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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第6章 対峙
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第5節 本物

「それでは、まずは小沛の『天の御遣い』、もとい前田慶次郎殿について私が説明いたします」


 稟は風と一緒に立ち上がると、慶次郎についての説明を始めた。


「星――趙雲の言によれば、前田殿は管輅の予言通り小沛の街の東に白い光とともに顕現されました。したがって、まず間違いなく天の御遣いと言えるでしょう」

「信頼しているのね」

「真名を預けし友ですから」


 稟は当然といった表情で頷く。


「しかし、これまで前田殿は一貫して自らが御遣いであることを認めておりませぬ。また、後に趙雲も前言を撤回しました。恐らくは、前田殿の指示によるものと思われます」

「なぜかしら」

「理由はよくわかりません。ただ、彼を監視する目には気づいていたようです。その理由が明らかになるまで、自らの出所は明らかにしない方が良いと思われたのかもしれません」

「……あなたたちの監視にも?」

「恐らくは、気づかれていないかと。例の遠眼鏡を使って監視しておりますゆえ」

「ふむ」


 華琳は頷くと、西の窓を見た。そこには、真桜が眼鏡を応用して発明した遠眼鏡が設置されている。現時点で、中華唯一の逸品であった。華琳の視線が戻るのを見て、稟は再び話し始めた。


「私は、何度か前田殿を挑発してみました。誇り高き御遣いであるならば、そうした挑発を良しとしないであろうと考えたからです。あえて下邳の御遣いを『本物』と持ち上げてもみました。しかし」

「全然、相手にされていませんでしたね~」

「……風」

「そうそう。風の場合も、何を聞いても馬耳東風といった感じでした。薄情な人です」

「あらあら」


 華琳は面白そうに微笑む。稟は軽く咳払いをすると、説明を続けた。


「ただし、その教養はたいしたものです。その知識は私たちと同等、もしくはそれ以上ではないかと」

「そうでしょうね」

「ご存知で」

「さっき、話してみてわかったわ。自らを野人と卑下していたけれど、彼が野人ならほとんどの人間は猿ということになるでしょう」


 華琳は慶次郎の茶を入れる所作を思い浮かべながらそう言った。あれは明らかに、別系統ではあれど、一つの文化に通底した教養人の姿であった。ついで、稟に質問する。


「武人としては、どうかしら?」

「それが、まったくわかりません。趙雲はそのことになると言葉を濁します。ここから監視をしている限り、何らかの鍛錬をしていた様子は一度もありませんでした。ただ」

「ただ?」

「一週間ほど前のことです。下邳の御遣い、北郷一刀殿が前田殿を訪ねてきました」

「うまく誘ったようね」

「はい。その際、北郷殿はあの関羽殿を連れてきていました」

「あら、そうだったの。もう少し早く来れば良かった」


 関羽の武威は、徐州を中心として知れ渡っていた。彼女が美しい女性であることも、その噂に拍車を掛けた。いつの日か、彼女を自分の配下に置きたいという気持ちが華琳にはある。


 もっとも、今の関羽は日々強大になりつつある徐州の将軍であり、自分を一顧だにしないであろう。今の自分は、故郷で私兵を抱えているだけの無位無冠の徒に過ぎない。しかし、いつの日か。その華琳の思いは、関羽の評判を聞く度に募る一方であった。


「前田殿は、その関羽殿に青龍偃月刀の使い方を教わっていました」

「教わっていた?」

「はい。頭を下げて、基本から教えてもらっていたようです」


 華琳は考え込んだ。初めてその姿を見たとき、すぐにそれなりの武人ではないかと思った。「女性」ではないから、その力はたかが知れている。しかし、あれほど立派な馬に乗る男だ。ただ者ではあるまい。無駄のない身のこなしも、そのことを予感させた。しかし、稟の話を聞く限り、現時点では彼が武人としてどの程度の人物であるのかはまったく未知数である。


 この戦乱の時代、人の命は鴻毛の如く軽い。だからこそ、武をたしなむ者はその名を歴史に残すことを望んだ。戦うときは、己の名前を叫んだ。死ぬときは、己の名前を叫んだ。自らの腕のみで生きる彼らの誇りは高かった。


 しかし、この天の御遣いらしきこの男はその武を誇らない。語らない。そして、まったく鍛錬をしていない。そして、他の武人に頭を下げて教えを乞う。まるで、武人らしからぬ。とにかく、現時点では情報が足りなかった。


「小沛の御遣いについては、とりあえずそれでいいわ。それじゃ、風」

「はい。それでは下邳の天の御遣い、もとい北郷一刀殿について説明しますね~」


 風は、いつもの抑揚のない声音で話し始めた。


◆◆◆


「北郷殿もまた、まず間違いなく天の御遣いです」

「その証拠は?」

「はい。まずはその服装です。『ぽりえすてーる』という素材らしいのですが、これは現在の技術では縫製不可能です。また、所持していた『ぼーるぺん』『けーたい』なるものも未知の道具ですね~」

「ふむ」

「そして、北郷殿の知識はきわめて膨大です。恐らくですが、その知識量は前田殿よりもずっと多いと思いますよ~」

「多い?」


 華琳は首を傾げる。先に稟たちから届けられた報告書を読んで、天の御遣いたちの基本的な情報については知っていた。確か下邳の御遣いこと北郷一刀は、十代半ばの青年に過ぎなかったはずだ。その青年が、教養に溢れるあの男よりもずっと知識が多いという。


「もっとも、それは体系的ではない、ばらばらな知識です。『知っている』だけで、本人がその価値を自覚していないような知識。ですが、それを理解し実現できる人物がいれば脅威です。事実、彼の知識は諸葛亮と鳳統の二人の存在によって下邳の繁栄の礎となりました」


 風の言葉に続けて、稟が補足する。


「そして、北郷殿は読み書きができません」

「知識量は膨大なのに?」

「正確には、文字は知っているが文法は知らない、と申しましょうか。文字と文字の間をのたくるような記号がつなぐ、珍妙な文章を書きます。何でも、そののたくるような記号は『ひらがな』と呼ぶとか。そしてその文章には何らかの規則性がありましたので、それなりの教育を受けていると思われます」

「そう。で、武人としてはどうかしら?」


 その質問に、風は苦笑いを浮かべた。


「現時点では、一般の兵士にも劣るかと~」

「そんなに弱いの?」

「弱いというか。人を殺したことがないそうです」

「なるほど。それにしても、短い間によくそこまで聞けたわね」

「真名を預けましたから~。すぐに心を許してくれましたよ」

「さすがは、風」

「まあ、減るものじゃありませんしね~」


 風はにっこりと笑う。華琳は自分の軍師の有能さに満足した。


◆◆◆


「よくわかったわ。二人とも、ありがとう」

「「は」」


 稟と風が頭を下げる。そして華琳は、改めて二人に問うた。


「それでは、最後に聞きましょう。私たちはどちらの御遣いと誼を通じるべきか。もとい『利用』すべきか」


 華琳の言葉を受け、稟が一歩踏み出した。


「私たちの結論を申します。誼を通じるべきは、下邳の御遣い。すなわち、北郷一刀殿でありましょう」

「理由は?」

「はい。第一に、北郷殿と友好関係を築くことで、多くの新しい知識を得ることができます。かの者の知識は、まさに天の知識。それらがもたらす利益は、莫大なものとなるでしょう。第二に、かの者を通じて強力な徐州軍の力を借りることができます。地方の小さな軍閥に過ぎぬ我々には、のどから手が出るほどに欲しい力です」


 華琳は頷いた。彼女は現在、若干の私兵を要する極めて小さな勢力の長に過ぎない。


「既に真名を預けた風もここにおります。そのつてをたどれば、誼を通じることも容易。また、下邳の統治機構に既に組み込まれているとはいえ、北郷殿は極めて御しやすい存在。華琳様ならば、かの者を手のひらの上で踊らせることも容易でありましょう」

「……そうね」


 稟は一瞬眉をひそめた。自らの主が、あまり乗り気ではないことに気づいたのである。


 華琳は無言で椅子から立ち上がると、西の窓の近くまで歩いて行った。その窓からは曹家の別荘、今は慶次郎が留守番を務める屋敷が見下ろせる。彼女はそこにいる筈の男について思いを馳せた。


 確かに、軍師の言う通りである。手元にある情報を付き合わせる限り、誼を通じるべきは下邳の御遣いであった。なるほど、小沛の御遣いには教養がある。しかし、その程度の教養の持ち主ならば他にもいないわけではない。そして、天の御遣いならではの知識――この世界にはない新しい知識を開陳しているわけでもない。ましてや、武人として他を圧倒する武力を示しているわけでもない。


 そして何より、彼が天の御遣いである証拠が趙雲の証言以外に見当たらない。その趙雲ですら、どのような意図があってか今や彼が御遣いであることを否定している。未だ正体不明な天の御遣いらしき男と、すべての面で天の御遣いであることが確実な男。どちらを選ぶべきか、答えは既に出ていた。


 だが――。


◆◆◆


 華琳が振り返る。軍師が二人、こちらを見ていた。稟は切れ長の目を若干伏せ気味にたたずみ、風は意味ありげに微笑んでいる。問わねばなるまい。華琳は風に話しかけた。


「風」

「はい~」

「あなたの意見はどうかしら」

「先ほどの稟ちゃんの意見は、二人で話し合った結論です。私も同意見です」

「……そう」


 やはり、この結論になるか。自分よりもはるかに天の御遣いたちについて知る二人の意見。ここ数ヶ月の彼女らの苦労に報いるためにも、その意見を無駄にするわけにはいかなかった。


「それでは、私の結論を述べるわ。下邳の――」

「ですが~」


 風が華琳の発言を遮った。本来ならば許されぬ、臣下らしからぬ行為。だからこそ、それには意味がある。華琳は風に視線を向けた。その視線を受けて、風が切り出す。


「私の個人的な意見を申し上げても良いでしょうか」

「許すわ。言いなさい」

「はいー」


 風は華琳の顔をしばし見つめた。何かを探ろうとしているかのような表情である。そして華琳が再度口を開こうとしたとき、彼女は話し始めた。


「華琳様の軍師としては、私は北郷殿を推します。ただ、もし私が華琳様に忠誠を誓う前であれば」

「前であれば?」

「天の御遣いとしては、北郷殿ではなく前田殿を選ぶでしょうね。一緒に旅をするのもいいかもしれません」

「その理由を教えてもらえるかしら」

「はい~」


 そう言うと、風はいたずらっ子のように微笑んだ。


「だって、『面白そう』じゃありませんか」


◆◆◆


「ぷっ……あは、あはははは!」


 華琳は笑い出した。なんて単純な理由だろう。けれどもその風の言葉は、華琳にその心の奥底に隠れていたある感情を気づかせた。


 これまで、すべての無駄を切り捨ててきた。「面白そう」などという感情は、その最たるものである。この国の頂点まで、最短距離で昇りつめるつもりでいた。だからこそ、天の御遣いをその手に収めようと一年も前から準備してきたのだ。


 そんな自分の覚悟が揺らぐなどと思いもしなかった。だからこそ明らかな結論である「下邳の御遣いを選ぶべき」という判断に納得できない自分の気持ちがわからなかった。この自分が、迷うなど。


 しかし、気づいてしまった。「面白そう」。確かに、あの男は面白そうだ。一緒にいれば、きっと何かが起きる。それは自分を苦境に追い込むかも知れないし、また逆に押し上げてもくれるかも知れない。ただ、一つだけ確かなことがある。きっと、退屈だけはしないだろう。


 自分はこんなにも愚かだったのか。しかし、その感慨は悔恨というよりはむしろ喜びに似ていた。この乱世、生きるならやはり面白くなくては。その考えは、この国の頂点を目指すこれまでの生き方と矛盾するものではなかった。どちらも、生まれ落ちたこの舞台でその才の及ぶ限り舞おうとする意思の体現。そう、死ぬまでの暇潰し。


 そして、自分にそのことを気づかせた人物のことを思った。これだけ監視を続けてもしっぽを出さない、あの男。まるで猫のようにとらえどころのない。あの男のしっぽを引っ張り出して思い切り踏んでやるのもまた一興。


 天の御遣いで遊ぶ。その発想に、心が動いた。これ以上の娯楽はないだろう。それができるのは、未だ正体不明といえど御遣いを囲う自分だけなのだ。自然と笑みがこぼれた。


 面白い。面白いって、大事なことよね。


「ありがとう、風」


 笑い終えた華琳は、晴れ晴れとした表情で風に礼を述べた。風は無言で頭を下げる。その隣で、稟がため息をついた。恐らく、こういう結論になることをあらかじめ察していたのだろう。


「それでは、私の結論を述べるわ。まず、下邳の御遣いについては、先に稟が述べたように、風のつてをたどり、誼を通じましょう。そして、小沛の御遣いについては」


 そう言うと、華琳は西の窓の方向に顔を向けた。こちらに背を向ける華琳の表情は、風と稟にはうかがうことができない。


「もう少し、観察してみましょうか。せっかく、準備した『檻』に入ってくれたことだし。それに」


 一拍おいて、小さな声で華琳はつぶやいた。


「――面白そうだしね」


 その声は、いかにも楽しげだった。


◆◆◆


 それから遅めの昼食を取った三人が屋敷に戻ったのは、既に日が傾きかけた時刻であった。屋敷の門をくぐった華琳は、違和感を覚えて立ち止まった。よくよく見ると、門の周辺が綺麗に掃き清められている。その上を歩くのが、申し訳ないほどに。


 妙な胸騒ぎを感じながら、華琳は屋敷の入口の扉を開けた。小さく、扉の鈴が鳴る。入口の土間には、初めて会ったときと同じように松風が佇立していた。彼女は華琳たちを見ると、ふん、と鼻息を一つ吐いた。


 松風の足下に、木でできた幅の広い橋のようなものがある。それは巨大な鞍であった。また、壁には長大な朱槍が立てかけられている。それらの大きさに感心しつつも、華琳は思った。なぜ鞍が、そして槍がここに置いてあるのか。


 辺りを見渡す。入口の土間もまた、掃き清められていた。部屋の隅には、塩が盛られている。


「戻られたか」


 奥から、よく通る男の声がした。慶次郎である。


「遅くなったわ。今、どちらに」

「縁側の部屋におる。参られよ」


 華琳はその流麗な眉を寄せた。留守番であれば、客人を出迎えるのが礼儀ではないか。だが、その礼儀を知らぬ男ではないはずだ。釈然としない気持ちのまま、三人は縁側の部屋に向かう。そして瞠目した。


 そこには、すでに旅装に着替えて神妙な顔で座っている慶次郎がいた。その側には、無骨な長刀が置かれている。


「どうしたの。その格好は」


 内心の動揺を隠して華琳は問うた。「檻」に入った猫で遊ぼうと思ったのに、その猫は早くも檻から出ようとしている。しかも、その理由がまったくわからなかった。確かに先に会ったとき、大陸を旅するつもりとは言っていた。それが、なぜこんなにも急に。そんな華琳の気持ちをよそに、慶次郎は口上を述べる。


「戯志才殿との約束により、屋敷から辞去させていただく。この三月の間、東方の野人に軒下をお貸し下さったこと、心から感謝申し上げる」


 そう言うと、ぺこりと頭を下げた。髻がぴょこんと上を向く。顔を上げた彼に、華琳はあくまで落ち着いた声音を装って聞いた。


「何を言っているのか、よくわからないわ。理由を説明してくれないかしら」

「うむ。そこにいる戯志才殿との約束でな。『屋敷の持ち主』が戻ってきたら辞去することになっておった。それが今というだけのこと」

「私が、この屋敷の持ち主だと?」

「左様」


 慶次郎はそう答えると、にこりと笑った。


「そして、お初にお目に掛かる。『曹操』殿」

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