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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第8章 胎動
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第2節 胎動

 稟のお小言を聞きながら、慶次郎は松風の前鞍に華琳を乗せて小沛の街に戻る道を進んでいた。朱槍は、後ろに続く華琳の配下に預けてある。華琳は慶次郎に背中を預け、両足を前に投げ出していた。


 ようやく稟のお小言――主君には諫言、新参には叱責――が終わったのを機に、慶次郎は華琳に問いかける。


「そういえば、華琳」

「なあに?」

「仕えるにあたり、おぬしらの状況を把握しておきたい。当たり障りのないところで構わぬ。教えてくれぬか」

「いいわよ」


 そう言うと、華琳は北部尉を辞した経緯から話し始めた。


 三年前、十代半ばにして北部尉となった華琳に実家から悲報が届いた。疫病による祖父と父の急死である。当時、華北を中心として疫病が蔓延した。華北の為政者に袁紹、袁術、公孫賛のように若い世代が多いのはその影響であるという。孫策の母で江東の虎と呼ばれた孫堅もまた、その疫病で命を落とした。


 一旦葬儀のために故郷に戻り、再び洛陽に戻った華琳であったが、それから半年して再度実家から急報が届いた。なんと、実家が破産寸前であるという。一家の財政を管理していた祖父と父の死につけこまれ、出入りの商人に曹家はその財産の大部分をかすめ取られていた。


 一家の跡取りである華琳はそれを見過ごすことができず、やむなく北部尉を辞して故郷に戻ることになる。そして商人の手口を探り、やがてかすめ取られた曹家の財産をすべて取り戻すことに成功した。その過程で、華琳は商人の持つ力に注目した。


 彼らは物流の流れを、そして情報の流れを握っていた。この力を利用することで、この国を握ることは可能なのではないか。そう考えた華琳は、商家として力を伸ばすことを決意した。そして故郷に戻って二年後、曹家は予州一の商家にまで成長する。そして、それまでに得た財貨を元に私設軍を設立した。


 そうした経緯をさらりと話す華琳に、慶次郎は改めて舌を巻いた。話を聞いていると簡単なようだが、決してそんなことはない。ここにいるのは見目麗しい乙女であっても、やはり中華の英雄なのだ。


「なるほどな。それで、私設軍をつくった理由は何じゃ」

「知れたこと。黄巾賊の追討よ」

「なるほどな。それで、官軍でもないおぬしがなぜそれをする」

「知れたこと。それをもって手柄とし、武力と官位を得る。だけど……」

「だけど?」

「準備に時間をかけすぎたわ」


 華琳はその眉をひそめた。


「二年でそこまでできれば上等であろう」

「そうかもしれない。でも、私が言っているのは黄巾賊のこと」

「……もたぬのか?」

「ええ。あと二年もすれば、自壊するでしょう」


 華琳は慶次郎に説明する。五年前に突如現れた黄巾賊は、まさに悪逆非道、暴徒と言うべき存在であった。しかし、三年前の疫病の発生後、状況が変わった。棄農した農民たちがそれに加わるようになったのである。黄巾賊は膨張した。しかし、その結果として彼らが得るべき食料は激減した。それらを作るはずの農民が畑を棄てて黄巾賊に参加している。当然の帰結である。


 食料がなくなれば、人は死ぬ。そして、食料のためなら人は命を賭ける。それまでは黄巾賊の猛威に恐れをなしていた人々は、少ない食料を守るために武力を蓄え始めた。その結果、各地の領主たちは必要以上の武力を手にし始めている。黄巾賊追討のため、朝廷もそのことを認めた。結果として、今や黄巾賊は内的にも外的にも滅びの道を歩み始めている。


「黄巾賊が自壊してしまえば、手柄を得る機会はなくなってしまう」

「ふむ」

「つまり、私たちが名を挙げる機会は実質一年程度しか残されていない。三ヶ月後には、挙兵するつもりよ」

「それが、おぬしの計画か」

「ええ。だから、あの『虫けら』どもには、もう少し頑張ってもらわないとね」


 そう言うと、華琳は唇を噛んだ。


◆◆◆


「華琳。黄巾賊とて、人じゃぞ。虫の如く語るではない」

「いいえ、虫よ。彼らのせいで、この世がどれだけ乱れたか」


 まさに、苦虫を噛んだような顔で華琳は言う。そんな華琳の頭を、慶次郎はかるくこづいた。


「あいた。何をするのよ」

「どちらかというと、わしは虫に近い」

「そんなこと」

「生きるためなら泥水もすする。草木もかじる。そして、他者をも殺す。それが、人というものよ。虫と変わらん」

「……」

「虫の心がわからねば、覇者にはなれんぞ」

「……わかった。努力する」


 とはいえ、納得しかねるのだろう。華琳は両頬をぷうと膨らます。


「うむ」


 そう言うと、慶次郎は華琳の両頬を両手で摘むと左右に引っ張った。


「まだまだ、子どもよのう」

「は、離しなさいよー!」


 華琳がじたばたと暴れて慶次郎の両手を頬から離そうとするが、それはびくともしない。慶次郎はそれをいいことに、今度は上下に頬を揺する。


「ほーれ、ほれ」

「むきー!」




「……何ですか、あれ?」

「さあ?」


 仏頂面の風の隣で、稟は苦笑いを浮かべた。


◆◆◆


 慶次郎たちが小沛の街に近づくと、街の門に人だかりができていた。はて、また北郷殿が来たのだろうか。そんなことを考えながら、慶次郎は松風の足を進めた。


「どうしたのじゃ」


 声をかけた。門前の人々が、皆こちらを見ている。少々、居心地が悪い。一人、小太りの中年男性が前に進んだ。


「だ、旦那」

「おう。酒屋ではないか。これはどういうわけじゃ」

「そ、それが……」


 酒屋は言いよどむ。門前の人々は、ここにいたって「天の御遣い」ではないかと確信を抱き始めたその男が、まさにその時にさっさと街を出て行ってしまい、もう戻ってこないのではないかと心配していたのであった。酒屋の隣に、白髭の老人が並ぶ。


「皆、前田殿がいなくなってしまうのではないかと心配しておったのですよ」

「おお、長老殿か」


慶次郎は、松風から飛び降りる。そして長老の前に立った。


「でも、戻ってきてくださった。皆、安心しておることでしょう」

「いやさ、申し訳ないが明日には小沛の街を出る」

「は?」

「ここにおわす、曹操殿のお世話になることになった」

「曹操殿……」


 長老は、松風の前鞍に座る女性を見た。言い表せぬ威厳を持つ金髪の美少女である。相変わらず、美しい女性に縁のあるお方じゃ。そう思いながら、長老はふと浮かんだ疑問を慶次郎に聞くことにした。


 長老は手招きし、松風から少し離れた場所に慶次郎を呼ぶ。馬上の華琳には、声が聞こえない距離である。そのことを確認すると、長老は慶次郎に軽くかがませると顔を寄せた。長老の後ろには、彼らの話を聞こうと興味津々の街の人々が鈴なりになっている。


「そういえば、前田殿」

「何じゃ、長老殿」

「あの、銀髪の姫は今どちらにいらっしゃるのかな」

「む」

「あの、金髪の姫と鉢合わせはちとまずいのではありませぬか」

「あー……」


 慶次郎は横を向いて頭を掻く。そして、ぼそっとつぶやいた。


「……逃げられた」


◆◆◆


 何を話しているのだろう。華琳は、長老と慶次郎に目をやった。その時、その二人を囲む人々がどっと笑う声が聞こえた。目に涙を浮かべているものすらいる。


 慶次郎は何とも言えない顔をしていたが、やがて人々と一緒に笑い出した。そんな彼らを見て、華琳はふと幸せな気分を感じた。何だろう、この不思議な気分。もしかして。


<同じなんだ>


 街の人々は、彼が好きなのだった。自分と同じように。そのことに、華琳は幸せを感じていたのだ。それは不思議な感覚だった。異才ゆえに一人ぼっちだった自分が、あっさり彼らと仲間になれたような、仲良くなれたような気持ちになっている。


 今さら、気づいた。確かに、彼らと自分の間に知性や教養の差はあるだろう。だが「幸せを感じる心」は同じなのだ。


<民と……同じ幸せを求める、か>


 そんなことを考えて、華琳は笑ってしまう。人間は法によって律せられることで獣から人になる。そのように考えてきた華琳である。民もまた、彼女にとってそういうものであった。彼らは優れた統治者のもと、法によって支配されることによって幸せになれるのだ。しかし、それとはまったく異なる幸せのかたちがここにあった。


<甘い理想……甘い考え。でも、悪くないわ>


 支配するより、共に歩く。共に、幸せを求める。それは困難な試みだ。共に歩こうとしている、その民からも理解されまい。


 しかしその困難な試みが、今は魅力的に思えた。そう、支配するなんて「簡単」だ。ならば、私は「困難」を選ぼう。だって、その方がずっと「面白そう」ではないか。一時の気の迷いかも知れない。でも、今この瞬間だけはその気の迷いに身を任せよう。


 華琳は松風の上で立ち上がった。


◆◆◆


「小沛の街の皆さん!」


 その大声に、人々は顔を上げた。慶次郎も振り返る。気づけば、黒馬の上に金髪の麗人が胸を張って立っていた。


「私は予州は譙県の住人、曹操と申します」


 そう言うと、華琳は頭を下げた。稟と風は目を丸くする。主君がこのような口調で、そしてこのような態度で市井の人々と話すのを聞いたことがない。


「この度、縁を得て私は小沛の住人にして『天の御遣い』――」


 華琳はそこでいったん言葉を切った。人々が慶次郎に注目する。やはり、この男はそうなのか。華琳はそこでちらりと眼下の男を見た。そしてちろりと舌を出す。


「あら、『秘密』だったわね」


 一瞬の沈黙の後、街の人々はどっと沸く。そして、目を輝かせて慶次郎の顔を見た。慶次郎は困った顔をして頭を掻く。華琳め。遊んでおる。


「おほん。東方からの旅人たる前田慶次郎殿をお迎えすることになりました。つきましては」


 そう言うと、華琳は街の中央を指さした。皆がその方向に視線を移す。その方向には、小沛一の高級料理店、五階建ての「流流楼」がそびえている。


「この良き日を祝うため!今日一日、流流楼の一階を貸し切ります。私の奢りです!存分に飲んで、食べて、楽しみましょう!!」


 華琳の言葉に、門前の人々の地響きのような声で応えた。華琳はその声に満足すると、松風の上からひらりと飛び降りた。そして、慶次郎の左手をその右手でぎゅっと握る。


 慶次郎は自分を見上げる小さな英雄の顔を見た。自分の覚悟を問うている。まったくもって、一筋縄ではいかぬおなごよ。慶次郎は苦笑いしながら頷いた。


 華琳はにっこりと微笑み返す。そして、左手で前方を指さすと人々に号令をかけた。


「それでは皆の者、進めー!」

「「「おおー!」」」


 慶次郎の手を引っ張りながら、華琳は流流楼に向かって群衆の先頭を歩き出した。その後を、松風が、そして街の人々が続く。まるで祭りのような喧噪が、街中に伝播した。


◆◆◆


 翌日の早朝。昨夜の喧噪が嘘のように静かな空気の中、慶次郎は華琳と並んで慣れ親しんだ屋敷の前に立っていた。そこには慶次郎の筆による、星宛の退去の経緯を記した木札が立っている。華琳は隣に立つ慶次郎を見上げて言った。


「こんなに簡単なものでいいの?」

「構わん」

「趙雲は、あなたに忠誠を誓っていたと聞いていたけれど」

「物好きにもな。だが、おぬしに対して忠誠を誓っているわけではない」

「正直に言わせてもらえば、彼女も欲しいというのが本音よ」

「はは、さすがは華琳。それは、あやつ次第。もし星が訪ねてきたら、度量を示すのだな」

「わかったわ」


 そう言うと、華琳は馬上の人になる。続けて、慶次郎も松風にまたがる。稟を始めとして、他の随員たちも乗馬した。


「さて。行きましょうか……ん?」


 そこで、華琳は軍師の一人がまだ乗馬していないことに気づいた。と、屋敷の中から、ばたばたと風が駆けだしてくる。


「お、遅くなりました~」

「風、遅いわよ。何をやってるの」


 稟が同僚を叱責する。


「すみません~。星ちゃんへの手紙を書いていたのです」

「手紙?」


 華琳が尋ねる。見れば、風の右手には折りたたまれた白布とおぼしきものがあった。


「はい~。お兄さんだけではなく、私や稟ちゃんもここを発つわけですし。そのこと『も』含めて書いていたら、意外に長文になってしまいまして」


 そう言うと、風はその手紙を木札の柱に紐ですばやく結びつける。そして、懐から携帯用の硯を取り出すと筆に墨を満たし、木札の下に小さく「星ちゃんへ 風」と書きつけた。そして硯を懐にしまうと、「ふう」と満足げに額の汗をかくそぶりをする。そして稟の後ろの馬にまたがった。


「お待たせいたしました」

「それじゃ、出発!」


 華琳の号令のもと、一行は屋敷の前から動き出した。


◆◆◆


 街の中央部、流流楼の前を通りかかる。その五階建ての真っ赤な建物を、華琳は感慨深げに見上げた。


 昨晩は、本当に貴重な時間を過ごした。市井の人々と酒を飲み交わすなど、初めての経験だった。これまで孤独だと思ってきたのは勘違いで、自分こそが壁を作ってきたのではないか。そんな風に思ってしまうぐらいに、彼らと話し、語り、そして笑いあう時間は楽しかった。


 そんな彼らも、今は静かにそれぞれの家で朝の眠りを貪っている。この時間を選んだのは、急いで予州の本拠地に戻らねばならないから、ではない。単に、街の人々と顔を合わせるのが照れくさかったからである。


 久しぶりに楽しい気持ちで酒を飲んだ華琳は――この街で初めて口にした澄み酒を飲み過ぎたこともあって――自分の大望を街の人々に繰り返し語った。彼らはそれを決して馬鹿にしなかった。あなたならばできる。天の御遣いとともに、この乱世に安寧をもたらして下され。そして、もしそれが達成できたなら、ぜひもう一度この街に足を運んで下され。彼らは口々にそう言って、彼女の大望を讃えた。そして「曹操殿の将来に幸あらんことを!」と、何度も乾杯を挙げてくれた。


 例え、それが酒に酔った勢いであったとしても、奢ってくれたことに対するお礼であっても構わない。大切なのは、この自分がどう思ったかだ。そんなことを考えながら、街の門前に近づいた華琳は、思わず目を見開いた。そこに黒山の人だかりがある。彼らは、華琳たちを見て喚声を上げた。


 街の誰にも、早朝出発するとは伝えていない。それにもかかわらず、彼らは自分たちの出立を待っていてくれたのだった。無位無冠の彼女を、見送るために。彼女の大望を、送り出すために。――自分に、それほどの価値はないのに。あなたたちのことを、大切に考えたことなどなかったのに。酔っ払いの戯れ言を、本気にしちゃって――そんな風に思いながら、華琳は目頭が熱くなるのを止めることができなかった。


 そんな華琳の側に、慶次郎が松風を寄せる。そして、小さな声でささやいた。


「華琳」

「慶次?」


 華琳は隣の男の顔を見上げた。その男はにこりと微笑むと、街の人々に向かって手を伸ばす。そして、華琳にうながした。


「手を、振れ」

「手を?」

「ああ。皆、おぬしの――英雄の旅立ちを待っておるのだ」

「!」


 皆が、自分に期待している。もう、迷うことはない。華琳はその左手をゆっくりと掲げた。同時に、門前に大喚声が上がる。その喚声は華琳たちが門を通り過ぎ、彼らの姿が地平線の向こうに消えるまで止むことはなかった。


◆◆◆


 その後、華琳と慶次郎が二人して小沛の街に戻る機会は訪れなかった。だが、街の人々は彼らのことを忘れなかった。彼らはあの英雄――曹操が「もう一人の」天の御遣いと共に出立した街の住人であることを誇りとし、その二人と酒を飲み交わした栄誉を後世に伝えた。


 その後、小沛をその勢力下に治めた為政者たちは曹操への愛着を忘れないこの街を揶揄して「曹操の棘」と呼び、その支配に苦慮することになる。だが、それはまた別の話である。

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