6 婚約破棄ですか? 罠ですか?
シーラの声を聞いた瞬間、脳裏を駆け巡る昔の記憶。
かつてやり込んだ乙女ゲームの一場面を、私は鮮明に思い出した。
ああ、なるほどね。
そういうことか。
この性悪女は王太子様の婚約者である私がジャマなわけね。
きっと、この女は公爵令嬢かなんかで、前から王妃の地位欲しさに王太子様を狙ってたわけだ。
そこに突然、庶民の美少女である私が現われて、王太子様の婚約者の地位を目の前でさらったと。
そこで、無実の罪を着せて婚約破棄に追い込もうとしているわけね。
レベルの上がった私は、わずかコンマ一秒で状況を把握した。
よかったわ。
前みたいなハムスター脳だったら、罠にかかってたところだわ。
思わず安堵の息をついた私に、ウィンディーネの拳が飛んできた。
腕ごと。
なっ!
分離可能って、そんなバカな!?
いや、水だからそんなこともできるの!?
幸いにも、絶対結界が張られたようで、ウィンディーネの腕ははじかれて飛んでいった。
と思った次の瞬間、今度は反対側の腕が飛んで来た。
ちいっ!
しかもはじかれた腕が消えて、新しい腕が生えてきてる。
ちょっとそれ反則じゃない!?
「ウィンディーネ、次々攻撃して! 結界を破れなくてもいいわ! そいつはいずれお腹をすかして死ぬわ!」
シーラの勝ち誇った声が響き渡る。
辺りを見回すと、さっきまで見物していた騎士たちが、抜刀してギラギラとした目をこちらに向けている。
勇者も聖剣エクスカリバーを抜いて、腰を落として振りかぶっている。
あー、これって悪役令嬢が婚約破棄を申し渡される場面と同じだ。
ということは、なるほど、そういうことね。
どうやら、公爵令嬢は私のほうで、シーラが庶民上がりのヒロイン役か。
まあ、しょうがないわね。
私のあふれる気品からいえば、そっちのほうが似合ってるかもね。
でも、その場で公開処刑っていうのは、さすがにエグ過ぎてどうかと思うよ。
そんなシナリオ却下だよと思っていると、すぐ傍から大きな怒鳴り声が響き渡った。
「シーラ、やめないか! 私は大丈夫だ! それ以上攻撃するな!」
トールだ。
ふと見ると、トールが立ち上がってシーラをにらんでいる。
「なに言ってんのよ! こいつが先に攻撃してきたのよ! やらなきゃやられるわよ!」
ほーう、これはあれですか。
ここからヒロインをいじめた証拠を出していくパターンですか。
いじめた覚えもないんですけどね、と私もそろってシーラをにらむ。
「バカかお前は! このハムスターが前のハムスターと同じ能力を持っていたら、半径1KMが完全消滅するんだぞ! 少しは考えろ!」
たちまちシーラの顔が青ざめ、まわりの騎士たちの動きがとまる。
さっきまでの喧騒がウソみたいに辺り一面が静まりかえる。
「攻撃をやめて、ウィンディーネ! 私の横で待機して!」
シーラの声が静寂の中に響き渡る。
まるで、物音ひとつ出したら私が爆発するかのような、怯えた視線が周りから注がれる。
「こいつは攻撃したわけじゃない。私の手を振り払っただけだ。全員そのまま動くなよ。私に考えがある」
トールは厳しい目つきで辺りをぐるっと見回した後、ゆっくりと勇者に向かって歩き出した。
シーラを含め、騎士たちが息をのんで見守る中、トールは勇者の前で片膝をついた。
「殿下、どうやらこのハムスターも殿下のことを気にいっているように見受けられます。契約できるかどうか手を差し出してみてはいただけませんか?」
勇者の後ろで顔だけ出して様子をうかがっていた王太子様が、ブルっと頭を震わせる。
しがみついていた手が、勇者のお腹の前でギュッと握りしめられる。
かわらしい顔が、今にも泣き出しそうにゆがんだ。
ひょっとしたらシーラに、あの美少女と別れてくださいみたいなことをネチネチと言われたのかな?
そう思った私は、フワフワと飛びながら王太子様に近づいた。
レベルが上がったせいか、念じただけで移動可能だ。
ありがとう、優しいほうの翼女さん。
勇者の眉がぴくーんと跳ね上がり、トールが渋い顔でこちらを見ているが気にしない。
目の前でフワフワと浮いている私を見て、王太子様は迷うようなそぶりを見せた。
まわりの騎士たちがゴクリとツバを飲み込む音が響く中、王太子様は意を決したように、手のひらを上に向けてこちらに差し出した。
私はその柔らかな手のひらにちょこんと飛び乗り、王太子様の曇り空のような瞳をじっと見つめた。
『どうしたの、私の王太子様? 誰かにいじめられたの?』
できるだけかわいらしく、首を傾げながら問いかけた私に、王太子様の大きな瞳が瞬く。
「えっ? どうして……」
『教えてくれたら、私が懲らしめてあげるよ。シーラ? トール? 勇者? それとも他のだれかなの? ひょっとして、魔族四天王? そういえば、あの四色のやつらはどうなったの、王太子様?』
王太子様の目が大きく見開かれる。
まあ、王太子様ったら、もともと大きな目なのに。
ふふっ、目の中に入りたくなっちゃうね。
「ハムちゃんなの? その……生きてたの?」
あー、そうだった。
死んだことになってるよね、私。
というか、死んだんだけど。
そういえば、色が違うとか種類が違うとか性悪女が言ってたような気がする。
私はチラッと自分の姿を確認した。
うーん、違うような気がするね。
たぶん、前はゴールデンハムスターだったような気がする。
今は、たぶんジャンガリアンハムスターだ。
色も少しちがうし、体型も違う。
なるほど、王太子様から見ると別ハムスターに見えるのか。
でも、王太子様は心やさしいお子様だ。
最後に見たときも、ごめんねって泣いてた。
生き返りましたって言うと死んだことを認めることになって、また泣くかもしれない。
『あたりまえじゃない、王太子様。あれくらいで死ぬわけないじゃない。だって、決戦用ハムスターなんだよ』
決戦用だからこそ死んだんだけどね、と思いながらも、私は精一杯明るい声で王太子様に答えた。
そして、気がついた。
あれっ?
王太子様としゃべれてる?
でも、ハムスターの声帯で声が出るはずがないよね。
などど、ファンタジーな世界でやけに科学的なことを思っている私の目の前で、王太子様が私を手に乗せたまま、膝から倒れ込むようにうずくまり、大粒の涙を流し始めた。
「うぐぅっ……ぐずぅっ……ぐぐぅっ……そうなんだ、よかった……うぐぅっ……ぐずぅっ……ごめんね、ハムちゃん……うぐぅっ……ありがとう、ハムちゃん、生きててくれて……」
勇者とトールが何事だというように目を見開いて、私と王太子様の間で視線を行ったり来たりさせる。
私は大丈夫だよ、大丈夫だよと、王太子様にやさしい声を送り続けた。
そっか、王太子様は婚約者の私がいなくなってショックを受けてたんだねと、満足感に浸りながら。




