9 天使ですか? 悪魔ですか?
雷でも落ちたのかというほどのまばゆい光があたり一面をおおい、ゆっくりと収束していく。
王太子様の指の隙間から、私は目を細めて、その光景をジトーッと見つめていた。
光が弱まるとともに、かすむ視界の中から姿を現したのは、大きく広げられた翼。
白いトーガを身にまとい、頭にはキラキラと輝く白い輪っか。
そんなバカな!?
という思いとともに、抑えきれない震えが私を襲った。
まぶしすぎて顔がよく見えないが、三日月形につりあがった唇の形に見覚えがある。
まちがいない。
恐いほうの翼女、もしくはハンコ女だ。
いや、今はハンコを持っていないから翼女と言うべきだろう。
凶暴性が服を着たような翼女が、ゆっくりとこちらに漂ってきた。
いやいや、こいつは援軍じゃないよ、絶対に。
私はガクガク震える体を、王太子様の指にしがみつくことでなんとか抑え込んだ。
『私を呼び出したのはお前か?』
聞き覚えのある冷たい声が、私の脳内に直接響き渡る。
王太子様にも声が届いたみたいだ。
しがみついていた王太子様の指が、全身ごと震えだした。
『ほーう、レベルを上げたのか。ああ、なるほど、命と引き換えに魔王を倒したのか。それで姿が変わっているのか。たいしたものだな、くっくっくっくっ』
翼女の笑い声が頭の中でぐるぐる回る。
こっ、恐すぎる。
できれば、早急にお引き取り願いたい。
涙目でブルブル震えている私の脳内に、さらに翼女の底冷えするような声が響いた。
『ほーう、ずいぶんと囲まれているんだな。精霊と召喚獣がざっと千匹といったところか。この連中を潰せばいいのか?』
えっ?
本当に援軍なの?
と半ば期待しながらも、信用していいものかどうか踏ん切りが付かない。
私は返答に詰まりながらも、ハムスター脳をフル回転させた。
しばしの思案の後、いやいや、信じるしかないよねと、私は首をぶんぶんと縦に振った。
どうやら、私の意思は伝わったみたいだ。
翼女はニヤッと口の端をつり上げた。
『しかし、対価はどうする? お前たちが持っている魔石では全然足りんな。代わりに命でも差し出すか?』
ごめんなさい。
まちがえました。
やっぱり、援軍なんかじゃなかったです。
更なる衝撃でブルブルと震えている私の目の前で、翼女はまわりをぐるっと見回した。
『ああ、あっちの連中が魔石をいっぱい持っているな。まあ、あれだけあればいいだろう』
そう言いながら、翼女は敵であるプルッキア帝国軍の陣営を指差した。
『あ、あ、あのー、あっちは敵なんですけど……』
あとから命を請求されてはかなわんと思った私は、脳内でどもりながらも、なんとか翼女に意思を伝えた。
『ああ、気にするな。どちらでもかまわん。取り立ても私がやってやろう。では、契約だ。私はお前の決戦相手である召喚獣と精霊を殲滅する。ただ、人を消すと提出する書類が面倒だからな。そちらは自分たちで何とかしろ。対価としてこの決戦場所にある魔石をすべていただく。それでいいな?』
暴力を具現したような翼女を目の前にして、その申し出を断る勇気があるものが存在するのだろうか。
私はそう思いながらも、ぜひお願いします、と力いっぱい念じた。
それに、精霊や召喚獣への報酬として使われる魔石は、味方陣営にはほとんど残っていないみたいだし、とってもいい話のような気もする。
唯一気がかりなのは、この翼女が恐すぎるということだけだ。
『よし、契約成立だ。ああ、それと聖剣を借りていくぞ。代わりにお前たちの魔石には手を出さないようにしてやろう』
その言葉が私の脳内に響き渡ると同時に、翼女は翼を大きく広げ、空高く舞いあがった。
なぜか、その手に聖剣エクスカリバーを携えて。
翼女はドラゴンに標的を定めたらしく、暇そうに二頭仲良く飛んでいたドラゴンに瞬く間に迫ると、聖剣エクスカリバーを振りかぶり、軽く斬撃を飛ばした。
次の瞬間、光の斬撃はドラゴン二頭を真っ二つに切り裂き、まわりにいた精霊や召喚獣をも、衝撃ではじけ飛ばした。
そこからはもう、現実の世界というよりはゲームの世界だった。
プレイヤーだけが極端に強い無双系の格闘ゲームの戦闘場面といったところだろうか。
翼女が飛びながら聖剣を振りまわすだけで、敵が次々と倒されていくという、ゲームバランスを著しく欠いたゲーム。
もちろん、ゲームではなく現実として、その光景を目の当たりにした敵の精霊や召喚獣たちは、先を争って逃げようとした。
だけど、あたり一面に見えない網のようなものが張られているらしく、猫の子一匹逃げることすらかなわなかった。
恐ろしい速さで飛びながら聖剣エクスカリバーを振りまわす翼女から逃れることができず、次々と光の斬撃を浴びて姿を消していく精霊や召喚獣。
私たちはただただ、口を半開きにしたまま空を見上げ続けた。
「おーい、大変だ! 俺の聖剣が消えたんだよ! どこに行ったか知らないか!?」
馬車に乗り込んできた勇者の叫び声で、みんながようやく我に返り、いっせいに翼女を指差した。
「……ラルフ、えーっとね、大天使様がちょっと借りるって言ってたよ」
私以外で唯一、翼女の声を聞いていた王太子様が、申し訳なさそうに勇者にそう告げた。
同時にお腹がぐーっと鳴った私は、おおあわてでヒマワリの種をガッつきながらも、首を捻った。
えっ?
大天使?
あれって天使なの?
どっちかっていうと、悪魔に見えるんですけど。
「えっ!? 大天使様が!? っていうかあれ大天使様なんですか!? すげー、初めて見た! でも、なんで大天使様が!? どういうこと!?」
勇者が口をパクパクさせながら、バカみたいな速さで王太子様と翼女に交互に視線を送る。
「うーん、ハムちゃんの援軍っていうか、ハムちゃんが召喚したというか、ハムちゃんの友達みたいだったよ」
いやいや、王太子様、友達ではないよ。
百歩譲って顔見知りだとしても、あんな恐い奴が友達っていうのはありえないよ。
いや、頭の上の輪っかがまぶしすぎて、顔が見えないから、顔見知りですらないよね。
そう言いたかったけど、ちょうどヒマワリの種を噛み砕くのに忙しかった私は、王太子様に突っ込みを入れることができなかった。
そこに、間髪入れず、シーラが満面の笑みを私に向けてきた。
「ほんと使えるわね、あんた! まさか大天使様と友達って、ありえないわよ! ちょっとー、今度紹介しなさいよ!」
いやいや、本人を目の前にして使えるってセリフはどうかと思うよ。
それと、あんな恐ろしい奴を紹介して欲しいっていうのもね。
ちょっとご機嫌損ねたら消されるよ、シーラ。
「ということは、このハムスターは召喚獣ではなくて、神の使いなのかもしれんな」
「そう言われればそうね。こいつってずっとこの世界に居座ってるわよね。普通の召喚獣ならとっくに帰ってるはずよね」
ちぃっ!
せっかくトールがいいこと言ったのに、シーラめ!
居座ってるってどういうことよ、この性悪女が!
というか、召喚獣ってどこに住んでるの?
「そっかー、神の使いなんだ、ハムちゃんって。そうだよね、大天使様とも友達だし」
まあ、王太子様ってば、私のことを神の使いだなんて。
ぷぷっ。
私も出世したもんだね。
ぷぷっ。
笑いがとまりませんな。
今度は、大天使ではなく、王太子様のウルウルした尊敬の眼差しがまぶしすぎてたまらない。
大丈夫ですよ、王太子様。
たとえ、私が神の使いでも、王太子様は私の大切な婚約者だからね。
大事にしますよ。
などと脳内にバラの花を咲かせていると、勇者の大声があたりに響き渡った。
「すっげー! あっという間に全滅させたぞ! さすがは大天使様! おいおい、ハムスター、俺にも大天使様を紹介してくれよ。聖剣の必殺技とか教えてくんねーかな?」




