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【101.01】ドラゴンクエストの主人公は何故喋らないのか

「作業に入る前に、ブリーフィングをしたい」

 椅子に着いて、すぐに俺はそう切り出した。目の前には浮遊する『望遠鏡』があり、俺の左隣に内藤氏が座った。そこから時計回りにチョコ、ビンチさん、アトラ、漆島、という席順だ。

 漆島が面倒くさそうに眉を寄せた。対して俺は苦笑を浮かべて頼み込む。

「効率的な作業の為さ。せっかく増員しても、俺らが役立たずだったら意味が無いだろ?」

 漆島はしばらく不服そうにしていたが、やがて大きく吐息をついた。個人的にはいけ好かない少女だけれど、公私をしっかりと切り分けられる部分には、俺は前々から好感を持っていた。

「オーケー、分かったわよ——復習も兼ねて、さっきの情報を補足するわ。これが今回の目的の人物情報よ」

 彼女が目の前の空間で指先を振るうと、望遠鏡に映像が現れる。それは先ほど紹介された、シビルという少女の映像だった。漆島は続ける。

「シビル・カーペンターズ、十六歳、女性。魔女見習い。両親は十年前の『とある事件』で既に死亡。以降は一時的に親族に預けられて、故郷の島、グレンシー島の魔法使い養成の女学校に通っていた。性格はこれまでの一〇〇回の試行から判別するに、明朗快活と言ってもいいわね。でも、友人は少なかったみたい」

「明るいのに、友人が少ない? ってことは何か性格に致命的な問題でもあるのか?」

「いえ——問題があるのは性格ではなくて、境遇、かな」と、漆島は曖昧に首を振ってみせる。「まぁ、そのあたりの詳細は現地で説明するわ。結構込み入った背景の子だし」

 煮え切らない回答だったが、ひとまず俺も思考を保留にしておく。俺は改めて次の問いを投げる。

「シビルが死ぬのは、いつも同じパターンか?」

「概ねそうですね」そう答えたのはアトラだ。「シビルさんの死は、そのすべてが鉄道事故に端を発するとものでした。ただ、死因は列車の爆発による焼死、瓦礫に押し潰された圧死、海に沈んでの溺死、割れたガラスで首を切っての失血死、と様々です」

「鉄道? 島から出るための移動手段だよな? 船じゃないのか?」

「ああ、海峡横断鉄道ってのがあるんだよ。僕も初めて見たんだけど」

 そう答えたのはチョコ。その聞き慣れぬ単語に、俺はさらに眉を寄せた。

「海峡横断鉄道?」

「そうそう、鉄橋が島から大陸までずっと伸びてるんだ。なんでも、魔力を宿した鋼材を使って作られているらしくて、嵐なんかじゃビクともしないんだって。水平線まで続く橋は、なかなか圧巻の光景だよ。まさにファンタジーさ」

 チョコに言葉で説明されても、にわかには想像できない情景だった。こればかりは実際に現地で見てみるしかあるまい。

 俺はさらに問いを投げかける。

「鉄道事故の原因は?」

 漆島がうんざりした様子で首を左右に振る。

「これも様々。橋が突然経年劣化で崩れたり、列車の機関部が爆発したり、鉄道の点検係のミスで車輪が外れたり。どれかを未然に防ごうとすると、新しい何かが原因で事故を起こすわ。もう、いたちごっこみたいなものよ」

「鉄道以外に、島を脱出する手段は無いのか?」

「船があります」これにはアトラが答える。「ただ、その使用回数はこれまでにゼロ回です」

「ゼロ回?」

 アトラはどこか不甲斐なさそうに眉を寄せて頷いた。

「ええ。何度も船での出立を促すようにしてみたんですが、そのどれもが失敗しました」

「失敗って、具体的には?」

「シビルが鉄道以外の手段を選んでくれないのよ」漆島が辟易した様子で言う。「たぶん、かかる日数のせいでしょうね。シビルは出立の五日後に、師となる大魔女と会う約束をしていたの。海峡横断鉄道でギリギリの日数だし、船だとその倍はかかるわ」

「出立を前にずらして、船に乗せることは出来なかったのか?」

「それも何度か試そうとしましたが」と、アトラが困ったように答えた。「シビルさんは出立の前日に女学校の卒業試験があるんです。それを受けないと『魔女』になれないみたいです」

「その『魔女』って肩書きが無いと、何か問題があるのか?」

「大ありだね」と、答えたのはチョコだ。「言うなれば、それは強制イベントなんだ。彼女が『世界を救う英雄』になるためには、まず最初に『魔女』にならないといけないらしい。一度、シビルに無理矢理試験をサボらせて船に乗せようとしたけど、試験終了時間になった瞬間に我々は強制的に作業から弾き出された。ゲームオーバーさ」

「……うーん」

 俺は自分の顎を右手で撫でながら呟いた。思考をまとめる時の俺の癖だ。頭の中のいくつかのセクションに保留中の考えを放り込んだ後で、俺は次の確認事項を口に出す。

「——一応確認だけど、別にその五日後の約束に間に合わなくても、シビルを王都まで届ければ、俺たちの仕事は終わりなんだよな?」

「それは」と、漆島は口を開いた後で僅かな沈黙を挟んだ。「——そうでしょうね。もしその日数が条件なら、たぶんシロは事前に告知していたと思うし」

 つまり、原則として脱出の手段も掛かる日数も問わない《、、、、、、、、、、、、、、、、》。その条件を把握することだけでも、我々にとっては非常に有意だ。

 だとすれば、強制的に彼女が鉄道以外の手段を選ばざるを得ない状況の構築から、まずは検分してみるべきだろう。

 ——第一、その手段で脱出出来るかどうかも、まだ未知数なのだ。

 そこで、最大の懸念事項が俺の脳裏をよぎった。

「しかし、魔女に魔法か。面倒だな」

 と、俺は頭を掻く。いくつかの世界で既に体験はしてきたが、そういった世界は実に厄介である。魔法や超能力などは、俺の生前の世界ではフィクション的な要素でしかない。つまり、まずはその理論——ルールのようなものを読み解く必要がある。

 そんな俺の懸念を表情から読み取ったのか、アトラが口を開いた。

「この世界の魔法と呼ばれる大系は、さほど複雑なものではないようです。『魔力』と呼ばれる力を、『術式』と呼ばれる技術で加工して、様々な事象を引き起こすこと。その大系を、この世界では『魔法』と呼んでいるようです」

「魔力と術……つまり、ドラゴンクエストみたいな感じかな」

 と、内藤さんがぽつりと呟いた。俺以外の全員が首を傾げる中、内藤さんはどこか恥ずかしそうに押し黙る。だが、その単語が俺にとある閃きを与えた。

「その魔法ってのは瞬間的なものだけか、それとも、永続するような類いもあるのか?」

 そんな俺の問いにアトラと漆島は言い淀む。まるで、その質問の意味するところが掴みかねるといったように。

「いい質問だ、侑」そこで答えたのはチョコである。「答えは両方ともイエスだよ。瞬間的な魔法、そして持続する魔法、その両方がこの世界には存在する。ただし、後者はかなり難しい。その多くは一部の大魔法使いしか使えないとされているようだ」

「大魔法使い?」

「うん、そう。魔法が持続する、ということは、その魔法を常にかけ続ける、ってことになるんだ。術をフルオートで実行する手段は極めて珍しいのさ」

 と、そこでチョコは指を一本立てて、講釈を始める。

「この世界の魔法について理解するには、放水器の喩えがわかりやすいだろうね。水が『魔力』、それを放水するポンプが『術式』、そしてそれにより生まれる水圧が『魔法』だ。水が多ければ水圧も長く継続できるだろうし、ポンプの性能が高ければより強力な水圧を生むことが出来る」

 そのチョコの喩えはかなりわかりやすかった。放水させ続けるには水を供給し続けなくてはならないし、そのためのポンプも動かし続けなくてはならない。俺はそこで疑問を投げかける。

「そのポンプ、つまり『術式』ってのは人間しか使えないのか。ええと、これはつまり、人間の意志が介入し続けなくてはならないのか、って意味だけど」

「基本的にはそうだね。でも、この世界には『魔法機械アーティファクト』というものもあるようだ。魔力を注入すれば特定の魔法を発現させてくれる道具だよ。これは魔力源さえ確保できればフルオートでも魔法を発現させられる。要するに『術式』を省略できるわけだね」

「なるほど、理解した」と、俺はそこで指を一本立てた。「最後にひとつ、魔力を生み出せるものは人間だけか?」

「厳密には『生命を持つもの』だけだ。この世界の『魔力』というのは『生命』と密接に関係している。生命が消えれば魔力も消える。魔力が枯渇していくと生命力も弱くなる。体力とか、スタミナと同じだよ」

 チョコが補足する。

「まぁ、そのあたりは実際に現地に行って体験してみれば分かるさ。魔法発現の長期的持続ってのが、いかに並の魔法使いには難しいか、ってことがね」

「——ふん、なるほどの」

 チョコの話を聞きながら沈思黙考する俺の姿を見て、鼻を鳴らす者があった。

「しかして、人間風情にしては悪くない着眼点じゃ」と、突然口を開いたのはビンチさんである。「つまり——『呪い』を疑っておるわけか」

 彼女は椅子の上にその小さな脚で胡座を組み、肘掛けに腕を立てて頬杖をついていた。その表情に浮かんでいるのは、どことなく挑戦的な笑み。

「儂の生前の世界にもあったぞい。憎き相手を苦しめ続ける外法——あれは生半可で抗えるものではない。『永続する魔法』というものがあるとすれば、まさにそれは『呪い』じゃ」

 俺は彼女の瞳を見つめ返し、ゆっくりと無言で頷いた。

 それは内藤さんが口にした『ドラゴンクエスト』という単語で閃いた要素だ。魔法とは少し異なる要素、条件を満たさなければ永続する状態異常、すなわち『呪い』。

 四人がかりで一〇〇回も世界に干渉しているというのに、一度もその少女を救出することが出来ていない異常な状況。それはつまり、シビル・カーペンターズに永続的な何らかの魔法、『呪い』がかけられているからではないか。それが俺の頭に浮かんだことだった。先ほどのチョコの話を踏まえて考えると、誰かが『シビルを殺し続ける』という『術式』を構築し、その誰かが『魔力』を供給しつづけている、ということになるのだろう。

 そこまで思考したところで、俺は両手で太腿を叩いた。

「———よし、とりあえず一度やってみよう」

 漆島が胡乱な顔で俺を睨んでくる。

「何か考えがあるの?」

「考えというほどのものではないけど、とりあえず現地で確認したいこともある。論より証拠さ」

「何それ?」

「あ。俺たちの世界の言い回しだよ」

「『猫じゃらしより猫』みたいなもの?」

「そうそう……いや、何? 猫じゃらし?」

「くくく」

 と、含み笑いのようなものが俺と漆島の会話を遮る。ビンチさんが愉悦に目を細めて俺に視線を向けていた。

「まずはお手並み拝見じゃな、退屈はさせてくれるなよ」

「お手柔らかに頼みますよ、ビンチさん」

「北山さん」声を掛けたのはアトラだ。「では、時点は何処から始めますか?」

「ええと、干渉可能なのは何処からなんだ?」

「シロさんが定義したのは『シビルさんが英雄となる可能性を獲得した時点』、具体的には旅立ちの三年前からのようです」

 なかなかに範囲が広くて、ため息が出そうになった。しかし、管理者のシロがそう定めたというのならば、その期間中にこの事象の原因となる『何か』があると特定できているのだろう。彼女が言うところの『計画表』の綻び、それがこの三年間というわけだ。

「そうだな、とりあえずはシビルの旅立ちの日にしよう」

 まずは何より、彼女に死を引き起こす『何か』の切れ端を探さねばならない、俺はそう考えた。そのためにはまず、彼女の死そのものを観察する必要がある。

「分かりました。では、まずはその時点で実在するグレンシー島内の人物のリストを展開します」

 アトラの言葉に続いて、目の前にずらりと名前の一覧が広がった。俺は自分の思考の中で、検索条件を思い浮かべる。その中で条件に適合する人物の中から、なるべく身体能力の高そうな人物を選出した。

「えと、あの、これは何なんだい?」

 俺の隣で内藤さんがあたふたしていた。

「大丈夫です、内藤さん。最初は俺がナビゲートします。そうですね、内藤さんの場合は……そうですね、まずはこの『ジャッカス・ウィロー』という人物を選んでみてください。年齢的にも職業的にも、最初は違和感が無いでしょう」

「え、選ぶ?」

「頭の中で念じるだけで大丈夫ですよ」

「北山くん、これから僕らは何をしようとしているんだ?」

 心配そうに言う内藤氏に、俺はにっこりと微笑みかけた。

「これから俺たちは、このシビルという少女のいる世界に向かいます」

「え?」

「その世界に実在している人物に成り代わり、シビルが死なないように世界に干渉するんです——ロールプレイングゲームですよ」

「ロ、ロープレ?」

「そう、まさにドラゴンクエストと同じです。あれはプレイヤーが勇者の役になりきるゲームですよね」

「ちょ、ちょっと待ってよ、まだ意味が……」

「さぁ、諸君。準備はいいかい?」

 内藤さんの訴えを遮るようにして、チョコが快活に言い放つ。それに連動するかのように、目の前の『望遠鏡』が淡い光を放ちながら回転を始めた。

 俺はそこで隣の漆島に、とあることを耳打ちする。案の定、彼女は一瞬億劫そうに顔をしかめたが、結果的には俺の願いを了承してくれた。

 チョコが一同を見渡して、続ける。

「さて、一〇一回目のロールプレイだ。介入先はシビル出立の当日。キャラクターセレクトが済んでない人は急いでくれ」

「アトラビアンカ、準備完了です」

「漆島、オーケー」

「儂はいつでも構わん」

「北山、オーケーだ」

「ええと、僕は……」

「内藤さん、とりあえず瞳を閉じて『オーケー』と言ってください」

「お、オーケーです」

 全員の認証の後、望遠鏡の回転が増し、それが放つ青白い輝きが俺たちを呑み込み始める。やがて、チョコが鍵となる言葉を紡いだ。

「それじゃ、行くよ———干渉開始だ」

 途端、全身を浮遊感が包む。隣で内藤さんが驚いたような声を上げた気がした。俺は瞳を閉じ、その感覚に身を任せる。

 それは、自分の意識がいくつかの断片に分かれていくような、奇妙な感覚。

 それぞれの欠片には間違いなく俺がいる。

 それらは礫となって虚空を猛スピードで駆け抜け、やがて白く輝く輪っかのようなものを通り抜けた。

 それがきっかけだったかのように、次第にバラバラになっていたたちが結合を始める。

 世界が新しい俺を構築していく。

 それが一定の塊になると、途端にまた浮遊感が全身を包んだ。

 物理的な身体の感覚。

 浮遊感はやがて重力に絡め取られ、まず最初に両足が地面を認識する。それは上半身へと伝わり、脳天を突き抜けていく。

 皮膚に温度を感じ、俺は瞼を開けた。

 ———どこまでも広がる、青い空が見えた。

 視線を下ろすと、そこに広がったのは同じく真っ青な大海。海風が頬を撫で、潮の香りが鼻孔を擽った。

「———北山、ロールプレイ完了。状況を開始する」

 自分ではない、精悍な青年の口で、俺はそう呟いた。



 ヘンリー・フリードマン、二十七歳。

 王国の魔法騎士団に所属し、若くして士長補佐の地位にあるエリート中のエリート。剣術や体術の能力はもちろん、魔法の実力も折り紙付き。

 それが今回、俺がロールプレイする人物だった。彼の身体のコントロールを得ると同時に、彼がこれまで歩んできた二十七年分の記憶が俺に同期される。彼の人間関係はもちろん、性格やちょっとした癖まで、俺は即座に把握する。これは天文台にある『望遠鏡』が自動でやってくれる機能だ。これが出来ないと、俺たちはスムーズにその人物に成り切ることが出来ない。

 今現在の彼———いや、俺がいるのは、海が見える高台の上のようだった。鐘の音に振り返ると、背後には石灰で作られたような白い教会が聳え立っており、神父らしき人物が見送りするようにそこで会釈をしていた。俺は直前の記憶を引っ張り出し、にこやかに彼に向かって手を振った。

「では、リーヴス神父。教典の原本は後ほど郵便でお送りいたしますね」

「ええ。お待ちしておりますよ、フリードマン士長。神のご加護があらんことを」

 俺は神父に別れを告げ、高台から街へと降りる石段を歩み始める。どうやらこのフリードマン士長は公務で、この教会の教典を一時的に預かるためにこの島に来訪したらしい。

 歩きながら、俺は彼の記憶からこの世界の成り立ちや情勢、文化や特性を把握する。そして最も気になっていた『魔法』というものについても。

 何となく右手を開いて、そこに意識を集中させてみた。すると、今まで北山侑としては感じたことの無い、妙な熱量と唸りのようなものを感じた。なるほど、魔法が使える、というのはこういう感覚か。

「……確かに、これは疲れそうだな」

 独り言が俺の口からこぼれる。

 チョコも言っていたが、この魔力というのは体力に似ている気がした。一〇メートル程度を走るのならばそれほど大変ではないが、フルマラソンを全力疾走するのはかなり難しい。

 俺は意識を集中させ、思考の中のとある回路を開く。

(———こちら北山、全員いるか)

(はい、こちらアトラ。ロールプレイ完了しています)

(何当たり前のこと訊いてんのよ)

(チョコもいるよ。今回は駅員さんだ)

(儂は乗客の魔法使いじゃ)

 意識の中に四つの声が飛び込んで来る。続いて、戸惑うような男性の声が脳裏に響いた。

(え、え? どうなってるんだい、これは……)

(内藤さん、落ち着いてください。これは俗に言うテレパシーみたいなものです。俺たちはこうやってロールプレイ中に意思疎通が出来るんです)

(テレパシー? ロールプレイ?)

 内藤氏が一人であたふたと困惑している様が目に浮かぶようだ。俺は落ち着かせるように、ゆっくりと告げる。

(内藤さん、もう既に自分が別の人間になっているのは理解できていると思います。そしてその人物の記憶も、あなたに同期されている筈です。その人物の名前と年齢、分かりますよね)

(あ、ああ。ええと、僕はジャッカス・ウィロー、年は四十五歳だ……凄い、僕の中に、まるで別人がいるみたいだ)

 正確には、そのジャッカスという人物の中に内藤さんがいるわけだが。

(俺はヘンリー・フリードマンという人物になっています。記憶にあると思いますが、俺はこの世界において内藤さんの部下ということになっています)

(ほ、本当だ。フリードマン士長、確かに僕の記憶にもあるよ……え、あ、僕が、団長?)

(そうです、ウィロー団長。あなたは百戦錬磨の英雄、泣く子も黙る王国魔法騎士団の団長です)


 ◆


 かつて世界を暴れ回った『ジャメヴラグナ』という竜が、英雄グレンシーによって打ち倒され、その身体がやがて島になった。それが此処、グレンシー島に伝わる伝説である。

 まだ朝の九時を回った頃だというのに、セント・ビターポート港駅の前は、多くの人々でごった返していた。聞き慣れぬ言語(というのは、このフリードマンが聞き慣れていない、という意味だ)が飛び交うあたり、その殆どが観光客のようだった。この島の竜の伝説というのはかなりの観光資源になっているらしい。

 そんな中、駅前の噴水広場に腰掛けて、仏頂面で大衆を睨めつけてい鎧姿の男がいた。その顔には幾本もの古傷が刻まれ、その体躯は歴戦を物語るかのように筋骨隆々としている。

 俺はそんな彼に近づき、傍らに腰掛けた。男は俺を一瞥し、状況を理解する為の沈黙を挟んでから、口開いた。

「えっと、北山、くん?」

 その強面から発せられたとは思えないほど、あまりに弱々しい声だった。俺は呆れて首を左右に振った。

「今の私はヘンリー・フリードマンですよ、ウィロー団長」

「あ、そうだったね」

「もっと堂々と喋らなきゃ駄目ですよ、団長。周りにこの人物の顔見知りがいると怪しまれます。本来の彼の仕草とか性格とかも、ちゃんと把握出来てるでしょう?」

「う、うん」

「ほら、そういうとこです。練習しましょう、ほら」

「あ———うむ、承知した」

 彼、内藤氏ことウィロー団長は咳払いを一つ挟んでから、口を開いた。

「それでは、この状況について説明したまえ、フリードマン」

 と、彼は老練の兵士らしく重々しい口調で言う。案外やれば出来るじゃないか、内藤さん。

「既に理解している通り、我々、『転生候補者』はこうして『この世界の人間』に成り切ることによって、今回のような『運命のエラー』を修正します。これを我々はロールプレイと呼んでいます」

「ロールプレイ、ううむ」と、ウィロー団長は気難しげに唸る。「詳細を説明してくれないか?」

「ロールプレイは基本的には全員同時に行います。そして、一度ロールプレイをスタートしたら、途中で別の異なる人物をロールプレイすることは出来ません。一プレイ、一キャラクターのみです」

「なるほど、言うなればアーケードゲームと同じ、というわけだな」

「その通りです」

「つまり、ゲームオーバーというものもあるのかね?」

 俺はそこで指を一本立てて見せる。

「ええ、まさにそこもゲームと同じです。ロールプレイをしている人物の死亡。その時点でプレイヤー、つまり転生候補者はあの部屋に戻されます」

 ウィロー団長が押し黙る。その心中を察して、俺は補足した。

「ただし、我々はこの人物の身体の感覚を任意でオンオフが出来ます。なので、激痛に苦しんだりすることはありません」

「……ふむ、そうなのか」

(よかったぁ)

 口調こそ板に付き始めたものの、心の声がダダ漏れだった。

「そしてもう一つ」と、俺は二本目の指を立てる。「こちらは厳密にはゲームオーバーとは違いますが、任意のタイミングでのログアウトです。要するに、個人の裁量でいつでも自由にロールプレイを辞めて、あの部屋に戻ることができます。ただし、一度ログアウトすると同一状況へのログインは出来ません。ログイン中の転生候補者とのチャットも出来ません。オンラインゲームでマッチを途中で放棄したプレイヤーが、同じマッチに参戦できないのと同じです」

「なるほど、実にわかりやすい例えだ」

 ウィロー団長は重々しく頷く。周囲の雑踏のせいで、我々は端から見れば仕事の会話をする上司と部下のようにしか見えないだろう。

「あ、そうだ。本件に関しては、シビルが死亡してもゲームオーバーですね」

 そんな補足をしたところで、意識内に滑り込んで来る声があった。

(こちら漆島。北山、あんた今、何処にいる?)

(港駅前の噴水広場だ。こっちに来れるか)

(今、東側の花屋の前からそっちに向かって歩いてる。手を上げるわ。ブルネットの女性よ)

 視線を向けると、確かにその方向からこちらに歩いてくる女性の姿があった。手を上げて、視線だけで周囲を睥睨している。俺もまた、そこで手を上げた。

 頭にバンダナを巻き、ブルネットの豊かな髪を後頭部から背中に流した、長身の女性だった。肌は健康的な小麦色に染まっており、その身なりは見るからに船乗りといった風貌だ。

「初めまして」

 と、その女性は我々の元にやってくると、快活に笑って見せる。

「アタシはベラ。船乗りのベラドンナ・ツイストだ」

「私は王国の魔法騎士団士長補佐、ヘンリー・フリードマンです。そしてこっちが——」

「団長のジャッカス・ウィローだ。今回は宜しく頼む」

 さながら、現地の人間に仕事の手助けを依頼する騎士二人の構図である。

 しかし、俺は目の前のベラドンナを見ながら、内心では笑いを噛み殺してした。

(今回はまた随分と活発そうな人物になったな、漆島)

(うるさいわね。あんたが直前に『今回は船乗りになれ』って言ったからでしょ。女の船乗りなんて、この人くらいしかいなかったのよ)

(別に女じゃなくても良かっただろうに)

(私が良くないのよ)

 と、そこで彼女はウィロー団長を一瞥する。

(あんたは——今の姿の方が、名前負けしてない感じがするわね、ナイトハルト)

(あはは、恐縮です)

 そんな会話とは裏腹に、現実のウィロー団長は厳格な面構えで腕組みをしていた。そのちぐはぐさが妙に滑稽である。

(そういえば、アトラは?)

 俺の問いかけに応じるように、頭上から鳥のさえずりのような音が聞こえた。

(ここですよ、北山さんたちの頭上です)

 空を見上げると、そこには一羽の雲雀が旋回していた。

(私は雲雀を選びました。これなら、シビルさんの現在地などを皆さんに連携できるかと思って)

 なるほど、それは非常に助かる。我々の世界介入で一番厄介なのは、視点を一つしか持てないことだ。対象の人物がどこにいるか分かるだけでも、作業の効率は大きく上がる。

(分かった。じゃ、シビルの監視を宜しく頼む)

(ええ、任せてください。それじゃ、早速行ってきますね)

 一際大きくピィという鳴き声を発した後で、その雲雀はまっすぐに蒼穹を駆けていった。

 ウィロー団長もその様子を見上げながら、感心したように頷いていた。

(へぇ、僕らは人間以外にもなれるんだね)

(ええ。生命を持つ存在なら何にだってなれます。鳥をロールプレイすれば空も飛べますし、美人な奥さんのいる男をロールプレイすれば、ささやかな夜の幸福も味わえます)

 冗談めかして俺が答えると、すぐさま漆島が冷徹に吐き捨てる。

(家畜の豚をロールプレイすれば、屠殺から精肉までの過程を実体験できるわよ。私のおすすめ)

 目の前で団長の眉がぴくりと動いた。笑えない冗句である。そこで内藤氏が何かを思いついたかのように問うた。

(ええと、それじゃ、あのシビルという子をロールプレイすることは出来ないのかい? それなら話が早いと思うんだけど)

(ナイトハルトさん、いい着眼点ですね)

 と、空を駆けていったアトラが答える。

(確かにその通りなんですが、残念ながらあの大視聴覚室からシビル・カーペンターズをロールプレイすることは出来ません。私たちは『運命のエラー』を修正するために此処に来ていますので、シビルさんに直接介入してしまうと、『本来の運命』がねじ曲がってしまうんです)

(はぁ、ままならないものなんだね)

 団長が重苦しく唸っていた。

(はいはーい、みんな聞いてくれるかな?)

 と、そこでチョコの声が意識に乱入してくる。

(情報共有だよ。今日、シビルが乗る予定の列車は正午の出発になってる。タイムリミットはそこまでだ。それまでに、彼女の生存ルートを模索しなくちゃいけない)

 つまり、時間としては三時間程度、というわけか。

 チョコが続ける。

(とりあえず、僕はビンチちゃんと一緒に駅と列車、あと線路のチェックをしようと思うけど)

(いや、それはしなくていい)

 と、俺は答える。目の前の船乗りベラが俺を胡乱に睨んだ。

(どういう意味?)

(今回はシビルに列車は使わせない)

(……何か考えがあるの?)

(まぁな。そのために、漆島には船乗りになって貰ったんだ。とりあえず、おまえは船の準備をしておいてくれ。アトラ、シビルの現在地は?)

(先ほど自宅の寮を出て、今は町外れの丘の上にいます)

(分かった。チョコ、ビンチさん、今から俺と内藤さんがそっちに行きます。鎧っぽい法衣を来た男二人です)

(こっちは駅員の制服を着たのっぽの男性、ビンチちゃんは赤い外套を着た貴婦人風の魔女だ。それじゃ、駅のホームで待ってるよ)

(くくく、何を考えておるかは分からんが)

 と、そこでビンチさんの含み笑いのようなものが聞こえてきた。

(北山、貴様のその考えとやらは建設的なものなんじゃろうな?)

 その問いを受けて、フリードマン士長の口から、思わず自嘲的な笑みがこぼれてしまった。

(いえ、どちらかと言うと逆ですね)

「——破壊的な考え、と言うのが正確かもしれませんから」

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