第1節 勝鬨
「曹操が将、前田慶次郎が馬元義を討ち取ったり!」
その声に、黄巾賊一万八千が一斉に動きを止めた。彼らの視線が、大将のもとに注がれる。我らが大将は、依然として馬上にいる。しかし、その大将の首がない。
その、首を失った体が大きく前に傾いだ。そして、そのまま崩れるように馬から地面に落ちた。
黄巾賊たちは、思わず自分が何をすべきかを忘れた。ただ呆然と、朱槍を持った血まみれの男の姿を見つめる。後から、感情がやってきた。怒りが、憎悪が、そして絶望が彼らの身を襲おうとしたとき、西の方角から銅鑼の音が鳴り響いた。
どーん、どーん、どーん。
その音に呼応するようにして、丘の向こうから騎兵が現れた。その先頭の馬にまたがるのは、傷だらけの顔をした武将である。その武将は右手を高々と掲げると、前方に向かってまるで空気を斬るようにその手を振り下ろした。
「かかれー!」
号令の元、騎兵たちが喚声を上げて丘を下り出す。同時に、左側の森から白鎧で統一された騎兵の一団が飛び出した。その右脇に槍をかいこんだ目元が涼しげな武将が先頭に立ち、恐るべき速度で黄巾賊に迫る。そして時を同じくして、右側の森から黒鎧で統一された騎兵の一団が飛び出した。その右手に剣をかかげた黒髪の武将を先頭に、斧のような勢いで黄巾賊たちに迫る。
黄巾賊たちが冷静であれば、騎兵の数が彼らに比べれば明らかに少ないことがすぐにわかったであろう。大将が存在していれば、陣を変えることも可能であっただろう。しかし彼らはもはや冷静ではなく、大将も既にいない。丘の後ろから、そして森の中から、無限に騎兵が現れるように思われた。
誰からともなく、騎兵に背中を向けて東に向かって走り出す者が現れた。東には、西と同じようになだらかな丘が広がっている。騎兵の弱点、それは坂を登るときに速度が極端に落ちることだ。東に逃げればなんとかなる。走り出す兵はすぐさま百人を越えた。そして千人が、万人が東の丘に向かって走り出す。
だが、無情にも東の丘の上に突如旗が立つ。旗に記された名は、「関」。
黄巾賊たちの背筋が凍る。まさか、徐州にあって黄巾賊を皆殺しにしたと噂されるあの黒髪の「鬼」が来たというのか。嘘だ。嘘であってくれ。
彼らの願いは空しく、丘の上には黒い長髪に青龍偃月刀を構えた武将が現れた。黄巾賊たちは、一気に恐慌状態に陥った。
「黒、黒髪鬼だー!」
次の瞬間、馬上の愛紗の号令のもと北郷軍の歩兵たちが東の丘から雪崩のように駆け下り始めた。ここに、黄巾賊は完全に瓦解した。
◆◆◆
西と東の逃げ場を失った黄巾賊たちは、体中の穴から液体を垂れ流しながら南に向かう。南には森が広がっていた。森の中に逃げ込めば、追っ手をまけるかもしれない。
しかし、運命はどこまでも彼らに残酷であった。黄巾賊が森に活路を求めた瞬間、森の中から青竜刀を手に持った数千の歩兵たちが飛び出してきた。その肌の色は褐色で、彼らが南方の兵であることを示していた。彼らを追いかけるように掲げられた旗に記された名は、「孫」。揚州の黄巾賊を壊滅に追い込んだというあの戦闘集団が、雄叫びを上げながらこちらに向かって駆けてくる。
<なんで、なんでこんなところに!>
もはや、退路は北にしかない。彼らが進んできた平原にしかない。平原に隠れるところはなく、騎兵から逃げ切れるはずもない。しかし、逃げる場所はそこにしかない。黄巾賊の目が一斉に北に向けられ、過酷な逃避行が始まろうとしたとき。彼らの膝が折れた。
いつの間にか、北の平原を横一線に覆うように壁ができていた。その壁は音を立てず、ただ静かにこちらに向かって近づいてくる。広い平原に、その壁を通り抜ける隙間はどこにもない。その壁にひるがえる旗の名は、「文」。この大陸において、董軍とならび最強を謳われる袁軍。その袁軍が誇る二枚看板が一人、文醜の旗である。
黄巾賊たちは己の結末を悟った。
◆◆◆
気がつけば、黄巾賊たちは自分たちの大将の首を取った男を中心に円陣を組んでいた。いや、組まされていた。中心にいる悪魔のような男に対する恐怖。そして、彼らを囲み潰そうとする兵たちに対する恐怖。その二つの恐怖が、まるで鮫に追われた小魚の群の如く彼らを自然とこのような状況に追い込んでいた。
そんな彼らに、円陣の外側から凛々しい声がかけられる。
「道を空けよ!」
その声を耳にした黄巾賊たちが緩慢に振り返る。あまりの恐怖に、彼らの精神はもはや痴呆に近い。次の瞬間、十数人の黄巾賊が吹っ飛んだ。声の方向を見れば、最初に突撃を始めた騎兵の将らしき若い女性が地面に立ち、両足を前後に開いて右手を突き出している。
「はっ!」
左手が突き出された。再度、十数人の黄巾賊が吹っ飛ぶ。その奇怪な技に、彼らは思わず道を空けた。
技を繰り出した武将の背後から、馬に乗った若い女性が現れる。春が香るような草冠を身につけた金髪の麗人である。その麗人が、道を通り円陣の中心に向かって駆けていく。この地獄のような戦場にまるで似合わないその後ろ姿を、黄巾賊たちはあ然として見送った。
◆◆◆
華琳は慶次郎の側に馬を並べると、右手を天高く掲げた。そして、声の限りに叫ぶ。
「我が名は曹操!そなたたちに告げる。降伏せよ!」
黄巾賊たちは無言である。華琳は、その手を掲げたまま言葉を続ける。
「降伏せし者には、三つの保証を与えよう!」
その声には、それを聞かねばならないと思わせる威厳があった。黄巾賊たちを囲む諸軍も、いつしか進軍を止めて華琳の声を待っている。
「一つ、命を保証しよう!」
黄巾賊たちが口を開ける。
「一つ、糧食を保証しよう!」
黄巾賊たちがざわめく。
そして、華琳はその右手を前方に向かって突き出すと高らかに宣言した。
「そして、耕す『農地』を保証しよう!」
黄巾賊たちが静まりかえる。
次の瞬間、彼らは武器を一斉に地面に投げ捨てると膝を突いて平伏した。
◆◆◆
草原に並んで立つ慶次郎と華琳の回りを、親衛隊の兵士たちが慌ただしく走り回っている。松風と華琳の馬は、すでに親衛隊の兵士によって飼い葉のある場所に移されていた。黄巾賊たちは、ここにはいない。彼らは星が率いる白虎騎、そして春蘭率いる黒豹騎によって、西の丘の向こうへ連行されていた。
今、この地には親衛隊の兵士たちによって大きな陣幕が張られようとしている。援軍の将たちをねぎらう宴会の準備のためである。華琳にとって、この戦の目的は黄巾賊を倒すことだけではない。援軍の将たちとの外交も含まれている。したがって、宴会の準備は周到に準備されていた。
援軍の兵士たちに対しても華琳はぬかりない。彼女は、慶次郎が小沛で酒屋につくらせた澄み酒の作り方を参考に「九醞春酒法」という新たな造酒法を編み出していた。その方法でつくった澄み酒の瓶を、親衛隊の兵士を使って援軍の兵士たちの前にどんどん置いていく。北郷軍や孫軍の兵たちの間から、喚声が上がった。孫軍の兵士たちの中には、将の指示を待つまでもなくすでに飲み始めている者すらいる。
そうした中、袁軍だけが林のように静まりかえっている。「文」の旗の下、兵士たちは隊列を崩さずにまるで彫像のように動かない。まだ、許しが出ていないのであろう。兵士たちは、目の前の酒の瓶には目もくれず、彫像のようにただ前を見て立っていた。
◆◆◆
宴会の準備から敵の大将の埋葬まで、親衛隊の兵士たちへの指示を一通り終えると、華琳は隣に立つ男のことを見上げた。この男は、確かに「何か」を引き起こした。いや何かどころではない。見事、単騎で黄巾賊一万八千の将の首を取った。まさに、燦たる武勲である。
しかし、それはあくまで武将としての評価である。自分の愛しい人として考えたとき、その評価は正反対となった。自らの身を省みず、己が命を安く扱い、薄氷の生を拾った。愛する者の気持ちをまるで無視したその行為は、激怒に値する。
だが、この場が彼女に怒らせることを許さなかった。兵たちが見ている。援軍の将たちが見ている。君主として、行動しなくてはならない。
「慶次。一騎駆け、実に見事。この戦の一番手柄よ。後で、褒美を取らせるわ」
「それは光栄の至り」
男は大袈裟に頭を下げてみせる。本当に憎たらしい男だ。その男に、自らの喜怒哀楽をぶつけられない寂しさを華琳は思った。ああ、なんて――。
「――面倒くさい。そうは思わぬか?」
「!」
「今からでも遅くない。連れだって、旅に出てもいいのだぞ」
そういうと、男は笑った。つられて、華琳も笑う。
「魅力的な提案ね。でも、もう遅いわ」
「……」
「私は、既に歴史の中にいる」
そう言うと、華琳は辺りを見回した。数万の兵の真ん中にいる自分を感じた。ここから、私の道が始まるのだ。いや、始まった。もはや、立ち止まることは許されない。前に向かって歩くことしか許されない。だけど、私の隣にはこの人がいる。
「ねえ、慶次」
「ん?」
「一緒に。これからも一緒に、歩いてくれるわよね?」
「華琳。わしは……」
「慶次どのー!」
その声に、慶次郎と華琳は振り向く。その視線の向こうに、北郷軍の主将にして中華に名だたる美髪公――愛紗が満面の笑顔を浮かべて立っていた。
◆◆◆
愛紗は胸を弾ませて、久しぶりに男の前に立つ。そして彼の隣にいる小柄な金髪の女性にちらりと視線を送った後、慶次郎に話しかけた。
「慶次殿!一騎駆け、お見事でした!」
「見ておったのか」
「はい!……」
愛紗は、それ以上の言葉を続けることができない。それほどまでに、彼女の目の前で演じられた慶次郎の一騎駆けは彼女の心に感銘を与えていた。小沛で青龍偃月刀の使い方を教えたときに感じた、その底知れぬ武。自分の感覚は、間違っていなかった。
「慶次?」
見れば、華琳が不安そうな顔をして見上げている。その表情を見て、慶次郎は愛紗に声をかけた。
「愛紗、紹介しよう。こちらはわしの主君、曹操殿じゃ」
「こ、これは。失礼いたしました」
愛紗は、慌てて膝を突いて礼を示した。先ほどの華琳による黄巾賊への降伏要求。その声は聞こえていたものの、その姿までは確認できていなかったのである。
「関羽殿、お顔をお上げ下さい。今の私は無位無冠の身。徐州にあって高名を誇る関羽殿にそのような態度を求めることのできる立場ではございません」
「いえ。私の尊敬する慶次殿の主となれば、礼を示さぬわけにはいきませぬ」
そう言いながらも、愛紗は華琳の表情を探る。青龍偃月刀を握る右手に、力が入った。
◆◆◆
立ち上がると、愛紗は華琳に問う。
「初見にて失礼とは存じますが、曹操殿に一つお聞きしたいことがあります」
「何なりと」
「曹操殿。あなたは、何を目指して兵を挙げられたのですか?」
「!」
「よろしければ、お聞かせ願いたい」
そう言うと、愛紗は華琳の目を正面からじっとのぞき込んだ。華琳は黙り込んでいる。ちらちらと、横に立つ慶次郎の顔を見上げている。その顔が、ほんのりと赤くなっている。だが、意を決したように話し始めた。
「関羽殿のような方を目の前にして申し上げるのはお恥ずかしいのですが……私が兵を挙げたのは、民と一緒に幸せを感じるため。そして、一緒に笑うためです」
はにかみながらそう言う華琳の言葉を聞いて、愛紗は内心驚いた。目の前の女性の瞳には、真摯な輝きだけがある。そこに、どのような偽りも見いだせなかった。それを見て、愛紗は思う。なんとまあ、曹操とはかように廉潔で「甘い」人物であったか。
実際、黄巾賊を助けている。自分たちを殺しに来た連中を罰するどころか温情をかけ、あまつさえその耕す土地まで約束した。桃香ですら、これほどまでに甘くはない。とても「奸雄」になれるような人物ではない。仮に「敵」になったとて、それほど危険な存在にはなりえまい。ご主人様の懸念は杞憂であったようだ。
そして愛紗は、同じように甘い人物を知っていた。彼女の主、北郷一刀である。慶次郎が曹操の下についたのは、自分と同じように志のある「弱き者」を助けようと志したからかもしれない。
後日、愛紗は曹操に対する自らの判断が完全に誤っていたことを知る。華琳がこのようにはにかんでいるのは、そして素直であるのは、隣に立つ男を意識してだということに、その時の彼女は気づけなかった。
愛紗が安堵のため息をつく側で、慶次郎がくすくすと笑い出す。華琳が真っ赤な顔で隣に立つ男を見上げた。
「何よ」
「何じゃ、華琳。照れとるのか?」
「そうよ。悪い?」
「いやいや。そういうおぬしも、なかなか新鮮じゃな」
「……もう!慶次のばか!」
華琳は慶次郎に向かって顔を突き出すと、いーっと歯を見せた。しかし、その表情を見れば彼女が本当に怒っているわけではないことはすぐにわかる。慶次郎もまた、それを知っているからこそ、からかっているように見えた。まるで、二人は恋人同士のようだ。愛紗は、そんな二人を見てにっこりと微笑んだ。
うむ。
やはり、「敵」だな。
◆◆◆
華琳が愛紗を連れて陣幕まで移動した後、二人の男が残った。慶次郎と北郷軍の副将である孫乾――左慈である。いくばくかの沈黙が続いた後、左慈の方から慶次郎に話しかけた。
「よく、生きていたな」
「ん?『前』か?『今』か?」
「前だ」
左慈は、小沛で慶次郎と戦ったときのことを言っていた。あの時、左慈はこの男の始末を于吉に託して場を後にした。満身創痍だったこの男が、管理者である于吉から逃れられたはずもない。だからこそ、その生存を知ったときの左慈の驚きは大きかった。
「どうやって、生き残った」
「于吉がな。理由はわからんが、見逃してくれたわ」
左慈は眉を寄せる。理由がある筈だった。あの男が見逃すなど、通常は考えられない。管輅のためだろうか。そんな左慈の気持ちを読んだように、慶次郎がぼそりとつぶやいた。
「鄴で、管輅に会ったぞ」
「何だと」
「于吉に会わせてもらった。未だ、目が覚めぬようだが」
「目が、覚めない?」
「ああ。そろそろ、起こしてやってはどうじゃ」
「……どういうことだ?」
左慈は困惑した。その表情を見て、慶次郎は眉をひそめる。
「于吉によれば、おぬしがそう計らった可能性があるとのことだったが」
「……」
「違うのか?」
あの日、確かに左慈は管輅の首を手刀で打ち、昏倒させた。しかし、それはあくまで気を失わせることが目的で、特別な術などを用いたわけではない。気を失った管輅を管理者たちのアジトの一つである鄴の屋敷の寝台に寝かせ、彼は徐州に戻ってきたのだった。
左慈は慶次郎の問いには答えず、右の方向を向いた。こちらに向かう二人の人影がある。文醜と郭図――于吉である。その姿を確認した左慈は、陣幕に向かって歩き出した。そして慶次郎の隣に立つと、視線を合わせないままささやいた。
「于吉には気を付けろ」
「何じゃと?」
「あいつは、何か企んでいる」
「……なぜ、それをわしに教える?」
「お前が生きていてくれたお陰で、北郷が悲しまなくて済んだ。……その礼だ」
そう言うと、左慈はそのまま歩き出した。
◆◆◆
「兄貴ー!」
猪々子が右手のひらを高くかかげながら、意気揚々と慶次郎に近づいてくる。その背後の于吉に目を配りながら、慶次郎は猪々子の手に自らの右手のひらを合わせた。ぱちん、と乾いた音が響く。
「久しいな、猪々子」
「ホント、久しぶりだな」
「おぬし、本当に『あの』文醜だったのだな」
「何だよ、それー。信じてなかったのかよー」
猪々子が頬を膨らませる。冀州から予州への帰路、慶次郎に追いついた猪々子は己の素性、そして麗羽の素性を語った。その上で、冀州に戻るように説得した。既に華琳に仕えることを決めていた慶次郎に、その説得に応じなかった。また凪の乱入もあって、そのまま彼らは別れていた。
「それにしても、兄貴が『あの』曹操に仕えていたとはね」
「ん?華琳のことを知っておったのか?」
「麗羽様がね。何でも、犬猿の仲らしいぜ」
愉快そうに猪々子は笑う。
「でさ。今度こそ、兄貴を連れてくるように厳命を受けているんだけど」
「すまんな。わしはしばらく動くつもりはない」
「ちえっ。兄貴は義理堅いなー」
猪々子は頭を右手でがりがりと掻いていたが、ふとその笑みを消した。
「ところでよ、兄貴。黄巾賊一万八千を相手に一騎駆けしたらしいじゃねえか」
「見てたのか」
「いや、斥候から聞いたよ。兄貴は、ホントに天の御遣いだったんだな」
「よせ。おぬしに言われると気恥ずかしいわ」
「なあ」
猪々子は慶次郎を見上げた。その表情は真剣である。
「兄貴。本気で誘うぜ。曹操みたいな小さなところでくすぶるのは止めて、うちに来いよ。天下の仕事をしようぜ」
「くどいぞ、猪々子」
「……」
「それにな。おぬしのところは強すぎる。働きがいがないわ」
慶次郎の返答を聞いて、猪々子はにやりと笑った。
「じゃ、うちらが天下に喧嘩を売ったらどうよ?」
「喧嘩?」
「ああ。そしたら、回りはみんな敵になる。楽しいぜ。天下を相手に暴れるのは」
「……文醜殿!」
于吉が猪々子の話を遮ろうとする。この話がもれたら、猪々子が反逆罪に問われるだけでは済まない。袁家そのものが、朝敵となってしまうだろう。しかし、猪々子は自らの態度を変えようとはしなかった。
「黙ってろ、郭図。主将は、このあたいだ」
「おぬし、本気か?」
「本気も本気さ。人生、常に勝つか負けるかのどっちかなんだから、賭けるしかないっしょ!」
猪々子はいかにも楽しそうに腕を組む。
「あたいはさ。今の朝廷の奴ら――金もねえ。力もねえ。そのくせ、いつも偉そうな奴らがよ、あたいたちをあごで使おうとするのが心底気に食わねえ。そろそろ、全部ぶっ壊したい気分なんだよね」
「麗羽は、おぬしの考えを知っているのか?」
「ん?知らないよ。でも、始まっちゃったら仕方ないじゃん」
「……」
「だから兄貴、一緒に暴れようぜ。兄貴が、天の御遣いが味方につけば、大義名分も立つし」
そう言うと、猪々子は慶次郎に背を向けた。そして、いつの間にか手にした巨大な斬山刀をその右手に軽々と持つと、天に向かって突き上げた。次の瞬間、袁軍の兵士たちが一斉に抜刀する。その金属音に、それまで酒に夢中だった北郷軍と孫軍、そしてその給仕をしていた曹軍の兵士たちが静まりかえった。彼らはあっけにとられたような表情をして、最強の黒い兵士たちを見つめている。
「せっかくの機会だ。北郷軍と孫軍、一気に潰しちまうか」
背を向けたまま、ぼそりとつぶやく。
「もちろん、曹操もぶっ潰す。そうすりゃ、兄貴もうちに来てくれるよな?」
そう言うと、猪々子はゆっくりと振り返る。そして斬山刀を地面に突き立てると、不敵に笑った。
「言っておくけど、あたいらは強いぜ?」