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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第7章 英雄
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第2節 華琳

 華琳は呆然とした。稟、風もそうである。目の前の男はひとしきり笑い終えると、顔を上げた。目には涙が浮かんでいる。


「ど、どういうこと?」


 恐る恐る、華琳は慶次郎に尋ねる。慶次郎は右袖で涙を拭いながら答えた。


「いやいや、まさかこんなことになろうとは」

「?」

「からかってみただけよ」

「えっ」

「おぬしらをな」

「……えっ?」


 言っている意味がわからない。戸惑う華琳に、慶次郎は告げる。


「おぬしら、ずっとわしを監視していただろう?」

「「「!」」」


 揃って口を開けた三人をよそに、慶次郎は縁側の外に視線を移した。その視線の先には、街の中央にそびえる「流流楼」が見える。その建物は夕日で赤く染まっている。


「あの建物の五階から、遠眼鏡を使ってな」

「な……!」


 華琳は絶句した。なぜ、遠眼鏡の存在を知っている。これは、真桜が発明したばかりの道具ではないか。そして、ありえない。この距離で、遠眼鏡の存在に気づくなど。慶次郎は華琳の反応を見て、首を振った。


「おぬしら、監視は素人じゃな。ここからあの建物をみるとな、遠眼鏡の『れんず』が西日を反射してきらきらと光るのよ」

「あっ」

「そしてだ。郭嘉殿や程昱殿がここにいるときには、れんずは光らぬ。ところが、二人がいない時には光っておる。となれば、誰が見ているのかはだいたい察しがつくわ」


 種を明かされれば、何と言うことはない。その通りだった。そして、これまで二人は慶次郎を質問攻めにしている。それと遠眼鏡と結びつけて考えれば、二人の役割もおのずと見えてくる。


「いつも見られてばかりではしゃくに障る。そこでな。二人の主らしき人物も来たことだし、まとめてちょっとからかってやろうと思ったのだが……」


 慶次郎は思い出したように、小さく笑った。そして笑いを堪えるように下を向くと言葉を続ける。


「それが泣くわ、喚くは、鼻血を出すわ。いやはや、ここまでうまくいくとは思わなんだ」


◆◆◆


<殺気!>


 思わず顔を上げた慶次郎の目の前に、二つの湯飲みが飛んできた。思わず両腕で顔を覆う。肉厚の腕に当たったそれらは、ぽん、ぽんと天井に向かって跳ねた。慶次郎は、落ちてくる湯飲みを器用にその両手のひらの上に乗せてみせる。


 見れば、華琳と稟が真っ赤な顔で手を伸ばしている。この二人が自分に湯飲みを投げつけたと思われた。風は我関せずと、目をとじてお茶をすすっている。


「危ないではないか!」

「こ、この!」


 興奮したのだろう。慶次郎に怒鳴りかかった稟の鼻から、再び血が流れ出す。それを見た慶次郎は、やにわに神妙な顔を作ると稟に話しかけた。


「郭嘉殿、ご自愛あれ。鼻血が出ておりますぞ」

「そ、そんなことはどうでも――」

「ぷっ」

「?」


 稟は隣に座る主君の顔を見た。先程まで自分と同様に怒り心頭であった筈の彼女が、一転して笑いをこらえている。先ほどの慶次郎と同じように。そして、やはり同じように笑い出した。


「あは、あはははは!」

「か、華琳様?」

「ご、ごめんなさい。でも、だめ、あは、あはははは!」


 おかしかった。湯飲みを両手に乗せて、神妙な顔をしている目の前の男が。鼻血を出して、そんな男に怒り心頭の筆頭軍師が。そして、今の自分が。


 こんなに「驚いた」のはいつ以来のことだろう。「泣いた」のはいつ以来のことだろう。「怒った」のはいつ以来のことだろう。そして、「笑った」のはいつ以来のことだろう。この十年来、経験しなかった感情が、この数刻の間にあふれ出た。――たった一人の男の存在によって。今日ほど、退屈という言葉と無縁だった一日はない。


 この男は、自分たちの秘中の秘を、そして一年かけた計画を、あっさりと明らかにしてみせた。それをただ、自分たちをからかうがためにやってのけたという。まさか、天の知識をこんなことに使うなんて。


 そして、同時に思った。この男は、天の知識をおのが栄達のために使う気がさらさらないのだ。ある意味、究極の「ずる」とも言える天の知識。それを求めてこの一年間、自分を含め多くの人間が天の御遣いを探し求めてきた。だが、それを美しいと思わない人間がここにいる。きっと、この男は誰にも仕えまい。


 誘わなくて、良かった。断られずに、済む。


 そして彼女自身、慶次郎を利用しようという気持ちが既に失せていた。こんな男を利用する。なんて「つまらない」考えだろう。これから旅に出るであろうこの男と一緒にいられる時間を、少しでも楽しもう。その方が、ずっと「面白い」。


◆◆◆


 ひとしきり笑い続けた華琳は、先に慶次郎から渡された手ぬぐいを懐から取り出すと、目元を拭った。


「……ああ。面白かったわ、慶次郎」


 自然と、下の名前で呼ぶ。


「それは何より」

「あらためて、自己紹介するわ。私の名は、曹操。字は孟徳。――そして、真名は華琳」

「華琳様!」

「いいのよ、稟。慶次郎、私はあなたを確かに監視していました。ごめんなさい」


 そう言うと、華琳は頭を下げた。


「いやいや。こちらこそ、ちと悪ふざけが過ぎたな。そのことは詫びよう」

「いいのよ。こんなに楽しかったのは、久しぶり」

「わしの真名は――」

「結構よ」


 華琳は立ち上がる。


「真名を預けたのは、お詫びの証。あなたにそれを返されたら、天秤が合わないわ」

「承知した。華琳殿」

「華琳、と呼びなさい」

「うむ。では、そう呼ばせてもらおう」


 慶次郎の返事を聞いて、華琳は微笑んだ。年相応のその可憐な笑顔に、慶次郎は思わず目を奪われる。


「また、来てもいいかしら」

「ああ。なあ、華琳」

「なあに?」

「今の顔が、一番可愛いぞ」

「……馬鹿!」


 華琳は顔を真っ赤にすると、足早に部屋を出て行った。


◆◆◆


 屋敷から、流流楼への帰り道。今にも鼻歌でも歌い出しそうな表情をして馬上の人となった主君の後ろを、稟は風と並んで歩いていた。既に夕日も落ち、街には明かりが灯り始めている。


 それにしても、今日はいろいろなことがあった。稟は思う。最後に華琳様が今のような表情になられたのだから、結果としては良かったということになるのだろう。


 稟は隣を歩く友の顔を見た。その友はいつものように眠そうな表情で足を進めている。


「ん?……どうかしましたか、稟ちゃん」

「いえ、さすがは風だと思って。私、そして華琳様も一瞬我を忘れたというのに」


 稟は先ほどの自らの態度を恥じてそう言った。稟と華琳が湯飲みを投げつけたのに対して、この畏友は涼しげな顔でお茶をすすっていた。


「ふっふっふっ……」

「えっ?」


 風が低い声で笑っている。稟はその表情に気づいた。にこやかにしているから、わかりにくい。しかし、その額には確かに青筋が立っていた。


<ふ、風が怒ってるー!?>


 初めて見る風の表情に、稟はのけぞった。そんな友に、風はいつものように抑揚のない口調でとつとつと話す。


「風はからかうのは大好きです。が、からかわれるのは大嫌いなのです」

「そ、そう」

「仕返しは、相手が忘れた頃にするのが一番効果的なんですよ~」


 そう言うと、風は再び低い声で笑い出した。


<前田殿。どうか、ご無事で>


 稟は、先ほど湯飲みを投げつけた男の安全を心から祈った。

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