レジから始まる恋
ボサボサ頭にメガネの男性。黒く、如何にも何もお手入れしてません、寧ろ寝起きヘアーですと主張しているような髪型。俯き加減の顔からは目がよく見えず、そのボサボサ髪ばかりに目が行く。店長さんもなんでこんな人を雇ったのかな、そんなに人手不足なの?と年下ながらにも思ってしまう。たぶん、大学生かフリーターだろうなあと勝手に想像してるその人は、某コンビニの店員さん。実は最近のマイブーム なのだ。
世間の女子高生のお財布事情は知らないが、毎日コンビニに行けるほど、私のお財布はふっくらもホクホクもしてない。お小遣いがないとかそういうわけではなく、私の通う高校はバイト禁止の女子高で、実は寄り道してコンビニ行くことさえ許されてはいない、校則の厳しいところなのだ。
――校則はたまに破るのが楽しい。誰かがそんなことを言っていた気がする。毎週金曜日の放課後に、このコンビニに寄ることがその、『たまに』に値するかどうかは謎だが、これくらいの自由は許されてもいいと思う。私の寄るコンビニは、学校からも割と離れていて、家からも離れている調度いい位置にある。言わば、中間地点?にあたるかもしれない。家と学校がそこそこな距離であることがこんなことに役立つとは思いもしなかった。門限はあるが、親に寄り道して怒られるようなことはない。そんな親ではないから。学校の先生に見つかったらまずいけれど、親に見つかる分は問題ないと踏んでいる。ただ、自分だけの秘密にしたいという感情があるのだ。マイブームだから。そう、マイブームだから。
コンビニの制服に付けられた名札には“川島”と書かれてある。彼の名前は川島さん。でも私の中では、“お釣り君”と変換されている。
――大抵、お釣りを渡すときは手か指が触れる。お金を払って、お釣りを返すのだから、それは当たり前のことだ。さすがに、そのくらいで、痴漢だのセクハラだの騒ぐ人はいないだろう。居たとしても、私はそんな人は知らない。なんでこんな話をするかというと、お釣り君こと川島さんが、面白いくらいに、私の手に触れないようにお釣りを渡してくるからだ。まるで全神経を指に集中させてるように。そして見事に触れることはない、それがツボでツボで仕方ない。お金はぴったり渡せるときもあるけれど、あえて、そうしない。わざとお釣りが返ってくるように払う。だって面白いから。大抵買うのは、お菓子や、ジュース、アイスなどの小さな何かをひとつ。
今日もアイスをひとつ手に取り、レジに向かう。長い指が器用に働くのを見ながら。
「126円になります」
俯き顔から聞こえる声に、私は130円を取り出し、台に置く。
「130円お預かりします。4円のお返しです。」
見事に触れない指。そう、これがマイブームなのだ。
――訪れた金曜日の放課後。いつも通りの放課後。心地よい風が頬を掠め、心も弾んだ。ただ、私はいつも通りでもその日は違った。ちょっとウキウキしながらコンビニに行くと、レジに立つのはお釣り君ではなかった。携帯を開いて、曜日を確認する。うん、金曜日だよね、今日。商品を眺める振りをしつつ、店内を歩きまわり探してしまうあの姿。でも、いなかった。にこりと笑いかけてくるレジに立つ茶髪女性の顔が妙に気に食わなかった。……お呼びじゃないのよ、あんたは。なんて決して思ってませんとも、ええ。
結局何も買うことなく、コンビニを出る。もしかして風邪?それともシフトが変わったとか?足元から伸びた影を見ながらそんなことばかりを考える。辞めた、という考えは一瞬浮かんだけれど、すぐさま打ち消した。
翌週の金曜日は、なぜかコンビニに足が向かなかった。足が重かった。気分も。頭の中で浮かんでは消える姿。意味の分からない感情に、首を傾げていた。その次の金曜日は、自然にコンビニに足が向いた。いつも通りの私だと思った。そして――お釣り君はいた。ボサボサ髪で、俯き顔から僅かに見える銀フレームのメガネ。いらっしゃいませ、の声が心地よかった。ガム一つの買い物。今日も面白いくらいのお釣り君だった。
それから、またいつも通りの日々で。毎週金曜日にはアイスを買ったり、ジュースを買ったり。触れない長い指の面白さは未だ健在で。その俯いた顔の表情はどんなものなのかと気になった。眉間にしわは寄ってるのか、とか、目を見開いているのか、とか。マイブームがさらにマイブームになっていた。
ある金曜日の昼休み。教室で友人らと机をくっつけ、談笑しつつお弁当を食べていた。
「最近思うんだけど」
「ん?」
卵焼きを口に運ぶ私に、友人らが、ずいっと顔を寄せてくる。思わず、落としそうになったそれを慌てて口に押し込み、咽るのをこらえた。卵焼き、セーフ……!
「もう、みんなして何よ…」
お茶をこくりと喉に流して、そう言うと、綺麗に重なった言葉を返された。
「「金曜日って何かあるの?」」
「……」
沈黙を返し、そんなに態度にでていただろうかと冷静に考える。面白いけれど、楽しみではあるけれど。…確かに、金曜日は特別で。でもそれは言いたくない。
「特にないけど?」
絶対言うもんかと心に決め、口を開く。
「「ほんとに?」」
さらに近づいてきたいくつかの体を押しのけ、笑う。
「こんな校則厳しい学校じゃ毎日何も変わらないよ」
でしょ?と同意を求めるように、首を傾ければ、顔を見合わせ、だよね~と友人らは笑った。そして他愛のない会話。マイブーム、セーフ……!
――そして放課後。何故か昼間の会話が気になりつつ、駅を出ていつものようにコンビニへと歩く。コンビニに入り、まずはお釣り君の姿を確認して、今日は何にしようかと店内をぐるり。色々迷って、チョコ菓子をひとつ手に取り、レジに向かった。
「105円になります」
耳に響く心地よい声に、指は110円を掴む。5円玉は財布にあるのだけれどそれは無視。台に置いたお金を、すっと長い指が掴む。――でも、わずかに見えた赤に手が動いた。
「血、出てる」
素早くつかんだ右手の人差し指には小さな赤が滲んでいた。相手がどんな顔をしてるかは頭になくて、左手はごそごそとバックを漁り、ポーチの中から絆創膏を出していた。
「これどうぞ、…っ!」
スッと絆創膏を差し出すと同時に顔を上げる。すると驚くべきことに、お釣り君と、目が合い、心臓が跳ねた。いつも俯き加減の顔はまっすぐに私を見下ろしていて、目は大きく見開いていて、まさに驚いた表情。…あの、びっくりしたのはこっちなんですが…!
僅かな沈黙の後、我に返り、もう一度その手にあるものを差し出す。
「これ使って下さい」
「…!あ、は、はいっあ、ありがと、うございま、す」
顔に朱を走らせ、途切れまぎれの言葉に、思わず笑い声が漏れる。馬鹿にされたと思ったのか、お釣り君はますます顔を染まらせ、俯いた。僅か数秒の、器用に動く指に釘付けになる。絆創膏を指に巻く時間はほんの僅かだった。髪の隙間から見える頬はまだ赤いようだったけれど。
「お、お待たせしました。5円のお返しになります」
あれほど、動揺していたのに、お見事というべきなのか、お釣り君はいつもの所業で、全く、指は私の手のひらには触れなかった。それが少し残念に思った。いつもは、面白いと思うはずなのに、なぜかつまらなく感じた。ありがとうございました、という彼の声を背に感じながら、コンビニを出る。
夕日の眩しさに思わず目を閉じる。思い出す、あの指の感触。ゴツゴツはしていない、すらっと長い指。手に残る感触が、妙に、心を浮つかせた。初めて、触れた。初めて、顔を見た。慌てる姿が可愛いと思った。綺麗な指にちょっと嫉妬したというのは秘密だ。
その翌週、お釣り君はいた。先週のことを思い出して、妙にむず痒い気持ちになった。今日も同じように店内をぐるりと見回して、ジュースをひとつ手に取り、レジに向かう。商品を台に置き、お釣りがくるように財布からお金を取り出して、置く。
「3円のお返しになります」
その声を聞いて、手を差し出す。もう傷は消えたのかなあとお釣り君の指の動きを見ていると、のんびりとした思考がフリーズした。
――まさかのまさか。触れ、た。というか、触れるどころではなく、お釣り君の手が私の手を包んでいた。……え、あ、は?あいうえお!?頭の中で間抜けな自分の声が響く。ちょっと、待て。あいうえおってなんだ。て、違う!私のお釣り君はどこに行った!?え、いや、『私の』という表現にそういう変なことは含まれているわけではないけれど。ああ、もう!そういうのはどうでもよくて!触れない人がここまで触れるってどういうことよ!
状況を把握した瞬間の脳内を走り回る言葉たち。そうだ、きっと、これはお釣り君ではないんだ。その辺のどこにでもいるようなボサボサ髪でメガネのそっくりさんなんだと、声も似ているそっくりさんなのだと言い聞かせて、凝視していた手から目を外し、顔を上げようとした瞬間、声が降ってきてまた固まった。
「ば、絆創膏のお礼です」
――バンソウコウノオレイ。ばんそうこうのおれい。絆創膏のお礼?ゆっくりと彼の手が離れて行くを見ながら、頭の中で変換作業が行われる。そして、今頃になって、手のひらの中にある、お金とはまた別の感触に気付く。
――もしかして飴?
別に高価なものを期待してたわけじゃないけど。連絡先かなとか期待した自分は決していないことをここに誓っておく。断じてそんなこと期待はしてません!でも、嬉しかった。手のひらを開こうとすると、小さな声でストップがかかった。
「だ、だめです!」
「え?」
「お、おまけなので、誰かに見られたら、だめなので!と、特別なので!」
矢継ぎ早に言われる言葉に、ポカンとする。なんですか、それは。手のひらに収まっているから飴だと思うのだが、飴ひとつでそんなに必死になることではない、と思う。誰かに見られたらと言っても、今、他のお客さんはいないわけで……。俯いたボサボサ髪に頬が緩んだ。妙におかしかった。特別、という言葉がくすぐったかった。
「ありがとうございます」
閉じたままの手をそっと下して、そう言うと、お釣り君が何をほっとしたのか、肩の力を抜いたのがはっきりと分かった。それさえも、面白いと思ってしまった。また笑うと、小さくなるだろうから笑うのは堪えたけれど、可愛いという感情は膨らんだ。
「じゃあ、また来ますね」
「はい、また」
返事は期待していなかったのに、予想外にも、当たり前のように返ってきて、口元が緩むのが止められない。いつもとは違う、やりとり。小さなやりとり。“また”の約束。小さな約束。手が、熱かった。
それからというもの、少しずつ会話をするようになった。ほんとにどうでもいいことなんだけど。『暑いですね』『アイスなら○○がいいですよ』とかそんな話。お互いのことを聞くようなことはなかった。私も聞かなかったし、お釣り君も聞かなかった。そして、あの面白さは続いてた。会話をするようになってもお釣り君はお釣り君だった。
季節が変わり始めたある日の金曜日。その日、私は荒れていた。心が。文化祭の出し物を決めるにあたって、クラスがまとまらず、話し合いもぐだぐだで。文化祭実行委員のひとりである私は、担任の先生にも急かされて。すべてに腹が立っていた。毎月のあれが痛い所為もあって、全部全部全部。何もかもが嫌だった。だから、余裕がなかった。頭の中はぐちゃぐちゃだった。大量のお菓子を欲するほどに。
このコンビニでカゴを手にするのは初めてだった。スナック菓子、チョコ菓子、ジュース。適当に色々と入れたカゴをレジにドカンと持って行った。様子を窺うようなお釣り君は完全無視。バーコードを読み取る音さえ腹が立って仕方なかった。私が私じゃなかった。
「1250円になります…」
乱暴に財布の中から1300円を取り出し、またしても乱暴に置く。このイライラをどうすればいいかわからなかった。
「何か嫌なことでもあったんですか?」
いつもとは違う緩慢な動きでお金を手に取り、問うてくる声に、イライラが募る。八つ当たりしたくないから、今日は話しかけてほしくなかったのに。
「大丈夫ですか?」
黙っていれば、さらに、気遣うような声。大丈夫?大丈夫なわけがない。大丈夫だったらこんなお金の無駄遣いしないし、こんなに乱暴にならない。私が私じゃなくなることなんてない。そんな当たり前のこと、なんで聞くの。なんでコンビニ店員のあなたに心配されなきゃいけないの。なんで心配してくれるの。
――お願いだからもう、ほっといてよ。
「あの…」
「お釣り」
「……!」
「お釣り下さい」
「は、はい、すみ、ませんっ」
自分でも分かるくらいの冷たい声。手のひらに乗ったお金。私は私じゃなくなってるのに、お釣り君はお釣り君で。それがムカついた。お釣り君は悪くないのに、ムカついた。お釣りを財布に入れ、差し出されたコンビニ袋を掴む。
「あの、気を付けて…」
「……っ」
優しいその声が私のスイッチを押した。最悪なことに。体の真ん中に冷たい何かが走る。すべてが冷えていく。息を吸ったときには、もう、遅かった。
「なんであなたに心配されなきゃいけないんですか。関係ないでしょう」
「え?いや、でも、その」
顔を俯かせて、わたわたする頭を睨み付けるように、顔を上げる。
「所詮あなたはコンビニ店員で私は客。そもそも店員としてその髪はなんですか。いくらコンビニだからってそれはないと思う。顔だってちゃんと上げて客を見たら?人の心配する前に、自分のこと見直して。ではさようなら」
一気に言い終わると、すぐさま背を向けてコンビニを出た。歩きながら視界が滲んでいくのがわかった。私は、何をした?私は、何を言った?何も悪くないお釣り君に、何を?最悪だ。最悪。最低なことをした。最低なことを言った。コンビニ袋を握った手が震える。こんなお菓子捨ててしまいたかった。歩みが止まる。靴に雫が落ちる。
……キラワレタ。絶対、嫌われた。
――どんなに辛くても明日はやってくる。お釣り君を想って毎晩泣く、なんて乙女なことはなかった。文化祭の準備に追われて泣くような余裕もなかった。むしろ、彼のことを考える時間がなくて助かった。帰る時間も遅くなった。毎週金曜日の習慣も消えていた。ただ、休み時間とか、寝る前に、ほんのわずかな時間、私の頭はお釣り君に支配された。
確かに、お釣り君はマイブームで。でもこんなにも混乱させられるなんて思ってもいなかった。だって、彼に言ったように、所詮コンビニ店員と客で。最初は面白いだけだったのに、いつの間にか別の感情に振り回されて。胸が、痛んだ。
「ただいま」
「おかえりー」
文化祭の準備を終え、コンビニに寄ることなく帰宅する週末。洗面所で手を洗っていると、母が近寄ってくる。
「文化祭見に行くねー」
「うん」
鏡越しに笑うと、お父さん今日も遅いのよねえ、とぼやきながら母が離れて行った。その背中に思わず、唇が動いた。
「…お母さんは男の人のこと可愛いと思ったことある?」
驚いたように振り返った母に、しまった…と後悔した。
「急にどうしたの?」
「え、あーちょっと聞いてみただけ!忘れて!」
「そう?」
妙ににまにました母の顔が気持ち悪い。
「な、なに」
「ううん、そういうお年頃なのかなあと思って」
「なによお年頃って」
「ふふ、お父さん可愛いよね」
「は?」
濡れた手を拭いて母に顔を向ける。
「お父さんが可愛い?」
「うん…」
「そうは思えないけど」
「お母さんはお父さん好きだから」
――出たよ、万年新婚夫婦。
「好きな人だからこそ可愛いと思うの」
「え?」
「可愛いと思ってしまうのは、好きの証拠」
「そう、なの?」
可愛いと思うのが、好きの証拠?
「少なくともお母さんはそう思ってる、ってだけ。ほら、お風呂入っておいで」
「あ、うん」
「頑張れ青春!」
「…はい?」
台所から追い出す母の顔がまた気持ち悪かった。
――チャプンと水音が立つ。手のひらを開いては閉じ、閉じては開き。水面に映る自分の黒髪を見ながらまた、お釣り君を思い出した。母は言った。好きだから可愛いと思うと。お釣り君は面白いと思う。そして可愛いとも思う。ボサボサ髪も、俯き顔も、たった一度だけれど、見てしまった目も。優しい声も。器用に動く長い指も。全部、可愛い。
つまり、だ。つまり。私は…。お釣り君のことが…。
「すき、なんだ…」
声にした瞬間、浴室に響いた言葉に我ながら耳を塞ぎたくなった。―-このまま浴槽に溺れてしまってもいいだろうか。……自覚した感情に、頭がぐらぐらする。どうしよう、どうしよう。好きなのに、傷つけた。それにあれから何週間もコンビニには行ってない。もしかしたらあそこを辞めたかもしれない。もしかしたら私に会いたくなくて、辞めたかもしれない。自意識過剰かもしれないけど、でも、もしものことばかりが頭に浮かんだ。会うのが、恐い。でも、逃げたくは、ない。傷つけた。謝らなきゃいけない。会わなきゃいけない。好き、だから。
――文化祭が終わったら、コンビニに行こう。ぶくぶくと浴槽に顔を沈めながら誓った。
「文化祭成功を記念して…」
「「かんぱーい!!」」
片付けをすべて終え、無事成功した文化祭。昼間の賑やかさも消え、静まりかえった校舎だが、いくつかの教室は騒がしかった。最初はどうなることやら…と思っていた我がクラスの模擬店もそこそこの収入で、みんなの笑顔が溢れていた。私のクラスはジュースやお菓子を広げて小さな打ち上げを開いていた。日頃厳しい学校が許してくれた楽しい時間。でも、広げられたお菓子を見るたびに、あの姿を思い出して、盛り上がった空気に溶け込めなかった。
今日は金曜日。あの、金曜日。
―-会いたい。湧き上がる想いに体が動いた。
「ごめん、帰る!」
「「え?」」
クラス中の視線を集めているのを感じながらも、荷物を手に取り、教室のドアへ走る。
「ちょっと大事な用があるから!あとはみんなで楽しんで!じゃ、また来週!」
「ちょ…!」
友人の止めるような声を無視して廊下を走った。慌てている所為かすんなり履けない靴にイライラしつつ、校舎を飛び出し、駅まで走る。その勢いで改札を通り、ちょうどいいタイミングで来た電車に乗り込む。汗のせいで前髪が額に張り付く。肩に散らばる髪も首に張り付く。でも他の乗客の視線なんてどうでも良かった。席が空いても、座る気分にもなれなかった。下車する駅のアナウンスを待って待って待って。着いた瞬間ホームを走った。改札を抜けて、コンビニに向かって走った。気持ちに急かされる。想いに急かされる。心臓の音がうるさかった。もうすぐ、会える。
そのままコンビニに飛び込みそうな足を、キッ!と止めて、裏の方に隠れる。タオルで汗を拭いて、鏡を取り出し、髪を整える。胸に手を当て、呼吸を整える。吸って、吐いて、吸って、吐いて。――どうか、いますように。お願いだから。お釣り君、いて。
肩にかけたバックを握る手に力が入る。ゆっくりと入り口の方へ歩き、自動ドアが開いた。顔を見るのが、恐くて俯いたままコンビニの中へ足を踏み入れる。いらっしゃいませ、の声に心が震えた。あの、声。そっと目だけを動かすと、――奥のレジに立っているのは、お釣り君、じゃなかった……。
耳がおかしくなったのだろうか。確かに、お釣り君の声だったのに。週一にしか聞いてなかった声だけど、耳には深く残ってたのに。でもいつものお釣り君の場所にいる人はボサボサ髪でもなくて、メガネでもない。ちょっと俯いて、なにかごそごそやってるけれど、違う。――ああ、もう、いないんだ。その事実が胸を突き刺す。
想いすぎて、声だけ耳に流れてきたんだと、自分に言い聞かせる。いない。いないんだ。お釣り君はいない。ぼんやりと店内を廻る。あのお菓子は買ったことがある。このジュースも買ったことがある。綺麗に陳列されたものを見ながら、今までのことばかりが脳内を駆け巡った。まるで思い出に変えてしまうかのように。
ぼんやりとお菓子コーナーを見ながら、以前、お釣り君がおすすめしていたお菓子を手に取る。食べて感想を言おうと思ってたのに。目にじわりと来るものを感じながら、息を吐いた。今日は、これにしよう。今日で、最後にしよう。金曜日のマイブームは終わり。
スッと、お菓子を台に置く。
「148円になります」
財布の中を動く指は、勝手に200円を手にしていて、我ながらおかしくなった。癖に、なっちゃった。それもこれもお釣り君の所為だと言ったら、彼は怒るだろうか。
「200円お預かりします」
ああ、また声が似て聞こえる。
「52円のお返しです」
ああ、もうあの面白さは……
……え?
既視感を覚える。いや、既視感なんかじゃない。見覚えのある指。だって、この指は。長い指は。それに、このお釣りの渡し方は……ひとりしか、いない。ひとりしか、知らない。
「大丈夫ですか?」
――う、そ……だ。
手のひらに乗ったお金が落ちる音が他人事のように聞こえる。左肩にかけたバックも床に落ちた。慌てるような声なんてどうでも良かった。ゆっくりと目に入る名札の文字。“川島”の文字。なんで、なんで、なんで。なんで、いるの…?
「お久しぶり、ですね」
――お釣り君が、ここに、いる。
見上げる先に、ボサボサ髪でもないメガネもしてない人がいる。黒髪短髪。ちょっとたれ目の男の人。まるで、別人。一度だけ見たメガネの奥の目はあんな目だった気がする。声が教える。指が教える。
「もう来ないかと思いました」
そんな呟きと共に落としたお金を手のひらに返される。今度は、ぎゅっと手を包み込むように。じわりと流れてくる。温もりが。いる、いる、お釣り君が。
「この前はすみませんでした」
「ち、ちが……」
謝るべきなのは私だ。どうして、あなたが謝るの。思っていることが言葉にならなくて、唇ばかりが震える。
「ちょっと浮かれてたみたいで。自惚れてたんです。あなたが言うように僕は所詮店員で」
ちがう、ちがう、ちがう、ちがうの。
「でも、少しは頑張ってみたんです。あなたに言われたように。……僕は少しは店員らしくなれましたか?」
困ったように、笑う彼に、私は呆然とする。――こんな、優しい人を、私は他に知らない。
「僕があなたに向ける感情は、きっと迷惑かもしれないけれど」
ちがう、だめ、まって、言わなきゃ、言わなきゃ!
「ごめんなさい!」
震える唇を叱咤して、必死に動かす。とりあえず、謝って、それでそれで。
「……。そう、ですよね」
お釣り君の沈んだ声に、そっと離された手に、さらに焦る。ちがう、まって、まって!
「違うの!」
離れた手を両手で掴む。またお金が落ちるけどそんなのはどうでも良かった。言わなきゃ。ちゃんと。
「この前は八つ当たりしてごめんなさい!学校で嫌なことがあって、イライラしてたの。傷つけてごめんなさい。迷惑なんかじゃない、の。迷惑じゃない。ごめんなさい、私、私」
敬語を忘れためちゃくちゃな言葉。きっと呆れられてる。でも、私は。お釣りの渡し方が好き。長い指が好き。優しい声が好き。指は器用なのに、少し不器用な性格が好き。あのボサボサ髪も、メガネも。今の姿も。全部。全部。可愛くてしょうがない。そんなお釣り君が、私は――。
「好きです」
「……!」
まっすぐに見つめた瞳が大きく開かれた。
「お釣り君が、好きです」
「……お、お釣り?」
「あなたが、好き」
言葉が止まらない。どうか、今だけ。
「ずっと好きでした」
「……あ」
もう、傷つけないから、これだけは許して。
「きっと私の方が迷惑だと思います。ごめ」
「僕も」
「……え?」
「僕も、同じだと言ったら、あなたは迷惑ですか?」
はっきりと聞こえた言葉を頭の中で繰り返す。―-お、なじ?それは、どう、いう……こと?
「好きです」
体が震えた。
「僕もあなたが好きです」
掴んでいた手をそっと剥され、手のひらには、二度も落としたお釣りと、飴がひとつ。そのまま手を閉じられ、包み込まれる。
ゆっくりと顔を上げれば、今まで見たことないような笑顔がある。真っ直ぐに私を見てくれている。手には、触れる指がある。お釣り君、がいる。
「開いたらだめですよ?おまけなので、特別なので」
―-レジから、恋が始まる。きっとあなたの通うコンビニでも。
fin
読んでいただきありがとうございます。
これはツイッターのフォロワーさんとの会話で生まれた作品です。
ここまで長々と書いたのは初めてかもしれません・・・。




