表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第12章 約束
58/69

第2節 呪詛

 黄巾賊の篭もる山塞の頂上近くにある、小さな平地。そこに、小さな農家風の建物が建っていた。山塞にはいかにも不似合いなそれは、張三姉妹の住居である。かつて、三人が家族とともに過ごした家を模したものであった。


 その家の前には、大きな旗がはためいている。その黄色の旗には、白字で文字が染め抜かれていた。「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉」――黄巾賊の旗である。その側に、小さな女性の人影があった。その女性の名は張宝。真名を地和という。張三姉妹の次女である。山頂に一人、彼女はつぶやく。


「六年間。死に物狂いで頑張ってきたつもりだったけど――」


 強風が吹いた。思わず、片目をつぶり顔を右手で覆う。焦げた匂いが、風に乗って届いた。


「――終わるときは、あっという間だね」


 その顔は穏やかであった。眼下に広がるのは、炎に包まれた山塞。そして山塞の外に焼け出され、官軍に捕縛されていく仲間たちの姿である。


◆◆◆


「ちぃ姉さん!お待たせしました」


 地和がその声に視線を向けると、燃える建物の間を縫うようにこちらに向かって走ってくる妹の姿が見えた。どうやら、無事に役割を果たしたようだ。地和は胸を撫で下ろす。そんな彼女の心配をよそに、旗の側に辿りついた妹はいつもと変わらない冷静な顔で首を傾げた。


「火種が、多すぎたのでしょうか」

「いんや。風が強過ぎたせいだと思うよ」


 山塞に火を付けたのは張梁――人和であった。官軍がこの山塞に押し寄せてどうしようもなくなったときのために、日頃から準備していた仕掛けである。彼女らを守るために最後まで命を賭けようとする黄巾賊たちを、この山塞から無理矢理追い出すための苦肉の策でもあった。死ぬのは自分たちだけで良いのだ。


「この時期に、この強風。珍しいですね」

「そうだよね。きっと、天におわす神様が――」

「神様が?」

「――さっさとうじ虫なんて焼け死んじゃえって、思っているんじゃないかな」

「ちぃ姉さん……」


 その時、突風が吹いた。姉妹は抱き合って、お互いの体を支え合う。その二人の上を、火の付いた大きな板が回転しながら跳んでいった。山腹にある山塞の建物の屋根が吹き飛んできたものと思われた。その板は、大きな音を立てて三人の住居の屋根に突き刺ささる。屋根の上に積まれたつみ藁が、ここぞとばかりに燃え始めた。


「あららら。ちょっと、早いんじゃない?」

「天和姉さん!」


 頭をかく地和を置いて、人和が建物に飛び込む。建物に入ると、奥にある寝台の上に腰を掛けて座っている姉の姿が見えた。両手で口を押さえ、目を大きく見開いていて天井を見ている。


「わ、わ、わ……」

「姉さん!大丈夫ですか!?」

「び、びっくりしたあ」


 見れば、天井には屋根から突き抜けた板が見える。その背後には、赤い炎が見えた。この建物が炎に包まれるのも、それほど先のことではないだろう。人和に続いて建物に入ってきた地和は、ため息をついた。


「うーん。残念だけど、そろそろ終わりだね」

「お、お姉ちゃん、もう少し心の準備が必要かも」

「まあ、遅かれ早かれ結果は同じだよ、天和姉さん」

「う、うん。そ、そうだよね……」


 地和は、奮えるその肩に手を置いた。姉は、必死で両目に涙をためている。怖いのを我慢しているのだろう。これが世に言う張角の本当の姿だと知ったら、皆どう思うのだろう。そう思うと、地和は何だか少しおかしくなった。


「ちーちゃん?」

「あ、ごめんごめん。人和。ここに」

「はい。姉さん」


 寝台に座る姉の側に、二人の妹が立つ。


「ようやく、これで――」


 地和がそう言いかけたとき、大きな音を立てて天井がきしんだ。同時に、屋根の木材が落ちてくる。


「危ない!」


 火の粉が舞い散る中、地和は妹と共に姉の上に覆い被さった。


◆◆◆


 炎に包まれた山塞を背景として、黄巾賊が続々と捕縛されていく。彼らは山頂を呆然と見上げるばかりで、放心状態であった。兵たちにうながされるまま、縄でつながれていく。


 そんな彼らを見つめる二人の影がある。黄巾賊討伐の任を受けた徐州牧と予州牧である。桃香は、横に立つ予州牧の顔を横目でちらりと見た。そして、すぐさま目を前に戻す。


 怖い。どうしよう。でも、話しかけなくちゃ。同じ、州牧なんだから。


「あの、曹操さんっ!」


 意を決して、隣人に話しかけた。隣人は、冷めた声で答える。


「何?」

「さ、さすがですねっ!」

「何が?」

「さ、先ほどの決断ですよっ!」

「『軍は拙速を尊ぶ』。基本じゃないかしら」

「そ、そうですよねっ!」


 桃香は額に汗を浮かべながら答える。我ながら、情けない態度だと思う。しかし、歴然と示された将としての格の違いに、彼女はその緊張を解くことができなかった。


 二刻(約四時間)ほど前。劉備軍と曹操軍は予定通りの場所で合流した。計画では、その翌日に両軍で山塞に総攻撃をかける予定であった。しかし、華琳の放った斥候がもたらした情報が、予定の変更をもたらした。


 両軍のあまりにも迅速な進軍を予期していなかった黄巾賊は、山塞の門を開けて各地から集まってくる仲間たちを迎えていた。山塞の前には続々と黄巾賊が集まり、まるで祭りの前のような活況を呈していた。彼らは久しぶりに会う仲間と手を合わせ、肩をたたき合った。


 そのことを知った華琳は、今すぐ進軍することを主張した。その主張に、桃香は難色を示した。両軍とも、限界に近い強行軍でここまで来ている。疲労も頂点に達していた。しかも、劉備軍の核となる愛紗の率いる先鋒八千は、徐州は臥牛山で蜂起した黄巾賊の一団に当たっており、ここにはまだ到着していない。


 明日まで待てば疲労は取れるし、軍勢も増える。そう意見を述べた桃香に、華琳は自分たちだけでも進軍すると主張した。そして軍師の雛里が華琳の意見に賛成するに至り、桃香は重い腰を上げた。その結果が、今目の前にある。


 突如門前に現れた曹操軍と劉備軍の騎馬兵たちに、旧交を温め合っていた黄巾賊たちは恐慌に陥った。彼らは旅装のまま、雪崩を打って目の前の山塞に逃げ込んだ。


 山塞の黄巾賊たちは呆然とした。門を閉じるにも、迎撃するにも、濁流となって流れ込んでくる仲間たちがいては何もできない。そしてその流れに乗って、劉備軍と曹操軍の兵士たちは山塞になだれ込んだ。


 しばらくすると山塞の中腹から火が出て、瞬く間にそれは燃え広がった。あっけなかった。炎に押されるように山門から押し出された黄巾賊たちは、一度も官軍と矛を交えぬままその戦いを終えようとしている。


◆◆◆


「そ、そういえば!」


 桃香は手を大きく叩くと、改めて華琳に話しかけた。


「曹操さんのところの、『天の御遣い』様って大きいですね」

「……」

「え?違いましたか」

「いえ。あなた、どうして知ってるの?」

「す、すみません!ご主人様が、黒い大きな馬に乗った朱槍の持ち主が御遣い様だよって」

「そうなの。別に、責めてるわけじゃないのよ」

「よ、良かったあ。でもあの御遣い様、ちょっと怖そうですよね……って、あ!ご、ごめんなさい!」

「いいのよ。確かにそう見えるかも知れないわ」


 華琳は苦笑する。両軍が陣を整えていざ出立というまさにそのとき、黒い巨馬に乗って飛び込んできた一人の武将がいた。その武将は桃香に無礼を詫びるとすぐさま華琳の目前に向かい、馬上のままいきなり直談判を始めたのである。


 あっけにとられた華琳であったが、その武将の話に頷き、すぐさまある言葉を伝えた。その言葉に大きく頷いた武将は、すぐさま馬を下りると山塞に向かって駆けだしていく。それが契機となり、両軍は山塞に向けて進軍を開始したのであった。


「でもね、意外と優しいところもあったりするのよ」

「そ、そうなんですか?」

「結構、お人好しだったり」

「へえ~」


 桃香は不思議そうに首を傾げていたが、ぼそりとつぶやいた。


「……天の御遣い様って、みんなそうなんでしょうか」

「あなたのところも?」

「そうなんですよ。それで、女の子にもててもてて大変なんです!」

「もしかして、それで北郷は連れて来てないの?」

「へっ!?い、いえ、違いますよ?曹操さんが惚れちゃったらどうしよーだなんて、これっぽっちも思ってません!ご主人様は最近働き過ぎなので、今回は休んでもらおーかなーって。……ほんとですよ?」

「……」

「と、ところで!曹操さんの御遣い様はどうなんですか?」

「えっ?」

「やっぱり、女の子にもてもてだったりするんでしょうか」

「さあ」

「さあ?」

「わからないわ。あまり話したことないし」


 何か言いたげな桃香から目をそらすと、華琳は炎に包まれた山塞に目を向ける。炎のせいだろうか。桃香の目に、華琳の頬はほんのりと赤く色づいて見えた。


◆◆◆


 予想していた痛みを感じない。地和は恐る恐るその目を開けた。彼女の眼下には、ぶるぶる奮えてうずくまる姉と、その彼女にしっかりと覆い被さっている妹の背中が見える。片目を瞑りながらそろそろと上方に視線を向けた。そこには、大きな胸板があった。


「間に合ったか」


 そう言うと、その胸板の持ち主は体を起こした。その背中から、天井から落ちてきた板が落ちる。どうやら、この男がすんでのところで自分たちを屋根の崩壊から守ってくれたらしい。お礼を述べようとして、地和の口が固まった。山塞の黄巾賊は既にいない筈である。だとすれば、この男は――。


「――何者?」

「わしは予州牧、曹操殿が伝令である。わが主からの伝言を伝えるため、黄巾賊の長たる張角殿を探している。ご存知ないか?」


 思わず、三姉妹は身を固める。自分たちの首を取りに来たのだろうか。だが、この男は自らを「伝令」であると述べた。何か、伝えることがある筈だ。そこに、一縷の望みがあるかもしれない。目の前の男は、重ねて問う。


「火急の伝令である。もう一度、問う。張角殿はいずこ?」

「わ、私が張角です」


 天和がおずおずと答える。地和と人和は立ち上がると、天和の左右に並んで立った。


「ほう。おぬしが張角殿か。わしは前田慶次郎。曹操殿の下で、客将をしておる」

「前田……」


 天和の目が大きく見開かれる。その彼女の前で、慶次郎は立ったまま略礼をとった。


「こんな状況じゃ。多少の無礼は許されよ。わが主から、張角殿に伝言がある」

「は、はい」

「おぬしたち、三姉妹の命を救う準備がある」


◆◆◆


「ホント!ホントなの」


 地和が目を輝かす。その顔を見て、慶次郎は笑顔を浮かべて頷いた。


「うむ。だが、条件がある」

「条件?」

「ああ。わが主が申すには『張角、張宝、張梁の三人は山塞で自決したこととする。そして三姉妹は曹操軍に投降後、黄巾賊を兵として集めるのに協力して欲しい』とのことじゃ」

「……」

「返答はいかに。まあ、こんな状況じゃ。早めに答えてくれると助かるが」


 慶次郎はそう言いながら、天井を見上げた。天井はすでに炎に包まれつつあった。後四半刻(約三〇分)もうすれば、この建物全体が炎で包まれるであろう。


「なるほどね。確かに、ちぃたちがいれば曹操は楽できるでしょうね」


 腕を組みながら、地和が不遜な笑顔で頷く。


「賢明な判断です。曹操がその領内で取り組んでいるという『屯田制』。その効果も、一段と上がるというものでしょう」


 その眼鏡に手を添えて、人和が冷静な表情で付け加えた。


 自らが救われると知ったときの、二人の表情は年齢相応のものであった。しかし、今二人が浮かべている表情は、まさにしたたかにこの乱世を生き抜いてきた賊の指導者にふさわしい。


 伊達にこの六年間、黄巾賊を率いてきたわけではないということか。慶次郎はそう思いながらも、二人の後ろに座る張角が気になっていた。張宝と張梁らしき二人が元気を取り戻したのに対して、彼女の表情は冴えなかった。むしろ、落ち込んだようにも見える。


「伝令さん。これから、三人で協議します。少し、後ろに下がっていてくれませんか?」


 人和が、眼鏡を掛け直しながら慶次郎に告げた。


「うむ」


 慶次郎は素直に五歩ほど下がる。


「もっと後に下がってよ!女の子の話を盗み聞きしようだなんて、恥ずかしいと思わないの?」


 地和が、慶次郎を指さして頬を膨らます。


「すまんすまん」


 慶次郎はさらに五歩ほど下がった。建物の出口に近い位置である。


「うむ。ごくろう!」


 地和はにっこりと微笑むと、後ろに振り返った。人和もまた、振り返る。そして、天和を中心に三人は小声で言葉を交わし始めた。その姿を見て、慶次郎は妙な胸騒ぎを感じた。


 話はすぐに終わった。地和と人和の二人が振り返る。その表情を見て、慶次郎ははっとした。そこには、二人の少女がいた。この六年もの間、黄巾賊を率いてきた指導者ではなく、ただの、どこにでもいそうな少女。そう、街中を歩けば広場ですれ違うような。食堂に入れば、給仕で目にするような。


 その二人がにっこりと微笑む。火の粉が飛び散る中、その笑顔はこの世のものではないように美しかった。


「伝令さん。いえ、前田さん!先ほどは、ちぃたちを助けてくれてありがとう!」


 地和が頭を下げる。一緒に、人和も頭を下げた。


「ちぃたち、そのお礼に報いるものを何もあげることができないの。だから、せめてものお礼として真名を許しちゃうね!」

「む?」

「ちぃの名前は張宝。そして真名は地和。特別に、ちーちゃんと呼ぶことを許したげる!」

「私の名前は張梁。真名は人和。特別に、れんちゃんと呼ぶことを……ゆ、許します」

「……」

「何よ?」

「い、いや」

「私たち、真名を男の人に教えるのは初めてなのよ?もっと喜んでくれないと」

「すまん。急なことで、我を忘れておった」

「もう、しっかりしてよねー」

「うむ。わしの名は前田慶次郎。真名はない。親しい者は、慶次と呼ぶ」

「そうなの。……ねえ、慶次さん」


 そう言うと、地和はちらりと人和を見た。人和は頷くと、地和に近づく。二人は並んで立つと、交互に話し始めた。


「絶体絶命の時に、助けてくれて本当にうれしかったよ」

「嫌われ者の私たちを、命がけで救ってくれる人がいて、とてもうれしかった、です」

「もっと早く、逢いたかったな」

「本当に」

「それじゃ、名残惜しいけど」


 何かおかしい。慶次郎がその足を踏み出そうとしたとき、二人は花のように微笑んだ。


「「さようなら」」


◆◆◆


 一瞬の出来事であった。二人は別れの言葉を告げると同時に、抱きしめ合った。時間が凍る。その時間を割るように、二人が地面に倒れる音がした。二人は倒れたまま動かない。やがて、倒れた二人の胸の位置を中心にして、地面に血が広がり始める。


 慶次郎の脳裏に、かつてみた光景が蘇った。一向一揆と戦ったとき、何度も見た。追い詰められた信徒の女性たちが、お互いの心の臓を隠し持った小刀で刺し合って自決していった――。


「あなたが、二人を殺したのです」


 その声に、我に返った。自決した二人の妹を目の前に、黄巾賊の長は背筋を伸ばし、慶次郎の顔を真っすぐ見つめている。そして丁寧に言葉を選び、貴人に対するが如く言葉を発した。


「黄巾賊の仲間を、私たちが自分たちの身を救うために戦場に送ると――お思いですか」

「……」

「私たちをここまで苦しめ、盗賊にまで追い詰めたお上のために命を捨てて戦えと――命じるとでもお思いですか」

「……」

「そんなことはできないわ。彼らを更なる地獄に落とすぐらいなら、私たちは滅びることを選ぶ」

「おぬし」

「天和、で結構です。あなたが、私たちの命を救ってくれたことは事実。ほんの、短い時間であったとしても。

「……」

「ですから、私もあなたを慶次さんと呼ばせていただきます。ねえ、慶次さん」

「何じゃ」

「私たち――黄巾賊。この世でもっとも惨めな存在だと思うの。もっとも貧しく、もっとも哀れで、もっとも嫌われ、もっとも人を傷つけた」

「……」

「なのに――」


 そう言うと、天和は慶次郎の顔をきっと睨んだ。その目には、涙が浮かんでいる。


「――どうして、そんな惨めな私たちを救って下さらなかったのですか?」

「何?」

「なぜ、私たちの元に来て下さらなかったのです!」

「だから、何を……」

「答えてよ!」


 天和は悲痛な声で叫ぶ。そして、呪いの言葉を吐いた。


「『天の御遣い』は、どうして私たちを助けてくれなかったの?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ