七話
「起きて、イズミ。ねえイズミってば」
身体を揺さぶられ、瞼をカッと見開いた。眼の前には驚いた顔のゼンがいた。
「ちょ……寝起き良すぎじゃない?」
上体を起こして頬を叩く。
「それが私の特技だから。もう交代?」
「あ、ああ。三時間経ったよ」
「わかった。すぐに行くね」
「外、寒いからコート着てった方がいいよ。あとこれ、なんかあったら鳴らすようにって」
手渡されたのは鈴だった。手のひらに乗る大きさではあるが、ポケットに入れておくには少し大きすぎる。
戸惑った挙げ句、ついていた紐をベルトにくくりつけることにした。
「ありがと。これでよしっと」
「それじゃあ、僕はもう寝るからね」
「ええ、おやすみなさい」
ゼンが外に出ていってすぐ、ショルダーバッグを肩にかけて部屋を出た。三時間という長い時間だ、なにか暇つぶしでもなければやっていかれない。幸いというか不謹慎というか、こういう状況を想定していろんな物を自分のバッグに詰めてきた。
外に出ると、冷たい風が急激に身体を冷やしていく。最近寒暖差が激しくなってきたと思ってはいたが、この時間に出歩くことがないのでわからなかった。
「こんなに寒いんだ……」
建物から五メートルのところに焚き火をしたあとがある。煙が出ているため、消した直後だとすぐにわかった。焚き火用に用意したのだろう、大小さまざまな枯れ木が山積みになっていた。おそらくキョウスケだろうなと失笑してしまった。
焚き火を起こし、魔導式のランタンをつけた。魔導力を込めることで光が灯る。光球を作り出す魔導術と仕組みは同じだが、魔力を注ぎ続けなくてもしばらくは光ったままだ。
バッグを漁り、一冊の本を手に取った。
「あれ? なんだろ、これ」
バッグの底に、見たことがない本を見つけた。薄汚れた文庫サイズの小さな本。自分で買った本は全部覚えている。読んだ作品もそうだが、買った本のタイトルだって言える。そんな記憶力を持つイズミでさえ、表紙もタイトルも見たことがない。
手にとってみる。大きさもさることながら、本自体も非常に薄かった。普段使っていエーレル語ではない。何百年か前に一部ので使われていたハルシュ語だ。
「嘘つき……人生? 違うな、人生の嘘つきかな」
表紙の文字を指でなぞりながらそう言った。
表紙をめくる。どうやら一人の少女の物語のようだった。が、ハルシュ語は非常に高度であり、イズミは基礎分野のみ履修していた。そのため、開始五分もしないうちに読めなくなった。
「なんでハルシュ語って接続詞と定冠詞が多いんだろ。そのせいで全然わかららない……。たしか帰還詞とかいうのもあったっけ。そのせいで動詞が分かりづらい……」
結局、それ以上読むのをやめてしまった。
その本をバッグの中に戻し、自分で持ってきた本を読み始めた。
ブックマークを外して本の後ろへ。もう本を読むことしか考えられなかった。
小さい頃からそうだった。遊ぶような友人はいなかった。絵本、小説、教科書。本ならなんでも手を出した。
家があまり裕福でなかったイズミは、必然として図書館が主な居場所となった。物心ついたときから、図書館が居場所だった。
初等部、中等部、高等部。つまり学校に行くようになってからも、本だけが唯一の楽しみで、最大の娯楽だった。
本の中では自分が主人公だった。自己啓発本や教科書を読めば、まるで本が教師になってくれているようで嬉しかった。
結局今でも友人と言えるような人はいない。才能を認められて式守になったが、周りは皆ただの同僚でしかなかった。
決して見下してわけではない。逆に、見上げていたのだ。自分はあの輪には入れない。対等に話せるほどの人間ではない。自分は自分で、このままでいるしかないのだと思い続けていた。
今読んでいる小説は、旅行にでかけた主人公が、旅行先で殺人事件に巻き込まれるというクローズドサークルを主体とした推理小説だった。
一人、二人と被害者が出た。ここから、探偵役と犯人役の思惑が大きく動き始めるはずだ。
そうやって、本の中の世界へと没頭していく。殺された状況は頭に入っている。登場人物の会話、鍵となりそうな部分も覚えている。推理というのは得意ではなかったが、文章を読みながら別の考え事をするのは好きだった。
イツカには「それは貴女の才能ですね」と褒められた。一度にたくさんのことを考えられる。物覚えもいい。そうやって褒められると、なんだか奥歯が痒くなってくるようだった。
本の半分を読み終わった頃、焚き火がパチっと大きく音を立てた。
本から視線を上げて周囲を見渡す。周囲に気配はない。けれど、吹いてくる風の温度が少しだけ上がったような気がした。
ページの間にブックマークを挟み、バッグの中に入れた。
気配はなくとも空気は変わる。それはイツカの教えだ。ただ一つの変化であっても、周囲の空気は変わるものだ。例え木の葉が一枚落ちただけでも、空気の流れは変わるもの。空気の変化が大きければ大きいほど、なにか、目に見えないものが変わっている証拠なのだと。
いつでも抜けるように、右手を短剣にかけた。
ふわっと、数メートル先に白い靄が上がった。それは徐々に人の形になっていく。
少しずつ、少しずつ近づいてくるような気がした。単純に靄が大きくなっているだけのようにも見えるがそうではない。近付いてくる圧迫感がそれを示していた。
そしてもう一つ、気がついたことがあった。靄が出現した時には感じなかったのに、気がつけば圧迫感に気圧されている。
本能が告げていてる。このままでは絶対にダメだと。冷や汗が体中から吹き出るような未知の感覚は、身体がアレを拒絶しているからだ。
急いで紐を引きちぎり、大きく腕を振って鈴を鳴らす。
それでもまだ、白い靄は進行を続けていた。
なにかもわからないアレとどうやって戦えばいいのだろうか。どんな攻撃をしたら通じるのだろうか。靄だったとしたら氷属性で凍らせるか。炎属性で散らせるか。土属性で壁を張った方がいいのか。
「イズミ!」
眼の前に飛び出してきたのはレイジだった。それはイズミに冷たい視線を向けるレイジではない。まるでプリンセスを守るナイトのようだった。
「れ、レイジ……」
「入り口の前にゼンがいる。すぐに向かえ」
「う、うん」
足をもたつかせながら、バッグを持って建物へと急いで走る。
その横をキョウスケとアイリが通り抜けていった。
「大丈夫?」
ゼンが身体を支えてくれる。その時、自分の息が上がっていることに気がついた。




