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小さなバレンタイン

作者: 豆乳鍋

それを見たとき、4月の光景を思い出した。薄紅色の桜の花弁が水面に浮かぶ、絵に描いたような風流な様子。おれは足元の水たまりに浮かぶピンク色のかけらを拾い上げた。濡れた紙の感触がする。水の上に何枚もばらまかれた破片には鉛筆で書かれたような「バレンタ」「あってくださ」「つなぎより」が滲んでいた。手紙だ、と理解する。バレンタイン、つきあってください、だろうか。今日は丁度2月14日。恋人たちが生まれ、寄り添い。拒絶されたものはひとり泣く両極端なイベントだ。この「つなぎ」という子は後者であろう。ピンクの便箋は破り散られ、同時に恋も散ったわけか。なんだが短歌の掛詞のようなものを想像してしまった。

「はぁ」

 かわいそうだ、と。ラブレターを破り捨てるような神経が信じられない、と。おれはため息をついてしまった。他人に対して基本的に「どうでもいい」「関係ない」としか思わないおれでもこの仕打ちには同情した。おれはかけらを拾い集めてティッシュにそれをくるんだ。このままにして、この道を通る人に憐みの視線を向けられるなんてことはあってはいけない。燃やしてあげよう、とおれは考えた。丁重に葬ろう。まあ、安いライターで火葬することしかできねえんだけど。

 だれが書いたのかわからない、正確には送り主の名前しか知らない手紙にここまでする義理なんてなかった。けれど、どうにも他人事だと割り切れないのだ。昔、おれもラブレターのようなものを書いたことがあったからかもしれない。

 中学三年の時、バレンタインデーに同じクラスの好きな子の下駄箱に、ちゃんとした店で買ったチョコレートと、受験のお守り、「応援しています、頑張ってください」と書いたメッセージカードをラッピングして入れた。ラブレターというには拙すぎるけれど、おれにとっては「好きです」と同義語だから、まあラブレターってことにして。自分の名前を書く勇気がなかったから名無しのまま贈ったせいで、結果は彼女を困らせただけというものに終わった。でも、彼女はその年の受験の日、学生かばんにお守りをつけてきてくれた。それがこの上なく嬉しかった、と遠いところで輝く思い出を追憶する。

 そんなことをしながらコンビニへ向かった。ライターを手に取りレジへ向かう最中に「聖☆バレンタインデイ」というポップが掲げられたチョコを売る特設売り場を見つけた。チョコレートを食べたい気分になったが、あと一日待てば売れ残りが安く買うことができるかもしれないから我慢する。ライターだけ買って公園へ向かう。火災報知機が反応しそうなので家では燃やせない。公園ならいいだろうと思ったのだ。ポケットから2週間前に買ったガムを取り出し、噛みながら歩くと公園に到着した。人が来ないと推測できる、使用禁止のプレートがかかった遊具の影で燃やそうか、と歩を進める。

その途中に、頭に痛い冬の冷たい風と一緒に女の子の泣き声がするのにおれは気付いた。無意識的に音源を発見する。ベンチに座る高学年くらいの小学生だ。バレンタインにチョコを渡した結果振られたのかもな、と直感する。こういう光景を見てしまうと、やっぱりあの時に名無しでバレンタインのチョコを渡したことは正解だったんだと思ってしまう。傷ついてプライドがずたずたにされるなんて、痛すぎる。

 ずきりと締め付けられる胸をそっと押さえながら歩くと、見たくないものを見てしまった。前方のゴミ箱に入ってるもの。おれは胸糞悪すぎて舌打ちをしてしまった。

 水色の包装紙に包まれ、赤いリボンが結ばれているチョコレートと想像できるそれをゴミ箱から取り出した。こんな酷いことをする奴がいるのか。許せない、と歯を噛むことはしなかった。ただ、おれの好きなあの子なら絶対にこんなことはしないのになーと思う。でも、やっぱり。

 気が付いたときにはベンチに座る小学生に声をかけていた。

「おい、……じゃなくて、すみません」

 すると、彼女がゆっくりと顔をあげた。涙やら鼻水やらで顔がぐしゃぐしゃになっている。おれはポケットからティッシュを取り出し彼女に握らせた。

「涙ってさ、透明な血液らしいよ。あんまり泣いてると出血死しちゃうんじゃない」

 でっち上げの詩的な嘘を口にすると、彼女はティッシュで顔の血液を拭って治療を始めた。泣くことをやめてくれそうだ。

「……お兄さん、だれ?」

 もっともな疑問を嗚咽混じりの声で投げられる。

「威音。威風堂々な音楽って書くんだ」

 名前を説明したけれど小学生に「威」の字が理解できるか心配になったため、「マイナスイオンのイオン」と言い直してみたけれど、これじゃあ漢字の説明になってないな。音楽好きの母親と科学者の父親の間の子だからこの名前になったらしい。おかげで科学の授業の時、教師におれの名前とイオンを絡められて何度かネタにされた。心の底が沸々としてきたときに彼女が名乗った。

「つなぎ。繋がるの繋」

 予想できた名前だった。破られた手紙の子。もしかしたら、捨てられたチョコレートの子。

「つなぎか、いい名前だ」

 昔好きだったあの子と名前が似ている。あの子はみなぎという名前だった。つながりに価値を感じたわけでなく、みなぎと語感が似ているからいい名前だと思った。まあ、あいつのことがなくても、威音よりはいい名前だよな。

「おれな、つなぎが泣いてるのを見て、どうも他人ごとだって思えなくて声をかけたんだ」

「他人ごと」

 つなぎが反芻する。

「おれ、昔……水薙っていう好きな子がいたんだ。中3の今日に彼女にチョコレートを下駄箱に入れたことがある」

 みなぎ、と彼女が反復した。名前が似ているからだろう。

「そのチョコレートにはおれの名前は書かなかったし、好きだと書くこともしなかった、っていうかできなかった。つなぎに何があったかは知らないけれど、つなぎは多分、『好きだ』って伝えて上手くいかなかったから泣いているんだよな」

 そう問うとまた彼女の目に涙が溢れた。泣かせたいからこの話をしたわけじゃない。

「つなぎは偉いよ。ちゃんと伝える勇気があるんだから。よく頑張ったな」

 頭を撫でる。こんなに小さな子でも向き合って好きだと言えるのに、おれはできなかった。プライドが傷つくことを恐れて。クラスメイトという関係を壊すのが怖くて。振られるのを、何となく察してしまって。理由はいくらでもある、でも、一番ははっきりと拒絶されるのが耐えがたいからだろう。

 うわああ、とつなぎは鳴き出した。何となく雰囲気というか流れで抱き寄せてしまう。服が目からの出血で汚れるんだろうが別に構わなかった。まだ彼女は庇護されるべき子どもだから、優しくしてやらないと。とか思ってみるが、本心は彼女にあの子の面影があるからかもしれない。まあ、こんな台詞を使ってみたかっただけっていう可能性もあるけどさ。

 彼女ををぎゅっとしたままいくらか時間が経過し、ここからどうしようかと考え始める。まだどちらかと言えば幼いために基礎体温が高く、あたたかい身体を抱いているのは居心地がいいといえばいいんだ。けれど、そのうち警察に「ロリコンがいます」と通報されそうな気がしてきた。優しく彼女を引き剥がすと、「服を汚しちゃってすみません」と謝られる。気にするなと言っておいた。

「あの、それ」

 持っていたチョコレートを指さされる。

「わたしのです。それ、わたしが自分で捨てるので、返してください」

 ゴミ箱に入れたままなのは忍びなくて回収してきてしまったのだ。

「自分で捨てるのは……親御さんに見られたら悲しむと思うんだ」

 勝手に親の気持ちを想像してみた。自分の娘が作ったチョコレートを娘自身が捨てるのを見たら、とてつもなく胸が詰まる。ダメだ。彼女を見ると、彼女もまた苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「だからおれがどうにかしとくよ。っていうか、よければおれが食べちゃっていい?」

 今更捨てづらくなったので食べようかと思い立った。おれの提案に驚いたのか固まった彼女を見て、勝手にラッピングを解いてチョコレートを手にとった。ハートのアラザンで飾られた石畳チョコだ。小学生が作るチョコレートにしては群を抜いてうまいんじゃないか、と思ってみる。小学生の作るやつはやたら固そうという勝手なイメージがあった。彼女が止めないのでそのまま口に入れる。

可愛らしいラッピングときらきらしたアラザンを見て、甘いもんだと思い込んでいたが、口に広がったのはほろ苦さで。

「大人の味、って言えばいいのかな」

アラザンを噛み砕けば丁度いい甘さにはなったのでチョコとしての完成度は申し分なかった。うん、おいしい。でもおれが好きなのは、もっともっと糖度の高い、甘ったるいくらいのチョコレートだった。いつまでも子ども舌だなぁ、と自嘲する。

「強い大人になるにはさ、思いを伝えるその勇気って......絶対必要だから」

あの子を追いかけるのが楽しかった。ちょっとでも気を引きたくてはじめたお洒落も、美容に気を遣って少しずつ垢抜けていくのも楽しかった。おれはあの時の思い出の甘さにまだ囚われたままで。

彼女に掛ける言葉が上手く見つけられなかった。どばどばとチョコレートより黒い感情が溢れてくる。

「やなぎ、ホワイトデー、楽しみにしててな。レディーには優しいから三倍返ししてあげる」

おれは女性に優しいわけではない。でも、おれより彼女のほうが大人だ。レディー、そう認めてやる。

ホワイトデーには甘い甘い、真っ白でふわふわなマシュマロを贈ろう。彼女の心が少しでも癒されるように。喜んでもらえるように。

「......うん! やくそく!」

涙を吹き飛ばすくらいに笑ってみせた彼女には、一ヶ月後の慰めなんていらないかもしれないけど。

彼女の勇気を讃えた贈り物を、それでも受け取って欲しいんだ。

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