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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第6章 対峙
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第2節 敗北

<何が……何が起きた?>


 気がつけば、慶次郎はうつぶせになって倒れていた。体が動かない。視界が赤く染まっている。


「聞こえているとは思えませんが、衝撃波を脳に当てました。しばらくは動けないはずです」

「于吉。なぜ、ここに来た」

「遅いからですよ。いつまで時間を掛けているんです?」

「この男とは、俺がけりを付ける」


 于吉が首を振る。そして、あたりを見渡した。うっすらと東の空が明るくなっている。


 ぶううん。結界が揺れている。


「結界が切れかけています。もはや、これまで。管輅を連れて行って下さい」

「于吉!」

「この男は私が始末します。さあ、早く」


 左慈は、歯を食いしばった。しかし、すぐにいつもの表情に戻る。地面に横たわる冬華の側に落ちていた鞘を拾うと、彼女の左手から小刀を取って納めた。それをそっと冬華の懐に差し入れる。そして、割れ物を持つかのように彼女を抱き上げた。


「これは借りだ」

「気にしないで下さい。『仲間』じゃありませんか」

「……先に行く」


 そう言うと、冬華を抱えたまま左慈は消えた。


「とどめは……刺さぬのか?」

「!」


 于吉が振り返ると、慶次郎が朱槍を杖にして立ち上がろうとしていた。その顔――その目、その耳、その鼻から赤い血が流れ出ている。だが、その表情は平素と変わらない。


「呆れました。三日は動けないはずですが。あなたは人間ですか?」

「ふん。おぬしらにそんなことを言われたくないの」

「……私たちは、管理者です」

「それがどうした……ぐっ!」


 慶次郎の体が揺れる。たたらを踏んだ。気分は最悪である。質の悪い酒をたらふく飲まされたかのようだ。目の前の男の姿が、三人にぶれて見える。


 だが、構わぬ。朱槍を水平に持った。横なぎにすれば、一人も三人も同じこと。


「待って下さい」

「待てぬな」

「管輅の安全は保証します。この于吉の命に掛けて」


 于吉とやらの目を見た。油断はできぬ。だが、嘘を言っているわけでもないようだ。慶次郎は構えを解かずに答える。


「ふむ。それは感謝するべきかな」

「いえ、当然のことです。彼女は『仲間』ですから」

「では、代わりにわしの命を獲るかね」

「いいえ」


 慶次郎は眉をひそめた。今の自分は弱っている。どのような技であるかはわからないが、背後から後頭部に浴びせられた一撃は、確実に彼の身体の自由を奪っていた。まだ、思い通りに動かない。今ならば自分の命を獲ることはたやすかろう。無論、そう簡単に獲らせるつもりもないが。


「私はここでお暇いたします」

「それでいいのかね」

「はい」

「もう、このような機会はないかもしれんぞ」

「そうかもしれませんね。ですが……」

「?」


 于吉は慶次郎を見つめた。何かを面白がっているようである。期待しているようにも見えた。


「……管輅と同じく、私も生きていて欲しいのですよ」

「うむ?」

「あなたにね」


 そう言うと于吉の姿は陽炎のように揺らぎ、そのまま消えた。


◆◆◆


 冬華が連れ去られて三日後の午前。いつもの日が当たる部屋で、慶次郎は敷物の上に寝転んでいた。いつもの彼である。しかし、袖から見える腕には、赤黒い内出血の後が見える。そして見えないだけで、そうしたあざは体中にあった。


 あの晩。結界が切れると同時に、慶次郎は地面に仰向けに倒れ込んだ。しばらくすると、星が寝間着のまま龍牙を片手に飛び出してきた。聞けば、それまで庭に何の気配もなかったという。結界とやらの効果であるように思われた。


 なぜ、このような状態になったのか。怖い目で問う星に対して、慶次郎は「物の怪に襲われた」と伝えた。臥牛山にある鏡池で追い払った物の怪が恨みを抱いて、冬華を取り戻しに来た。それと戦ったが力及ばず、というわけである。その話を聞いて星は何か言いたそうだったが、結局は黙り込んだ。彼女なりに考えるところがあったのだろう。


とんとんとんとん。


 屋敷の門からは軽やかな木槌の音がしている。松風が門を通れるようにするための、拡張工事の音である。既に戯志才を通じて依頼していたこの工事であるが、予定を早めて左慈らが去った翌日には取りかかってもらっていた。


 あの晩、松風がいれば状況は変わっていたかも知れなかった。門さえ通ることができれば、入口の大きな土間に何とか松風を入れることができそうである。今後、同じ事が起きないとも限らない。早急に、松風と同居できる体制を整える必要があった。


 慶次郎がこの拡張工事でもっとも危惧していたのは、持ち主の許可が得られるかどうか、ということであった。得られるにしても、その返信が遅くては意味が無い。しかし、屋敷の借り主であるはずの戯志才が即座にその許可を出した。自分がすべての責任を取るという。大工の手配も戯志才がしてくれた。


 今、慶次郎の前には大きな布が広げられている。この大陸の地図であった。小沛の街の長老が、先ほど持って来たものである。先日請け負った、鏡池の「物の怪」退治の後払いとなる報酬であった。


 満身創痍の慶次郎を見て、長老は目を丸くした。しかし物の怪に襲われた旨を伝えると「そのまま祟りを受け続けて下され」と言って笑った。本当に、食えない爺さんである。彼なりの励ましでもあっただろうが。


「幽州、冀州、兗州、青州、徐州、荊州、司隷、予州、楊州、交州、益州、揚州、涼州……」


 慶次郎はつぶやく。この大陸の大体の位置関係はわかった。だが――。


「どこに、どんな人物がいるのか。皆目見当がつかぬな」


 ため息をつく。『三国志』についてある程度の知識がある慶次郎といえども、すべての土地とそこにいる人物について記憶があるわけではない。頭に浮かぶのは、著名な土地と人物に限られた。


 そもそも、この世界は慶次郎の知っている『三国志』の世界とはだいぶ違う。なにしろ、これまで会った英雄たちは皆見目麗しい女性ばかりである。当然、彼の知る歴史通りに物事が起きているとも思えない。やはり、実際に土地土地を尋ね、情報を集めるほかはなさそうだった。


 また、冬華のことが心配だった。于吉は彼女のことを「仲間」と言っていた。同じ管理者同士、無下にはすまい。しかし、自分の身近にいた女性がその意思を明らかにせぬままさらわれたことは事実である。何より、やられっぱなしというのは性に合わない。


 しかし、現実には慶次郎は満身創痍の状態である。骨などが折れているわけではなかったから、回復にはそれほど時間は掛からないと思われた。だが、しばらくは安静にしていなくてはならない。頭を後ろから思い切り殴られて(?)いる。こうした場合、無理は禁物であることを慶次郎は経験上知っていた。したがって、左慈――下邳の孫乾とやらのところに向かうこともできない。何もせず座しているのは、彼の性分に合わない。正直、気が滅入った。


 そんな慶次郎の気持ちを断ち切るが如く、どかどかと大きな足音が聞こえてきた。


「慶次殿!」


 足音の主が部屋に駆け込んできた。星である。その顔は青ざめていた。


「き、緊急事態ですぞ!」


◆◆◆


 星は慶次郎の前まで来ると、涙目でがくりと膝を折った。大きな衝撃を受けているようだ。星にこれほどの衝撃を与えるとは。慶次郎はたたずまいを正すと、慎重に問うた。


「何があった?」

「……ないのです」

「ない?」

「はい。『季季亭』が」

「季季亭?」


 聞けば、季季亭とは街の中央にある繁盛店「流流楼」の前で商いをしていたメンマ専門の出店の名称らしい。星が先ほど流流楼の前を通りかかったところ、季季亭は跡形もなくなっていた。街の住人に聞いたところ、何でもより人口の多い下邳に店を移転したという。


「それは残念じゃな。だが、仕方あるまい。他の店から調達すれば良いではないか」

「慶次殿。それは、本気でおっしゃっれいるのですか?」

「はて?」

「あの味、あの風味、そしてあの歯ごたえ。……季季亭のメンマは、まさに私の求めるメンマの理想!それがなくては、一日たりとて過ごすことなどできませぬ。メンマを愛する同志であるあなたが、そのようないい加減な考えでは困りますぞ!」

「う、うむ」


慶次郎にびしりと人差し指を突きつけながら星は力説する。その気合に、さしもの慶次郎もたじろいだ。


 そういえば愛紗と三人で飲んだ夜も、星は自分が買い出してきた季季亭のメンマしか食べていなかった。よほどのこだわりがあるのだろう。


「では、どうするのじゃ?」

「幸いにも、買い置きは二週間分ほどございます。それがなくなる前に下邳へ向かい、季季亭でまとめ買いをするほかありますまい」

「そ、そうか」

「しかし!」


 星は頭を抱える。そして大袈裟に首を左右に振った。


「しかし?」

「慶次殿はこのような状態、放っておくわけにもいきませぬ。しかし、メンマも大切。ああ、どうしたら良いのか」

「放っておけ」

「は?」

「この怪我じゃ。どこにも行けぬ。だからわしのことは放っておいて、安心して下邳に行って参れ」

「ですが、慶次殿が……しかし、メンマが……」


 星の逡巡はしばらくの間続いた。


◆◆◆


 三日後の朝。


「それでは行って参ります」

「うむ。道中、気を付けてな」

「はい。慶次殿も、決してご無理をなさらぬように」


 馬上から星は慶次郎に言い含める。結局、星は下邳までメンマの買い出しに行くことに決めた。げに恐るべきはメンマへの愛である。


 慶次郎は星に、それとなく左慈――孫乾の様子を探ってくるように頼んでいた。あまり深入りさせたくない。あくまで、ご機嫌伺いで良いと伝えてある。


 慶次郎は、幅が拡張された門の前に立って星の出発を見送った。驚くべきことに、門は昨日までに拡張工事を完了していた。工事を始めてから、一週間もかからなかった。よほどのお金と人手を掛けたものと思われた。後から戯志才からどれだけ請求されるものか。正直、考えたくない慶次郎である。松風は、既に屋敷入口の土間に入れてあった。


 ちなみに、この屋敷に馬小屋がないわけではない。屋敷の西側、入口からは見えない場所にそれはあった。そこには今、野風がつながれている。


 星が屋敷を離れていく。何度も振り返る彼女に、慶次郎はその都度手を振った。そしてその姿が角を曲がって見えなくなると、屋敷の中に入っていった。


◆◆◆


 星が流流楼の前を通りかかったとき、同じように馬に乗った小柄な女性とすれ違った。


 その人物の特徴を挙げるなら、肩まで伸ばした金髪。意志の強そうな瞳。そして、白い肌。年齢は十代か――いうなれば妙齢の美人であった。星も一瞬見惚れたほどである。


 服装は街にいる女性とあまり変わらない。しかし、その仕立てにはかなり手間が掛かっているように思われた。


 どこぞのお嬢様だろうか。その女性が、慶次郎がいる屋敷の方向にゆっくりと馬を進めている。


 胸騒ぎが、した。

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