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「なぜ、人を殺してはいけないのか」この質問に応える前に

作者: NOMAR

 実話をもとにしています。


 死刑廃止、これについて賛成、反対と議論が起きる。多様化する価値観の中ではどちらも一理があり、結論は出ない。

 万人が賛同する答えは未だに無い。


 イランでひとりの女性が絞首刑となった。

 罪状は殺人。自分をレイプしようとした男を殺した罪により死刑となった。

 この女性が刑に処される前に母親に宛てた手紙が公開されている。

 私がこれを翻訳したものを見たことが、これを書く切っ掛けだが、この手紙の内容は機会があれば一読して欲しい。

 

 死刑は法律が認める殺人。戦争は殺人を容認する国策。そのために、死刑と戦争をどうにかしなければ『人を殺してはいけない』とは言い切れない。

 些か乱暴な論に聞こえるが、筋は通っている。

『なぜ、人を殺してはいけないのか?』

 この質問そのものが、状況も未設定、対象も不明の未完成の質問文とも言えるが、子供の素朴な質問となれば上記のようになる。


 ただ、この質問に答えようとする人、死刑廃止、死刑賛成と議論をする人を見ていると、前提となるものを無視しているように感じられる。



 私には尊敬する人物がいる。これまでいろんな人を見てきたが私が実際に出会い敬意を感じる人は少ない。

 この人は私がかつて務めていた会社の社長だ。ワンマン社長だがエネルギッシュで、何より正義の人。社長の仕事は社員が満足に働ける環境を作ること、と、1日の仕事の終わりには社長がひとりで休憩室とトイレの掃除をしていた。


 ある日のこと、私はいつものように休憩時間にタバコを吸っていたときのこと。

 私はタバコが辞められず1日に1箱くらい喫煙する。身体に悪いと解っていてもなかなか辞められない。

 一服しているとその社長に言われる。

「お前、タバコやめたらどうだ?」

「いやぁ、なかなかやめられないものです」

「禁煙するにはな、1番いい方法があるぞ」

「どんな方法ですか?」

「刑務所に入るんだ。10年も刑務所にいればタバコをやめられる」

 この社長、実は過去に25年と刑務所に入っていた。


 長期懲役が20年を限度としており、殺人罪でも内容によっては十数年で出所することを考えると、25年とは随分と長い。

 罪状は細かい物を入れるといろいろあるが、まとめて言ってしまうと、国家反逆罪である。


 成田空港管制塔襲撃占拠事件。

 その計画主謀者がこの社長なのだ。ちなみに同じ会社の課長もまた、管制塔襲撃事件の実行犯で刑務所に入っていたことがある。

 課長は、

「どうせ刑務所に入るなら網走に行きたかった。網走帰りって言うと箔がつきそうだし。だけど網走がいっぱいで入れなかったのが、残念だ」

 と、笑って言うお茶目な人である。

 一応言っておくと、刑務所帰りの社長の会社は、別に暴力団とかそっちの方とは関係無く、真っ当な会社である。

 日本の教科書を出版している会社だ。

 社長がこの事件を起こし刑務所に入ったのは、社長が正義の人だから、としか言いようが無い。


 かつて日本には国際空港が無かった。戦後の復興、経済成長。国際化を進める日本では、早く国際空港を作ろうという気分が高まった。

 そのために空港予定地では乱暴な国の地上げが行われた。先祖からの土地を渡すことはできない、という農民に国が行ったのは非情な政策だった。

 自分の家に籠る老人を機動隊が盾で殴り、前歯を折り、強引に外に連れ出す。この老人はそのまま入院し、退院できないまま翌年、死亡した。

 最期の言葉は、「家に帰りたい」


 この国のやり方は人道に反する、と立ち上がったのがこの社長。当時は社長では無いが。

 盛り上がる学生運動と繋がり建設途中の成田空港に殴り込み、管制塔を占拠した。

 この瞬間は国の非道に対して民衆の怒りが勝利した。課長は実働犯の先頭に立ち管制塔を上って、管制塔の回りを飛ぶヘリコプターに手を振るようにハンマーを振ったという。


 その後、機動隊が乗り込み全員逮捕。社長と課長は裁判を受け刑務所に。

 成田空港は管制塔が破壊されたため、建設は遅れることになったが、成田国際空港は国の威信とプライドをかけて完成した。土地を家を奪われた人々の嘆きを踏みにじって。


 このときに国の政策は国民に知れ渡る。日本の国際化の為に、国際空港を作る為には非道な手段も辞さない。

『大多数の便利な生活の為に、土地を差し出せ、さもなくば死ね』

 これを力で押し通した。反対し行動に移した人々は逮捕され罪人となった。

 日本は民主主義の国であり、国の政策は国民の代表の総意である。その政策が殺人を容認するということは、私達が、国民全員が殺人を容認する、ということでもある。

 この国で選挙権を持つ者は、国の政策での殺人を認めていることになる。

 私もあなたも殺人を肯定し黙認している。


 それは違う、私は国が政策で行う殺人を認めてはいない、という方は行動で示してみてはいかがだろうか。

 成田空港の土地を取り返そうと闘っている人は、今もまだいる。今もまだ、闘い続けている。


 

 知っている、知らない、に関わらず私達に責任はつきまとう。それが過去から未来へのツケだとしても。今の私達がその暮らしの便利さを、国の政策の恩恵を得ているならば、なおのこと。

 私達は殺人を肯定して生きている。


 しかし、良心ある人は、人を殺してはならないと言う。これは人として正しいと私は感じる。

 政策上の殺人の責を個人に分散して負わせるシステムが、良心のある人、センシティブな人の心を蝕む。その積み重ねが鬱病や無気力な人を増やしているのでは無いのだろうか。

 そして過去のツケから、今、この国は緩やかに破綻しているのだろう。


 『なぜ、人を殺してはいけないのか?』

 この質問に答える人が、既に殺人を肯定している。殺人を容認する国の一員であり、多数決の意思決定に関わるひとりである。民主主義的な政策に賛同し、殉じる者である。ここに矛盾と言い様の無いバカバカしさを感じる。

 しかし、愚かな私ではあるが良心に問えば、『人を殺してはならない』『ならぬものはならぬ』という答がある。

 未だに結論無き問いだとしても、応えるには不様な立場だとしても、子供が訊ねてきたならば大人は応えないといけない。

 考えた中であやふやなところを線引きして、私の感じる正しきことを伝えなければならない。

 尋ねた子供には応えるが、それは言葉だけでは伝わらない。

 頭から理解させようという言葉と理屈だけでは伝わらない。理解は知性の領分だが、納得は悟性の領分だ。語り得ぬものは語れ無い。

 自分の在り方と覚悟を見せて、その補佐に言葉をちょっと使う。

 それが相手の良心を震わせることを期待して。

 それを言葉にする資格が無いことを、解った上で。

 


 今回、感想欄は閉じさせて頂きます。理由は返信する時間と気力が無い為です。

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