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【100.75】聖女と毒舌と変態と竜、そしてナイトハルト

 大視聴覚室は、学校の教室くらいの大きさはある円筒形の部屋だった。これまで俺が使ってきた一人用、二人用の部屋よりもずっと広い。壁や天井、床は同じようにすべて白亜に覆われ、部屋の中央には地球を模したような球体——『望遠鏡』が浮かんでいる。そしてその望遠鏡も、普段、俺が一人で使っているものよりも五倍ほど大きかった。それを取り囲むようにして、六つの背もたれ付きの椅子が並んでいる。

 その椅子には、既に四人の人影が腰掛けていた。加えて珍しいことに、そのうちの二人は既に俺と面識のある人物だった。

「アトラ、それに……ええと、漆島うるしまもこの担当か」

 俺の呼びかけに応じて、その二人は正面の巨大な望遠鏡から俺に視線を移す。一方は表情を明るくし、一方は胡乱に眉を寄せていた。

「あ、北山さん。お久しぶりですね」

 愛想よく挨拶をしてくれたのは、金色の髪を肩口で切り揃えた美しい女性だ。白いローブのような裾の長い服を着ているせいで、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。

 彼女、アトラビアンカとはこれまでに何度も仕事をしたことがあった。

 彼女の生前についてはあまり詳しくは聞いてはいない。しかし、どうやら俺と異なる世界の出身で『聖女』と呼ばれる職業だった、とだけ断片的に聞いている。それが具体的にどんな職業だったのかは知る由も無いが、その肩書に相応しく、物腰穏やかで理知的な女性である。

 俺は右手を軽く挙げて挨拶を返す。

「名前を覚えていてくれて嬉しいよ」

「私も、またご一緒に仕事が出来て嬉しいです」

 そう言って彼女は天使のような微笑みを返してくれる。

「……ああ、そうだ、北山だ、北山侑」

 アトラの傍らで思い出したように手をぽんと叩いたのは、先程から目を細めて俺を睨めつけていた少女だ。長く真っ直ぐな黒髪と黒い瞳、そして胸元や袖口に鎖の装飾が付いた、どこかコスプレっぽいセーラー服を身に纏っている。以前聞いた話によると、これが彼女の生前の学校の制服らしい。

 俺は呆れながら言う。

「忘れてたのか、俺の名前」

「あんただって最初に私の名前を言い淀んでたじゃない」

 そう言って彼女——漆島きら、は顔をしかめる。

 彼女と一緒に仕事をしたのは、たしか二回程度。頭の回転が早く機知に長けた少女だが、いささか言葉に棘を含む傾向があったことを覚えている。

 そんな漆島は、俺を見てあざ笑うかのように首を竦めてみせた。

「だいたい、此処に来てから何人もの候補者と入れ替わりで仕事をしてきたんだから、いちいち影の薄い奴の名前なんて覚えてられないわよ」

 む、影の薄い奴、とはなかなか失礼な奴だ。お返しとばかりに、俺はへの字に曲げた口を開いた。

「俺たちの名前は割と互いの記憶に残りやすいと思うんだが。実際に俺は覚えていたわけだし」

 漆島きら、という和名のおかげで、俺は彼女を辛うじて覚えていた。この『天文台』で、こういった名前の人間と出会うのは珍しい。それは漆島だって同じ筈だ。

 彼女はそんな俺をじとりと睨みつける。

「……何が言いたいわけ?」

「いや、別に。同一条件で成果に優劣が出たら、端末の性能を疑うべきだ、という当たり前の理屈だけど」

「別に、とか言いつつ、さり気なく反論してくるあたりが女々しいわね」

「何だよ」

「何よ」

 俺と彼女の間に、静電気のような寒々しい火花が散る。

「まあ、まあ」と、そこでアトラが穏便に割って入る。「初めてお会いする方々もいらっしゃいますし、まずはご挨拶が先では?」

 聖女に諌められては言葉を呑み込むしかないだろう。俺と漆島は同時に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 アトラの視線は俺の傍ら、内藤さんに注がれている。

「初めまして、私はアトラビアンカ。アトラと呼ばれています」

「あ、ええと、自分は、内藤晴人、です」

 彼の方が年長である筈なのに、明らかに内藤氏は気後れした調子だった。対してアトラは穏やかに微笑む。

「ナイトハルトさん、ですか。立派なお名前ですね」

「……」

 なるほど、そういう聞き間違いもあり得るか。

「はぁ、どうも、はは。宜しく、アトラさん」

 一方で内藤氏はアトラの笑顔の前で口元を緩めながら、照れくさそうに頭を掻いている。本人に訂正するつもりが無いのであれば、俺からは何も言うまい。元コンビニ店員のナイトハルトが誕生した瞬間だった。

「ふぅん、ナイトハルト——名前の割には冴えないおっさんね」

 漆島が例のごとく辛辣に言う。歯に衣着せぬと言えば聞こえはいいが、彼女の場合、露わにしているのは歯ではなく舌だ、毒入りの。

「はぁ、あの、どうも、すみません」

 下手をしたら父娘ほども年が離れていそうだが、高圧的な漆島を前に、内藤さんは完全に萎縮してしまっている。そんな怯える彼を見て、漆島はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「まぁ、いいわ。私は漆島きら。ちなみに今の点数は五〇〇〇万点」

「いや、今、点数言う必要あったか」

 俺は思わず顔をしかめて口を挟んだ。

「ちなみに、って言ったわよ。補足情報よ」

「ああ、私は性格が悪いです、という補足か。親切な奴だな」

「僻みね、二万点の北山侑」

「僻んでねえよ、ていうか、なんで知ってんだよ」

「あら、当たっちゃった」

 俺は押し黙る。反論を即座に返せなかった時点で俺の負けである。畜生。

 再び険悪になった我々二人の空気を、またもやアトラが清涼な声で諌める。

「北山さんも、あちらのお二人とは初めてですよね」

 アトラが視線で示した先には、二人の人影がある。

 一人は栗色の髪をショートカットにした、どこかボーイッシュな雰囲気の女性だった。二〇代前半だろうか。女性的な曲線を描く肢体の上に、まるで第一次大戦の兵隊のような緑色の軍服を身に纏っている。しかし、そんな装いとは裏腹に、その瞳にはまるで少女のような爛漫とした輝きが宿っていた。

「やあ、初めましてだね」と、彼女は気さくな調子で話しかけてきた。「僕はショコラティエ・ストラトラトラスキーだ」

 そんな舌を噛みそうな名前よりも、まず何より一人称が「僕」であることに俺はささやかに驚いた。いや、もしかしたら彼女の生前の世界ではそれが当たり前なのかもしれない。

 彼女は柔らかく笑みを浮かべながら、俺と内藤氏の手を握った。軍人のような身なりに反して、その手は柔らかく滑らかだった。

「よろしく、北山くん、ナイトハルトくん」

「ああ、よろしく。ええと、ストラトラ……」

「チョコと呼んでよ、みんなそう呼ぶしね。その名前は僕でもたまに噛んでしまうくらいだ」

 彼女——ショコラティエことチョコは、そう言って右目を瞑ってみせる。社交的な性格のようである。漆島のように性格が破綻していなくて本当に良かった。

「ところで」と、チョコは突然真剣な表情で訊ねてきた。「二人は見た目は男性のようだけど、それは間違い無いかな?」

 俺と内藤氏は顔を見合わせ、その後で胡乱な顔のままこくりと頷きを返す。それはどういう意味、いや、どういう意図の質問だろう。

「そうか、うんうん、やっぱりね」

 チョコは満足そうに頷いたかと思うと、おもむろに軍服のボタンを外し始める。呆気に取られる俺たちの眼の前で、チョコは上半身に纏っていた服を脱ぎ去った。下着に隠された豊満な胸が、我々の眼の前で重力の悪戯に揺れた。というか、弾んだ。

「「な」」

 何をやってるんだ、という我々二人の言葉は、彼女の得意げな満面の笑みで打ち消される。

「——さぁ、どう思う?」

 屈託のない、自信に満ち満ちた顔だった。一方で、突然の意味不明な行動に俺は表情を凍りつかせる。困惑しながら問い返した。

「な、何が、でしょうか?」

「僕の肉体さ、男性諸君の率直な意見を聞かせてくれ。どうだい、性的な興奮を覚えないかな?」

 ——何を言っているんだ、この女は。

 チョコは自分の両手で胸の双丘を揉みしだきながら、恍惚と語る。

「これは僕が生前に磨き抜いた自慢の肉体なんだ。残念ながら、僕は実戦で使う前に他界してしまってね」

「実戦ですか」

 内藤氏がその単語を復唱しながら、ごくりと生唾を飲み込む。その様子を楽しそうに眺めながら、チョコは続けようとする。

「ああ、実戦というのはね、つまりは男性との——」

「あ、その先は言わなくて結構です」

 俺は無表情のままぴしゃりと言い切った。

 前言撤回である。

 彼女は漆島とはまた別のベクトルで人格に破綻を来しているようだ。これが今回の同僚とは、先行きが不安で仕方ない。

 俺は暗澹たる気分で口開いた。

「あのですね、チョコさん」

「さんはいらない、チョコでいい。あと敬語は不要だよ」

「はあ、それじゃ、チョコ」鼻白みながらも俺は言う。「知ってるだろうけど、君がどれほど魅力的だろうと俺たちは君に欲情はできないよ」

 それは決して、チョコに女性的な魅力が無いという意味では無かった。俺たちは生命維持のために食べる必要も、眠る必要も、そして種の遺伝子を残す必要も無いのだ。つまりは、生命が本来持つべき三大欲求が備わっていないのである。まぁ、そもそも生きていないのだから、当然といえば当然なのだけれど。

 俺の言葉に、チョコはせせら笑うように首を振った。彼女が何か仕草を見せるたびに、その豊満な胸が波打つ。

「そんなことは僕だって知ってるさ。しかし、魂に刻まれた習慣というものには抗えないだろう。事実、ナイトハルトくんの鼻の下はこんなにも伸び切ってるじゃないか」

 言われてはっとした内藤氏は、顔を逸らして取り繕った。

「し、失礼しました」

「あはは、何が失礼なものか。僕にとっては最高の反応だよ」とチョコは満足げである。「僕の肉体が、種の本能をも凌駕して男性を魅了できたことの証明さ」

 いや、それは生前に獲得した形質によるただの条件反射に過ぎないのだが。しかし、俺は余計なことは言わずに黙しておいた。

「——して」

 と、唐突に幼い声が響く。椅子に腰掛けていた最後の人物がこちらに視線を向けていた。

「そろそろ儂も口を開いて良いのかの」

 大人びた口調でそんなことを言うのは、どう見ても小学生低学年くらいにしか見えない少女だ。

 まるで炎のように真っ赤な髪が、床に接するほど長く無作為に伸ばされている。その瞳もまた、深い紅を宿していた。身に纏っているのは、所々に宝珠や羽飾りなどが施された、どことなくオリエンタルな衣装である。

 彼女は椅子から跳ね下りて床に着地すると、その華奢な腕を胸の前で尊大に組んだ。そして俺と内藤氏をしげしげと見やる。

「これまた、珍妙な格好をした奴らじゃの」

 少女は見下すような視線を向けるが、背格好のせいで我々を見上げるような姿勢になってしまっている。それが少しだけ滑稽だった。

「それが貴様らの世界の服装か」

 少女のそんな問いに、俺は曖昧に頷く。

「まぁ、深夜の地方都市なんかじゃよく見かける組み合わせだと思うよ」

 何せ、上下ジャージ姿とコンビニの制服姿である。自嘲気味に口元を歪めてみせる俺に、その少女はさして興味も無さそうに「ふぅん」と鼻を鳴らしていた。見た目にそぐわない、随分と大人びた仕草に見えた。

「北山とナイトハルトとか言ったかの」

「ああ」

「はい」

 ……あ、内藤さん、やっぱりナイトハルトで通すんだ。

「儂は大陸を統べる最古の血脈にして龍洗山脈の竜族の主、ビンチ・ベオ・ベルルガである。拝謁に感銘するが良い」

 少女はさながら、王のような大仰な口振りで名乗る。しかし、彼女の口にした聞き慣れぬ地名は、次々と俺の耳を素通りしていった。かろうじて耳に残った一単語を、俺の口が繰り返す。

「——竜?」

「いかにも。齢にして六〇〇を越える星霜、大陸の人間どもの尊崇に応え歴史を見守っておったが、此度、天寿を全うして此処に至った」

 そう言って、彼女——ビンチは自らの体躯を見下ろし、どこか自嘲的に笑みを浮かべた。

「ふむ、この姿では説得力が無いのも頷ける話じゃ」

 彼女の外見は、どう見ても小学生が学芸会の衣装を着ているようにしか見えない。しかし、その瞳には子供とは思えないほど理知的な意思の光が宿っていた。

「これは末期の際に自身を書き換えた姿じゃ。永きに渡って見守ってきた人間どもの姿形を、戯れに真似てみただけのこと。ただの興味よ」と、そこでビンチは俺たちの後方に目をやる。「まさか、死後までこの姿にされるとは思ってもみなんだが」

 ビンチの揶揄するような視線を受け、先程から黙していたシロは、抑揚無く返答する。

「ここでは死亡直後の姿となる。そのルールが適用されただけだ」

「まったく、融通の効かぬ連中じゃ」

「ちょっと、ちょっと待ってください」と、そこで俺は再び確認するように口を挟む。「竜? 竜ってドラゴン? 人じゃない?」

「さっきからそう言っておろう」

 理解の遅い俺を哀れむように、ビンチは呆れ顔を浮かべる。幼女にこんな視線を向けられたのは初めてだ。俺は視線をシロに向けた。

「人間以外の存在も、この天文台に招集されることがあるんですか?」

「我々は知性と感性を持つ存在を集め、配置している。それだけだ」

 白い少女は淡々と答える。少し考える時間を置いてから、俺はなるほど、と頷いた。確かによくよく考えてみれば、俺たちの仕事は『人間に近い』存在であれば、種族を問わずこなすことが出来る。それが人間だろうが竜だろうが、或いは天使だろうが悪魔だろうが、シロたちには関係無いのだろう。

「とりあえず、理解はしました」

 俺は改めて、竜を名乗る幼女に向き直る。彼女の生前が本当に竜だったのか、確かめる術など無いし、真偽のほどは定かではない。だが、それは俺にとっても関係の無いことだ。俺がこれから仕事をするにあたって重要なことは、その存在が理知的な思考と判断が出来るかどうかなのだから。

「とにかく、これから宜しく頼むよ、ビンチ」

 努めて人当たり良く微笑んだつもりだったが、彼女から返ってきたのは冷ややか視線だった。

「勘違いせぬように言っておくが——儂はそこの軽薄な軍人女とは違うぞ」

 微かな苛立ちすら含んだ口調で、彼女は言い放つ。

「この儂を貴様ら人間如きと同列に扱うでない。儂は自身の願いの為にやむを得ず此処にいるに過ぎないのだ。故に、貴様ら人間風情が儂への畏敬を忘れることを許しはせん——言の葉の交わし方にしても、身の程を知れ」

 とても幼女とは思えぬ、厳然とした口ぶりだった。俺は思わずたじろぎ、恐る恐る言葉を選んで口にする。

「ええと、じゃあその、宜しく、お願いします、ビンチさん……」

「——ふむ。まぁ、よかろう」

 ビンチ——いや、ビンチさんは満足げに一度頷き、踵を返して自分の椅子に戻っていった。

「……相変わらず面倒くさい子ね」

 俺の傍らで、漆島が代弁するように小さな声で呟いたのが聞こえた。何だか、今になってはこいつの方がまともな性格に思えてくるから不思議だ。

「ビンチちゃんはこれでも前より丸くなった方なんだよ」と、チョコがどこか楽しそうに言う。「最初に出逢った頃なんか、僕と一言も口をきいてくれなかったからね」

「ビンチ、ちゃん?」

 そんな呼び方して大丈夫か?

 俺の心配を表情から読み取ったのか、チョコは笑いながら首を振る。

「ははは。彼女とはこれまで何度も一緒に仕事をしたことがあるから、僕は平気だよ。ビンチちゃんって実はツンデレだから、接してる内にきっとみんなも仲良くなれるよ」

「ツン……何よ、それ」

 漆島が眉を寄せる。俺はその横で乾いた笑いを漏らしていた。チョコの生前の世界にもその文化があったことに驚きである。

「仲良く、ですか」

 内藤さんが自信が無さそうにチョコを見やる。どうも彼は他人と接することが得手ではないらしい。対して、チョコはあっけらかんと笑いながら答えた。

「大丈夫、大丈夫。ビンチちゃんと仲良くなるコツはね、とにかく粘り強く接してあげることさ。僕の場合、何度も彼女に抱きついたり、頬にキスしているうちに心を開いてくれたよ」

 心を開いてくれた割には、先ほど彼女のことを『軽薄な軍人女』って冷たく言っていた気がするが。

「……男のあんた達があの子に同じことをしようものなら、尋常ではなく背徳的な絵面になるわね」

 漆島が淡泊な口調で言った。全くもって同意である。いかに竜とはいえ、相手の見た目は紛うこと無き幼女なのだ。

「あなたのスキンシップは度が過ぎてると思うわ、チョコ」漆島が呆れながら言う。「誰彼構わず抱きついたりするのは辞めてよね」

「ツレないなぁ、きらちゃんは」

「きらちゃんって言うな、ちょっと、どこ触ってんのよ!」

「きらちゃんは生前十七歳の割には立派なものをお持ちだね」

「だから、そういうのを、辞めなさいって言ってるのよ!」

 目の前で繰り広げられる軍服女性と制服少女の姦しいやりとりを眺めながら、俺はため息をついた。周囲を見渡してみる。聖女、毒舌女に変態女、それに竜の娘。今回は随分とまた、個性的な面々が集められたものだ。

「まぁ、とにかく……仲良くやりましょうね、皆さん」

 唯一の人格者、アトラビアンカが苦笑しながらその場を締めた。

「——融和アイスブレイクは済んだか」

 と、そこでシロの機械的な声が響いた。途端、空気が張り詰めたような錯覚を覚える。シロは我々を見渡し、告げる。

「アトラビアンカ、漆島きら、ショコラティエ・ストラトラトラスキー、ビンチ・ベオ・ベルルガ、北山侑、そしてナイトハルト。改めて今回の案件を説明する」

 どうやら管理者まで、内藤さんをその呼び名で認識するらしい。或いは彼女たちにとっては、呼び名というのも実はどうでも良い情報なのかもしれない。そういえば、俺が初めてシロに逢ったときも、名前は自己申告だったことを思い出した。

 彼女らにとって、俺たちが何者か、というのは重要ではないのだ。必要なのは、仕事をこなせる存在か否か、という基準だけだ。

「その前に」と、シロは内藤氏を一瞥する。「新人の為に、前提を復習しておく」

 冷たい視線を受け、内藤さんが僅かに身をこわばらせた。

「え、あ、その———きょ、恐縮です」

「我々の目的はすべての世界の正常運行だ。数多の世界にはすべからく正しい『計画表』が定められている」

「計画表、ですか……?」

 内藤氏が目をしばたたかせながら、その異質な単語を繰り返した。シロが頷く。

「その通り。より主観的な表現をするならば、『運命』と言ってもいいだろう」

「え……?」

「世界はすべて、運命に基づいて動いている。創造も破壊も、誕生も死も、始まりも終わりも、すべて予め決まっている」

 運命。

 その響きに、内藤さんは急に押し黙る。しかし、俺にはなんとなく、彼の胸中が分かるような気がした。

 それはきっと、この場にいる転生候補者たちの誰もが一度は考えたことのある、不条理と絶望の疑問。

 もし彼女の言う通り、すべての世界の運命が最初から決まっているのだとしたら———自分があんな惨めな死に方をしたことも、運命だったというのだろうか。

 内藤氏は俯き、自分の手を首元に当てている。自分が殺されたときのことを思い出しているのだろう。

 俺は無言でそれを見つめるしか無かった。運命だから仕方ないことだったんですよ、などと、軽々しくは言えなかった。少なくとも、死に至るまでに味わった苦痛は想像を絶するものだった筈だ。

 ……そう、かつての俺がそうであったように。

 ——最初からすべてが決まっているのなら、俺たちの人生に、何の意味があったというのだろうか。

 何度も自問した問いが、再び俺の胸中を僅かに揺さぶった。俺は軽く首を振り、そのざわめきを頭から振り払う。それこそ、今のこの場では何の生産性も無い疑問だ。

 そしてシロは相変わらず、無感動に、無機質に、そして無慈悲に告げる。

「すべての世界は正しいベクトルに向かって運営されている。我々の役目はそれを促し、管理し、統治し、調整すること。そしてお前たち転生候補者は、そんな我々にとってのインターフェースだ」

 神々のインターフェース。

 人の心を知らぬ神々が、人々が織りなす数多の世界を正しい方向に導く為に使う道具。運命から弾かれ砕け散った残骸を、再利用するために再構築した端末——それが俺たち、転生候補者だ。

「おまえ達に与えられる責務は、それぞれの世界に発生する計画表の阻害要素、言うなれば『運命のエラー』を解決していくことだ——概略は以上。ここまでは理解したか?」

 彼女はそこで我々を見渡す。誰もが言葉を発しなかった。今更言われることでもない、という反応が殆ど。そして、口に出す言葉が見つからない、という男が一人。

 反論が無いことを確認すると、シロは機械的に視線を望遠鏡の方へと向ける。

 彼女に、我々を哀れむことは出来ない。それが出来ないからこそ、我々を使っているのだから。

「——では、本題に入る。まずはこの少女を記憶しろ」

 シロの言葉に続くようにして、我々の目の前の鏡面球体、『望遠鏡』が淡く輝きだした。

 やがてそこに映し出されたのは、栗色の髪の少女の姿。十代半ばを過ぎた頃だろうか。その瞳には明るく強い意志の光が宿っている。見た目からして、実に快活そうな子だ。

「彼女の名前はシビル・カーペンターズ。この時点での立場としては『魔女の見習い』。そしてやがて与えられる役割は——『世界を救う英雄』だ」

 そのシロの口ぶりに、ロマンティシズムのようなものはない。それはあくまで、事実を淡々と述べるような喋り方だ。

 ……つまりは、その通りなのだろう。

 『この少女はいつか必ず世界を救う』。

 彼女はそのための存在であり、それこそがこの世界の運命ということなのだろう。

「しかし、原因不明のエラーにより、その過程が消し飛ばされてしまっているのが現状だ」

 俺は無言で相づちを打つ。内藤氏は真剣な表情ではあったが、まだ理解が追い付いていないようで、眉間に皺を寄せながら聞いていた。

「彼女が英雄になる最初の段階、具体的には、彼女が生まれ故郷の島を旅立とうとするたびに、何故か彼女は死亡してしまう。それは我々が想定しない事象だ。彼女の存在が無ければ、この世界はやがて崩壊する」

 英雄になるはずの少女が、英雄になる前に死んでしまうエラー。そしてそれが原因で、やがては崩壊してしまう世界。

「つまり、具体的に言えば」と、そこで俺は口を挟む。「今回の俺たちの仕事は、このシビルという少女を『生きたまま故郷の島から旅立たせること』、でいいんですか?」

「詳しく定義付けするならば、『彼女を生きたまま王都に送り届けること』だ。それ以降の計画表について、現在のところはエラーは見つかっていない。このセクションの問題さえ解決すれば、あとは世界が彼女を生かすだろう」

 世界が彼女を生かす。

 或いは———運命が、彼女を守る。

 そう考えると、少しだけこのシビルという少女が羨ましいような気もした。

「しかし」と、シロが念押しするように言う「現在までに一〇〇回の世界介入を試みたが、未だこの問題の解決には至っていない」

 俺は眉をひそめる。一〇〇回も試行して一度も成功例が無いというのは確かに異常だ。俺の経験上、そういった事例はこれまで無い。

「故に、異例ではあるが今回は六人体制での介入を試みる。状況は最優先だ。そのために、今回はこの案件に対して合計十万点を付与することとした」

 その情報は初めてだったのだろう。室内の他の四人にも衝撃が走った。

「十万点……!?」

 漆島が息を吞むのが分かった。

「合計ってことは、それってつまり」チョコも目の色を変えている。「この案件を片付けたら、それを全員で山分けってことになるのかな……?」

 対して、シロは一度だけ、確かに頷きを返した。

「その通りだ。一人あたり一万六六六七点、小数点は切り上げることとする」

「ほう———それはまた、随分と磊落じゃな」

 ビンチさんも、どこか楽しげに口元を緩めていた。

 事実、それは我々、転生候補者にとって垂涎の数字である。大抵、案件を一つ片付けて得られる点数は一〇〇点程度、どんなに良くても一五〇点が良いところなのだ。それが、およそ一〇〇倍以上ともなれば、奮起する気持ちが出てくるのも無理はない。

 しかし、冷静にその状況を理解している者もいた。

「ですが、それはつまり」と、アトラが静かな声で言う。「それだけの点数を与えるに足る、極めて異例な状況、ということですね?」

 その言葉で、一同の熱気が水を打ったかのように静まった。シロは変わらず、端的に頷きを返す。

「これまでの試行回数から逆算し、おそらくその点数に見合うだけの工数がかかるものと判断した。故に、それ以外のすべての条件は通常と変わらない」

 シロは俺たちを見渡し、告げる。

「おまえ達六人は、この案件が片付くまでこの部屋からは出られない。当然、この案件に従事し続ける限り、別の案件に携わることは出来ない」

 それは我々にとっては今更の話である。しかし、今回が初めての内藤さんは、それを聞いて少し狼狽した様子だった。

「出られない? そんな……拒否権は、拒否権は無いんですか?」

「おまえ達の選択肢は通常と変わらない」

 厳然としたシロの言葉に、内藤氏は尻込みする。

「せ、選択肢って……」

「内藤さん」と、俺は彼に耳打ちする。「最初に俺が説明した通りです。『従属』と『放棄』。俺たちの選択肢はそれだけなんですよ」

 俺の言葉に内藤氏は絶望的な表情を浮かべた。俺はやんわりと説明をする。

「たとえこの部屋を出られたとしても、戻る先はあなたが最初に居た、あの白亜の部屋だけです。この天文台では、どこに行ったって同じようなものです」

「でも、ずっとこんな場所に閉じ込められてたら、気が狂ってしまうよ」

「ああ、それなら大丈夫です」と俺は即答する。「俺たちは閉塞感に苦しまされることは無いですよ、絶対に」

「それは、どういう意味だい?」

「いずれ分かりますよ」

「理解はしたか」

 シロが再び我々を見渡して言った。しかし、その問いかけに誰も返答はしない。誰もが、拒否をしない。それを確認して、シロは踵を返した。

「では、状況を開始し、この部屋を施錠する。各自、席につきロールプレイを開始しろ。以上だ」

 それだけ告げて、彼女はこの部屋から出て行った。歩み去る彼女の後ろ姿を隠すように、やがて大視聴覚室の扉が静かに閉まり、カチンという乾いた施錠音を響かせた。

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