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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第13章 除軍
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第2節 出立

「おーい、生きとるか?」

「……」


 返事がない。酒家の中に入ると、徐栄は床の上に大の字になっていた。まるで万歳しているかのように広げられたその両腕には、くっきりと松風の蹄の跡があざになって残っている。


 慶次郎は徐栄の側に座り込むと、その様子をうかがった。どうやら、気絶しているだけのようである。


「大丈夫のようじゃな」

「あ、あのよう」


 声を掛けられて、慶次郎は振り返る。気がつけば、彼は酒家の客たちに囲まれていた。皆、市井の人物ではない。先に、音々音はここが除軍の本営であると言っていた。恐らく、除軍の兵たちなのだろう。慶次郎に声を掛けたのは、その中でも眠そうな顔をした固太りの若い男だった。男は、どもりながら慶次郎に話しかけた。


「あ、あんた。な、な、何者だい」

「わしか。わしは賈駆殿に命じられてだな」

「じょ、徐栄の兄貴を捕まえに来たってわけかい」

「いや、わしは」

「あ、あ、あんたは勘違いをしている」


 どもりの男は地面に座り込むと、慶次郎に頭を下げた。


「お、横領していたのは、お、俺なんだ」

「何?」

「だ、だから、お、俺をしょっ、しょっ引いてくれ。あ、兄貴は悪くねえ」


 そう言うと、男は両手を握って慶次郎に差し出した。


「いや、だからな。わしは」

「どきな、どきな!」


 そこに割り込んできたのは、左目を眼帯で覆った三十代前後とみられる男である。背はそれほど高くないが、全身これ筋肉といった体の持ち主であった。眼帯の男はどもりの男の首根っこを掴むと、強引に引き起こす。


「てめえみたいなぼんくらに、横領なんてできるかよ」


 そう言うと、どもりの男を後ろに突き飛ばす。そして慶次郎の前にどかりと座り込むと不敵に笑った。


「逃げも隠れもしねえ。金をちょろまかしたのは、この俺様よ」

「おぬし、名は」

「俺の名は樊稠。このでぶの腐れ縁さ」


 樊稠は地面に転がる徐栄をちらりと見る。


「ばくちの金が足りなくなっちまってよう。ちょいと拝借していたんだが……さすがに、こいつに罪を着せるのは気が引ける。ま、観念するさ」


 そう言うと、にやりと笑ってその両手を握って突き出した。すると、今度は樊稠の後ろからしわがれた声がする。


「ばーかもん。お前さんみたいな頭の悪い男に、横領なんてできるもんかね」


 その声の方向に目を向けると、そこには一人の老人が立っていた。年老いたといえども、その姿は矍鑠としている。一見して、歴戦の兵士とわかる風体をしていた。小柄ではあるが、その肌が見えるすべての場所に刀傷がある。


 老人は眼帯の男を押しのけて、慶次郎の前に座り込む。そして鼻息を一つ吐くと、胸を張って言った。


「横領したのは、このわしじゃ。息子が商売に失敗しちまってな。つい、使い込んじまった。ばれちゃあしょうがねえ。しょっぴきな」

「……」

「さっさと連れていけや。年寄りを待たすねい」

「いい加減に」

「うん?」

「いい加減に、人の話を聞かんかー!」


 慶次郎の大声が、酒家の建物をびりびりと震わせた。


◆◆◆


「なーるほどな。あんたが、新しい隊長さんかね。まあ、一杯いきなよ」


 老人が、慶次郎に酒杯を勧める。酒家の中で慶次郎は老人と二人、卓を挟んで顔をつきあわせていた。その二人を、除軍の面々が囲んでいる。徐栄はまだ気を失ったままである。その額には、誰が乗せたのか水を絞った布巾が乗せられていた。


 慶次郎は大ぶりの酒杯を受け取ると、一気にそれを飲む。周りから、小さな感嘆の声が上がる。老人は目を細めた。


「毒」

「ん?」

「毒が入っていると、思わなかったのかい」

「思ってどうする」

「ほう?」

「たかが、死ぬだけのことではないか」


 慶次郎は卓上の酒瓶を手に取ると、酒杯になみなみと酒を注いだ。そして、それを老人に差し出す。


「ほれ」

「いただこう」


 老人もまた、一気にそれを飲み干した。再度、周りから感嘆の声が上がる。


「確かに。たかが、死ぬだけのことじゃな」

「ああ」

「気に入った。陳の奴が言うだけのことはある」

「陳じゃと?」

「うむ。おぬしの住んでいる曹家の別宅。そこで管理人をしている陳は、わしの朋友じゃ。

「……」

「あやつが、半刻(一時間)ほど前に知らせに来おった。『わしのだんな様が除軍の将となる。くれぐれも丁重に扱え』とな。あの陳が肩入れするのは珍しい。どんな男かと思っておったが」


 老人は、酒杯に再び酒を注ぐと差し出した。慶次郎はそれを受け取ると、やはり一気にそれを空ける。そして問うた。


「おぬしら、横領の犯人は自分であると申したな」

「うむ」

「なぜ、徐栄をかばう。理由を申せ」

「……」

「わしは、この男を捕まえに来たわけではない。そのことは、もうわかっておろう。他言はせぬ」

「この徐栄ってやつはな。確かに横領しとる」

「「り、梁爺!」」


 樊稠をはじめとした除軍の面々が声を上げる。老人――梁爺と呼ばれた男は、周りをじろりと見回した。その視線を受け、男たちが黙り込む。


「だがな。その金を私欲のために使い込んでいるわけではない。新しい隊長さん、周りを見てみい」


 そう言われて、慶次郎は改めて辺りを見渡す。そこで、妙なことに気づいた。慶次たちを囲んでいるのは、荒れくれ者たちだけではなかった。片腕がない者、片足がない者、そして片目がない者――五体満足ではない者たちが少なからず含まれてた。頭が白い老人たちの姿も垣間見える。


「はぐれ者に、あぶれ者。わしらは、誰にも頼れぬ独り者ばかりじゃ。じゃから、戦で片端になれば、そして年老いれば、悲惨な結末しか待っておらん」

「……」

「徐栄の奴は、そんなわしらの面倒を見てくれているのさ。だが、いくら一軍の将といっても使える金は限られている。そこで、使っちゃいけねえ金に手を出した」


 そう言うと、梁爺は地面に転がる徐栄に目を移す。まだ気を失ったままである。


「上が除軍の働きに免じて目をつぶってくれていることをこの男は知っている。そして、いつか除軍の働きが不足したら厳刑を下されるのを覚悟している。泣ける話じゃねえか」


◆◆◆


 翌日の朝。洛陽の北門に、整列した除軍の姿があった。その数、約五百騎。あぶれ者、はぐれ者らしく彼らの軍装は元の所属先のままであり、てんでばらばらである。そして、その中には片腕の兵士や、頭が白くなった老人も含まれていた。樊稠や梁爺、どもりの男の姿も見える。


 除軍の先頭には、松風に跨った慶次郎がいた。いつもの朱槍はその手にない。代わりに、許にいたころに真桜に作ってもらった鉄弓を背負っていた。鉄弓には、恋の打ち込みを避けた際にできた無数の傷が見える。


 慶次郎のすぐ後ろには、ぶすっとした顔の徐栄がいる。昨日、目を覚ました徐栄は新しい隊長に対してあの手この手で除軍の将を辞するように説得した。脅してみたり、騙ってみたり、嘆願してみたり。しかし、この大男はまったく意に介さなかった。にこにこと笑みを浮かべながら「これからよろしくな」と言うばかりなのである。


 もっとも、徐栄は除軍の面々が彼が横領する理由を慶次郎に話してしまったことを知らない。梁爺をはじめとする除軍の面々は、徐栄の「男」を立てるため、その無私の行為に彼らが気づいていることを慶次郎に黙っていてくれるように頼んだのだった。


 今、慶次郎の前には、三人の女性の姿がある。音々音、星、そして彼に命令を下した張本人である詠である。慶次郎は馬上から、詠に向かって軽く頭を下げた。


「賈駆殿。わざわざのお見送り、恐れ入る」

「我が軍でのあなたの初陣ですもの。この程度のことはさせてもらうわよ」


 そう言いつつも、彼女の顔は暗い。この男は、曹操の命を受けて洛陽に来たのかもしれない。それだけの理由で、証拠もないのに死地に送り込もうとしている。そのことに対する後ろめたさがあった。


 しかし、だからといってその行為から目をそらすつもりもなかった。月の安全のため、単に疑いがあるだけでこの男を陥れ、その命を奪おうとしている。その罪を自覚しているつもりだった。だからこそ、その対象から目をそらさずに見送ろうとしている。彼女なりの覚悟であった。


「では、前田殿に命令を改めて伝えます。現在、司隸と涼州の州境で匪賊が闊歩しています。その数、報告によれば約三百騎。司隸と涼州の商人たちを襲い、そのことごとくを弑している由。除軍五百騎をもって彼らを捕縛、もしくは殲滅するように」

「承知つかまつった」


 慶次郎は詠に向かって改めて頭を下げる。そして、その隣に立つ愛娘に微笑みかけた。


「音々音、吉報を待っておれ」

「は、はい!」

「うむ。それでは」


 慶次郎は松風の馬首を返す。そして、右手を開いて前方に突き出すと号令を掛けた。


「出立!」


◆◆◆


 除軍の姿が小さくなる。詠はきびすを返すと、洛陽の城門に向かう。城門の側には、慶次郎を見送りに来たのか白装の麗人が立っていた。詠はかすかにその眉をひそめた。なぜ、彼女はここにいるのだろう。思わず、声を掛ける。


「趙雲殿。あなたは行かなくて良いのですか」

「私がですか?」


 星はきょとんとした表情を浮かべた。音々音は既にいない。慶次郎が出立するとすぐに、目頭を押さえて城内に戻っていった。泣いている顔を、二人に見られたくなかったのだろう。


「どうして、私がついていかねばならぬのです」

「しかし、あなたは前田殿の家臣では?」

「慶次殿に付き従いしは、他では得がたき面白き経験をするため。そのような約束で、家臣となっております。しかるに、今回のお役目は五百の騎兵で三百の匪賊を掃討することであるとか」

「ええ」

「その程度の仕事に、この常山の趙子龍がわざわざ参加する意義を見いだせませぬ。慶次殿も、私の考えを尊重してくれました。まあ、せっかく花の都に来たのです。慶次殿がお役目を果たしている間、せめて街を楽しむことにいたしたく」

「そうなの」


 詠にとっては意外であった。この趙雲という武将、思いのほか覚めている。一種の快楽主義者なのかもしれない。


 城内に戻ろうと歩き始めた星の隣を、詠は並んで歩く。やがて、二人は洛陽の大通りに足を踏み入れた。街は大勢の人々で溢れ、活気に溢れている。月が董卓軍の力を用いて洛陽とその周辺の治安に心を配った結果である。人々は安心して生活を送れるようになり、多くの商人が集まるようになった。友人の政の成果に、詠は誇らしい気持ちになる。そんな彼女に、星が声を掛けた。


「ところで、賈駆殿」

「何かしら」

「洛陽で、一番メンマの美味しい店はどこですかな?」

「メンマ?」


 詠は首を傾げてみせる。しかし、これは演技であった。星が大のメンマ好きであるということは、すでに調べてある。いつか、彼女がそのように問うてくることは予想していた。


 調べた限りでは、彼女は慶次郎の家臣であるものの、曹操の家臣であったことはない。また先ほどの対応から判断すれば、誼を通じておけば彼が「死んだ」後でも彼女は董卓軍に残ってくれるかもしれなかった。恩を売ることは、決して無駄にはならないだろう。詠は準備していた情報を伝えた。


「そうね。『季季楼』のメンマが絶品と聞くけれど」

「ほう、洛陽にもありましたか。それは僥倖。ところで、場所はどこですかな?」


 興味津々といった表情で、星は詠に問いかける。そして店の場所を丁寧に説明する詠の声に耳を傾けながら、その背後に視線を送った。そこには、買い物かごを提げた小柄な老人がいる。老人はわずかにうなずくと、街の雑踏にまぎれて消えた。


◆◆◆


 星は詠と一緒に宮城内にある董卓軍の本営に戻った後、一人で再び街に出てきていた。その手には、詠が手ずから書いてくれた店までの地図がある。


 その星の後ろをつける一人の男がいた。詠に命じられ、星の監視をしている男である。彼の目の前で、監視対象者は地図の書かれた布に何度か目を落としながら、ようやく目的地の季季楼に辿りついた。彼女の顔に満面の笑顔が広がる。季季楼は、メンマの専門店として知られている。隣接する「流流楼」と共に、洛陽の庶民に絶大な人気を誇っていた。


 星は鼻歌でも歌い出しそうな表情で、店内に入っていった。男はその後を追う。そして、店の出入り口でその身を隠した。目の前で、星が給仕の女性と何やら話している。


 店内を見れば、お昼前ということもあってか満員である。どうやら、空いている席がないか交渉しているらしい。何度か言葉を交わした後、星は給仕に連れられて二階に上がっていった。


<まずいな>


 星の背中を目で追いながら、男はその細い眉を寄せる。季季楼の二階は個室になっている。監視対象者の側について様子をうかがうことができない。だが――。


<――杞憂かな>


 そう考えて、男はその頭をぽりぽりとかいた。監視対象者は一人で移動していた。移動の途中で、誰かと示し合わせた気配はまったく感じられなかった。そもそも、彼の主に教えてもらうまで季季楼の場所すら知らない様子であった。地図を見ながらようやくこの場所に辿りついたその姿は、決して演技には見えない。誰かと待ち合わせをするには、あまりにも不用意な態度である。


<まあ、今のところは問題なかろう>


 男はそう自分を納得させると、その身を路地に隠す前に腹を満たすことにした。季季楼を離れ、大通り沿いに同店が出店している屋台の列に並ぶ。


 この屋台のメンマまんじゅうは、絶品なのである。


◆◆◆


 星は給仕の後について階段を上る。給仕は、彼女を二階の奥にある個室に案内した。季季楼の中でも、最高級の個室である。


「この中で、お待ちにございます」

「うむ。ごくろう」


 星は給仕に礼を述べると、個室に入った。そこには、三人の人物がいた。奥に座るのは、牛のように巨大な色黒い大男と、髪を後ろで結わえた小柄な女性である。二人とも、ものすごい勢いで卓の上の食事に食らいついている。そして、手前には微笑を浮かべた小柄な老人が座っていた。


「お二人とも、四半刻(三〇分)程前からお揃いでございます」

「すまぬな。陳爺」

「いえ。だんな様のご命令ですゆえ」


 陳爺は椅子から立ち上がると、深々と星に頭を下げた。そして、そのまま個室を静かに出て行く。


 気がつけば、目の前の二人の人物が食事を止めてこちらを見ている。星は懐かしそうに声を掛けた。


「お久しぶりにござる。周倉殿。そして裴元紹殿」

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