−夢の追憶− 第4話
その笑顔に、彼女なら色々と親切に教えてくれると思った私は、次の質問を投げかけた。
「では、此処がお酒を出すお店であることは先ほどの説明でわかったのですけど、『お茶屋』さんや『ミルクホール』とは、どう違うのですか?」
そう質問をすると、彼女はまた俯いてしまった。今度は先ほどの表情とは違い、どこか、おどおどとしている。
「おい、ちょっとこっちに来い!」
その時、奥の方から、怒鳴り声に近い声がした。振り返ると先生だった。私はきょとんとした。何故、先生が声を粗ぶらせているのかわからなかった。
その迫力に圧倒されながら奥の席に近づいて行くと、先生は激高して
「そんなことを、いちいち女給に聞くとは失礼な奴だ。いくら記憶が飛んでいるからといって、常識を知らんのか。彼女を辱めるつもりなら出て行け!」
と、私は一喝されてしまった。
まるで意味のわからない私は、何故という気持ちになったが、あまりの剣幕に聞いてはいけない話題に触れたのだと感じ取った。
「すみませんでした」
すぐさま、先生に向かって謝った。すると、先生は少し声を抑えて、こう言った。
「謝るなら、彼女にだろう」
たしかに、そのとおりだ。彼女の気分を害してしまったに違いないのだから。だが、どうして、気分を害してしまったのか理由がわからないままでは詫びようがない。だからといって、彼女に直接聞くことは出来ないので、先生に小声で聞き返した。
「彼女に謝りたいのですが、本当に自分はお店の違いがわからないので、どこが失礼に当たったのか検討がつかないのです。大変申し訳ありませんが、教えていただけると有り難いのですが」
すると、先生はまた視察でもしているかのように、まじまじと私の目を見つめ、しばらくして呟いた。
「人を傷つけるような冗談を言ような奴ではないしな。しかし、ここまで意識がはっきりとしていながら、まるで全てを忘れたようになってしまうものなのか……」
「それで、私の質問の何処に失礼な点があったのでしょう?」
私は、考え込んでいる先生に催促するように再度、訊ねてみた。
「それはだな……」
先生は急に周りの者たちには聞こえないような小声で話し始めた。
「いいか、そもそもカフェーっていうのはだな、酒などのアルコールを出す店なのは、さっき沙世が言ってたよな。それと、店の中を見回してみろ。沙世と同じような格好をした女性が何人かいるだろう。彼女達は女給と言ってな酒を客に注いだり、話相手をしたりと、要は客をもてなすのが仕事なのさ」
「つまり、お客を接待するわけですね」
「ああ。此処の店は俺様のような紳士がいるので、割かしマシな方だが、店によっては助平な客もわんさかといる。しかし、彼女達は客からの祝儀が稼ぎだから、そんな客でも嫌な顔もできずに、もてなすんだ」
「えっ、お店からは給金が支払われないのですか?」
「大体の店がそうさ。それに、女給をするのは貧しい村の出の娘がほとんどだ。学もほとんどないような彼女たちには、こういったところで働く以外に金を稼ぐ方法がないのさ」
そこまで聞いてやっと彼女が何故、俯いてしまったのかが理解できた。と、同時に私はなんと愚かな質問をしてしまったのだろうと悔いた。知らないからで済まされるものではない。彼女の尊厳を傷つけてしまったのだから。
「知らなかったとは言え、私は彼女になんということを聞いてしまったのでしょう。先
生教えていただき、ありがとうございました」
私は先生に礼を述べると、俯いたままの彼女の元に静かに戻った。
「沙世さん、すまなかった。どうか許してほしい。自分の軽率さが恥ずかしい……」
そう言うのがやっとだった。あとは、彼女の態度を見守るほかなかった。少し間をおい
て彼女は、ぽつりとこう言った。
「彼方は、本当に忘れてしまったのね……」
そして、私に向かって笑ってみせた。それが精一杯の造り笑顔であることが痛々しかった。
「本当にすまなかった」
私は繰り返し詫びた。すると、彼女はこう言った。
「そのことはいいのよ、気にしないで。ただ、彼方が今までのことを忘れてしまったんだと思うと寂しかったの。でも、それは彼方が望んでなったことではないんですものね。むしろ、気の毒なのは彼方の方……」
自分のことよりも、相手を思いやる。そんな優しさに触れ、もっと彼女について知りたいと思った。
すると、奥からまた野太い声が響いた。
「沙世、兄ちゃんを家まで連れて行ってやりな。その様子じゃ自分の家の場所も覚えてなさそうだからな。いいだろう、マスター?」
声のした方に目線を送ると、先生の座っているカウンター越しに立っている男性がいた。その人が店主なのだろう。彼は黙ってうなずくと、店の更に奥の方へ視線をやった。それが沙世に対する合図だということは見当がついた。彼女は私を見て、
「ちょっと、待っててね」
そう言って、店の奥に姿を消した。