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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第13章 除軍
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第3節 匪賊

 洛陽を出立して一週間。除軍は、司隸と涼州の州境に到着していた。彼らはそこで野営すると、匪賊に関する情報を集め始めた。徐栄による指示のもと、付近の村々に斥候を送り込む。斥候を率いるのは樊稠である。


 慶次郎はといえば、何もしていない。というより、何もさせてもらっていない。まさに、ただのお飾りの将として扱われていた。除軍の面々は彼に指示を仰ごうとはしなかった。何をするにも、徐栄の指示を仰いだ。


 しかし、当の慶次郎はまったくそのことを気にしていない。何もさせてもらえないのをいいことに、野営地の中をふらふらと歩き回っては、除軍の兵士たちに話しかけていた。


 当初は胡散臭い目で慶次郎を見ていた除軍の面々も、彼の裏表のない態度に触れるにつれ心を許し始めた。野営して三日後には、昔からの仲間のように言葉を交わすようになっていた。そんな慶次郎の姿を、徐栄は半ばあきれたような気持ちで見ていた。


 たいていの場合、部下にこうした扱いをされると人は心が折れるものである。自らの存在意義を見失ってしまうからだ。半年前に将に任じられた若者もそうだった。しかし、この前田という男はいっこうに堪えていないようなのである。


<もしかして、ただの馬鹿なのか?>


 そんなことを考えていた徐栄の耳に、馬蹄の音が近づいてきた。見れば、樊稠を先頭にした斥候の一団がこちらに向かってきている。彼は徐栄の目の前まで来ると、馬から飛び降りた。


「相棒。やっぱり、襲われた村はどこも同じようだぜ」

「……そうか」


 樊稠の報告に、徐栄は腕を組む。ここ数日の調査で、商人を襲っていると聞く匪賊は、州境の村々に対しても略奪をしていることがわかった。だが――。


「――妙だな」

「何が妙なのじゃ」

「ああ。どうも略奪の仕方が……って、驚かすな『新入り』!」


 徐栄は大声をあげた。彼の隣には、いつの間にか慶次郎が立っていた。彼は徐軍の面々に「新入り」という名称で呼ばれている。その理由は、徐栄がその名称でしか慶次郎を呼ばないからである。梁爺のみが、彼を「隊長」と呼んでいた。


「まあまあ、良いではないか。で、何が妙なのじゃ」

「ああん?」

「相棒、いいじゃねえか。教えてやれよ」


 樊稠が半笑いで徐栄に声を掛ける。徐栄は、いまいましそうに慶次郎を睨む。


「略奪の仕方が……妙なんだよ」

「どういうことじゃ」

「確かに、略奪されてる。けれども、それが食料だけなのさ」

「ほう?」

「匪賊の奴らが略奪するとなりゃあ、食料だけじゃねえ。金を奪い、女を犯し、男を殺すもんよ。――けれども、やつら食料しか奪っていねえ。しかも、村人たちの当座の食料はきっちり残していやがる」

「……」

「手際が良すぎる。なんつうか、匪賊というよりはむしろ――」

「むしろ?」

「――後は、自分で考えろ」


 徐栄は手を振った。もう答えないという手振りである。


「おい、樊稠。やつら、西から東、順番に村を襲っているんだったな」

「おう」

「となると、そろそろこの近くに来るってわけだ」

「そうなるな」

「一番近くにある、襲われていない村はどこだ?」

「一里(約四km)ほど東にある村だな。両側を大きな崖に挟まれているが、泉があるせいかけっこう大きな村だ」

「よし」


 徐栄は小さく頷くと、樊稠に告げた。


「移動するぞ。待ち伏せだ」


◆◆◆


 翌朝。除軍は村を見下ろせる崖近くまで移動していた。そこから崖に沿って、谷の底まで道が何度か折れ曲がって続いている。谷底の幅はかなり広い。五町(約五五〇m)ほどはあるだろうか。


 谷底の中心に、村がある。周辺の地面は白く乾いているが、その村は緑の木々に覆われている。村の中心にあるという泉のためであると思われた。地面の下に、川が流れているのかもしれない。


 徐栄は崖の上で腹這いになって、崖の上、そして谷の底に交互に目を凝らしていた。こちらの崖は、谷を挟んだ向こう岸の崖よりもわずかに高い。したがって、こうして腹ばいになっている限りは見つかる恐れはないと思われた。彼の隣には、同じように腹ばいになった慶次郎がいる。


「なかなか来ぬのう」

「……」


 徐栄は慶次郎には答えず、対岸の崖の上を見つめた。険阻な山間の道が見える。それは空の滝のように、崖の上の岩山をえぐっていた。その滝の入口に、黒い点が現れる。徐栄は小さくつぶやいた。


「来た」


 対岸の崖の上から、崖に沿った道を匪賊たちが馬に乗って降りてくる。茶色いマントのようなものを羽織っており、その風体まではわからない。数は三十騎程度か。賈詡から伝えられた数の十分の一程度だ。斥候だろうか。だが、彼らが村を標的としていることは明らかであった。谷底に降りると、三十騎は一直線に村に向かって駆けていく。


<残りはどこにいる?>


 徐栄は目を皿のようにして周囲に視線を送った。


 賈詡から伝えられた「三百騎」という匪賊の数を、彼は鵜呑みにしていない。戦場では、自分で目にしたことだけが事実である。そして、こうした討伐にかこつけて賈詡が自分たちを厄介払いにするつもりである可能性は非常に高いのだ。


 しかし、徐栄も彼女と同様に司隷の董卓、涼州の馬騰という二大軍閥に挟まれたその地域で彼らに刃向かうことの無謀さを知っていた。だからこそ、三百という匪賊の数に対してはある程度は納得している。その規模なら、何とかその集団を岩山の陰等に隠すことはできそうだった。


 そして、三百騎の匪賊程度なら、どんな罠が仕掛けられていようと食い破る自信はある。それが『除軍』だ。伊達に、便利屋扱いされてきたわけではない。


 眼前で、匪賊たちが村の中に駆け入っていく。これ以上、放っておくわけにはいかない。徐栄は決断した。振り返った彼の合図を受けて、背後の樊稠が低く通る声で告げた。


「乗馬!」


 崖の背後にある窪地に集合していた除軍の面々が、一斉に馬にまたがった。徐栄は腹ばいのまま崖下から見えない位置まで下がる。そして立ち上がり窪地に向かって足早に移動すると、馬にまたがった。その隣では、慶次郎も松風にまたがろうとしている。


「待て、新入り」

「何じゃ」

「おめえは、ここで待機だ」

「待機じゃと?」

「おめえが出るまでもねえ。……つうか、足手まといだ」


 突き放すようにそう言うと、徐栄は慶次郎を睨んだ。有無を言わせぬ雰囲気である。彼の背後の除軍の面々も、同じように強い視線で睨んでいた。慶次郎は素直に頷く。


「よかろう」

「ふん」


 徐栄は小さく鼻息を立てる。そして手綱を引くと、谷底に至る道へ向かって駆けだした。


◆◆◆


 除軍が砂煙を上げて、徐栄と樊稠を先頭に谷底に向かう道を駆け下りていく。崖の上で、慶次郎は腕を組んでそれを眺めていた。


「隊長さん、不服かい?」

「否定はできんな」


 慶次郎は苦笑した。彼の隣には梁爺がいた。他に、数人の老兵たちが残っている。


「御守がいる年ではないぞ」

「いやいや。あんたみたいな若造には必要さ」

「わしが、若造?」


 久しぶりに聞くその言葉に、慶次郎は目を丸くする。梁爺は見たところ、五〇代ぐらいに見える。本来なら、彼こそ慶次郎より二十歳ほど年下の若造であった。


「除軍の将を任された人間が、ことごとく死んでいるという話。聞いているかね」

「うむ。わしの前任者を除いて、という話だったが」

「みな、おぬしのような若造だったよ。ばったばったと、勝手に死にくさって」

「……」

「迷惑なんだよ、そういうのはな。だから、こうして御守が必要なのさ」


 慶次郎は、再び苦笑した。口は悪いが、要するに彼のことを気遣っているのだ。意気軒昂な若者が無謀なことをしないように、彼らは彼らなりに慶次郎を守ろうとしているのだった。無頼者の集まりと聞いていたのに、何とも過保護な連中である。慶次郎は、久しぶりに今の自分が二十代の姿であることを思い出した。


 半年前に除軍の将を辞したという若者。実際のところ、彼は除軍を追い出されたのではなかったのではないか。恐らくは、除軍という危険地帯から正規軍という安全地帯へと送り返されていたのだ。


 慶次郎は、そこで疑問に思った。こんな連中に囲まれながら、なぜ先任の将たちは「ことごとく死んだ」のか。


 その問いに、梁爺はすぐには答えなかった。そして慶次郎から視線を外すと、崖の下に視線を送った。


「——なあ、隊長さん。あんた、強い敵が目の前にいたらどうする?」

「ん?」

「血気盛んに、突っ込むのではないかな」

「よう、わかっておるな」

「それじゃ、負け戦で自分の仲閒が敵に追われていたらどうする?」

「そりゃ、殿を引き受けるだろうな」

「そういうことだ」


 梁爺は崖の下を見つめたまま、話を続ける。眼下では、徐栄が谷底に至ったところだった。彼は背後を振り返って後続を確認すると、村に向かってその馬を進め始める。


「わしらが送られるのは、たいていは『死地』だ。正規軍を死なせるには惜しい場所。さりとて、死人が出なければ問題が解決しない場所。そんな場所に、送られとる。そして、たいていは最後に危ない目に遭うのさ」


 梁爺は、くっくっと笑う。しかし、その目はうっすらと濡れていた。


「みんな、いい奴らだった。そして、優しい奴らだった。わしらの境遇を知って涙を流し、わしらを守るために必死になって。わしらが逃げおおせるまで盾になって――だから、死んだ」


 先だってことごとく死んだという除軍の将たち。彼らは、非業の死を遂げたのではなかった。「望んで」死んでいったのだ。仲閒を守るという誇りを持って。


 だが、疑問は残る。除軍にも、若い奴らはいる。先ほど出陣していった兵たちの半数はそうだった。彼らもまた、除軍にとっては惜しむべき命であろう。それを、なぜに将の命のみを除軍の面々は惜しむのだ。


 慶次郎の問いに、梁爺は首をゆっくりと振った。


「わしら、逃げるのは得意なんだ。人生も、戦も負け続けている。慣れてるのさ。そして――逃げ遅れて死んだとしても、当たり前なんだ。わしらみたいのにとって、それはいつかは必ず来る、決まりきった最後なんだよ」


 梁爺は慶次郎を見上げた。その顔はかぎりなく優しい。彼は、まるで孫でも見るような表情を浮かべていた。


「だから、殿なんかいなくていいんだ。わしらのために死ぬなんて、困るんだよ。あんたみたいに、前途のある、帰るところのある若い奴らに、死んでもらっては本当に困るんだ」


 慶次郎は無言であった。


 梁爺たちの気遣いは、彼にとっては無用のものだった。いくさ人である彼にとって、戦場での死はいわば当然のものである。そして過酷な戦場こそが退屈を恐れた彼の望む場所であり、死地こそが生を感じる場所であった。


 しかし、皆がいくさ人であるわけではない。戦いが嫌いな者もいる。死にたくない者もいる。しかし、そんな彼らの居場所が「ここ」にしかないとしたら。除軍で死ぬ以外の未来が残されていないのだとしたら。


 そして、そんな彼らが必死で慶次郎を守ろうとしている。その事実が、彼を戸惑わせていた。


「隊長さん。あんたは、死んだ奴らによく似ているよ。だから、絶対死なせはせん」

「梁爺――」

 

 なんと答えるべきか。逡巡する慶次郎の視界の隅に谷底の村が映る。次の瞬間、彼は崖際に向けて一歩足を踏み出すとその目を細めた。


「――様子が、おかしい」


◆◆◆


「何か、様子がおかしいぞ」


 樊稠は、隣の徐栄に声をかけた。彼らは今、除軍とともに谷底の村の前にいる。


 村は静まりかえっていた。とても今、匪賊に襲われたばかりの村には思えない。匪賊の姿もどこにも見えない。まるで、村の中に溶けてしまったかのようだった。谷を抜ける風の音が耳に触る。


「なあ、相棒」

「なんだ、樊稠」

「何か、良くない予感がするぜ」

「そうか。実は、俺もだ」


 徐栄は、村の周りに目を配りながら答えた。


 罠だろうか。


 村自体が、匪賊が準備した罠なのかもしれない。村に入った途端に、火攻めにされる。もしくは、村の家屋に潜んだ匪賊たちに襲われる。


 ならば、この村に入らなければ良いだけだ。逆にこちらが火攻めにしても良い。遠くから家屋に火矢を放ち、出てきたところを叩く。


 だが、そんなにわかりやすい罠だろうか。そもそも、村に三百騎の匪賊が潜む場所はなさそうだ。あったとしても、先ほど入っていった三十騎がせいぜいではないか。


 だとすれば、答えは一つ。これは「この地に自分たちを引き寄せる罠」なのだ。この谷底では、逃げる場所は限られている。待ち伏せしていたのは自分たちではなかった。彼らだった。


 徐栄は唇をかむ。匪賊が三百騎であると思い込んでしまったのが間違いだった。彼らが本当に三百騎であれば、この罠に意味はない。この罠は、除軍よりも匪賊が「多い」場合に意味を持つ。とするならば、ここはすでに——「死地」。


「おい、樊稠。ずらかるぞ」

「相棒。俺も、そう言おうとしていたところさ」

「ああ。『匪賊はいなかった』。それでいい」


 二人は、馬首を切り返して村に背を向ける。次の瞬間、彼らの背後から少女のものらしき甲高い大声が浴びせられた。


「ここにいるぞーっ!」

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