十九話
「特に調子が悪いとかいう様子はなかったんだがな。今朝、自己申告があった」
「自己申告するほど余裕があったのかよ」
「余裕は、なかったんだと思う。お前を見送ってすぐのことだ。もう自分は無理だから、騎士団を連れて逃げてくれと言われた。一度は拒否したんだが、あれだけ真剣に言われたら俺も従うしかない。あれを見てくれ」
ウィロウが指さした先、おそらくはバラーシャの町があったあたりだろう。
なにやら黒い半透明の物質が、ドーム状になって森の中に鎮座していた。
「あれがスリエルの術か。なんか、面倒くさいことになりそうだな。でもヴェルはここじゃなくてレアの方に言ってもらいたいんだが」
「レアってのは誰だ? 初めて聞く名だが」
「クローンのシスターズの一人だ。アイツらの方が大変だろうからな」
「そりゃ無理だ。私はスリエルの呪術を押し止めるためにここに来たわけで、シスターズの保護をしている余裕はない。それに、シスターズがいるであろう町はちょっとヤバイ状態にある」
「ヤバイってなんだよ。ここだって充分ヤバイんだろうが」
「スリエルの呪術は拡大している。そして、シスターズがいる町は一時間もしないうちに飲み込まれるだろう」
「それならすぐに行かないとまずいだろ。一般人だっている」
「できたらやってる」
「ツーヴェル様、そこは私が説明します」
ここでまたウィロウが出てきた。
「またお前か。お前はヴェルのなんなんだよ」
「ツーヴェル様を呼んだのは俺だ。俺というか、俺たちだ。この状況をなんとかできるとしたらツーヴェル様くらいだからな」
「呼ばれたことは呼ばれたが、私も自ら赴こうとは思っていたから問題ない」
「魔女スリエルの呪術は強烈だ。ツーヴェル様に抑え込んでもらおうと思った。だからツーヴェル様はこの場を離れられない。同時に呪術を抑え込むために魔力をつぎ込んでもらったんだ」
「なるほど、今のヴェルは魔力が空っぽってわけか」
「それだけじゃないぞ。稀代の魔女スリエルの呪術だ。私一人じゃどうにもならない。あれは常に成長している。私はあれの拡大する速度を遅らせる程度のことしかできない」
「拡大し続けるって、どれくらいまで大きくなるんだ?」
「それすらもわからない」
「魔女でもわからないって相当ヤバイ気がするんだけどな」
「しばらくすれば他の魔女たちも来るだろう。そしたら考えよう」
「もしも呪術に飲み込まれたらどうなる?」
「まだ憶測の域を出ないが、おそらく屍人と同じになる。屍人よりも酷いかもしれない。肉体は消滅し、死んだことにも気付かないまま魂の状態でさまよい続けるだろうというのが私の見解だ」
「魔女が到着するまで拡大する速度を遅くすることしかできないって言ったな? ならそれまでレアたちはそのままってことか」
「そういうことに、なるな」
僅かだが、ヴェルが苦い顔をした。
「限界まで押し留めた場合、レアたちがいる町に呪術が到着するのはどれくらいになる?」
「私が力を振り絞って一時間だな」
「なら力を振り絞ってくれ。これは弟子から師匠へのお願いだ」
「今から向かうつもりか? ケガも治ってないんだろう?」
「大丈夫だ、なんとかなる。やってもらえるのか、もらえないのか。それだけ教えてくれ」
ヴェルは俺の瞳を見て、ため息を吐いた。
「できるだけなんとかしてみよう。だが一時間は保たなそうだ。呪術は拡大しながら威力を増している。最長で一時間だが、もしかすれば五十分、四十分になる可能性だって低くない」
「三十分でなんとかすればいいわけだ」
「お前、ここからレアたちがいる町までや四十キロほど離れてるんだぞ? 列車が向かった先はこの町とはほぼ真逆だ」
「四十キロ? ぶっ飛ばせば十分だろ」
「あの森林地帯でか?」
「あの森林地帯でも、だ。やると言ったらやる。ウィロウ、地図を寄越せ」
渋々といった感じで、懐から地図を取り出した。
「悪いな」
「お前の口から聞きたい言葉じゃないな」
「黙ってろ。いくぞ、アン、タルト」
「わかりました、サポートなら任せてください」
「はいはい、行くならさっさと行きましょう」
「約束守れよ、ヴェル」
「さっさと行けよバカ弟子が」
「言われなくてもそうする」
地図をタルトに渡し、俺たちは町の出口へと駆けていった。
町を出て、タルトが指差す方向へと足を向けた。躊躇している暇も、迷っている時間も残されていない。
ヴェルにはああ言ったが、全速力で駆け抜けていく自信などない。森林地帯では直線に走るということができない。それはつまり、速度を維持できないということでもあった。
「アン、風魔法で身体を浮かせることはできないか?」
「三人同時には無理ね。一人ならなんとかなるけど、アンタ一人が先行したって意味はない。距離が離れれば私の力も弱くなるし」
「森の中を行くしかないってことか」
考えるのはやめた。
ひたすらに足を動かし続けるしか道はないのだ。
上半身の強化を弱くし、下半身の強化を強めた。思い切り走って、障害物があっても咄嗟に避けることができるだろう。
どれくらいだ。どれくらい走ればたどり着く。ドーム状のそれを視界に捉えながら、そんなことを考えていた。
そうやって気持ちだけが逸るばかり。走る速度の限界と、どうやっても覆せない時間の流れが、俺の肩に重くのしかかるようだった。




