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敬意を持って接するようにー

 床の冷たさがしっかりと体に沁み込んだ頃に、ようやくあいつの高笑いが終わり、俺もようやく死体状態から解放された。

 元からこの教室にいた2人も起き上がったらしく、体についた埃やらを叩いて落としていた。

 「いやー、ノリ良いね、2人共。入部希望ってことで良いのかな?」

 銃を持っていた小柄な女の人が笑顔でこちらを振り返る。セミロングの黒髪に、目測Dカップの胸、優しそうな目鼻立ち。どこかで見覚えのあるような姿だったが、よく思い出せない。ついでにその太股とスカート丈は校則違反です。

 「見学に来たんですけど、よければ入部したいと考えてます。…2人で」

 「あ、やっぱ俺もなんだ…」

 昔馴染みの言葉に思わずそんな言葉が零れた。まぁ、この部活は思っていたよりも普通そうなので、別に構わないのだが。

 視界の端で何かが動くのが見え、そちらへと視線を向ける。最初は悪そうだったけど結局小物だった男子生徒が、教室の奥の方から何やら紙と机を携えてこちらへと向かって来た。

 よく見れば、それは真新しい名簿だった。クラスと生徒番号、名前を隠スペースが用意されているだけで、他には何も書かれてはいない。誰の名前もそこにはなかった。

 「俺は、神代 翼。2年。第2演劇部の副部長をやってる。悪いんだが、ここに名前書いてってくれ。見学者用の名簿だ」

 神代先輩は、長身で目つきも悪い。首に下がったネックレスや腕のブレスレット、制服の中にパーカーを着ているところを見ると、校則もあまり気にしないような生徒らしい。そんな諸々の条件が重なって、近くに来ると凄い威圧感を感じる。それを察してかどうかは分からないが、小柄なもう一人が1歩前に出てくれたため、自然と視線をそちらへ持っていくことができた。

 「私は、佐伯 鈴。同じく2年生…っていうか、ここは今2年生の部員しか居ないんだけどね。今日はまだ2人だけだけど、もう2人部員がいるから」

 佐伯先輩が自己紹介を終えたので、今度は俺達の番だろう。俺は神代先輩に机ごと差し出された見学者名簿に名前を書き始めているので、昔馴染みが先に自己紹介する。

 「僕は四十万 佑介です。シジマは40万って書くんです。1年生です」

 俺は名簿に自分の名前を書いてから、その下に四十万 佑介と書いておいてやる。理由は分からないが、それくらいには気分が良かった。それを終えてから俺も昔馴染みの佑介に倣って自己紹介をする。

 「同じく、1年の木庭 万次っす」

 俺の名前を聞いた先輩2人が一瞬呆気に取られるような表情になったのが分かった。少し早口過ぎたか。

 「コバ…ごめん。何て?」

 佐伯先輩が申し訳無さそうに聞き直す。別にそれくらい構わないから、そんな顔しなくてもいいのに。耳慣れない名前だってことは、16年の人生の中で既に知っている。

 「コバ、マンジ、です」

 「シジマ君に、コバ君ね。覚えた。…ようこそ、即興劇部へ。歓迎しますわ」

 芝居がかった言動とでも言えばいいのか、佐伯先輩は両手でスカートの裾をつまみ、片足を引き、軽く膝を曲げた。短いスカートから白い太股があらわになる。この太股、どこかで見たことあるような。

 佐伯先輩のポーズに触発されたらしく、佑介も右足を引いて左手を自分の体の前で水平に差し出し、恭しく頭を下げる。西洋の執事だか貴族だかがよくやるアレだ。

 「御心遣い勿体無く存じます」

 佑介もこういった芝居がかった仰々しい言い回しは好きだったな。昔から俺の知らない言葉遣いで話しては、まるで外国人のように感じたものだ。

佐伯先輩はそんな佑介を見て微笑むと、クルクルと踊るように神代先輩に向き直る。

 「いやー、楽しい新人が入ったねー。翼君」

 「それより、俺は聞いておきたいことがあるんだけどよ」

 そんな2人のやり取りを黙って見ていた神代先輩は、いつの間にか近くにあったパイプ椅子に腰を下ろしていた。俺達を見るその目は真剣そのもので、益々威圧感が増す。

 何だろう。変な事したかな、俺達…いや、したか。そもそもあそこから即興に混ざった時点でかなりの変人かもしれない。

 しかし、先輩の質問は思ってもいなかったことだった。

 「…何で、ウチの部に来たんだ? 演劇部に入りたいなら、第1の方が練習環境もいいし、大会にも出てる。正直、この部活に来る理由なんて思いつかないんだが…」

 神代先輩の言う事も尤もだ。他に演劇部があるのに、あんな噂まであるこの第2演劇部に見学しに来る新入生などほとんどいないだろう。実際、見学者のリストには俺達2人の名前しか書かれていないわけだし。

 しかし、そればっかりは俺に聞かれても困る。俺の意思ではないのだから。

 俺は横目に佑介の顔を見た。その表情は、思っていた通りの笑顔で、俺はその笑顔の後に続く言葉を完全に予想する事ができた。

 その理由でいいのかよ。本当に。

 「この部の噂が面白そうだったので、見学に来たんです」

 「噂? …って、アレ聞いてここに来たの? え? 喧嘩が好きとか、そういうこと?」

 どうやら先輩方も噂の内容を知っていたらしい。自分の所属先だし当然か。

 目を丸くする先輩方を見て心の底で思う。あぁやっぱり。先輩達の混乱もよく分かる。佑介の思考は常人には理解し難い。かく言う俺も、予想は出来ても理解は出来ない。昔からこいつが面白いと思う物が、まったくと言って良いほど理解できないのだ。

 「いえ、ケンカは苦手ですけど、不良が遊んでるだけとか、見学に行くとカツアゲされるとか、そんな変な噂が流れる部活なんて見たことなかったので」

 いつもの人好きのする笑顔で、彼はそう言ってのける。

 やはり、こいつの考えは理解できない。

 先輩2人も呆気に取られたまま言葉を失っている。そりゃそうだ。こいつは思考回路の宇宙人だから。

 辛うじて再起動に成功した神代先輩は、佑介の姿を見上げ、口を開く。

 「じゃあ、この部活の内容とか、一切知らずにここに来たのか?」

 「えっと…演劇…ですか? 経験はありませんけど、面白そうだったので」

 「…すげぇな。色々」

 佑介は笑顔のまま小首をかしげ、神代先輩は言葉を失っていた。

 その様子を見てか、突然佐伯先輩も笑い始めた。

 「ふふっ…何か、面白いね。じゃあ、この部の紹介から始めよっか」

 佐伯先輩はそのまま神代先輩へと歩み寄ると、俺達2人を振り返った。

 「ここは、第2演劇部。即興劇専門の演劇部なの。即興劇っていうのは、あ、インプロって言うんだけどね、役者が台本無しで演じる劇のことで、まぁ、端的に言えばさっきみたいにアドリブだけでやる劇ね」

 即興劇専門?

 変な部活もあったものだ。しかも、普通の演劇部があるのに、それとは別に即興劇部があるなんて、よほど好成績を残したのだろうか。

 「主な活動は、さっきみたいに部室の中でテキトーにお芝居して、お茶飲んで、お菓子食べて…そのぐらいかな? 劇を発表とかはしないの。あ、たまーに遊びに来た友達に見せるくらいはするけど、まぁ本当の演劇部から見ればお遊びね。年間の部費もゼロ円」

 佐伯先輩の追加説明は、益々この部活の存在理由を怪しくさせる。

 発表もしない即興劇を練習して、お茶飲んで、お菓子食べて終わり? あんな噂が流れる理由も、少しだけ理解できる気がする。しかしそんな不真面目加減が、俺の入部へ前向きな考えを持たせる大きな要因となっていた。ここならば、俺はもしかすると真面目に不真面目な活動を続ける事ができるかもしれない。

 そんな予感が、俺の心を埋めていた。

 「お茶会はね、調理室の隣にある試食室でやるんだよ。そこでは紅茶とお菓子が出されてね、お菓子は毎回変わるんだけど、どれも美味しくって、皆とお喋りしながら食べるの。あ、1回だけ緑茶が出たことがあったかな。手作りのドラ焼きだったかなー? あれも美味しかったけど、やっぱりマフィンが一番美味しかったんだ。リュウちゃんあんまり甘い物って食べないらしいんだけど、美味しいって言って…」

 佐伯先輩があまりにもティータイムの話ばかりするので、神代先輩に視線を向けると、先輩は困ったような表情で佐伯先輩を見ていた。どうやらこうやって佐伯先輩が立板に水状態になることはよくあるらしい。いや、話が上手いわけではないから、横板に雨垂れか。

 「茶会は月に2回しかやってねぇだろ。しかもあれは料理部の活動で、ウチは招待されてるだけだ。さも、この部の活動の一部のように話すんじゃねぇよ」

 あ、やっぱり演劇部の活動ではないんだ。料理部に招待されるってことは、料理部の部員が作ったお菓子の試食会みたいな感じか。佐伯先輩は神代先輩の言葉に不満げに声を上げる。

 「えぇー? いや、でも…楽しいでしょ?」

 「いや、正直あの女子の集団に男子2人の状況は肩身が狭い。気ぃ使って花井あたりが話しかけてくれんのも、申し訳ない気がするしな」

 あぁ、それは何となく分かる。神代先輩の溜息交じりの言葉に、俺は少し共感していた。

 女子は集団になると、完全に男子とは別の生き物へと変貌する。流石の俺も4人以上の女子の集団の会話に割り込む度胸はない。狙うのは1人か2人の女の子ばかりだ。…それでも上手くいった例はないが。

 「まぁ、普段はこうしてダラダラ過すことが多いな。あまりに暇過ぎて、発声練習とかし始めたりするけど、発表しないんじゃ意味ないしな」

 「暇過ぎて発声練習するんすか…」

 何だそれは…。大丈夫なのか、この演劇部。

 というか、どうして演劇部が第1と第2に分かれているんだろうか。現在の部員はここにいる2人ともう2人、つまり4人という話だったし、即興劇が優秀な成績を残しているわけでもない。となると全く別な要因が影響して分離したはずだ。まぁ、昔は演劇部員が沢山居たという可能性が一番だろうけど。

 俺が考え込んでいる間に、佑介が何か神代先輩と話しているようだった。

 「じゃあ、明日には入部届け持ってきますね」

 「おう。頼む。実は部員が4人以下になると部活の存続が怪しいんだ。特に ここは活動らしい活動もしてないし、演劇部が他にあるからな」

 あ、やっぱり存続が怪しいんだ…。

 神代先輩の言葉に妙に納得しつつ、部室の中を改めて観察してみる。

 窓には暗幕が張られ、机もチラホラと散見される程度。部室の奥には保健室にあるようなベッドも設置されており、俺のクラスの教室と部屋の形が全く同じであるにも関わらず、少し違った印象を受ける。壁際の棚には、本や薬ビンが並び、黒板には『放課後ショータイム』と落書きがされている。他にも部員の私物と思われる物が無造作に転がっていた。ぬいぐるみ、モデルガン、パーティー用の血濡れの包丁、チェーンソー(多分偽物)、ホッケーマスク、摸造刀…。何だか小道具からバイオレンスな雰囲気は痛いほど伝わってくる。

 俺が部室を見渡していたのが気になったのか、佐伯先輩が話しかけてきた。

 「いやー…恥ずかしいなぁ。あんまり片付けとかしないんだよね。広いから、あんまり汚く見えないし…」

 「まぁ…俺の中学の時の部室とかより全然マシっすよ。漫画とか、コンビニ弁当の容器とか散乱してましたから」

 俺は頭1つ下にある佐伯先輩の事を見下ろす。

 …やっぱりどっかで見たことがあるんだよなー…。

 ふと、既視感が顔ではなく髪型やら他の部位だということに思い至った。 どこからだ? 後ろ、かな。

 「あの…先輩、ちょっと後ろ向いてもらってもいいっすか?」

 「え? 何?」

 佐伯先輩は視線をこちらに向けつつも、くるりと背中を向ける。その仕草はとても可愛らしいのだが、その時の俺にはそれに注意を払っている余裕はなかった。

 「…あ、ありがとうございます…」

 「…? どういたしまして?」

 あぁ、ようやく分かった。

 この先輩、よく通学路で見かける人だ。

 で、よくスカート短いなーって俺が太股凝視している相手。最近では一昨日会ったはずだ。いらんことに気付いてしまったな…。何だか、こうして知り合いになると異様に罪悪感がある。

 「あの…佐伯先輩って、西駅で電車降りませんか? いつも7時47分の電車に乗ってますよね」

 苦し紛れに出た言葉がこれだった。

 まずい、ストーカーだと気持ち悪がられたか。しかし、佐伯先輩の表情を見て勘違いだとすぐに思い直した。先輩は凄く不思議そうに俺を見上げていた。何だこの可愛い生き物。これは本当に俺よりも1年長く生きた動物なのか…?

 「そうだけど…どうして知ってるの? エスパー○なの?」

 「エ○パーダではないです。ってか、少年誌とか読むんすね…。たまたま一緒の電車の同じ車両に乗ることが多くて、ぼんやりと覚えてたんすよ」

 少年誌…外見からは判断も出来ない意外な趣味だ。まぁ、さっきの劇の内容から察すると、そういう趣味っぽいのは分かるけど。

 俺が理由を(少々ぼかして)説明すると、佐伯先輩は納得したように頷いていた。

 「そっかー。なるほど。じゃあ、家が同じ方向なんだね。電車で何分ぐらい?」

 意外にも先輩のトークは続く。おや? 何だか良い感じの流れじゃないか? これは俺の時代、来たか? 少々調子に乗りそうな自分を押さえつけて、必死に平生を演じる。ここで下心を見せるからモテないと、一昨日佑介に教わったばかりだ。

 「俺は西駅から、5つ離れた所で降りますね。南町あたりの」

 「へぇ。じゃあ、私と家近いんだね。中学校は? 第3? 第4?」

 「いえ、南中でしたけど…」

 「あ、同じ中学だよ。小学校は? 第3? 私第3から南中なんだけど…」

 「なら小学校から高校まで完全に同じっすね。俺、星野保育所だったんすけど…」

 「わーっ、一緒、一緒。凄い偶然だねー。…って、ことはご近所さんなのかな? 私、上町に住んでるの」

 「あー、狭い中の真逆っすね…東町です」

 「そっかー…残念だねー。…ん? 東町からどうして星野保育所なんて辺境の地に…? もっと他に選択肢あったんじゃないの?」

 「保育所は知り合いの保母さんがいたから、その都合っすね」

 「あぁ。なるほど。大人の事情ね」

 何か、会話が弾んでる。

 これはチャンスなのではないか?

 中学までは全然気にしてなかったが、出身地が同じというのはそこそこ広い地域から人が集まる高校ではアドバンテージになるのか。これは覚えておいても悪くない。

 …あーでも、そっか。俺と同郷ってことは、佑介とも同郷か。使えねぇな、この作戦。なぜなら俺よりも佑介の方がモテるから。

 「んー…、それにしても、2人共遅いね。どこで何してんだろ」

 「2人…あぁ、他の部員の人っすか。何か遅れる用事でもあったんすか?」

 佐伯先輩の言葉に、時計を見上げれば既にここに来てから30分の時間が流れていた。確かに、特に理由もないのであれば遅過ぎる。

 その疑問に答えてくれたのは神代先輩だった。数年前にヒットした曲のサビが流れて神代先輩がスマートフォンをポケットから取り出す。

 「…そろそろ来るとさ」

 神代先輩はスマートフォンから目線を外し、再びポケットへと入れる。どうやらさっきの曲はその2人のどちらかからの着信だったらしい。

 「2人共何て?」

 「剣道部が潰れるらしいから、小牧を口説いてたってよ」

 コマキ? 剣道部?

 俺にはまったく理解できない内容だったが、佐伯先輩には通じたらしい。彼女が少しだけ悲しそうに呟く。

 「あー…健吾君、やっぱり剣道部退部しちゃったんだ。2年生になったら止めるって言ってたもんね」

 どうやら、ケンゴ君とやらが剣道部をやめたが故の状況らしいが、どうにも話が掴めない。

 俺が疎外感から、同じように話が分かっていないはずの佑介に視線を向ける。しかし、何とこいつは事情を知っているらしく、いつもの笑顔で2人の会話を聞いていた。その態度には無性に腹が立ったが、それを深呼吸で殺して佑介に問う。できるだけ普段通りに、普通に。

 「し、知っているのか、雷電!」

 「うん。まぁ、色々な部活見て回ったからね。剣道部にも昨日見学に行ったんだけど、僕が見に行った時は、部員が小牧 由美っていう2年生の先輩1人だけだったんだよね」

 佑介はあまり大したことを知っているわけではなかったが、今までの話をまとめると、つまり、ケンゴ君とやらと小牧先輩が剣道部の最後の部員だったが、ケンゴ君が2年生になったのを機に部活を辞めてしまったため、剣道部が存続の危機に。その機に乗じて第2演劇部の部員2人は、同じく部員数の減少により廃部の危機にある第2演劇部の人数確保のために小牧先輩をこの第2演劇部に誘っている、という話だろうか。

 そうなると、何も小牧先輩ではなく、ケンゴ君をこの部に誘えば良いのではないか。…いや、何か事情があって部活をやめるのだろうから、それは無理か。体の不調が原因ならば、退部までする必要もないので、時間的要因が関係していると思われる。ここら辺は全部推測だが。

 「しかし…あの小牧がウチに来るか?」

 「どうだろう…剣道、1人でも続けそうな気がするけどね」

 神代先輩は訝しげな顔だが、佐伯先輩は少し呆れたように笑っている。

 小牧先輩は、剣道を1人で続けそうという言葉から考えると、気が強い、もしくは意地っ張り等の特徴があるのだろう。また、神代先輩の“あの小牧”という言葉から、何らかの極端な性分をしていると考える事ができる。更に言えば、2人は(少なくとも神代先輩は)この部活には入部しないと考えているようだ。この部だから彼女が入部しないと考えているのか、彼女が剣道部をやめることが考えられないのかは分からないが、いずれにせよ、相当気が強い人物なのだろう。

 ふむ。気の強い剣道少女。気になる。ここまで来ればもう美人に違いない。

 俺が期待に胸を躍らせていると、それはやってきた。

 「ただいまー。ユミチー連れて来たぞー」

 ガラガラと大きな音を立てて開く扉。そちらに目を向けると、まず見えたのは3人。

 先頭に立つのは金髪で緑色の目をした、いかにも目を引く少女。随分と小柄で、髪を右側で結っている。いわゆるサイドテールだ。第一声を放ったのは彼女。

 その少し斜め後ろにいるのは、これまたどこかで見たことがある身長165cm、目測Aカップのポニーテール美人。一昨日見た、佐伯先輩のお友達だ。この美人が話に出ていた小牧先輩か。

 その小牧先輩の隣にいるのは、巨漢…というほどではないが、結構横に幅のある男。いや、よく見れば身長もそこそこ高いのだが、やはり小太りという印象が抜けない丸顔の男子生徒だった。

 これまでの話から推測すると、先頭の金髪女生徒と後ろの小太りの男が、この第2演劇部の残りの2年生部員。ポニーテール女子はやはり、小牧先輩だろう。

 俺は挨拶しようかと3人に完全に向き直ってから、ようやく彼女に気がついた。

 「…」

 先頭の金髪先輩よりも、ある意味目を引く格好の女生徒だった。

 病的までに白い肌、血のように赤い眼、髪は美しいほどの白金髪。俺は彼女を知っていた。知りたくなくても知っていた。

 梔子 夢見。クラスは1-1。隣のクラスの女子だ。

 俺は入学式で彼女を初めて目にした。

 新入生の中で彼女だけが明らかに異質に映った。

 まるで別の世界から迷い込んで来た人間のように。

 その感想は、入学から2週間が過ぎようとしている今も尚、強く俺の中に居座っている。

 「その2人が新入部員かー。よろしくなー?」

 先頭に立っていた金髪先輩が、部室の奥にあるベッドに横になりながらそんな事を言う。そのベッド、普通に寝る用なんですか…。

 「ウチは春日井 遥。部長だからー、敬意を持って接するようにー…ふぁあ…ねむ…」

 しっかり毛布まで掛けて、完全に寝る体勢を整え終えた春日井部長はそのまま穏やかな寝息を立て始めた。俺は若干の衝撃を受けつつ、視線を元の方向に戻す。すると丁度、さっきの大きな男の先輩と目が合った。男は優しげな笑みを浮かべると、俺と佑介に声をかけた。

 「あー…僕は、藤林 武彦。ここの2年生」

 「俺は木庭 万次っす。よろしくお願いします」

 藤林先輩は、随分と人の良さそうな雰囲気がある男だった。身長も高く、体格もいいので神代先輩並みの威圧感があってもよさそうなものだが、優しそうな顔立ちのおかげでそんな雰囲気は微塵も感じられない。

 俺が軽く会釈しながら自己紹介を終えると、佑介も1歩前に出た。

 「僕は四十万 佑介です。よろしくお願いします」

 いつもの人好きのする笑顔で自己紹介をした佑介は、肘で俺の事を突くと、耳元に口を寄せた。息が耳にかかって気持ち悪い。

 とてつもない嫌悪感を抱きつつ、俺は佑介の言葉に耳を傾ける。

 「どうして梔子さんがいるんだろうね」

 「さぁな。剣道部騒動の道中で拾ったんじゃないのか?」

 俺はそれだけ言うと、佑介を避けるように距離を取る。これ以上近付かないで欲しい。お前の吐息とか耳にかかると悪寒が走るのだ。

 そんな俺の姿を見て佑介は少し呆れたような笑みを浮かべた。俺はこれ以上佑介を見ていると、腹が立って仕方なくなりそうなので、意識して視線を佑介から背ける。すると自然と先輩達の方向へと体が向く。

 「…佐伯さん。2人は見学者って扱いでお願い。話は聞いてるよね?」

 「あ、うん。…じゃあ、由美ちゃん達はこの名簿に名前を書いてねー」

 藤林先輩が指示を出すと、佐伯先輩が小牧先輩と梔子に見学者名簿を指し示す。由美ちゃんこと小牧先輩は、曇った表情でその名簿に名前を記入し、梔子にボールペンを手渡す。梔子もまた、すらすらと自分の名前を記入していった。

 「いやー。今年は4人も部員が増えていい年になりそうだねー」

 「あ、あたしはまだ、剣道部止めるなんて言ってないわよ」

 口調こそ強いものの、小牧先輩の表情はやはり晴れない。それほど剣道が止めたくないのだろうか。梔子はそんな小牧先輩を無表情で見ていた。もしかすると2人は知り合いなのかもしれないな。

 俺と同じように2人を見ていた神代先輩がパイプ椅子から立ち上がりもせず、何でもなさそうな調子で口を開いた。

 「見学に来たんだろ? だったら、何か見せてやったらどうだよ。佐伯」

 停滞気味だった会話が、その一言で止まらずに再び動き出す。その機を逃さぬようにと佐伯先輩もその話題に乗る。そんな彼女から、さっきよりも少し焦っているような雰囲気が見て取れるのは気のせいだろうか。

 「あっ、うん。そうだね。せっかくだし、2人共見てってよー。面白いのを見せてあげよう。ね? 木庭君?」

 急いで佐伯先輩から視線を逸らす。ん? 木庭? って、誰だっけなー…んー…俺の名字と一緒の名前の人間なんてこの部屋にいたか? 一応全員名前が出てきたような気がするんだが…んー…。

 「現実逃避しちゃ駄目だよ。木庭 万次くん?」

 「やっぱ、俺っすか…」

 ぽんぽんと佐伯先輩に肩を叩かれ、俺は思わずため息を吐いた。

 「ま、さっきの劇ではイイトコ無しだったし、名誉挽回のチャンスをくれてあげよう」

 「はぁ。まぁ、名誉挽回はいいんすけど…先輩もやってくれるんすよね」

 あまりに可愛らしい笑顔にほだされつつ、俺は劇に出演することを了承する。しかし、一緒に劇をやってくれる相手もいない状況では流石にやりたくないぞ。観客もいるし、ここですらすらとアドリブの1人芝居などできる度胸はない。

 俺の言葉は、佐伯先輩の笑顔を明らかに固い物にした。

 「え、あ、や…その…人に見せるとなると、話は別っていうかさ…その…ね? 由美ちゃんにああいうの見られるのは…恥ずかしい」

 「恥ずかしい事、後輩に押し付けないで下さいよ…」

 だってーと可愛らしく膨れる先輩を見ていると、そんなことどうでも良いような気がするが、一応大事なことだ。一人で語るだけなんて人前でやる事じゃない。しかも完全アドリブで。

 このままでは事態が進行しないと考えたのか、神代先輩が助け舟を出す。

 「じゃあ、役者は佐伯と木庭な。入りたい奴は途中で入ってよし」

 「え、ちょっと、翼君!」

 「シチュエーションは、夕暮れの教室、2人はクラスメイト、教室には他には誰もいない。はい、アクション」

 いつの間にか部室の中央には佐伯先輩と俺だけが取り残され、他の部員は部長以外全員壁際で立っていた。部長は相変わらずベッドで寝ている。

 「…」

 「…」

 どうやら、やるしかないようだ。

 ふん。佐伯先輩め。俺を1人陥れようとした罰が当たったのだ(神代先輩から)。しかし、これほどまでにオロオロしている佐伯先輩相手にどんな第一声を放てば良いだろうか。

 確か、シチュエーションは夕暮れの教室で2人きりの同級生…。

 状況だけ見れば、恋愛オーラがバシバシだが、アドリブで面白い恋愛モノは無理だ。そこまで考慮すれば、当たり障りのない会話から始める方がいいだろう。

 つまり、丸投げ。

 「…佐伯、今帰りか?」

 クラスメイトだし、これくらい普通だ…よな?

 俺の台詞に、佐伯先輩はようやく観念したらしく、こちらを振り返って少し意外そうな表情を作った。

 「うん。そうなの。委員会の仕事で遅くなっちゃって。木庭君こそ、こんな時間に帰り?」

 なるほど。先輩は委員会の仕事で遅くなっている。それに対して俺はこんな時間まで教室に残っているのは、不自然な生徒なのか。

 となると…理由としてもっともらしいのは、あれか。

 「あぁ…その…家に居辛くてな」

 …言ってから気付いたが、この状況ってどう展開させれば面白くなるんだ?

 佐伯先輩、すみませんが、気の利いた返答を…。

 そんな俺の願いが通じたのか、タイムラグもなく、先輩は困ったような表情を作り上げた。

 「え? その…ごめんなさい。変な事、聞いちゃって」

 「あ、いや、いいんだ。別に…」

 やった! やっぱり俺の祈りは通じ…あれ? このままじゃこれ、会話終わらないか?

 な、何か言わなくては…。っていうか、先輩。前回のノリの良さはどこに置き忘れてきたんすか。

 「その…父親が再婚するらしくてさ、女の人が家に居るんだ」

 「…」

 ああああ、駄目だ。完全に暗い雰囲気になってる。

 先輩も言葉を失っているのは演技なんですかーっ?

 ん? 視界の隅で誰かが動いてる…?

 もしや、救世主、神代先輩か…!?

 「ガラガラガラ。おーい、万次。一緒に帰ろう」

 それほど高くない身長に、ぴっしりと校則に準じた制服、人の良さそうな笑顔。

 うん、神代先輩じゃねーし。

 …まぁ、でも、雰囲気が変わるならこいつでもいいか…。

 俺は佑介の方に体を向けて、驚愕の表情を作る。身振り手振り付きで。

 「なっ…佑介! 今、俺は“いつもお調子者なのに意外な暗い部分に胸キュン大作戦”の実行中なんだよ! 女の子の口説き方は明日の放課後教えてやるから、邪魔すんじゃねーよ!」

 「えぇー…? また別な女の子相手に同じ作戦使ってるの? あ、それよりさ駅前の…」

 「うっせぇな! 後にしろ、とにかく今は…あ」

 俺はゆっくりと背後を振り向く。

 そこには、若干俯き加減の先輩が立っていた。どこからともなく、暗いオーラが漂ってきている気がする。

 「暗い部分に胸キュン大作戦…? 女の子の口説き方…? ふーん…」

 「あ、いや、その…佐伯さん? お、怒っていらっしゃいます?」

 「いいえ、別に怒ってないです」

 「あ、あの…」

 佐伯先輩はくるりと背を向ける。

 「これからは出来る限り、私に声を掛けないで下さいね。不愉快です」

 「あ、待って!佐伯さん、愛してるよーっ!」

 佐伯さんに右手を伸ばすが、佐伯さんの背はみるみるうちに小さくなっていった。俺はその場に崩れ落ち、教室の床に拳を叩き付ける。

 「ち、チクショウ…また、振られた…」

 その背に、温かな手が差し伸べられる。

 「まぁ、そう落ち込まないでよ。君には、僕がついてるでしょ?」

 「佑介…」

 差し伸べるだけで飽き足らなかったのか、佑介は俺の首に腕を回す。頬と頬が擦れ合うような距離で、佑介が語り掛けた。

 「結婚しよう。万次。僕が、僕が一生大切にするから」

 「嫌じゃボケェッ!!」

 俺は割りと本気でエルボーを繰り出し、佑介の甘々拘束術を破る。そのまま立ち上がると吐き捨てるように決別の言葉を口にした。

 「大体! お前が来なけりゃ万事上手くいってたんだよ! このド変態!」

 「ふ、ふふ…そんな言葉さえ愛おしい…!」

 俺が走り去り、床に倒れる佑介は俺の背中に手を伸ばしていた。

 「あぁ! 万次、愛してるよーっ!」



****

 「今回は佑介が来てくれて助かったすね。あのままじゃ話にならなかったっすよ」

 「木庭君、あの乱入からよくもまぁ、あんな台詞が出てくるよねー…」

 「そういえば、丁度よく天丼で終わりましたね。この劇」

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