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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第7章 英雄
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第4節 凡人

「ところで、愛紗。おぬしは、北郷殿に惚れていたのではなかったのか?」

「いきなり、何だ」

「聞きたいことは遠慮しない。私の流儀だ」


 星の突然の問いかけに、愛紗は顔をしかめた。二人は「季季楼」の二階にある個室にいる。小沛では屋台だった「季季亭」は下邳進出にあたって店舗を構え、その名前を季季楼と改めていた。


 今、二人の目の前にはメンマ料理のフルコースがある。今をときめく関羽が来店したことを喜んだ店主は、二人を個室に案内すると、特製メンマどころかフルコースの提供を申し出た。


 再三辞退した愛紗であったが、店主の度重なる懇願に結局は折れた。愛紗の隣で目をキラキラと輝かせていた星がその一因であったことは否定できない。


「おぬしだから言うが、私に元々そのような感情はない。ご主人様を、『天の御遣い』として利用するつもりでいた。この世に安寧をもたらすためには、それも致し方ない、と」

「……」

「だが、小沛で慶次殿と出会い、矛を交え、そして飲み明かした。そして、自分の考えの浅はかさに気づいた。まったく、恥ずかしい限りだ」


 そう言うと、愛紗はメンマ入りの小籠包を口に運んだ。噛みしめると熱いスープがほとばしった。はふはふ、と口を開ける。同じように小籠包を口に入れた星は、やはり同じように口を開けながら問いを続けた。


「ほ、ほれで。はふ。慶次殿に好意を抱いたと」

「はふ、ふ。うむ。確かに慶次殿に対して好意を抱いている」

「直截だな」

「自分の気持ちに嘘はつかない。私の流儀だ」


 愛紗は今度はメンマの野菜炒めに箸を伸ばす。メンマを糸にように細く切り刻み、野菜を一緒に炒めたものである。メンマの塩味が、野菜にほど良く合った。


「溢れんばかりの教養。底知れぬその武力。さりげない優しさ。そして、人の世の辛酸を知り尽くしたようなあの眼差し。……あのような男性を、初めて見た。正直、あの晩は心が震えたぞ」

「う、うむ。まあ、そうよな。うむ」

「星は、どうなのだ?」

「わ、私か?どうも何も……私は慶次殿の第一の部下だ」

「ほーう?」


 愛紗は目を細める。にやにやと笑いながら、半目となって星の顔を見た。ううむ、こんな奴だったか?そんなことを思いながら、星はあっさりと白旗を揚げる。


「おぬしに嘘はつけんな。慶次殿はまだ部下を持たれておらぬ。己の立場で、養えぬ部下を持つことは無責任だと。そんなこと、私は気にしないのだが」

「ふむ」

「それに、仮に慶次殿が立身を決意されたとしても、自分が第一の部下になれるかはわからぬ」

「ん?どういうことだ。おぬし以外に慶次殿を慕う者がいるのか」

「ああ」


 少々悔しげに、星が答える。


「私よりも先に慶次殿に会った、とある三人組がいてな。口惜しいことに、慶次殿は彼らを最初の部下にすると約束されたのだ」

「ほほう。どんな奴らだ?」

「まあ、なんというか……。そんなことより」


 元黄巾賊を部下にするといえば、いらぬ誤解を招くかもしれない。そう考えた星は、話題を変える。


「自らの浅はかさに気づいたのは良しとして、愛紗。おぬしはこのまま、ここにいるつもりなのか」

「当たり前ではないか。何を言っている」


 愛紗は星の言葉を鼻で笑うと、メンマの盛り合わせにその箸を伸ばした。さまざまなタレにつけ込んだメンマが小分けにされて皿に載っている。この店自慢の一品である。


「ご主人様を、最初に『御輿』として担ぎ上げたのは他ならぬこの私だ。今さら、それを放り出すような無責任なことはできぬ。それに」

「それに?」

「確かに最初は御輿のつもりだった。しかし、今は主として尊敬している。そのことだけは、はっきりしている」

「ほう」

「恥ずかしながら、これまではご主人様がきちんと天の御遣いとして振る舞えるかどうかにばかり気を取られていた。ご主人様は、その服装と知識を除けば単なる若者に過ぎぬ。にも、かかわらず」


 そう言うと、愛紗はおかしそうに笑った。


「――女性を惹きつけるたぐいまれな魅力をお持ちだ。いつ色香に迷って身を持ち崩すか、気が気ではなかった。まあ、あの魅力はまさしく御遣いというべきだが」

「確かに」

「しかし。己の心を見つめ直した今、私はご主人様を初めて等身大で見ることができているように思う」

「等身大、とな」

「ああ。あの方の「真の魅力」とは、女性を惹きつけることではない」

「真の魅力?」

「うむ。それは――」


◆◆◆


 愛紗と星が季季楼で昼食を取っている頃、華琳もまた小沛の「流流楼」の五階で風たちと一緒に昼食を取っていた。食事の置かれた卓の上には、竹簡が山のように積まれている。


 彼女が小沛まで出張ってきた目的は、当然ではあるが御遣いを己が陣営に引き込むためであった。そのために、多忙な日々を縫って三日間の「出張」の時間を作った。


 しかし、その目的が初日であえなく潰えた今、彼女は余った時間を使って徐州における曹家の収支の確認に取り組んでいた。無駄を嫌う華琳にとって、余った時間を「休暇」に使うという発想はなかった。明日には、小沛を発って予州の本拠地に戻る予定である。


 三年前。彼女は「やんごとなき家庭の事情」で北部尉を辞し、故郷に戻った。それから曹家の財産を生かして財をなし、商人としてその活動の幅を広げた。今や、曹家といえば予州一の商家である。


 この流流楼もまた、その活動の一環であった。その名を典韋、真名を流琉という料理人を見いだした華琳は、彼女を総料理長として招いてその真名の一部を冠した料理店を予州で開き、大成功を収めた。現在、洛陽に二号店を出店している。


 小沛店は三号店となる。もっとも、この三号店はもともと利益を度外視しており、実際には小沛の東に顕現すると管輅が予言した天の御遣いを確保するための監視塔であった。しかし華琳は、そんな目的で準備した店を結局は黒字にしてしまう。彼女の才能は、商業という分野でもいかんなく発揮されていた。


 ちなみに、以前小沛にあった屋台の季季亭、現在は季季楼として下邳で店舗を構えるにいたったメンマ専門店も、彼女が経営する料理店の一つである。やはりこの店も、もともとは利益を度外視した店であり、その目的は稟や風の護衛として星を小沛にしばりつけることにあった。


 稟や風の親友であるとはいえ自由闊達な星をコントロールするのに、何よりメンマがもっとも適していたからである。そしてだからこそ、このタイミングで彼女を下邳に移動させることができた。


 もっとも、星の舌に合わせて調整したメンマは予想もしない高評価を世人に受け、季季亭――今や季季楼は、流流楼とならぶ飲食店収入の柱の一つとなっている。華琳の本拠地である予州で、二号店を出す計画も進んでいる。その意味では、星は同店の陰の功労者といえなくもない。


◆◆◆


 竹簡の山の隙間で食事をしていた華琳は、ふと思い出して風に問うた。


「そういえば、風。下邳の御遣い、北郷殿は女性を惹きつける不思議な力を持っていると言ってたわね」

「はい」


 同じく竹簡の山に囲まれて食事をしていた風が答える。


「その男、そんなに魅力的なの?」

「おお、良い質問ですね~」

「……風」


 やはり別の竹簡の山に囲まれて食事をしていた稟が風をたしなめる。華琳は右手を挙げて稟を制した。稟が黙り込むのを待って、風は一刀の印象を語り始めた。


「見掛けだけなら、ごくごく普通の若者ですよ」

「ふーん。なら、なぜそれほど女性を惹きつけるのかしら。やはり、天の御遣いという名声?」

「それもありますが、正直に言って彼の魅力は説明できないところがありますね。あれは……天から与えられた力といっても良いかも知れません。そうでなければ、あれだけ女性を惹きつける理由がつきません。その意味では、前田殿よりずっと『天の人』らしいですね」

「天与の魅力、ね」


 華琳は考える。人を惹きつける力は、それだけで大きな力である。カリスマ――それは、その人物がどのような思想を、そして意思を持っているかとは無関係に人を服従させるからだ。古来、そうした人物がこの中華の主の座を射止めてきた。一応、気をつけなばならないかもしれない。華琳は風に問うた。


「その魅力に、女性は抗しえないものなの?」

「いえ、そんなことはないかと。一部ではありますが、北郷殿に惹かれていない女性もおりますし」

「ふーん。それは、どんな女性?」

「そうですねえ~」


 風は、くるくると遊び箸をしながら答える。


「これは仮説の段階に過ぎませんが~」

「いいわよ。言いなさい」

「はい。それは、一言で言えば『心に強く思う人物』がいる女性ではないかと」


◆◆◆


「心に強く思う人物?」

「はい。風の知る限りでは北郷殿に惹かれていない、もしくは惹かれなかった人物は五人です。まず私。そして、稟ちゃん。私たちの場合は言わずもがな。華琳様に忠誠を誓っています」

「ふむ」

「そして、星ちゃんこと、趙雲。彼女は前田殿にべた惚れです。でれでれです。にもかかわらず、前田殿はぜんぜん歯牙にもかけません。ひどい男です。まさに、女心をもてあそぶ鬼畜と申せましょう。それだけではありません。あの男は、星ちゃんの留守中に孫策殿を屋敷に連れ込んで酒を飲ませ、朝までくんずほぐれつ……」

「そ、それほんと?」


 つい、華琳は身を前に乗り出した。袁術のもとで客将となっている江東の孫策が慶次郎を訪ねてきたことは、報告書で知ってはいた。しかしその記述は簡潔なもので、彼らがどのような夜を過ごしたのかまでは詳しく書かれていなかった。そもそも、あのときと今ではあの男に対する関心がまったく違う。


「華琳様。風の戯れ言に付き合いますな」


 稟が呆れたような声で話に割って入る。我に返った華琳は、慌てて話題を変えた。


「慶次郎のこと……いえ、趙雲のことはもういいのよ。下邳の武将たちはどうなのかしら?」

「え~?もういいんですか」

「いいの!」

「つまらないです~」


 風は一瞬その唇をアヒルのように突き出したが、すぐに元の表情に戻ると何もなかったかのように話し始めた。


「下邳で北郷殿に惹かれていないのは二人だけです。一人は、魏延殿。彼女は劉備殿一辺倒です。北郷殿にしたがうのも、劉備殿が北郷殿についているからですね。そして、もう一人は関羽殿です」

「関羽?意外ね。『忠誠無比』と聞いていたけれど」

「はい。確かに忠誠無比です。単に、それに愛情が伴っていないだけのこと」

「ということは、関羽には思いを寄せる、もとい強く思う相手がいると?」

「可能性としては。しかし、その相手がわかりません。北郷殿を除けば、あれほどの武将が思いを寄せる相手となるとなかなか……」


 関羽ほどの武人が心惹かれる人物とは誰か。単純に考えるならば、彼女の義姉たる劉備ということになるが……。華琳は顔を上げると、竹簡の山の隙間から東の窓を見た。その視線の向こうに下邳がある。


 実際には、風が会った時に関羽の心の中で大きな存在を占めていたのは、無念の死を遂げた兄であった。もっとも、今は別の人物が代わりに大きな存在を占めているのだが、それは今の華琳たちには思い至らぬことである。


「ただ」

「ただ?」


 華琳は視線を風に戻す。


「ただ、それはあくまで些細なこと。現在の北郷殿を御遣いたらしめているのは、女性を惹きつける魅力ではなく、その『真の魅力』のためではないかと思われます」


◆◆◆


「真の魅力?」


 思わず、華琳は問い直す。女性を惹きつける。下邳の御遣いは、それ以上の魅力を持つというのか。


「はい」


 風は頷いた。心なしか、その顔は真剣味を増している。


「繰り返し言いますが、かの者は『凡人』です。なるほど、天の服らしきものをまとっている。天の道具らしきものを持っている。そして、天の知識も持っている。しかし、それだけです。女性を惹きつける魅力以外、天の御遣いと呼べるほどの力はありません」

「……」

「そんな者が、いきなりこの乱世に遣わされた。彼は風に『人を殺したことがない』と言いました。それゆえにその武力を一般の兵士以下と評したわけですが、そんな平和な世界から彼はこの世界に遣わされたのです」

「……」

「そんな凡人が、いきなり御遣いと担ぎ上げられた。乱世を正すための御輿になれと。そのような状況下で、気を確かに保てるでしょうか。また、その立場を利用して自らの保身に走らずにいられるでしょうか」


 風はそこまで述べると、改めて主君の顔を見る。そして、興味深そうに問うた。


「華琳様なら、いかがなされますか?」

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