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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第13章 除軍
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第4節 死地

「ここにいるぞーっ!」


 「死地」に似つかわぬ若々しいその声に、徐栄と樊稠は思わず振り返った。そこには、薄黄色の馬にまたがった小柄な少女がいた。快活そうな笑顔を浮かべている。


 年は十代半ばだろうか。長い髪を、左脇でまとめている。若い女性らしい服に身を包み、健康的な太ももを惜しげもなくさらしていた。

 

 その少女は、まるでいたずらっ子のような表情を浮かべ、両手を万歳するかのように広げると大声で叫んだ。


「はっはっはー!よくぞ、わたしがこの村に潜んでいることに気づいた!」

「いや、気づいていねえし」

「も-、ノリが悪いな―。そこは『おぬし、何者だ!』って返してくれなくちゃ」

「「……」」


 徐栄と樊稠は、顔を見合わせた。


 振り返った時、なぜここに少女がいるのか戸惑った。これが洛陽の街中というのならば、わかる。彼女のような格好をした若い女性はいくらでもいる。しかし、ここは司隸と涼州の州境であった。少女の姿は、この砂埃の舞い立つ過酷な地にはいかにも不釣り合いである。


 そうした疑念がわいた次の瞬間、その少女はまるで自分が匪賊であるかのように宣言した。疑念はさらなる疑念を生み、二人を混乱させていた。


 しかし、このままの状態でいつまでもいるわけにいかない。徐栄は右手でその頭をかきながら、目の前の正体不明の少女に語りかけた。


「なあ、嬢ちゃん」

「わたしが嬢ちゃん?うぷぷ。いやー、確かにそうだけど。面と向かって言われると何だか照れちゃうな」

「あんた、いったい何者だ?」

「ふふふ。ようやく聞いてくれたね―」


 少女は笑いをこらえるように、右の手のひらを丸めるとその口に当てた。


「教えてあげよっか」

「ああ、頼む」

「ええ、でもなー。どうしよっかなー」

「おい、こら」


 樊稠が、少女に向けて馬を一歩進める。そして目を細めると、低い声で続けた。


「嬢ちゃん。俺たちも遊びでここに来ているんじゃねえんだ。さっさと教えてくれよ」

「わあ、怖ーい。それが人に者を教えてもらう態度かな―。ぷんぷん。何だか、教えたくなくなっちゃった」

「……こんの、クソガキ」

「樊稠」


 徐栄は樊稠の左横に馬を付ける。そして、その右肩を軽く叩いた。樊稠は、苛立った顔のまま黙り込む。


「すまねえな、嬢ちゃん。謝るよ。だから、教えてくれないかね」

「おっ!おじさんはわかってるね。そこのおっさんと比べてさ」

「……」


 樊稠が少女が睨む。その彼をあざ笑うかのように、少女はけたけたと笑った。そして、大きく息を吐く。


「――まあ、そろそろいいかな」

「そろそろ?」

「あっ、こっちの話ね。じゃ、わたしの正体、教えてあげるね」


 少女は目をつぶると、大げさに咳払いをして見せた。そして目を見開くと、右手を空に向かって大きく掲げて見せた。


「おっほん。遠くにいる人は近くに寄ってわたしの声を聞きなさーい!そして、わたしの姿を目に焼き付けるといいよ!わたしこそは、涼州に咲く可憐な一輪の花!とっても可愛いみんなの偶像アイドル、その名も――」


「全軍反転!」


 谷中に響き渡る野太い声が、除軍の頭の上を通り抜けた。


<新入りの声か!?>


 徐栄はその視線を東の崖上に移す。そこでは慶次郎が崖際に立ち、両手を口の横に寄せていた。続けて、大声を発する。その内容に、徐栄は戦慄した。


「西の崖より敵!全速で撤退せよ!」


◆◆◆


 慶次郎の声が、こだまとなって谷の中に広がっていく。そのこだまが終わらぬ前に、徐栄と樊稠、そして除軍の面々はその視線を一斉に西の崖上に移した。


「!」


 その光景は一変していた。先ほど、三十騎の匪賊が現れた岩山から崖下に抜ける道。その道から、匪賊たちが途切れることなくわき出ていた。彼らは、まるで水のない滝に土石流が流れ込んだかのような勢いで、崖の道を下っていく。


 匪賊たちは揃いの鎧を身につけて、整然と馬を進めていた。一見して、彼らが十分な鍛錬を積んでいることが見て取れた。いや、あれは匪賊ではない。明らかに、正規兵だった。


 だが、どこの兵だ?


 徐栄は旗印を探す。司隷の董卓と涼州の馬騰。この二大軍閥の狭間で、これほどの兵を養える奴がいただろうか。騎兵たちの中に旗を掲げている者はいなかった。その彼の目に、崖上の紫馬が目に入る。


 白いたてがみの紫馬には、将らしき人物がまたがっていた。若い女性のようだ。白銀の胸甲に身にまとい、谷から上がる風にその後ろでまとめた髪をなびかせて、こちらを見下ろしていた。その右手には、十文字の刃がついた細身の槍がある。


<あれが、奴らの頭か>


 徐栄はその武将の顔を見る。その武将と目が合ったような気がした。同時に、彼の額に滝のような汗が流れ出した。


<あれは……まずい!>


 次の瞬間、その武将は崖上から紫馬を宙に踊らせていた。そして、そこがまるで平地であるかのように、軽々と崖を駆け下りていく。そして崖の道を下っているほかの騎兵たちを追い越すと、あっという間に谷底に降りてしまった。


<やっぱり、怪物かよ!>


 徐栄は、人の力を見抜くことに関しては自信がある。だからこそ、幾度とない死地を生き抜いてくることができたのだともいえる。彼が除軍にいなければ、とっくに除軍は消滅していたことだろう。


 諸国は知らぬが、中華には時折「怪物」が現れる。それは決まって女性である。ほぼ万人に一人の割合でそれは現れる。その理由は明らかではない。男女の間の力関係を、天がその存在を持って天秤を合わせているという者もいる。


 かつて洛陽で、呂布を、張遼を、そして華雄の姿を見たことがある。その時、すぐにわかった。これは怪物であると。


 彼らの訓練風景を見たこともある。百の兵がいようとも、千の兵がいようとも、彼らに傷一つつけることすら叶わなかった。彼らの前で、兵士たちは台風を前にした木の葉のようなものだった。


 呂布の方天戟の一振りを受けて、まるで体重を失ったかのように空を飛んでいく兵士たち。彼らの姿を見ながら、徐栄は思った。


 人は、絶対に怪物には勝てない。勝てるのは、同じ怪物だけだ。


 そして、人が怪物に出会ったとき、できることは一つしかない。それは山中で虎に出会ったときと同じだ。すなわち――。


「全軍反転!全力で東の崖の上に戻れ!」


 ――逃げること。人にできるのは、それだけだ。逃げても、十中八九殺される。それでも、一にすべてを賭けるしかない。それだけが生き残る方法だ。


 紫馬に乗った怪物が、こちらに向かって疾走を始める。距離は、三町(約三三〇m)ほどか。


<間に合うか?>


 徐栄は額の汗を拭うと、馬首を東に向かって返す。そして、退却を始めた除軍の最後尾を走り始めた。


◆◆◆


「あと少しで、名乗りまであげることができたのにー」


 馬岱――蒲公英は鉢金を頭に巻きながらつぶやいた。彼女の役割は敵をこの地におびき寄せ、彼女の従姉の本隊が少しでも敵に近づく時間をつくることであった。もう少しの時間、彼らをこの地に止めることができていれば。


 この谷底は、逃げる場所が限られている。谷底の上流、または下流に逃げてくれたなら、そこで敵は詰みだった。西涼の騎兵に、追いつけない敵などいない。


 問題は、敵がもと来た道を戻ってしまう場合だ。彼らが崖の上に戻り、その先にある窪地で馬を降り、崖を下り始める道の背後に陣を築いてしまったら。狭い場所であるだけに、こちらは数の利を生かすことができなくなる。また、騎兵の力も半減する。


 だからこそ、彼らをここに止めておく必要があった。こちらの騎兵たちが彼らのすぐ後につくことができれば、彼らは逃げ続けるしかない。陣を築く余裕もない。自然、背後から攻め続けるこちらの勝利となるのであった。


 そして、その「もう少しの時間」を縮めるために、彼女の従姉が先駆けしている。彼女ならば、きっと彼らの最後尾に追いつき、槍をつけることができるだろう。その時点で、こちらの勝利は確定する。


 蒲公英がその左手を軽く挙げると、背後にある建物の陰から騎兵たちが姿を現した。そのうちの一騎は蒲公英の右隣に素早く馬を寄せると、彼女の愛槍である片鎌槍を差し出した。蒲公英がそれを受け取った時、彼女の視界を紫の燕が横切った。


「お姉さまー!頑張ってね―!」


 影閃を右手で空に掲げてくるくる回しながら、蒲公英は大声で叫ぶ。もっとも、この風の音が響く谷底で、半町(約五五m)ほど先を走る従姉の耳に自分の声が聞こえるとは思っていない。


 しかし、彼女の従姉はこちらを振り向くとにっこりと白い歯を見せて微笑んだ。蒲公英と同じように、その愛槍を右手で空に数度掲げてみせる。そして槍をかいこむと、その馬の速度を上げていった。


「はあ。聞こえるもんだねー」


 賞賛と畏敬を込めて蒲公英はつぶやく。彼女自身、並の男ではまったく刃が立たない程の武勇の持ち主である。しかし、従姉は別格だ。彼女の武勇は蒲公英の数段上をいくばかりか、その身体能力が半端ではない。いわば、常人をはるかに超えている。


 まさに、この中華において万人に一人生まれるという人を越えた存在であった。先ほど見せた、崖上から谷底へと駆け下りるという奇跡めいた騎行ですら、従姉にとっては当たり前のことでしかない。


 蒲公英は、背後の三十騎を率いて村を出た。そして、崖を降りてきた西涼の騎兵たちと合流してその先頭に立つと、西涼最強の武人の背中を追った。その武人は放たれた矢のごとく、蒲公英たちすらも少しずつ引き離して前に進んでいく。蒲公英は借り受けた従姉の愛馬の耳に、そっと語りかけた。


「ねえ、黄鵬。お姉さまに勝てる人間なんて、この世にいるのかしら?」


◆◆◆


「へっへ。いつも俺たちはこんなだなあ、相棒」


 除軍の最後尾で並んで走る樊稠のその言葉に、徐栄は苦笑いしてみせた。


 そう、いつもこんなだ。


 いつもあやふやな状況で、死地に投げ込まれて、こんな風に逃げる羽目になる。


 だが、今回はこれまでとは比べものにならない。徐栄は振り返った。崖の上から流れ出る騎兵はまだ止まらない。恐らく、除軍に数倍する数の騎兵が追ってきている。


 そして、それらの騎兵を引き離してぐんぐんと近づいてくるあの「怪物」。あの紫馬の将には、恐らくは除軍の全員でかかっても叶わないだろう。それが、この世界の理だ。


「樊稠」

「なんだ、相棒」

「そろそろ、年貢の納め時みてえだな」

「はっ!違いねえ」

「じゃ、後はよろしくな」


 徐栄は右手にもった槍で、樊稠の馬の尻を軽く削った。果たして、馬は狂奔して速度を上げる。


「何しやがる!」

「樊稠!てめえのお陰で、これまで楽しかったぜ!ありがとよ!」

「おい、何を言って」

「除軍の連中、おめえに任せた!」

「相……」


 樊稠は怒鳴り返そうとして、その口を閉じた。徐栄の表情に、その覚悟を読んだのだった。除軍の面々の命のため、前途ある若者を犠牲にしてきた。今度は、自分の番だ。相棒の表情は、そう言っていた。


 ならば、友としてするべきことは一つしかない。樊稠は無言で馬の速度を上げていく。


「さすがは、俺の相棒だ」


 徐栄は満足げに頷いた。


◆◆◆


「絶景じゃな」


 慶次郎はつぶやいた。眼下に広がるのは、一帖の戦国絵巻である。


 手前に見えるのは、団子状になってこちらの崖に向かっている除軍。その先頭にいるのは、樊稠のようだ。その一群から少し離れて殿を務めているのは、徐栄だろう。


 そして、その徐栄を追うのは白いたてがみの紫馬にまたがった武将である。十文字槍をその右脇にかいこみ、恐ろしく安定した姿勢で疾走している。見事な一騎駆けであった。


 そして、その後ろには錐行の陣を取りつつ向かってくる騎兵たち。彼らは未だ、西の崖の上から流れ出てくる。その数は既に二千程度にまで達していると思われた。


 慶次郎は、一騎駆けをしている武将にかつての自分を見た。隣に立つ梁爺に問う。


「あの一騎駆け、どう見る」

「さて。あの武将がどんな立場かによるかの」

「ほう?」

「一兵卒なら、殊勲の一騎駆け」

「うむ」

「軍を預かる将ならば、匹夫の勇よ」

「手厳しいな」


 慶次郎は、苦笑いを浮かべてその鼻をかく。


「手厳しいものかね。あのように先行しては、己の軍を把握することなどできまい」

「だが、主将が一騎駆けすることで軍の士気が上がることもあるのではないか」

「そうさな。そして、無駄な人死にが出る」

「……」

「死んでもいいって奴らなら、それでもいいだろうさ。でも、そんな奴ばかりじゃない。わしは、死にたくない。まだまだ生きて、やりたいことが山ほどあるのさ。物語のツマになるのは、まっぴらさね」

「ならば、梁爺の理想とする将とはどんなものじゃ」

「兵を殺さず、勝利する将じゃろうな。孫子も言っておろう。最善は戦わぬこと。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり、じゃ」

「なるほど。名将への道は厳しいな」

「たりめーだ、若造」

「ならば、徐栄はどうじゃ」

「ダメな部類じゃな。本当に、勝てんからな。じゃがな……」


 梁爺は、眼下に視線を送る。紫馬の武将は、刻一刻と徐栄に近づいている。梁爺は、沈痛な表情を浮かべて言葉を続けた。


「あやつがおらなかったら、わしはここにおるまい。どんなに負け戦でも、仲閒を生き延びさせようと必死になる。そんな阿呆がいなければ、な」

「そうかね」


 慶次郎は眼下の光景に背を向けた。その背中に、梁爺が声を掛ける。


「どこへ行く」

「その、除軍の将を迎えにいこうと思うてな」

「残念じゃが、おぬしはここまでじゃ」

「何じゃと?」

「徐栄の命令よ。危なくなったら、おぬしを先に逃がせとな」


 慶次郎の前に、梁爺を含めて四人の老兵が立った。


◆◆◆

 

 もう少しだ。もう少しの、辛抱だ。


 徐栄は息も絶え絶えになった愛馬を励ましながら、崖の上に続く道を上っていた。この道は、何度も急角度で折れ曲がっている。したがって、馬の速度は道を曲がるたびに停止状態にまで落ちることになる。


 しかし、それは追う側も一緒であった。馬の速度というものは急には上がらない。必ず、助走を必要とする。しかも、ここは上り坂だ。結果として、徐栄は谷底で縮まった紫馬の将との距離をあまり縮めないことに成功していた。


 彼の目の前を走る除軍はすでにいない。樊稠がうまく先導してくれたようだった。後は、除軍が先にある窪地で反転して陣を築く時間を稼ぐだけである。


 最後の道の折り返しで、徐栄は馬を切り返した。そして、馬首を登ってきた道の下に向ける。ここであの紫馬の将を待ち受けるつもりだった。切り返した馬の口から、白い泡が落ちる。限界が近いのだ。徐栄は心の中で愛馬に手を合わせた。


 すまねえ。もう少しだ。あと少し、辛抱してくれ。


 だが、そこまでだった。馬は前脚を揃えて折ると地面に横たわった。


「ぐわっ!」


 地面に投げ出される。一瞬、息が止まった。だが、ゆっくりしている暇はない。その身体を無理矢理起こす。隣では、愛馬が荒い息を吐いて彼の顔を見ていた。徐栄は馬の鼻先をそっと撫でる。


 ここまでもてば、上出来だ。ありがとな。無理をさせた。


 槍を杖にして立ち上がる。せめて、馬上で戦いたかった。だが、ここに至ってはそれは無い物ねだりというものだろう。


 崖下から、馬蹄の音が近づいてくる。それは、彼の命が終わりに近づく音であった。徐栄は、自分の口が緩むのを感じた。


<なるほど。悪くねえな>


 先に死んでいった、除軍の将たち。彼らもこんな気持ちで死んでいったのだろうか。徐栄は目をつぶる。樊稠に梁爺、除軍の野郎ども――そして「新入り」。お前らのために死ねるなら、本望だ。


<あばよ>


 徐栄は崖を上る道を見上げた。そして、その口を開けた。


◆◆◆

 

 いつの間にか、徐栄の背後には松風にまたがった慶次郎が降りてきていた。松風の四肢には、梁爺をはじめとする四人の老兵がしがみついている。何とも、妙ちくりんな五人組と一頭であった。


「な、なんで、てめえらがここにいる?」


 徐栄は叫んだ。そして、梁爺に怒鳴る。


「梁爺!危なくなったら新入りの馬の手綱を引っ張って逃げろって、あれほど言っておいたじゃねえか!」

「わかっとるわい!でもな、この馬、手綱がねえんだよ!」


<あっ>


 徐栄は松風の口を見る。確かに、手綱がない。そこにあるのが当たり前だと、見過ごしていた。梁爺たちは、少しでも松風の脚を鈍らせようとその四肢にしがみついていたに違いない。その松風にまたがった男が、口を開けた。


「馳走になったな」

「何だと?」

「おぬし。このわしを気遣ってくれていたようではないか」

「!」


 徐栄は松風の脚にしがみつく梁爺の顔を見る。梁爺は申し訳なさそうに頷いた。


「ふ、ふふふふ」


 慶次郎が笑い出す。


「何がおかしい?」

「いや、何。こともあろうに、戦場でこのわしの命を守ろうとする人間がおるとはな。まして、わしを先に逃がそうという人間がいようとは」


 慶次郎は照れくさそうに鼻の頭をかく。


「いや、得がたい経験であった。この礼は、せねばならんの」

「何を言ってやがる!さっさと逃げねえか!」

「松風」


 慶次郎の声に、松風が軽く真上に跳んだ。そして、小さな地響きをあげて着地する。その四本の脚から、四人の老兵が手を離して地面に手をついた。松風は老兵たちを傷つけぬように、ゆっくりとその脚を動かす。そして彼らの間を通り抜けると、徐栄の前に立った。


「徐栄。梁爺たちを連れて先に行け。あやつはわしが止めてみせよう」

「だから、何を言って……」


 徐栄は、思わずその言葉を止めた。


 人の力を見抜くことに関しては自信がある。


 しかし、この男のことはいまだによくわからない。


 若武者である。しかし、歴戦の古強者のようにも思えたこともあった。


 生きている。しかし、この世の人間ではないように思えたこともあった。


 目の前にいる。しかし、目の前に存在していないように思えたこともあった。


 けれども、この男は「人間」だった。決して、怪物ではありえなかった。


 あの、怪物特有の「空気」。そう、世界がその「無敵」を保証しているような、あの空気。それが、この男からは感じられない。だから、あの紫馬の将に勝てるはずはない。なのに――。


 ――どうして。俺の胸は高まっているのだ。


 高揚する自分を感じていた。徐栄は自問する。俺は、期待しているのか?


 思わず、先に少女に向かって投げかけた言葉を、男にも投げかけた。


「――おめえ。いったい何者だ」

「わしか?」


 馬上の男が、完爾として笑う。


「ただの、いくさ人さ」

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