1-2.ネガティブすぎる契約者(マスター)
「マスターに仕える天より来たりし英雄、その名はナナシ! 今ここに馳せ参じた!」
俺を我が主、契約者として認める英雄は目の前で決め台詞を叫ぶと、ふふん! と胸を張る。
「………………決まらないな、その名前じゃ」
俺が苦笑交じりに意を決してそう伝えると、英雄……ナナシは露骨にがっかりとうなだれた。
「うぅ……! あぁもうっ! 誰だよっ、このボクに『ナナシ』なんて名前付けたのっ!!」
「え、はい」
俺は挙手した。紛れもなくナナシという名を付けたのは俺だからだ。
「そうだったああぁぁ!!」
ナナシは頭をがりがりと掻きむしり、天井を仰いで絶叫した。
両隣と真上と真下からそれぞれ壁と床と天井を叩く音が聞こえる。紛れもなく苦情の音だった。
「ちょ、ナナシ。少し静かにしてよ、ここ一応学園の寮室なんだからさ」
そう。今俺とナナシがいるこの部屋は学園側が俺たち新入生に用意した寮室だった。言い忘れていたが、この月影学園は全寮制なのだ。
「てか、マスター! なんでこのボクにそんな名前付けたのさ!」
「いや、だってナナシお前、自分が『可能性の英雄』ってこと以外はほとんど忘れてるっていうか、知らないんだろ? 名前さえも覚えてないみたいだし」
「そ、そりゃそうだけど……」
「だったらナナシって名前、ピッタリじゃないか」
どっちみち名前が無いってことになるけど。
「もう少しマシな名前あったと思うんだけど……」
頬を膨らませて可愛らしく抗議するナナシ。
「……例えば?」
ナナシよりいい名前がこの英雄の頭の中に浮かんでいるのならば、そっちの名前にした方が良いと判断した俺は、ナナシに尋ねる。
「う~ん……ヘラクレスとか!」
「よその英雄の名前パクんな!」
「じゃあ、ゲオルギウス!」
「だからパクんなって!」
「だったら……トリアイナ!」
「なぜ急にポセイドンの神器……?」
あ、ダメだこれ。こいつふざけてるだけだわ。
そう判断した俺は、未だ既存の英雄の名を口にする名無しの英雄をほっとくことにした。
……それにしても、この英雄は何故周りから最弱と罵られ続けている俺なんかを契約者として認めたのだろうか。……いや、理由はこの英雄から一度聞いている。だが、それでもなお俺と契約するメリットは極めて低いはずなんだが……。
「……また疑問に思ってるでしょ」
既存の英雄の名を掲げるのをやめたナナシが聞いてくる。
「……やっぱ、分かるか?」
「当然! 君はすぐ顔に出るタイプだからね」
ナナシはそう言うと、ポスっと俺が上半身だけ起こしているベッドの上に腰を掛ける。
「……前にも言ったけど、ボクは君の中にある『可能性』を見出したからこそ、君と契約したんだ」
そう。この英雄は俺が12歳のころ、『君の中に『可能性』を見たから君と契約するんだ!』と契約を持ち掛けてきたのだ。『なんで僕なんかと?』と理由を聞いた時、この英雄は確か……。
「君はこれまでずっと嘲りの視線、嘲笑、罵倒をその身に浴びてきた。だけどそれでも君は、己を高めようとしている。自分のような悲しい思いを、他の人にさせないために。人々を救い、守れる存在になろうと、自分の『可能性』を信じて突き進んでいる。罵倒などには目もくれず、ただ真っ直ぐ己の『可能性』を信じて英雄になろうとしている。弱くたっていい。何が最弱だ。最弱でもいいじゃないか。だってそれは裏を返せば、『誰よりも高みへと行ける可能性を持った者』なんだから。だからこそボクは君を選んだんだ、マスター」
俺と初めて出会った時の言葉を、ナナシはあの時と同じような優しい笑みで俺へと贈った。
「……誰よりも高みへと行ける可能性、か」
正直、あの時ナナシから贈られたあの言葉は、まだ幼い俺の心を、蔑みや罵倒で濁りきった俺の心をやさしく抱擁してくれた。死ぬほどうれしかった。他人から認められなかった自分が、初めて認められた瞬間だったから。
「あの時は泣いて喜んでくれたよね、マスター」
「……そうだな。あの時は、どんなに頑張っても、否定しかされなかったから」
昔から罵倒されていた俺の心は麻痺していた。それをやさしく解いてくれたのがあの言葉。
あの言葉のおかげで、俺は未だに諦めずにいれる。諦める必要なんてないと、教えてくれたから。
……でも、だ。
「だとしても、だ。俺と契約したのはデメリットがありすぎだろう? だって俺は、魔力だけ異常なほどある、魔術を扱うに必要不可欠な『魔力操作』さえもできない凡人以下なんだぞ? いくら可能性を見たからと言って、その可能性はいつ変動するかもわからない不確定要素の塊なんだぞ? 例えば俺が挫折してしまったら、魔力を操作できるようになるという未来の可能性は閉ざされるわけであって……」
「……あぁもうっ!! マスターはネガティブ思考過ぎるよおおおぉぉぉ!!!」
たまらず絶叫するナナシ。
耳がキーンってした。
「お、おま、近所迷惑になるってマジで……!」
「マスターが悪いんだよ! マスターはいつもいつもポジティブに受け取れるはずの言葉を贈っても、すぐに『俺なんか……』ってネガティブモードになっちゃうし、一度でもポジティブ思考になったことある!? ないよね!?」
「ま、まあ、そう、だけど……」
「だからお願いだよマスター! この『可能性の英雄』であるボクが認めたんだ! 一度でいいからポジティブになってよ! じゃないとマスター、いつか自分で自分を押し潰しちゃう……」
言葉尻でか細くなるナナシの声に、俺は思わず視線を下に向けてしまう。
自分でもわかってはいる。ネガティブのままじゃ、この先俺は何もできないと。
けど、このネガティブは幼いころから形成されたものであって、今すぐにそれを失くそうとしようとしても、すぐにはできないのだ。この英雄が心配するのも納得だ。けど、それでも俺は、
「……努力はしてみる」
これしか答えられない。
……自分の可能性は信じているのに、それをふさぎ込むようにネガティブなことしか考えられないって、俺って……
「……矛盾、してるよな」
英雄の耳にさえ届かない声で、俺は小さくつぶやいた。
「……約束だよ?」
俺のつぶやきにやはり気づかなかった英雄は、視線を未だ下に向ける俺の両頬をやさしく両の掌で包み込み、俺の視線を自らの顔に向けさせると、再三頼み込んできた。
紛れもなく心配させてしまっている。英雄の主であるはずの俺が……。
「だ、大丈夫だよっ。約束するから、ほらっ」
そう言って俺は自分でもわかっているへったくそな笑顔を浮かべる。
「……ぷっ、ぷっははははは! マスターなにその顔! すっごい変な顔! ぷっくくく!!」
うわあ……自分でへたくそな笑顔ってわかってる分すっげえムカつくうううう……!!
先ほどまでの心配はどこへ行ったんだ。
だが、これであのような顔をしなくなったのでまあ、良しとしよう。
「じゃあ、まだ早いと思うけど、夕飯の買い出しに行ってこようかな」
寮室の門限は確か夜の10時までだったので、夕方である今の時間帯に出歩いても問題ないはずだ。
「あ、じゃあボクも付いていく―! 実体化した状態でね! せっかくだから腕組んで歩こう、マスター!」
「実体化は別にいいけど腕組みはやめろ恥ずかしすぎる! あと、実体化して出歩くんだったら鎧じゃなくて買ってあげた私服で来いよ。注目されるの苦手なんだから……」
「んふふ……じゃあボクにキスしてくれたらいいよ? ほら、チュー♡」
「やっぱ学食にするか」
「すいませんそれだけは嫌ですマスターの作る美味しい料理が食べたいですお願いします」
「それはそれで学食作る側の人に失礼だろ……」
すっかり調子を取り戻したナナシに、俺は苦笑を浮かべるのだった。