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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第9章 昇竜
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第2節 慰撫

 五月の心地良い風が吹き込んでくる。その風を受けながら、昼下がりの執務室で桃香は食後の茶を飲んでいた。皆が出払ってしまっているためか、城内がいつになく静かである。


 やっぱり、私もついていけば良かったかなあ。そんな風にため息をついた桃香の耳に、けたたましい足音が近づいてきた。


「た、大変でしゅ!」


 執務室の扉を開けたのは鳳統こと、雛里である。その息は荒い。


「どうしたの?」

「兗、兗州との州境に、約五千と数えられる所属不明の騎兵が現れましゅた!」

「えーっ!」


 思わず桃香は立ち上がる。ここ数ヶ月、徐州の治安は安定していた。黄巾賊から「黒髪鬼」と恐れられる愛紗の奮闘により、州内の黄巾賊のほとんどはその本拠地である青州、もしくは官兵が弱兵であることで知られる予州といった隣接する州に逃亡していたのである。


 それが、戻ってきたというのか。北郷軍の主力が出払ったこの時に乗じて。


「雛里ちゃん!今、下邳に残っている兵はどのくらい?」

「は、はい!歩兵を中心に約三千といったところでしゅ!」

「……っ!大至急、州内の警備についている兵達を下邳に呼び戻して!」

「はい!」

「私たちは、すぐに出陣するよっ!」

「へ、兵達が戻るのを待った方が良いのありましぇんか?!」

「相手が騎兵なら、一刻を争うよ!それに」


 桃香は愛剣、靖王伝家を腰に差すと誇らしげに自らの胸を叩いた。


「ご主人様に後備を任せられたのは、この私なんだからっ!」


◆◆◆


 桃香たちが州境付近まで兵を急行させると、くだんの騎兵は州境を越えた地点でとどまっていた。見ればその軍装は共通で、隊列は整然としている。


 黄巾賊ではないのかな。そう桃香が思ったとき、その騎兵たちが一斉に旗を上げた。桃香は目を見張る。その旗に記された文字、それは「公孫」であった。


「え?」


 騎兵たちの中から、一人の将が現れる。そして単騎、こちらに向かって駆けてきた。それを見て、桃香もその馬の足を進める。両者は、両軍の中間地点で落ち合った。


「久しぶりだな、桃香」

「白蓮ちゃん?」


 「白馬長史」の名で知られる古き友は、困ったような顔で微笑んだ。


◆◆◆


「追い出された?」

「ああ」


 公孫賛――白蓮が力なく頷く。桃香の執務室で、彼女は雛里と一緒に久しぶりに会う友人と対峙していた。現在、白蓮の兵達は下邳城下で休憩を取っている。


「鳥丸の人たちに?」


 幽州牧である白蓮は五胡の一つ、鳥丸と長年に渡って敵対関係にある。彼女の武名は、北方より侵入を試みる鳥丸たちとの戦いの中で高まったものだった。


「いいや」


 白蓮が首を振る。


「それじゃ。もしかして、袁紹さんに?」


 桃香は、昨今とみにその名を上げつつある北方の雄の名を挙げた。白蓮と袁紹の仲の悪さは有名である。その名を聞いて、白蓮はその眉をひそめた。


「間接的には、そうもいえないこともない。でも、違う」

「それじゃ、誰に追い出されたの?」

「……『民』だよ」

「民?」


 桃香は首を傾げる。幽州は、どちらかといえば貧しい地域である。そんな場所で白蓮は民のことを思って良政を実施し、鳥丸から民を守る名君として知られていたはずだった。その彼女が、よりにもよってその民に追い出されることなどあるのだろうか。


 そんな桃香を見て、白蓮は大きなため息をついた。そして、経緯をぼそぼそと説明し始めた。


「なあ。最近、袁紹のやつ、『おかしい』だろ?」

「うーん、何か『おかしい』みたいだね」

「ええ、とにかく『おかしい』と聞いてます」


 桃香、白蓮、そして雛里の三人は意見を合わせる。ここ数年、君主となってからの袁紹は「暗君」として知られていた。ある意味、彼女の愚かさとその強大な勢力が相殺されることにより、華北はバランスがとれていたのである。


 それが、半年前から袁紹が変わったとの噂が流れてきた。「名君」に変わったというのである。その理由ははっきりしない。やれ「頭を打った」だの、「新しい軍師が加わった」だの、「暗君は演技だった」だの。果ては「もう一人の天の御遣いから啓示を受けた」といった突拍子もないものまで、さまざまな噂が流れた。


 とにもかくにも、彼女のとる政策が大きく変化したことは事実であった。その政策はとくに目新しいものはなく、ここ徐州でも実施されているごく当たり前のものである。しかし、これまでがこれまでだっただけに、その変化によって彼女は一気にその名声を高めた。


「桃香。冀州と兗州の農民に袁紹が示した租税の割合、知ってるか?」

「ううん」

「四公六民だぜ」

「ええー!」

「普通は、五公五民だろ。そうじゃなきゃ、普通はやっていけないんだ。でも」

「どちらの州も豊かですからね。農作物以外の収入も多いですし」

「そう。そしたら、先月になって幽州の街の代表者たちが私のところに来てさ。『私たちは袁紹様の民でありたく』なんて言うんだ」


 白蓮はそう言うと、下を向いた。


 街の代表者たちは、袁紹が租税を引き下げていること、そして鳥丸には融和政策をとり友好的な関係にあることを挙げて、白蓮に「民」のために州牧としての座を袁紹に譲ることを迫ったのだった。


「私は、民のことを思って頑張ってきたんだ。だから、その民からそう言われたら、幽州から出て行かざるを得なかったよ」

「で、でも、よく冀州と兗州を通れたね。白蓮ちゃん、袁紹さんと仲が悪かったのに」

「うん」


 白蓮は力なく頷く。


「袁紹のやつ、ものすごく優しくてさ」

「へ、へえ~」

「至れり尽くせりで便宜を図ってくれたよ。糧食の手配までしてくれた」

「そ、そうなんだ。良かったね!不幸中の幸いだね!」


 桃香は、白蓮を懸命に元気づけようとする。だが、白蓮は更にその表情を暗くした。


「面と向かって言われたよ。『強者が弱者に施しをするのは当たり前ですわ』って」

「ふ、ふーん」

「しかも、『白馬を揃えるのは無駄遣いじゃありませんの?民のことを考えれば、そうした無駄遣いは慎むべきですわ』とも言われた」

「そ、そう」

「そんな袁紹の態度に感動した兵士たちも結構いてさ。半分くらい、鞍替えしてしまったよ。あはは……」


 下を向いたまま、白蓮はうつろな表情で笑う。桃香も白蓮に合わせて微笑んでみたものの、何と言って慰めたら良いのかわからなかった。


 話だけを聞けば悲劇だ。しかし、客観的に見れば喜劇である。何せ、「あの」袁紹に民からの支持という点で負けて追い出されたというのだから。半年前には、想像すらできなかった珍事。しかし、それが現実であることを古き友人の姿が語っている。


 その友人が旗を下げていた理由も、今ならわかる。きっと、恥ずかしかったのだ。袁紹の情けを受けてその領内を通り過ぎる自分が。袁紹の民たちの前に、己の姿をさらしたくなかった。


 しばらくして、白蓮は顔を上げた。その顔に生気はないものの、どうにか気を取り直したようだ。真剣な表情になっている。


「そこで、桃香にお願いなんだが。その、私たちを受け入れてくれないか」

「いいよ」

「いいのか?」

「いいよね、雛里ちゃん」

「よろしいかと。正式にはご主人様の了解を得てからになりますが、白馬長史として諸国に名を知られる公孫賛さんの加入は私たちにとって大きな力となります。問題ないかと」

「ありがとう、桃香!本当に助かるよ」


 白蓮は涙目で両手を伸ばすと、桃香の両手を握った。


「ところで、『ご主人様』って?」

「えへへ。天の御遣い様のことだよ」

「ああ、天の御遣い様か。じゃ早速、挨拶をしたいのだが」

「うーん。いいけど、しばらく待ってもらうことになるかも」


 そう言うと、少し寂しそうな顔で桃香は言葉を続けた。


「ご主人様は今、揚州との州境に『慰撫』に行ってるんだ」


◆◆◆


 徐州と揚州の州境にある大河を境にして、二つの軍が相対していた。北岸に陣取るは一刀が率いる北郷軍。そして、南岸に陣取るのは孫策こと雪蓮が率いる孫軍である。


 半年前に突如その兵を起こした雪蓮は、またたく間に袁術をその本拠地である淮南から追い出してその実権を握った。袁術はその悪政が有名だったこともあり、雪蓮の行為は義挙として世間の人々に受け止められた。


 朝廷もまた、この政変を認めた。その結果、その実権は揚州の上半分にしか及ばないものの、雪蓮は揚州牧に任じられた。一説には、袁術がためこんだ財貨の半分が朝廷に献じられたという。なお揚州の下半分は、漢の皇族の一員である劉繇が会稽郡太守としてその実権を握っている。


 この政変を機に、徐州と揚州の境にある大河の北岸に住む農民たちが下邳まで陳情に来た。その土地は、これまで袁術が不法占拠していた地域であった。以前の徐州牧であった陶謙は、袁術を恐れてそのことを半ば黙認していたのである。しかしその袁術が淮南から追い出されたのを奇貨として、農民たちは善政で有名な徐州に再度属したいと申し出たのであった。


 その申し出を知った雪蓮は、激烈な手紙を徐州牧である桃香宛てに送りつけてきた。曰く、「すでに揚州の州土であるその土地を義挙に乗じて火事場の盗人の如くかすめ取るとは義人の風上にもおけぬ行いである。その土地を奪いたくば矛を持ってせよ。我ら全力を持って盗人を成敗するのみ」。


 できるだけ争いを避けたい一刀は、農民たちの陳情に慎重な態度をとっていた。しかし彼らは執拗に毎週陳情に訪れた。しまいには、下邳の街角で自分たちの窮状を演説し始めた。


 ここに至り、一刀はその重い腰を上げざるを得なくなった。「弱者の味方」であることを旗印とする天の御遣いは、彼らの声を無視できない。一刀は州境を確定すべく、慰撫を名目に出兵した。その数は、二万四千。州内に散らした警備兵たちと下邳に残した後備の兵を除く全兵力である。


◆◆◆


 北岸近くの小高い丘の上に、北郷軍の本陣が置かれていた。そこには、一刀の旗である白字に黒の十文字の旗がはためいている。その旗の下の椅子に一人、一刀は大将然として腰を下ろしていた。


 ここからは、対岸の孫軍の陣がよく見える。大将旗を中心として、彼らは重厚な陣を対岸に張っていた。まだ軍事には詳しくない一刀ではあったが、その彼から見ても実に見事な陣立てである。斥候によれば、こちらとほぼ同数の兵がいるという。


 その陣を見下ろす一刀の顔は険しい。ここで北郷軍と孫軍が戦えば、多くの人が死ぬ。その数は数百、いや数千になるかもしれない。


 その契機となったのは、たかだか数十人の人が住む村人の訴えである。一刀は彼らに、代替地の提供を申し出た。より下邳に近く、安全で肥沃な土地である。しかし、彼らはそれを拒否した。生まれ育ったその場所に住むことを固執したのである。


 彼らの気持ちもよくわかる。誰だって、生まれ育った場所から離れたくない。しかし、その数十人のために数千の兵士の命を奪うかもしれない戦いに、果たして意味があるのか。そして、この戦いはこれからずっと続くかもしれないのだ。死者の数は増えることはあっても減ることはない。そして、憎しみの連鎖は続く。


 自分は平和な日本から来た。平和ボケしているのかもしれない。だけど、納得はできない。彼の苦悩は深まるばかりだった。民という「弱者」のために、為政者という「強者」は殺し合いをするべきかのか。それが本意ではなくとも。


 ふと、一刀は慶次郎のことを思った。強く、賢く、魅力ある存在である彼が、その気になれば一旗揚げることもさほど難しくはないと思われる彼が、あえて孤独に甘んじている理由を。それは、こうした為政者のやるせない思いを厭うたからではなかったのか。一刀は回りに誰もいないのを確認して、一人愚痴を吐いた。


「俺も孤独になりたいよ、慶次さん」


 しかし、自分もまた孤独には生きることのできない弱者に過ぎない。彼は、少し離れた場所に立つ二人の強者に目をやった。


◆◆◆


 一刀から少し離れた場所に、愛紗、そして朱里が並んで立っていた。丘の上から孫軍を見下ろしながら、「武の強者」たる愛紗は、「知の強者」たる朱里に声をかけた。


「ところで、朱里。この度のご主人様の陣立てはどうだ?」

「下策ですね」

「はは。これは手厳しい」


 愛紗は苦笑いをすると、一刀の座る方向にちらりと目をやった。下邳を発してから、彼女の主の表情は冴えない。視線を戻すと、愛紗は朱里に問うた。


「理由を聞こう」

「ご主人様の立案された『十面埋伏の陣』。これは本来、地形などを知り尽くした土地において効果を発揮するものです」


 十面埋伏の陣。対陣するにあたり、一刀が示した陣である。これは彼が慶次病であった頃、歴史小説を読んで得た知識の一つであった。かの名軍師、竹中半兵衛が岐阜に侵入した織田信長の軍を殲滅した陣である。できるだけ兵の損失を抑えたかった一刀は、究極の待ち伏せとも言うべきこの陣を諸将に提案した。


 この提案に対して、朱里は難色を示した。伏兵を置くのは、大河の北岸でありこれまで袁術が不法占拠していた場所である。当然、北郷軍にその地域に対する知識は不足しており、かつて袁術配下であった孫軍側にその知識は十分にある。したがって、先にその場所には孫軍側の伏兵が配されている可能性がある。そのように、朱里は主張した。


 しかし、斥候を派遣して確認してみるとそれらの場所に伏兵はおらず、孫軍の主力は南岸に陣を張っていた。朱里からすれば、意外であった。そこで、朱里は一刀の案を受け入れることにしたのである。結果として、一刀の立案通り、北郷軍はすんなりと陣を敷くことができた。


「これも『天運』というべきなのでしょうか」


 そうつぶやきながらも、朱里の不安は解消されずにいた。北郷軍がここに着陣するまでの間、その軍を囲むようにおびただしい斥候が確認された。所属は不明であるが、十中八九、孫軍から派遣されたものであろう。軍の動きは、ほぼ把握されていたと考えて良い。


 にもかかわらず、孫策側がその権利を主張する北岸の土地に伏兵はいなかった。罠の形跡もまったくなかった。孫策たちがこの地を死守したければ、ここに伏兵を置くことが一番の策のはずだ。または、ここにこそ本陣を置くべきだろう。


 このまま北郷軍が北岸を占拠し続ければ、実質的にこちらの勝利となる。この土地は、徐州のものとなるのだ。しかし、この戦いはそれで済むものなのか。


 朱里は己の不安を解消すべく、隣に立つ勇将に話を向ける。


「愛紗さんから孫軍を見て、何かおかしな点は感じられませんか」

「さあて。軍略については皆目見当はつかないな。だが……」

「だが?」


 愛紗は、対岸の孫軍を指さす。


「彼らに『兵気』が感じられないのが気に掛かる」

「兵気、ですか」

「ああ。あれほどの陣立てにかかわらず、戦う気が感じられないというか……」


 喧嘩を売りながら、戦う気が感じられない。どういうことだ。朱里がその疑問に検討を加えようとしたとき、右手前方の林に土煙が立った。確か、焔耶が伏せているはずの場所である。愛紗は苦笑いをした。


「やれやれ。これでは伏兵がいるのが丸わかりだな」

「愛紗さん」

「ああ。私はあの陣を見てくる。朱里。何かがあったら、すぐにご主人様を連れて下がる準備をしておけ。どうも、この対陣はおかしい」

「わかりました。お気を付けて」


 愛紗は愛馬に跳び乗ると、丘を駆け下りていった。

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