三十一話
六十階のドアを開けると、そこには知っている男が立っていた。深い緑のマントを羽織り、左手には大魔導書を持っている。
「意外と早いご登場だな、ウィロウ」
ウィロウ=シャスティ。ヴォルフの従者であり、オクトリアの式守でもあった男だ。
「ここにいろって言われたんでな」
「誰にだ?」
「ヴォルフだ」
「アイツはもう死んだだろ。スリエルに取り込まれた」
「それがそうでもないんだ。お前はもう知っているはずだ。この世界にあるクローン技術のことを」
「あのヴォルフがクローンだったって? 馬鹿らしい。そんなことあるはずがない」
「そう言えるか? そもそもエメローラを複製したクローン技術はなぜ作られたんだ? それを知らない以上、お前に否定するだけの材料はないってことになる」
「なるほどな、そういうことか」
エメローラのクローンを作ったのは、強力な魔獣なんかを複製するための手段だと考えていた。だがそうではなかったのだ。エメローラを複製した連中がスリエルの部下、ヴォルフの仲間だったとすれば合点がいく。
「もうわかってるんだろ? お前が解決しようとしてきたことがすべて一点に集まりつつあるんだよ」
「なんで俺がやってきたことを知ってるんだ」
「ヴォルフに聞いたからだ。全部知っていたぞ。いつもは涼しい顔してるのに、事件が起きるとなぜか熱くなる。不思議な男だ」
「俺から見たらお前も十分不思議な男だ」
「まあ、生まれも育ちも普通ではないな」
「どうやって産まれただとか、どうやって生きてきただとか、俺にはそんなのどうだっていい。俺が言ってるのはそこまでヴォルフに心酔しきっているところが普通じゃないって言ってるんだ」
俺の言葉を聞いてもウィロウは鼻で笑うだけだった。
「俺の人生を変えた人だ。どこかおかしいか?」
ウィロウは両腕を上げて全身で表現してくる。右腕には魔女の腕輪、左腕にはまた違う黒い腕輪。
「俺は他人を信仰するような精神を持ち合わせちゃいないんだ。お前の考えがよくわからん」
「わかる必要はないだろう。俺とお前は敵同士なんだからな」
「そうなるよな」
俺の後ろで武器を構える音がした。金属音、衣擦れ音、靴が地面を擦る音。
「今までと同じくここは通らせてやってもいい」
「誰かを置いてけってことだな。さて、今回は誰を置いてくかな」
俺が後ろを振り返ると「もう決まってる」とウィロウが言った。
再びウィロウに視線を戻すと、ヤツは右手を上げて人差し指をこちらに向けていた。
「お前だ、ロウファン」
ニヤリと、不敵に笑った。
「そうきたか……」
「それは駄目だ」
と、ヴェルが俺の前に出た。
「悪いがロウファン以外の人間とやりあうつもりはない。自分の式守を信用してるならロウファンを置いていけ」
ヴェルの頬に一筋の汗が伝う。それが顎を経由して地面に落ちた。
足踏みをしている時間はない。この城から放たれるであろう魔導砲、そしてクローン製造された巨大な魔獣。それらを止めるには一刻も早く屋上に向かわなければならないのだ。
それはきっと、俺でなくてもいいはずだ。
「いけよヴェル」
「お前なにを――」
「俺もアイツとやってみたいと思ってた」
俺の反応が以外だったのか、ヴェルは大きく目を見開いていた。
数秒間見つめ合って、彼女の方が先に折れた。ため息をつき、床を見て、天井を見て、もう一度視線が交錯する。
「時間はないぞ」
「時間はかからない。どっちが勝ってもな」
「勝敗は聞きたくないな。だが、最終戦までの体力は残しておいて欲しいものだな。お前がいないと困る」
「大魔導書の契約者だからな」
ヴェルが「行くぞ」と他の連中を連れて出口に向かっていく。
その中でも一人だけ、その場を離れようとしない者がいた。
「行けよ」
レアだ。
「大丈夫、なんですよね?」
「逆に大丈夫じゃなかったことがあったか?」
「確かに、いつもギリギリでしたね」
フフッとレアが笑う。こんな時でも穏やかで淑やかで、非常に華やかな笑顔だった。
「ギリギリでもなんとかなる。心配せず上に行け」
「ええ、追いかけて来てくれるのを待ってます」
「俺より先に死ぬなんて許されないからな」
「心配してたはずなのに、気づいたら反対に心配されてしまいましたね」
彼女は背伸びをし、一瞬だけの口づけをした。
「行ってきます」
そう言ってから手を振って駆け出した。余計な話はこれ以上必要ない。今話しをする必要がないからだ。俺は死なないし、ちゃんとレアとヴェルにも追いつく。アイツらだって俺が到着するまでは死なない。なんのための魔女だ。突き進んでくれなきゃ魔女の称号なんて俺が剥奪してやる。