九話
朝起きてすぐ、ナディアの様子を確認した。しっかりとした呼吸。うなされている様子も見られない。
バッグから非常食と水を取り出し、とりあえず腹に詰め込む。
顔を洗い、歯を磨き、もう一度部屋に戻ってきた。
サンクノーリオはいまだに黒ずんだままだった。
「行ってくるよ、ナディア」
マントを羽織り、剣を腰に携える。魔導書トリヤエスカスをホルスターにしまい、肩にかけた。
ナディアを起こさないよう、そっと部屋を出た。
階段を降りても誰もいない。宿屋の主人たちもどうせ敵だ、いない方がいいと出口に向かう。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
外に出るとオズワルドが待っていた。昨日と変わらぬグレーのスーツ姿。長身で優しそうな面持ち。魔力はほとんど感じず、それが逆に畏怖を抱く。
天気がいい。手で太陽の光りを遮った。
「こんな状況で眠れると思うか?」
苦笑いを浮かべるロックスに「それもそうですね」とオズワルドが言う。
「それではこちらへ。こんなところではなんですので」
「わかった。ついていこう」
オズワルドが背を向けて歩き出した。ロックスは疑うことなく、そのあとをついていった。
町の外にはオズワルドとロックスだけだった。二人の男が歩いているだけで、誰一人として外には出てきていない。
小鳥の鳴き声だけが聞こえる町の中を歩き、二人は森の中に入っていった。それから五分ほど進んだところでオズワルドの足が止まった。
「この辺りでいいでしょう」
「もう少し奥の方がいいんじゃないか?」
「大丈夫でしょう。森と町の間には障壁を張りましたので」
「まったく気付かなかったよ。すごいな、スリエルからもらった力か」
「ええ、彼女には世話になってます。だからというわけではありませんが、私はアナタと戦わねばならない。それに関しては申し訳なく思っていますよ」
「申し訳なく思うくらいなら、味方になってくれると嬉しいんだけどね」
素早く剣を引き抜く。切っ先をオズワルドに向けると、彼が優しく微笑んだ。
「私はね、清廉潔白に生きていきたいと思っているんですよ。正しい者が、正しい行いをしたものが淘汰される世の中は非常に生きづらいからです。悪事を良しとする者たちが、それを正義と勘違いするからです」
「でも正義というのは正しいことではない。正しいと思っていることこそが正義であり、正しい行いそのもののことじゃないさ。それくらいは、わかっているんだろう?」
「倫理観の問題でもありますからね」
「っと、この話は全部終わったあとにしよう。俺たちはスリエルを倒さないといけないんだ。そのためには、まずアナタを倒さなきゃいけない」
「倒せると、お思いですかな?」
「やってみなくちゃわからんだろ?」
右足に力を込め、一直線に向かっていった。同時にトリヤエスカスを放り投げた。
高速の打突。それをスルリと抜けるオズワルド。しかし攻撃してくる様子はなかった。
上段からの袈裟斬り、体を屈めて足払い。すぐに離脱してから再度急接近して薙払い。そのすべてが、見透かされているかのように避けられる。
勝ち目がないことはわかっていた。
それはフォーリアからも言われていた。アナタだけではきっとオズワルドは倒せないだろうと。きっとナディアと一緒でも、今のアナタたちでは太刀打ちできないだろうと。
フォーリアは優雅であり、気丈な性格だ。そんな彼女が、少しだけ悲しそうな顔をしたのだ。
彼女にこんな顔をさせてはいけないと、ロックスは強く思った。
自分は式守だと、魔女の右腕であるのだと。それならばなすべきことは、彼女の予想を覆すことであると。
例えばそれが、予期せぬ偶然が、幾重にも重なって得られた功績だったとしても。それが「結果的に良い方向の功績として残る」のであればいいのだと。
「なにを、迷っているんだ」
度重なる攻撃をすべて避けても、オズワルドは攻撃してこなかった。
「迷ってなどいませんよ」
「ではなぜ攻撃して来ないんだ。何度もチャンスはあっただろう。それに、今のアナタなら一撃で俺を仕留めることもできるはずだ。アナタは俺と戦いたいわけじゃない。俺と戦ったという事実を作りたいだけだ。違うか?」
視線が交錯する。そして、オズワルドがため息をついて構えを解いた。
「私は元々戦士ではありません。ただの医者です。それも金のために医者になったつもりはない。心から、誰かを救いたいと思ったから医者になったのです。でも私を救ってくれた女性は、この世界に仇なす存在です。私の理念とはかけ離れてしまっている」
「しかし、アナタは恩義を感じてしまっている」
「そういうことです。アナタと戦うこと、アナタを倒すことが私の使命です。もしもそれができなければ、この町がどうなってしまうかわからない」
「それがわかっていて攻撃をしないのはなぜだ? この町を守りたいのであれば、問答無用で倒せばいいだろう?」
オズワルドはため息をつき、首を横に振った。
「私が、私という存在が実在していた頃は、この町はもう少しまともだったのです。貧しくはありましたが、しっかりと生活基盤ができていた。農作物は育ち、家畜などもたくさん、一家に何匹も飼っていたくらいです。しかし年々衰退していった。見るに堪えない状況も、魂だけだった私にはなにもできませんでした」
「アナタは、頭が柔らかい人なんですね」
「年には敵いませんけれど、ね」
ロックスにはわかってしまった。オズワルドがなにをしようとしているのか。なぜ、自分の前に現れたのか。
「恩は返すもの、人々を守ること、この二つを信念として貫く。反面、自分が囚人になった原因の部分だけを、自分だけで抱えて生きていこうというんだな」
オズワルドが犯罪者として扱われたのは政府の不当な扱いによるところ。それは町の合併を阻止したせいであった。もしも町の合併を阻止しようとしなければ、オズワルドが囚人になることも、一家離散することも、スリエルの手下になることもなかった。
「この町はもう死んでいる。金はなく、道徳もない。私はアナタ方に危害を加えるという指示を出した覚えはありません。それは人徳に反するからです。この町では子供もまともに育ってはくれないでしょう。子供は大人の行いを逐一見ています。見られたくない部分を見て育つのが子供ですから。ここでは子供は育たない。それは、幸せと言えるでしょうか」
「町の合併を推奨する、ということだな」
「そういうことです。人々は守られ、スリエルに対しての恩義を感じることもなくなる。恩義を感じるはずの部分が抜けるのですから、それもそうでしょう。無理矢理というか
、搦め手ではありますけれど」
「俺をここに連れてきたのはその話をするためか」
「はい。同時に取引を持ちかける、というのが本質ですね」
彼が言う取り引きの内容を、ロックスはほとんど理解していた。そうでなくてはこの会話は成立していないからだ。
「町を合併するための交渉をさせたいんだな」
「そして私は、アナタたちに道を譲る。この取り引きでは不満ですか?」」
「そうしてくれるなら本望だが、それでアナタはどうなるんだ? この行為は、スリエルの意向とは違うんじゃないのか?」
「彼女には、なんと言いましょうかね。手足の数本は覚悟しないといけないかもしれません」
「生かしてもらえる自信があるんだな」
「アナタが思っているほど、スリエル様は無慈悲ではありませんよ」
「そこで従者っぽく振る舞うのか。アナタは不思議な人だ」
「ただし、次は話が通じる相手ではないと思って欲しい。私は今「取り引き」をしてここにいる。それがあるからどちらとも生き残れる。しかし、次会った時はその「取り引き」は発生しません」
「わかっているさ。ちゃんと戦うことになった時、鼻で笑われないようにだけしないとな」
「私と戦えるだけの力を得る、と。ただの人では難しいと思いますがね」
「やってみなければわからないだろう?」
「期待しておきますよ。それでは、私は町の皆に話をつけてきます。アナタはその間に、妹さんを連れて逃げてください。私の話を聞いて暴走しないとも限らないので」
「アナタはどこまでもお人好しなんだな」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
そして、二人は町へと戻った。
オズワルドは町長の元へと向かい、町長の呼びかけで町民を集めた。
ロックスはその間にナディアを抱きかかえて町を出た。




