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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第6章 対峙
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第3節 紅花

 屋敷が見えてきた。彼女は目を細める。この別荘に来るのは、五年ぶりになるだろうか。あの時は、祖父、そして父も健在だった。一緒に過ごしたあのかけがえのない時間。今は、二人ともこの世にいない。


 懐かしい屋敷。だが、近づくにつれて違和感を覚えた。何だろう。それは、屋敷の前に立ったときに明らかになった。門が改築されている。彼女の記憶の中にあるそれの、三倍近い幅に拡張されていた。


<変ね。改築したなんて、報告書にはなかったけれど>


 馬を下りて門に近づく。門は真新しかった。ここ数日の内に改築したものと思われた。釈然としない気持ちのまま、馬を引いて門をくぐる。そして、そのまま右に曲がると屋敷の西側に向かった。馬小屋に馬をつなぐためである。


 馬小屋には、大柄な栗毛の馬がつながれていた。しかし、報告書にあったもう一匹の黒い馬は見あたらない。


<外出しているようね>


 彼女は、乗ってきた馬を馬小屋につなぐ。そして、先につながれていた栗毛の馬を見上げた。その馬は、彼女が乗ってきた馬よりも一回り大きかった。


 報告書に書かれていた内容によれば、黒い馬はこの栗毛の馬――野風というらしい――よりもさらに一回り大きいという。彼女は思う。この馬よりもさらに一回りも大きいだなんて。そんな馬、本当にいるのかしら。


 馬小屋を後にした彼女は、屋敷の玄関へ戻る。そして扉を開こうとして、手を止めた。扉の向こうから、獣じみた「何か」の気配がする。「あの男」が待ち構えているのだろうか。


 ごくり。唾を飲む。そして、扉に付いた鈴が鳴らないように、ゆっくりと、静かに扉を開けた。


 扉の向こうには誰もいなかった。拍子抜けである。しかし、先程感じた気配はまだそこにあった。目の前にある黒い柱の陰から、静かに土間に視線を巡らす。誰もいない。


<ん?そういえば……>


 こんな柱、土間にあったかしら。どう見ても、邪魔な柱である。こんなものは、五年前にはなかった筈だが――門といい、この黒い柱といい、どうも理由がわからない改築が屋敷になされている。それらは、いずれも報告書には書かれていなかった。


 首を傾げる彼女の頭上で、かすかな鼻息のようなものが聞こえた。青ざめた。まさか、「あの男」は天井に潜んで自分を待ち構えていたというのか。だとするならば、それは好意ではありえない。


 だが、今日は寸鉄も帯びていない。そこまでの状況になることを予想していなかった。報告書には、くだんの男は図体はでかいが人畜無害な人物であると書かれていたからだ。額に汗が浮かんだ。失態だわ。彼女は歯を食いしばると、真上に視線を向けて――。


◆◆◆


 小さな悲鳴が聞こえた。


 その気配が屋敷に入ってきてから、慶次郎はいつもの部屋で敷物に寝転がりながらも気を配っていた。その気配はまず西側の馬小屋に向かい、玄関に戻ってきた。そして、その扉を静かに開けた。そして一拍をおいて、その悲鳴が聞こえたのである。


<はて>


 慶次郎は体を起こすと、そばに置いてあった刀を無造作に掴み腰に差した。そして立ち上がると、玄関に向かって歩き出す。声を掛けた。


「どなたかな?」


 返事がない。玄関のある土間に足を踏み入れると、こちらに背を向けて立っている女性の姿が見えた。開け放しになっていた扉から爽やかな風が吹き込む。その風に煽られて、女性の髪が――まるで絹糸のように艶やかなその髪が、それ自身が生命を持っているかのようにたなびいた。


「――」


 思わず、その懐かしい名前をつぶやいた。


◆◆◆


「え?」


 女性が振り向いた。正面から見れば、まったく違う。慶次郎は苦笑した。小柄な、十代後半と思われる若い女性である。勝ち気なその瞳が、こちらを探るように見上げている。


「知り合いと勘違いした。すまぬ」

「?」

「ところで、どなたかな」


 女性は微笑むと、軽く頭を下げた。


「私の名は『紅花』。戯志才さんと程昱さんを尋ねてきたのだけど」

「ほう。知り合いか」

「ええ。古い学友よ。あなたは?」

「わしか。わしは戯志才殿たちにこの屋敷の留守番として雇われている。前田慶次郎と申す」

「前田……。変わった名前ね」

「東方からの旅の途中でな」

「そう。ところで……」


 紅花と名乗ったその女性は、振り返る。そこには黒い柱――そう、黒くて太いその脚を持った松風がいた。まさに、彼女を見下ろしている。


「立派な馬ね」

「うむ」


 慶次郎は、紅花の後ろ姿に目をやりながらうなずく。そして懐に手を入れると、手ぬぐいを取り出した。


「あなたの馬なのかしら」

「ああ。松風という」

「松風?」

「松林にうちつける風のごとき速さで走る。わしの友よ」

「友……」


 紅花は松風を見上げた。松風も紅花に視線を送る。そしてしばらく見下ろしていたが、ついと目をそらした。慶次郎は内心驚いた。松風が先に目をそらすとは。


 もっとも、よく見るとその表情は女性の威に打たれたというより、居心地が悪いといった表情である。


 紅花が振り返った。その目はきらきらと輝いている。感に堪えないという表情で両手を組むと、彼女はうっとりとつぶやいた。


「それにしても、大きいわね。馬上からの景色は格別ではないかしら」

「おぬし、高いところが好きか?」

「ええ、大好きよ」


 紅花は両手を後ろ腰に当てると胸を張る。若い女性らしくない、何とも尊大な態度である。もっとも、実質的な年齢としては古希を越えている今の慶次郎からすれば、その姿は可愛げのある子ども以外の何者でもない。


「話がそれたわね。戯志才さんたちはご在宅かしら」

「あいにく、出かけておる」

「そう。それじゃ、待たせてもらうわね」

「それはかまわんが……。今、ここにはわししかおらんぞ?」

「それがどうかして?」


 紅花はあごを上げた。あなたごときが私に手出しをできるとでも――その瞳は語っていた。慶次郎はうなずく。そして手にしていた手ぬぐいを渡した。


「何よ、これ?」

「手が汚れておる」


 はっ、と紅花は両手を見た。その手のひらは、土でべっとりと汚れていた。玄関に入って松風の姿に気づいた時、思わず腰を抜かして尻餅をついてしまっていたのである。ごまかせたと思っていたのに。追い打ちをかけるように、慶次郎は告げる。


「尻も汚れておる。拭われよ」

「!」


 体がぶるぶると震えた。屈辱である。だが、慶次郎に非礼はない。自分が勝手に繕って、勝手に恥をかいた。


「……お手洗いを、借りるわね」


 紅花は手ぬぐいを奪うように慶次郎から受け取ると、土間から見て右奥にあるお手洗いへとずんずんと歩いていった。


 その後ろ姿を、慶次郎はじっと見つめていた。


◆◆◆


 紅花が玄関に戻ってくると、慶次郎の姿はなかった。庭に面した部屋に人の気配がする。手ぬぐいを懐に入れると、そちらに向かった。部屋に入ると慶次郎が敷物の上に座り、茶の準備をしている。


「東方の野人ゆえ、床の上が性に合っておる。すまぬが、つきおうてくれぬか」

「いいわよ」


 紅花は慶次郎の正面に座った。良い香りがする。彼女は慶次郎の所作を見た。自分の知っている茶の入れ方とは違う。しかし、その所作によどみはなく、美しかった。「教養のある人物」という報告書の評価は間違ってはいないようだ。


 慶次郎から差し出された湯飲みを受け取ったとき、彼の後ろに広げられた地図が目に入った。大陸全土の地図である。紅花の目が細められた。


「あら、それは」


さりげなく、聞く。


「おお。この大陸の地図よ。これから、旅に出ようかと思ってな」

「……へえ。どちらへ?」

「まだ、決めておらぬ。わしは東方から来たばかりでな。この大陸のことは何もわからぬ。どこへ行けば良いのやら、見当もつかぬというのが正直なところよ」


 そう言うと、慶次郎は右手で頭をかく。紅花はその表情を読んだ。嘘を言っている顔ではない。この大陸のことを何も知らないというのは本当だろうか。だとしたら、とても「天の御遣い」の役割は務まるまい。こちらは「本物」ではなかったか。そんなことを思う紅花に、慶次郎は問う。


「ところで、紅花殿。この大陸については詳しいかな?」

「まあ、それなりには」

「そうか」


 慶次郎はうんうんと頷くと、ぺこりと頭を下げた。


「戯志才殿たちが戻ってくるまでの間で良い。この大陸について、教えてくれぬか」

「大陸について?」

「うむ。どのような土地があり、どのような人がいるのか。よろしく頼む」


 紅花は、目の前の男の顔を見つめた。人の心を読むことに長けたその目に、邪心のない素直な顔が映った。このような顔をする男に会ったのは、久しぶりな気がした。


 子どもの頃から、彼女に接する男のほとんどは嫉妬とへつらいの表情に満ちていた。誰よりも優秀な彼女に、美しい彼女に、そして尊大な彼女に、男という存在が示す表情はいつも同じだった。彼女にとって、男とは「そういう顔」をするものだった。


 だからこそ、愛する対象は女性に移った。それは当然の成行であった。嫉妬とへつらいから自由な人間関係を築くには、自分と同様に特別な人間と付き合うしかない。そして、そうした存在は女性に限られた。


 けれども、目の前の男は「そういう顔」をまったく見せない。確かに、初対面である。身分も隠している。そんな状態の彼女と初めて顔を合わせたとき、彼女の尊大な態度に「姿形が美しいだけの小娘が」とあからさまに不快な表情を見せてくる男は多かった。だが、この男はそんなことはまるで眼中にないかのように接してくる。そこには、彼女が久しく感じてこなかった「対等」な関係があった。


 自分と接して、まったく負の感情をみせないこの男。こんな表情、どこかで――思い出した。それは祖父の顔。そして、父の顔だった。どんな時でも、自分をただの孫として、娘として扱ってくれた二人。いつも自分と対等に話をしてくれた二人。


 なぜだか、少しうれしくなった。私をこんな気分にさせるなんて、おかしな男。


「いいわよ。地図をお見せなさい」


 紅花はにっこりと笑った。

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