表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

静寂

作者: 都築良継

 彼女は最後の1個体だった。

 人類で言う諦観の感情に近しいのかもしれない、全てを試し、それらの試みが全て上手くいかず、絶望染みた感覚を抱いた後に来る、寂しさを伴った静かな時間、それに近かった。

 彼女はもはや「自身」と言えた同胞たちがかつて溢れていた海底を這った。この、自分が生き延びることのできる大地とも言える空間も、もうどこまで続いているのか、最後の1個体となった彼女にとっては測れない。しかし、同時に、衰退するまでの彼女たちの状況から考えて、大した距離は残っていないのではないかと思った。

 熱さが、彼女を包み込んでいた。海水温は彼女たちが彼女になってからも上昇を続け、生存が不可能になる水温まであと一歩というところだった。祖先から受け継いだ表皮の色素胞を、光合成にも似た光エネルギーの利用に用いている彼女にとっては、太陽光は、爛々と輝き、もはやこの星全体を灼熱のハビタブルゾーン外へと引き込もうとしている太陽は、それでも生存に不可欠な要素だった。だからこそ、彼女は深海への移住による延命、最後の手段に失敗したのだった。

 かつて太い腕とその間の皮膜であった部位、現在はかつての一部の軟骨魚類にも似た鰭をはためかせて飛び上がり、なるべく水温の低い水塊を探す。長時間の遊泳は彼女にはあまり適さず、大型動物であるが故に水塊も大したスペースにはならない。しかし、祖先と同じく変温動物であった彼女には命を繋ぐために必要なことだった。

 あちこちを暖水、むしろ熱水と言うべきか、に焼かれながら、なんとか少し水温の低い水塊に辿り着く。安堵に近い、落ち着いた感情を抱いたのもつかの間、何か大きな衝撃を受けた。光エネルギーを取り込み、更に知能が発達して以降、向上した視覚を駆使して身体の後部を見ると、1匹の捕食者に噛みつかれていた。彼女の半分ほどの大きさしかないものの、群れると恐ろしい種だ、遠い祖先を辿ると彼女と同じ頭足類に該当するが、知能は発達せず、遊泳性や底生性、甲殻類や脊椎動物亡き後の様々なニッチに入り込んでいた大きなグループだった。それもまた、ある程度冷たい水を求めてやってきたのだろうと、推察できた。

 相手は食らいついたまま話そうとしない。かつてなら振り払い、再生や次を待つだけでいいものだったが、もう、そういうわけにはいかない。弱った体で、彼女はもがく。水塊の近辺は水深があり、深場に引っ張り込まれたらもうどうしようもない。しかし相手も、これだけ大きな餌は久々なのだろう。外套膜の下の胃は空っぽに違いない。群れで行動するはずが単独なのも、もう同種がいないからではないかと推測できた。こうなったら奥の手を使うしかなかった。

 体を上手く反転させて、噛みついている相手にこちらも噛みつく。祖先が持っていた弱い毒は、大型知的生物となった今では、外敵に対する防御に役立つ強毒性となっていた。この程度の相手ならそう経たずに死ぬだろう。そう確信した、ふとしたタイミングだった。

 それは、不意に起こった。彼女にとっては慣れた感覚だった。視点が切り替わり、生理現象として、かつての身体が抜け殻になる。驚きと戸惑い、そして一縷の希望に近しい感情が彼女に一瞬灯り、猛毒の苦痛によって押し流された。

 彼女が彼女たちだったころ、まだ知的生物として間もない時代、偶然の産物として、その種は、「量子力学的な脳機能の同期」を発現した。結果、複数によって構成される発達した知性のみならず、短かった寿命も、世代間での意識の共有によって実質的に存在しないものとなった。かつて存在した人類が年齢を単位にしていたように、彼女は世代を単位にして、自身の年齢を数えた。代わりに、産卵数は著しく低いものとなった。

 彼女は世界で初めて、他の個体に意識を転送したこの種であり、そして、最後の事例だった、

 抜け殻となったかつての自分が、今の自分に噛みついたまま沈んでいく、太陽の光を浴びながら、彼女は自身の毒によって絶命した。

 2つの種、2つの大きな系統の絶滅、水の蒸発によって滅びゆく海は、その大きなイベントに反して、静かだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ