艶に微笑んだ。

「大丈夫、可愛らしい魔女さん?」

「あ、すみません、ありがとうございます」

 その手を取り、身を起こしたシビルは、改めてその女性の美しさに見とれてしまった。よく見ると、彼女の外套のベルトのホルスターには、使い込まれた樫の杖が止められてあった。

「あの、魔法使いの方、ですか?」

 思わず飛び出たシビルの問いに、深紅の魔女は柔らかく頷きを返す。

「ええ。オリヴィア・フェルディナンドよ。魔法工学を専門にしてる、まぁ、魔女兼研究家ってところかしら。あなたは?」

「はい、私はシビル・カーペンターズ。先日、魔法学校を卒業した魔女の見習いです」

「あら、もしかしてグレンシー女学院? じゃあ私の後輩ね。あなたも、この列車に乗る予定だったの?」

「ええ、そうなんですけど……」

 と、二人は駅の方に視線をやる。大挙する群衆と説明する駅員で、阿鼻叫喚の有様だ。

「ちょっと途方に暮れてるところです」

「ふぅん。出立は急ぐのかしら?」

 オリヴィアの質問に、シビルは間髪入れずに二度頷いた。

「はい、かなり!」

 魔女はしばらく、その言葉の確かさを図るようにシビルの目を見つめていた。そして、にっこりと微笑む。

「それじゃ、可愛い後輩に助け船を出してあげようかしら」

「助け船?」

 シビルが反復すると、オリヴィアは意味深に指を一本立ててみせる。

「文字通りの意味よ。どう? 乗ってみない?」

 シビルはすぐには答えなかった。初対面の魔女の、得体の知れない提案に対して身構えている自分がいた。

 すると、そこに新たに現れた人物が二人あった。

「ああ、此処にいましたか、オリヴィア様」

 駅の方から小走りで走ってきたのは、青い法衣と銀の胸当てを付けた精悍な男性。そしてその後ろからゆっくり歩んで来るのは、その上司らしき厳めしい顔をした中年男性だった。

「困りますな、勝手に歩き回られては」

 中年男性の方が、眉を寄せて諫言する。魔女は悪びれる風も無く、首を竦めて見せた。

「ごめんなさいね、この子もちょっと困っていたようだったから」

「お知り合いですか?」

 青年の質問に、魔女オリヴィアは躊躇いなく頷いた。

「ええ、そう。ついさっき知り合いになりました。私の卒業校の後輩なの」

 返す言葉を探す青年の横で、上司らしき男はやれやれと首を振っていた。そんな二人に、オリヴィアは自分の胸の前で両手を合わせてみせる。

「ねぇ、お二人さん。こちらのお嬢さんも宜しいかしら? 早く大陸に渡らなきゃいけないんですって」

「そんな、急に言われても……」

 青年はシビルを一瞬見やり、困ったように頭を掻いた。しかし、その後ろから上司が溜息と共に耳打ちする。

「言い出したら聞かぬ御仁じゃ、フリードマン」

「はぁ、分かりました。ベラさんに頼んでみますよ」

 青年は諦めたように吐息をつき、どこか辟易した様子で頷いていた。

 そんなやりとりを、シビルは無言で見つめていた。まだ自分が何も回答を出していないうちに、どんどん話が進んでいる気がする。どうしたものか、と逡巡していると、不意に背後から袖口を引っ張られた気がした。

「……ねぇ、シビル」

「……何、ジミー?」

「たぶん、悪い人たちじゃないよ。ほら、この男の人たち、たぶん王国魔法騎士団の人たちだよ」

 改めてシビルは二人の男に視線を向ける。たしかに、その法衣と胸当てには国章が刻まれてある。

「……信じていいと思う、ジミー?」

「信じるべき。たぶん、これってラッキーなことだよ、シビル」

「……うん、そうだよね」

「じゃ、私は此処で帰るね」

「え、もう?」

「最後まで見送りたいのは山々だけど……今の話を聞いた限りだと、たぶん、この人たちの島を出る方法って、あまり人に言いふらしたくない方法なんじゃないかな。だって、ほら」

 と、促されるようにシビルは駅の方を見やる。そこには相変わらず、シビルと同じように途方に暮れる群衆の姿があった。確かに、現状で島を出る方法があるなら、この人々が大挙しそうである。

「——ね。だから此処で一旦お別れ。頑張ってね、シビル」

「——わかった。ありがとう、ジミー」

「いってらっしゃい」

「うん、行ってきます」

 呟いて、シビルは広場の出口へと去って行く背中に、小さく手を振った。そこで、重々しい男の声が掛けられた。

「私は魔法騎士団長のジャッカス・ウィローだ。君の名は?」

「え、あ、はい! シビル・カーペンターズです」

「僕は士長補佐のヘンリー・フリードマンだよ」

 シビルはその二人の名前を唇の先で呟き、記憶に留める。オリヴィアがそんな彼女の瞳を覗き込んだ。

「それで、あなたの返答を聞いてなかったわね。どう? 私たちと一緒に来てみる?」

「あの、でも私、そんなにお金はご用意出来ませんけど……」

「ああ。もちろん、見返りはいらないわ。こう見えても後輩思いの魔女なのよ、私。言うなればこれはただの親切、魔女の気まぐれよ」

「……僕らは気まぐれに付き合わされるわけですね、団長」

「……言うな、フリードマン」

 背後でこそこそと会話する二人の騎士の姿に、思わずシビルの緊張が緩む。彼女はにっこり微笑み、深く頭を下げていた。

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」


 ◆


 三人に連れられてシビルがやってきたのは、港駅のある『竜の頭』から入り江を一つ挟んだ海辺、『竜翼の爪先』と呼ばれる辺りだった。貨物船や漁船が寄港する港町で、船乗りや漁師、あるいは荷を買い付けに来た商人以外は殆ど立ち寄らない一画である。

 しかし、既にそこにも何人かの観光客らしき人々の姿が覗える。大方、列車に変わる島の脱出手段として船に頼ろうとしているのだろう。

「……島を出る手段って、船、ですか?」

 シビルが疑問を口に出して言うと、魔女オリヴィアは悪戯っぽくウインクを返した。

「言ったでしょ、助け船を出してあげる、って」

 シビルはどうしたものか、と返答を言い淀む。その迷いを表情から察したのか、オリヴィアが優しく彼女を説き伏せた。

「あなたが旅路を急ぐというのは分かってるわ。でも、現状だと、多分これが最速の乗り物だっていうことくらい、あなたも理解出来てるわよね?」

 その問い返しに、シビルは頷くしかない。その通りなのだ。海峡横断鉄道の復旧を待っていたら、或いは一月も無為に過ごすことになるかもしれない。とにかく、自分は今、一日も早くイルルカ大陸に渡ることを考えるべきだ。

「——分かりました。でも、客船に乗るにしたって、チケットが必要なのでは?」

 その質問には、フリードマン士長補佐が答えた。

「客船は案の定、既に席が埋まっているようだよ。だから、僕たちは別の手段を使うんだ」

「別の手段、ですか?」

 と、そこでウィロー団長が口を挟む。

「女性には少し酷な乗り心地かもしれんが、我慢してくれ。我々もなるべく早く王都に向かわねばならないのだ」

 はてな顔のまま、シビルは三人の後に続く。やがて、桟橋の先に停泊する帆船が見えてきた。そのスロープの辺りに、一人の女性が立っていた。ブルネットの髪を赤いバンダナで半分隠し、麻布の白いシャツと紺色の裾の太いズボンを履いている。いかにも船乗りといった風体だった。

 彼女はどこか不機嫌そうに、フリードマン士長補佐を睨み付け、口火を切った。

「少しばかり遅いんじゃないか。騎士ってのは国民は守っても時間は守らないのかい?」

 その言葉に、青年と団長は苦い顔を浮かべた。言い訳を口にしようとして、それを我慢したような表情である。

「ごめんなさいね、ツイスト船長。実はフリードマン士長補佐がなかなか花摘みから戻られなかったもので」

 オリヴィアの言葉に、青年は唖然として彼女を振り向いた。何か反論したいような顔だったが、しかし、それを堪えて不服そうに頭を下げる。

「す、すみません……」

 シビルには彼らがどのような関係なのかは分からなかったが、何となく、この騎士二人がこの魔女に何らかの仕事を依頼していて、それゆえに無碍に扱うことが出来ないのではないか、と推測できた。

 船乗りの女性は呆れたようにフリードマンを見下ろした後で、鼻を鳴らして笑った。

「長旅の前に肝っ玉が縮んだかい? 情けない男だね」

 青年が「ぐ」と唸る声が、傍らのシビルには聞こえた。

「それはそうと」と、船乗りの女がシビルに目をとめる。「そっちの子は何だい?」

 シビルが口を開く前に、フリードマンが先に答えていた。

「ベラさん、突然で申し訳ないが、この子も船に乗せてやってくれないだろうか?」

「この子を? ふぅん。あんた、名前は?」

「あ、はい。シビル・カーペンターズといいます」

「あたしはベラドンナ・ツイスト、この貨物船の船長さ。いいよ、乗せてやる」

 あっさりと乗船許可が出たことに、シビルは拍子抜けする。そんな彼女の顔を見て、ベラドンナはからからと笑う。

「はは、今更一人乗せるのも二人乗せるのも同じことさ。ただし、船内にベッドがあるなんて考えは捨てるんだね、お嬢さん」

「大丈夫です。私、どこでも寝られます」

「はっはっは、そいつは結構。さて、それじゃ出発するよ。あんたたち、とっと乗りな」

 さながら嵐のようにとんとん拍子に話が進み、シビルは初対面の魔女と二人の騎士と共に、貨物船に乗り込んだ。

 船は中型規模の帆船で、見た限りではかなりの年代物のようであった。しかし、手入れは念入りにされているらしく、各所には年月を経た木の独特の艶が陽光を照り返している。

 甲板の上でシビルがそんな船の様子をしげしげと観察していると、ベラドンナが得意げに話しかけた。

「立派な船だろう? このブリガンティン帆船はもともとは海賊の使ってたものさ。それをあたしらが強奪したんだ」

 彼女の話に、シビルは目をしばたたかせる。それをしばらく見つめた後で、ベラドンナは可笑しそうに笑い出した。自分がからかわれたことにシビルが気づいたのは、その一呼吸後だった。

「さあて、野郎ども! 錨を上げろ、帆を張りな!」

 ベラドンナの声に、周りの船乗りたちが威勢の良い声を上げる。その様はまるで海賊のようだ。先ほどの話が本当に冗談だったのか、シビルは何だかよく分からなくなってきていた。

 しかし、シビルの口元には、自分でも知らず知らずのうちに弧が浮かんでいた。

 ついさっきまで、列車に乗れずに途方に暮れていたというのに、今はこうしてこの賑やかな帆船に乗っている。そんな嵐のような旅立ちが、妙に彼女の冒険心を擽った。

「出航っ!」

 ベラドンナの号令と同時に、帆に風を受けた船が動き出す。船はゆっくりと桟橋を離れ、その舳先は大海の先にある大陸に向けられる。足下がぐらつき始め、シビルは体幹に力を入れた。船に乗るのは彼女はこれが生まれて初めてだ。

 見る見る内に遠くなっていく陸地を、シビルは甲板から眺めていた。心の中で、育て親のマイクロフトや、友人に別れを告げる。少しだけ、感傷的な気分だった。

「やれやれ、まるで嵐のような出発だね」

 掛けられた声に振り向くと、そこにはフリードマン士長補佐が立っていた。シビルはそこで思い出したように、彼に頭を下げる。

「あの、本当にありがとうございます、助けてくれて」

「ああ、お礼ならオリヴィアさんに言いなよ。僕は中間管理をしただけさ」

「あの、フリードマンさんたちとオリヴィアさんって、どういう関係なんですか?」

「仕事仲間さ。ただのね」

 青年のその台詞は、どことなく自嘲的に聞こえた。

「ところでシビル、急いでいると聞いたけど、何処に何をしにいくんだい?」

「ああ、私の行き先は王都ディンカムシンカムです。そこで、五日後に人に会う約束をしてたんですけど」

「そうか、それで落ち込んでたわけか。確かに船だと十日は掛かるものね」

「そうなんです」

 と、心配そうに項垂れるシビルに、若き士長補佐は笑ってみせる。

「たぶん大丈夫じゃないかな。海峡横断鉄道が使えないニュースなら、たぶんその人の耳にだって届く。少なからず事情は伝わるんだし、約束の日に間に合わないことくらい、相手先だって理解はしてるよ」

 その言葉を聞いて、シビルは目から鱗が落ちたような気分だった。まさにその通りである。あの魔女ジャムカの元まで、この一大事件の情報が届かない筈が無い。故に自分の到着が数日遅れることぐらい、彼女だって推し量ってくれる筈である。

 段々と表情が明るくなるシビルを見つめながら、フリードマンは再び訊ねる。

「会う約束をしている人は、君の大事な人なのかな」

「———はい。私を救ってくれた、恩人です」

 そう言って、シビルは自分の左胸に両手を当てる。そこに今も確かに存在している、魔女ジャムカの『魔法の心臓』を感じ取るかのように。

「恩人、か」青年は遠くなっていく島を見つめながら呟く。「それじゃ、君はその人にお礼を言いに行くんだね」

「それもありますけど」と、シビルは首を左右に振る。「三年前に約束したんです。私を弟子にしてくれるって」

「——三年前、ね」

 何気なくその単語を繰り返した青年の口調に、シビルは僅かに小首を傾げる。何か含みがあるように感じられたのは、気のせいだっただろうか。

「大丈夫、きっと会えるよ。君の恩人にね」

 と、青年は柔らかくシビルに微笑みかける。

「運命は必ず、君に味方するよ」

 その励ましの言葉を、シビルは素直に受け取った。

「はい、ありがとうございます」

 彼女もにっこりと微笑み返し、頷いた——。

 そのときだった。

 轟音と共に、船全体に大きな衝撃が走った。足下が暴れるように揺れ、シビルは思わず膝をつく。

「どうしたっ!?」 

 ベラドンナ船長の声が轟く。船員が困惑した様子で叫んだ。

「分かりません! 何かがぶつかったようです、うわぁっ!」

 叫んでいる間に、再び衝撃が船体を襲う。周囲の海が荒れ出し、飛沫を甲板に雨のように降り注がせた。

「い、いったい何が……」

 シビルは振り落とされないようにと、しっかりと柵を両手で掴む。その肩を、フリードマンの手が支えた。

「———なるほど、こうなるか」

 彼のそんな意味深な呟きにシビルが疑問を覚える前に、その事象の原因が船の目の前に現れる。

 波飛沫を上げ、海面に姿を現したのは、巨大な爬虫類の顔だった。その瞳には獰猛な金色を宿し、大きく裂けたその口には針のような無数の牙が並んでいる。

大海竜シーサーペントだぁぁぁっ!!」

 船員たちがその名を叫ぶと、甲板は大混乱に陥った。

「そんな、この海域にこんなのがいるなんて聞いてないぞ!」

「舵を切れ、急げぇ!」

 しかし、全長にして三十メートルは下らないその海の大蛇は、既にその巨躯を船体に巻き付けていた。海面から跳ね上がった尾がマストをたたき折り、船全体が大きく悲鳴のような軋みを上げる。

 船員たちの絶叫が木霊する中、シビルの瞳は彼らを捉える。

 フリードマン、ウィロー団長、ベラドンナ、オリヴィアの四人が甲板に並び、舳先に聳え立つ大蛇の顔と対峙していた。

「——一つ、答えが出ましたね」

「——そ、そんなことを言っている場合じゃ無いと思うけど」

「——一応言っておくけど、今からじゃこの船は逃れられないわ」

「——ならば倒すしかあるまい」

 彼らの交わすそんなやりとりは、周囲の絶叫のせいでシビルまでは届かない。しかし、ベラドンナが振り向きざまに言った言葉は、確かにシビルの耳に届いた。

「大丈夫——今度こそ、守ってみせるわ」

 その一瞬後、大海竜は劈くような鳴き声を天に咆吼した。すると突然、船の周囲の海面から無数の海流の柱が聳え立ち、それらは螺旋を描いて上空へと舞い上がる。それに連なるようにして、天空に分厚い雲が現れ、豪風が吹き荒れ始めた。一瞬にして、船は嵐の渦中に投げ込まれてしまった。

「天候すら操るとは、恐れ入ったぜ」

 フリードマンが杖を構えながらそう漏らした。その先端には既に魔力が迸り始めている。

「とんでもない魔力量じゃな。この女の記憶によれば、さしずめ神獣クラスじゃ」

 オリヴィアもまた、手に持つ杖の先端に精神を集中させている。その傍らで、ウィロー団長が早口に呪文を詠唱し、杖を振りかざした。すると、淡い緑色の光の膜のようなものが、甲板にいる人々を頭上から包むように現れる。

「防壁を張りました、こちら側からなら仕掛けられます」

「上出来じゃ、行くぞ」

「はい」

 オリヴィアの号令と共に、フリードマンが杖を振り上げた。二人は声を合わせ、高速で呪文を詠唱する。二本の杖が眩い輝きを放った瞬間、二人は詠唱と共にそれを振り下ろした。

「「雲裂き尾《レイ ディアン フー》」」

 刹那、稲光が無数の流線となって大海竜めがけて迸った。それはシビルが初めて目にする高位魔法だった。しかし、閃光は大海竜の眼前で、まるで見えない壁に弾かれるかのようにして霧散する。四人の間に戦慄が走った。

「馬鹿な、あの高位魔法すらも弾くのか」

「そんな……」

「来るぞ、防壁に集中せい」

 狼狽えるフリードマンとウィロー団長に、オリヴィアが叫ぶ。それに合わせるように、大海竜がその口を大きく開いた。その悍ましき口腔の奥が、甲高い唸りと共に輝き始める。シビルの全身が総毛立つ。これほどまでに密度の高い魔力は、これまで彼女は目の当たりにしたことが無い。

 次の瞬間、暴力的なまでの熱量が大海竜の口から放たれた。それは術式すら伴わない、純粋な魔力の奔流。ひとたび生身の身体が触れれば、原型を留められず散り散りになってしまうだろう。

 ウィロー団長の展開する防壁が直撃を防ぐも、その閃光は休む間もなく迸り続ける。やがて、その光の壁に亀裂が入り出した。

「もう、これ以上は耐えられません!」

「二人とも、こっちに来て」

 ウィロー団長が弱音を吐きかけたとき、ベラドンナが船倉の奥から、車輪付きの砲台を押しながら現れる。それは口径にして人の頭分くらいはありそうな、鋼鉄製の大砲だった。

「魔力弾よ、これにあんたたちのありったけの魔力を注ぎ込んで」

「これであの障壁をぶち破るってわけか」

「シビル、おまえも来るんじゃ」

 人が変わったかのようなオリヴィアの呼び声に、シビルは身を震わせながらも答えた。

「は、はい」

「術式は要求せん、ただありったけの魔力を出し切れ」

「わ、分かりました!」

 シビルは気を引き締める。

 自分は魔女としてはまだまだ未熟な存在だ。戦闘においては殆ど役には立たないだろう。しかし、この身体にはあの大魔女ジャムカから授かった『魔法の心臓』が埋め込まれてある。ただ単純に魔力を生み出せというのなら、まさにそれはシビルに打って付けだ。

 ベラドンナが砲身を大海竜に向け、フリードマンとオリヴィアの二人が砲台に手をかざし、その中の弾に魔力を注入し始める。シビルもそれに続いた。

「始めます!」

 精神を集中させ、シビルは胸の奥にある『魔法の心臓』から魔力を引き出そうとした。しかし———。

「——え?」

 彼女の全身を、違和感が包む。それはさながら、今まで地面を走っていた自転車のペダルが外れてしまったかのような、或いは、水のたっぷり入った桶を持ち上げようとしたら空っぽだったかのような———そんな、空虚感。

「魔力が、無い……?」

 呆然と呟くシビルの声に、その場の四人が振り返る。

 そう——シビルの中の『魔法の心臓』は、空っぽだったのだ。

「何だって……?」

 フリードマンが眉を寄せた、そのときだった。

 大海竜の全身が大きく震え、吐き出す魔力の奔流がさらに勢いを増す。

「だ、駄目です、皆さん、逃げ——!」

 ウィロー団長が叫び終わらぬ内に、ついにその光の壁が決壊した。

 終わりが迫る中、シビルの胸中には数多の疑問が渦巻いていた。

 ——何故、魔力が無いの?

 ——何故、『心臓』が空っぽなの?

 ——私は、これから旅に出る筈じゃなかったの?

 ——私は、これで死ぬの?

 ——何故、私は……!

「シビルッ!」

 魔力の熱閃が彼女の身体を呑み込もうとする瞬間、フリードマンの叫びが聞こえた。

「次こそは救ってみせる! だから——!」

 しかし、その言葉尻が彼女に届く前に、終わりは訪れた。

 荒れ狂う嵐の海の中心で、大海竜の放つ魔力の奔流が、とうとうシビル・カーペンターズを含む四人を呑み込んだ。

 ——それが、一〇一回目の終焉だった。

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