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【101.52】呪文詠唱に恥じらいを覚えるのはいつ頃からか

 港駅は竜の頭と呼ばれる岬の突端にあった。切符を買って駅のホームまで上り、眼前に広がった景色に、俺は大きく息を吞んでしまった。

「これは、凄いな」

 水平線の向こうまで続く鉄橋だった。

 フリードマンの記憶の中の映像にはあったが、実際に目の当たりにすると圧巻である。こんな不可思議な光景は、これまで訪れた異世界でも見たことはない。

「へぇー、どうやって作ったんでしょうねぇ……」

 隣の内藤氏も、ウィロー団長であることを忘れて呆気に取られている。そんな我々に近づいてくる人影が二つあった。

「やあ、待っていたよ、二人とも」

 声を掛けてきたのは、駅員の制服を着た背の高い男性。中性的なその顔を、柔和に緩ませている。

「僕はセント・ビターポート駅の駅員、ウェイド・パーカーだ」

 事前に聞いていた名前と一致する。名乗る前に、俺は周囲を見渡した。さすがに発車の数時間前とあっては、プラットホームは閑散としている。それを確認してから、俺は自嘲気味に口の端を歪めてみせた。

「俺はヘンリー・フリードマン士長補佐だ、今はな」

「我が名はジャッカス・ウィロー。誇り高き王国魔法騎士団の団長で……」

「あ、内藤さん、とりあえず周りに人はいないんで、今は素で大丈夫です」

「え、あ、そう? はは、どうも、お二人さん」

 巌のような顔で気弱な微笑を作りながら、団長が頭をぺこぺこと下げていた。

「ははは、凄く様になっているよ、ナイトハルト。名前負けしてない感じが良いね」

 ウェイドことチョコは、漆島と同じことを言いながら笑った。

「それで、そちらはビンチさんでいいのかな」

 俺が視線を向けたのは、チョコの傍らに佇む妙齢の女性。肩口まで伸ばした黒髪に縁の広い深紅の帽子を載せ、同じ色の外套を身にまとっている。それはどこか上品さを感じさせる出で立ちだった。

「うむ。此度はオリヴィア・フェルディナンドという魔女の身体を借りた。現状の島にいる魔女の中では、相当の手練れのようじゃ」

 確かに、このフリードマンの視点から見ても、彼女の全身から何やらただならぬオーラのようなものを感じる。この身体が、潜在的な魔力を感じ取っているのかもしれない。

「戦力的には割と充実してますね」

 俺はビンチさんと内藤氏を見やりながら言った。魔法騎士が二人に、魔女が一人。よほどの強敵の魔物でも飛び出てこない限り、暴力沙汰なら何とかなるだろう。

 しかし、そこでオリヴィアことビンチさんが皮肉っぽく鼻で笑う。

「問題は、その戦力を向けるべき要素が何一つ分かっていないことじゃがな」

 俺は乾いた笑いを漏らした。その通りである。

「して、貴様の考えを聞かせてもらおうか」

 魔女の冷たい一瞥に、俺は頷きを返す。

「とりあえず、ビンチさんと内藤さんは俺と一緒に行動してください。やってもらいたいことがあります。あと、チョコにもかなり働いて貰わなきゃいけないと思う」

「はいはい、バリバリ働くよ。それで、何をするつもりなんだい?」

 俺はそこで、自身の計画を話した。すると、内藤さんは驚愕に口をあんぐりと開け、チョコは目を丸くし、ビンチさんは可笑しそうに笑い出した。

「くっくっく、なるほどな。確かに可能性を調べるという意味では、悪くない一手だ」

「ふへぇー、君もなかなかアバンギャルドなことを考えるねぇ、侑」

「そ、それはさすがにまずいんじゃないかな、北山くん。僕らは今、仮にも王国の騎士っていう立場だし……」

「関係ありませんよ」

 と、俺はぴしゃりと言ってのける。

「このフリードマンやウィロー団長がどうなろうと、俺たちの知ったことじゃないです。俺たちが最優先すべき目的は、シビルを無事にこの島から脱出させることです。そのためなら、なりふり構ってられませんよ」

「気に入ったぞ、北山」と、ビンチさんはにやりと笑う。「いや、侑。その考えならば、儂も乗ってやろう」

「……何だか、このウェイド君にはかなり面倒ごとが増えそうだなぁ」と、チョコは苦笑いだった。「まぁ、仕方ないか」

(ちょっと、北山。こっちの船の準備は出来てるわよ。いったい何を考えてるのか、そろそろ教えなさいよ)

 思考に入り込んできたのは、漆島の声だった。

(漆島か。船はどんな船だ?)

(どんなって、普通の貨物船よ。古くさい中型規模の木造帆船……じゃなくて、私にもちゃんと段取りを教え——)

(アトラ、シビルは今どこに居る?)

(はい、彼女は今、街の東区です。パン屋さんの角を曲がって、育て親のマイクロフトさんの家に向かってます。でも、北山さん? いったい何を——)

(よし、それじゃ、始めるか)

(ちょっと、北山? おーい——)

 二人の問いを無視して、俺は意識の回路を閉じる。目の前でチョコが苦笑していた。

「いいのかい?」

「いや」と俺は口の端を歪めて見せた。「だって、正直に言ったらあの二人は反対すると思って」

「まぁ、反社会的な計画と言っても過言じゃないしね」

 チョコはうんうんと頷いていた。その横でビンチさんがくつくつと笑い、内藤氏が沈痛そうなため息をついていた。


 ◆


 それから数十分後、俺と内藤さん、そしてビンチさんの三人は、海峡横断鉄道の鉄橋を歩いて渡っていた。本来であれば人が歩いて良い場所ではない。しかし、そこは駅員に扮するチョコの計らいで、何とかこっそり忍び込むことが出来た。

 港駅から十分に距離を置いた辺りで、我々は立ち止まる。周囲は見渡す限り海だけである。これだけ離れれば、街の方にも影響は無いだろう。

「よし、この辺りにしますか」

「本当にやるのかい、北山くん?」

 内藤さんが自信なさげに言う。そこでビンチさんが苛立たしげに鼻を鳴らした。

「視るに耐えんほどに矮小な肝じゃな、ナイトハルト。貴様のような男、生前ならば言葉を発する前に喰らうてやるのに」

「え、ははは、分かってますって。やりますよ」

 ビンチさんの物騒な言葉に、内藤氏はおどおどしながら何度も頷きを返していた。 俺は安心させるように口開く。

「大丈夫です。なんて言ったって、今の内藤さんは英雄の魔法騎士団長なんですよ」

「とにかく、やれるだけやってみるよ」

 内藤氏が怯えを押し込めるように頷いたのを確認して、俺もビンチさんを見やり、頷きを返す。やがてビンチさんが口を開いた。

「———では、始めるぞ」

 そして、俺たち三人は港駅を背に、足下から大陸側へ伸びる鉄橋の方に向けて、各々の杖を向けた。

「———〟睥睨する眼に告げる、安寧を終えよ〟」

 ビンチさん、いや———魔女、オリヴィアは涼やかな声で詠唱を始める。そこに、ウィロー団長の言葉が続いた。

「———〟心臓を捧げ、その炉に三度の火をくべよ〟」

 俺もまた、手に持つ杖の先端に意識を集中させ、詠唱する。

「———〟然る後に、常世は汝に命ずる〟」

「〟悪夢よ、贄に熱を灯せ〟」

 ビンチさんの託宣と同時に、我々三人は練り上げた魔力を一斉に事象に変化させる。瞬間、三つの杖の先端から眩い閃光が迸り、三人の詠唱が重なった。

「「「〟竜の見た悪夢(メギ ド メア)〟」」」

 ———轟音が世界を揺らした。

 目の前に業火の塊が現れたかと思うと、次の瞬間には猛烈な勢いで鉄橋に炸裂した。爆風と礫が我々を襲い、思わず俺は目を細める。

 やがて砂塵が吹き去った後には、我々の計画通りの惨状が広がっていた。

 鉄橋は完全に途中で崩壊し、その機能は強引に停止させられてしまっている。

「……なんとか、うまくいきましたね」と、俺は安堵の吐息を漏らす。「魔力を含む鋼材と聞いてたので、破壊できるか不安でしたけど」

「極大級の魔法が三人分じゃ」と、ビンチさんは感慨も無さそうに言う。「この女の知識から逆算しても、当然の帰結じゃろう」

 その傍らで、内藤氏は杖を構えたままの姿勢で小さく震えていた。

「す、凄い、本当に魔法が使えた」

 彼は自分の手と俺を交互に見やりながら、興奮気味に言う。

「北山くん、見たかい、僕、魔法が使えたよ!」

「ええ、見てましたよ。っていうか、俺も一緒でしたよ」

「凄い! もう一度、やってみたいな」

「俺はあの厨二病じみたフレーズの連打を人前でするのは二度とごめんです」

 計らずも俺の声は平坦になっていた。先ほど俺はフリードマンの記憶を辿りながら呪文を詠唱していたわけだが、声に出しながら赤面しそうになっていた。なんで魔法ってのは、いちいちこんな小っ恥ずかしい文言を口にしないとならないのだろう。

 と、そこで全身に虚脱感を覚える。背中がじんわりと汗ばんでいた。なるほど、これは予想通り、かなり疲れる。しかし、魔女オリヴィアとウィロー団長の表情に疲労の色はあまり見えなかった。その個体の経験値の差だろうか。

「さて——これで海峡横断鉄道は使えまい」

 ビンチさんが惨状を見渡しながら言った。

 そう、まさにそれこそが俺の計画である。これで、シビルが船を使わざるを得ない状況が生まれたわけだ。

「港駅の方でも騒ぎになっていることでしょうね」と、俺は来た方向に目を向ける。「フリードマンは姿くらましの魔法が使えるようです。これで静かに逃げましょう。捕まるわけにも行きませんし」

「そうか、僕らが鉄橋爆破の犯人だもんね」

 今更実感が湧いてきたのか、内藤氏が気弱に呟く。しかし、その横でビンチさんはカラカラと笑っていた。

「人間どもが困惑する様が目に浮かぶわ。懐かしいのう」

 その瞳は喜色と共に遠き日を回顧するように細められていた。

「……あの、ビンチさんは生前にこんなこともしてたんですか?」

 俺が恐る恐る聞くと、彼女は不敵な微笑を作った。文字通り、魔女の笑みである。

「うむ。かつてはよく、戯れに城を崩してみたり、森を焼き払ったりしていたものよ」

 物騒なドラゴンだった。そんな存在が今、熟練の魔女の身に宿っていることに軽い戦慄を覚える。この世界の住人たちにとっては、まさに悪夢だろう。

 若干引いている俺たちに気づき、ビンチさんは補足するように言った。

「儂とて、意図無くそんなことをしていたわけではないぞ。人間どもが儂への畏怖を忘れぬように、致し方なくしていた所業じゃ。連中は放っておけば信仰を簡単に忘れおるからな」

「でも、そんな恐れ多き竜が、どうして最後は人間の姿に?」

 俺はふとした疑問を訊いてみた。すると、よくぞ訊いたと言わんばかりに、ビンチさんは重々しく頷きを返す。

「晩年に人間からの貢ぎ物で食した甘味があまりに美味くての。末期の前にもう一度食してみたいと人の姿を模して街に降りたのじゃ」

 想像以上にくだらねー理由だった。

「はぁ、甘味ですか」

「うむ。あれは生命を幸福にするものじゃ」

「……」

「どうした、侑?」

「いえ、とりあえず、ドーナツでも食べに行きますか」

「それは甘味か?」

「まぁ、甘味の王者みたいなもんです」

「なんと、王者とな」

「ええ、俺の世界では吸血鬼の王とかも大好物にしてました」

「ほう、興味深い。では、さっさと此処からズラかるぞ」

 意気揚々と来た道を戻り始める竜の後に続いて、我々は現場から静かに立ち去ったのだった。


 ◆

 

 港駅前のカフェテラスで、我々三人の爆破犯はコーヒーを啜りながらドーナツを頬張っていた。ビンチさんは終始無言であったが、その瞳には満足げな至福の色が宿っている。本当に甘党のドラゴンらしい。

 そんな我々の目の前、駅の方は大混乱となっていた。鉄橋が崩壊したせいで、大陸から来る筈だった列車が足止めを喰らっている、とのことだった。そのせいで、駅前は正午の列車に乗る予定だった乗客でごった返していた。旅行鞄に腰掛けて途方に暮れる者、駅員に大声で苦情を叫ぶ者、公衆電話———どういう仕組みかは分からないが、どうやらこの世界には電話があるらしい———に殺到する者。その中に、必死で客の相手をするウェイド・パーカー駅員の姿もあった。

 心の片隅でそんなチョコに謝罪をしつつ、我々三人はコーヒーカップを片手に、目的の人物が現れるのを待っていた。

 そんな中で、思考に声が走る。

(ちょっと北山! 橋を爆破したのってアンタたちでしょ!? 何してくれてんのよ!)

 漆島の怒声に、俺は苦笑いを浮かべながら答える。

(これが一番手っ取り早いと思ったんだよ)

(それにしても、一言くらい私にも言っておきなさいよ!)

(だって、言ったらお前は絶対に反対するだろ)

(当たり前でしょ、こんな野蛮な方法なんて!)

 耳を塞ぎたい気分だったが、生憎、この会話は耳を塞いだところで妨げられるものではなかった。

 漆島きらは何というか、こういった部分で生真面目というか、つまりは優等生気質なのだ。俺は何とか宥めすかそうと、思考に言葉を走らせる。

(まぁ、事態は進展しちまってるんだ。後で謝るから、今は次の段階の話をしよう)

(——北山さん?)

 と、今度は妙に穏やかな声が俺の名を呼んだ。

(あー、アトラか)

(はい)

 返事をする彼女は落ち着いた調子だったが、それが逆に妙に怖かった。

(——死者が出なかったから良かったものの、次にこういった蛮行をする際は私にも一言、声をかけてくださいね)

(……)

(返事は?)

(……は、はい)

 聖女は完全に怒っていた。優等生が怒るくらいなのだから、そりゃ聖女ならもっと怒るに決まっている。当然だ。

(侑! 後で僕もちょっと文句言っていいかな!? それも割とヘヴィーなやつを!)

 そんなチョコの申し出が、阿鼻叫喚の人混みの中から届いた。俺はフリードマンの身体で、そちらに向かって思わず頭を下げていた。

(すまん)

 ううむ、どうやら三人の大顰蹙ひんしゅくを買ってしまったらしい。唯一、機嫌が麗しいのは目の前で七つ目のドーナツを頬張るドラゴン娘だけである。やれやれ。

 意識の向こうで、アトラがため息をつく気配が感じ取られる。

(とにかく、起こってしまったことは仕方ありません。まずはこの状況を最大限利用しましょう)

 アトラの言葉に俺は胸をなで下ろし、思考を切り替える。

(アトラ、シビルが今どこにいるか分かるか?)

(駅前に向かったところまでは目視してましたが、この人混みで見失ってしまいました。ただ、確実に駅の方に向かっていました)

(わかった、じゃ、この群衆のどこかにいるのは間違いないな。漆島、船の準備はどうなってる?)

(いつでも出航できるわよ。私のクルーたちも準備万端。ただ、さっきから列車に乗る予定だった連中が何人か乗せてくれって言ってきてるわ。どうすればいいの、これ?)

(全員断ってくれ、今からシビルを連れて行く。そしたら俺たち三人も乗せて出航だ)

(オーケー、早くしてよね。この人数をいちいち断っていくのも一苦労なんだから)

「あ、いた! いたよ、北山くん!」

 と、そこで現実のウィロー団長が声を上げた。また、団長口調を忘れていたが、そんなことに気を向ける余裕は無い。彼が指さした方向に目をやると、群衆の中で右往左往する、紺色のローブを纏った少女の姿があった。

 ——間違いない、シビル・カーペンターズである。

(目標を発見、今から動くぞ)

(了解、早くしてよね)

(成功を祈っています)

(何でもいいから早く終わらせてくれ、侑)

 三人の返事が届くよりも早く、俺は席を立つ。そしてウィロー団長と魔女オリヴィアに向けて口開いた。

「では団長、オリヴィアさん、先ほどの打ち合わせ通りに」

「うむ、承知した」

「分かったわ」

「あと、オリヴィアさん、口元をちゃんと拭いてからにしてください」

「あら、これは失礼」

(うるさいのぅ)

「——では、状況を開始します」

 ヘンリー・フリードマンの言葉と同時に、我々はカフェテラスを後にした。

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