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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第5章 決意
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第2節 酒杯

 夕暮れが近づく頃、一刀たちは帰っていった。彼らには、迎賓館での夕食会が待っている。それもまた、天の御遣いの仕事であった。


 周倉たちも帰って行った。せめて一泊でも、と誘う慶次郎であったが、二人は首を振った。


「楽をすると怠けたくなりますから」


 そう言って周倉は笑った。


 そして今、慶次郎は縁側に座り星と一緒に月を見上げながら酒を飲んでいる。冬華の姿はない。彼女の部屋には「少し出かけてくる」との書き置きがあった。星は上機嫌で慶次郎の酒杯に酒を注いでいる。


 それにしても、慶次郎の酒の強さは尋常ではない。今日の午後からずっと飲んでいるというのに、その表情はまるで変わらない。自分も酒に強くならなくては、と密かに思う星である。


「む?」


 慶次郎が声を上げた。二人の間にある皿が空になっている。


「もう、なくなりましたか」


 そこには、半刻(一時間)ほど前までメンマが山盛りになっていた。それが綺麗になくなっている。星に教えてもらって以来、慶次郎にとってもメンマは好物となっていた。そんな二人が食べ始めると、あっという間にそれはなくなってしまう。そして今なくなったそれは、最後の買い置きであった。


 ちなみに、このメンマは「流流楼」の前の出店、「季季亭」で購入したものである。そのメンマの味はまるで星のために作られたのではないかと思われるほど、彼女の好みに合っていた。しかも、価格は普通のメンマと変わらない。したがって、最近の星はその店のメンマしか買っていない。


「どれ」


 星は立ち上がった。


「慶次殿。ちょっと買い出しに行って参ります」

「うむ。気をつけろよ」

「はは。この趙子龍に気をつけろとは。……でも」


 星の顔が、ほんのりと桃色に染まる。


「ん?」

「い、行って参ります!」


 そう言うと、星は駆けだしていった。


 しばらくして、入口の扉の鈴が鳴った。まだ、四半刻(三〇分)も経っていない。


「ずいぶんと早かったな」


 そう言って振り返る慶次郎の前で、その美しい黒髪の女性は頭を下げた。右手には大きな瓶を下げている。


「おぬし」

「昼間は、大変お世話になりました」


 そこには下邳の美髪公――愛紗がいた。


◆◆◆


「いかがですか」

「うむ。なかなか旨い」


 慶次郎はメンマを食べている。愛紗の持って来た瓶にはメンマが入っていた。迎賓館の料理人から譲ってもらったという。


「よく知っておったな。わしがメンマ好きなことを」

「昼間、趙雲殿からお聞きしました」

「そうか」


 鈴虫の鳴き声が聞こえる。その鳴き声が一瞬途切れたとき、愛紗は問うた。


「……あの、趙雲殿は?」

「メンマを買いに行った。ちょうどすれ違いになったようじゃな」

「そうですか」


 慶次郎は愛紗の顔を見る。少し赤い。


「おぬし。飲んできたのか」

「わかりますか」

「まあ、わしも酒飲みじゃからな」

「……あの!」


 急に愛紗が声を上げた。真剣な表情で慶次郎を見ている。そして告げた。


「あの、私の話を聞いて下さいませんか」

「どうして、わしに」

「……その」


 愛紗は言いにくそうである。慶次郎はそんな彼女を横目に、くい、と酒を流し込んだ。


「前田殿は、その……年齢の割に、老成されているように見えまして」


 思わず、酒を吹き出した。流石は『三国志』の英雄、侮れぬ。


◆◆◆


 慶次郎が頷くのを見て、愛紗は自分の半生を語り始めた。


 彼女は五年程前まで、ただ力が強いだけの少女であった。自分の生まれた農村で、両親と兄とともに暮らしていた。年々負担が増える年貢に対して生活は困窮する一方であったが、お上に反抗しようという気持ちはさらさらなかった。そういうものだと思っていた。


 しかし、兄は違った。将来、家を継ぐことが決まっていた兄にとって、このまま農民として生きることは、まさに奴隷の人生に思えたのだろう。そして、五年前。黄巾賊が蜂起すると、兄は家を出てそれに参加した。


「おぬしの兄上は、黄巾賊だったのか?」

「はい。黄巾賊『でした』」


 家を捨てて二週間後、兄は帰ってきた。その人相は一変していた。農民のための義賊。そうした噂に乗って黄巾賊に参加した兄は、すぐに彼らが義賊ではなく、単なる略奪者であることを知った。しかも、その略奪の対象はこともあろうに、自分たち農民であった。そしてある農村を襲撃することになったとき、兄は黄巾賊を抜けた。より正確には、逃げ出した。


 そんな兄を、家族は暖かく迎えた。しかし、その日々は長くは続かなかった、ある日、官吏たちがやってきた。兄は黄巾賊であったことを、同じ村人に密告されたのである。泣いてすがる愛紗に、兄はこう言った。


「いいんだ、愛紗。オレは罪を償ってくる」


 しかし、兄は罪を償うことはできなかった。捕縛した兄を官吏が村から連れて行く途中、逃亡した兄を探しに来た黄巾賊の一隊とかち合ったのである。そして、官吏たちは兄を放って逃げた。愛紗が最後に兄を見たとき、彼は捕縛されたまま、体中を刺されて死んでいた。


 そして、愛紗は村を出た。


◆◆◆


「そのとき、私は決めたのです。悪鬼羅刹と言われようと、必ずや黄巾賊を滅ぼすと。そして、今の漢朝を滅ぼすと」

「……」

「そんな私にとって、天の御遣いの予言は、まさに天啓でした。そして、実際に天の御遣いに出会い、その手足として生きる幸運を得た。これぞ、天の配剤といえましょう」

「なぜ、そんなことをわしに話す」

「さあ?」


 愛紗は自分でもわからぬ、といった表情で首を傾げた。その顔は、酒のためかほんのりと赤くなっている。


「前田殿なら、聞いてくれると思ったからですか」

「理由になっておらんぞ」

「そうですね」


 それでも、うれしそうに笑った。そこに、『三国志』の豪傑はいなかった。ただの十代の少女がいた。


「その話、義兄弟には話したか」

「はい。でも、兄が黄巾賊であったことまでは」

「そうか」

「兄は……黄巾賊に殺された、とだけ」


 親しいからこそ、話せないこともある。だからこそ、愛紗は慶次郎を訪ねてきたのだろう。そう、矛で語り合った者同士だけがわかる、その信頼から。


「おぬしは、その生き方を貫くつもりか」

「はい」

「失礼を承知で言う。おぬしは若い。そんなに急がなくても良いのではないか」

「お言葉ごもっとも。しかし、既に我が道は血塗られております。斬った黄巾賊の数も百、二百ではききませぬ。取り返しなど、とうにききませぬ」


 寂しそうに、愛紗は微笑んだ。そして、ぺこりと頭を下げた。


「お話、聞いて下さいましてありがとうございました。何というか、すっとしましたぞ」

「……そうか」


 顔を上げたその表情は、いつもの愛紗だった。そんな彼女に、慶次郎は言わねばならない。余計なお世話だとわかっている。それでも、これは年寄りの仕事だ。


「おぬしの決意に、わしからとやかく言うことはない。わしはこの国に来て、ほんの一ヶ月と少しに過ぎぬ。そして、おぬしの苦しみがわかるとも言わぬ。だが――」

「だが?」


 慶次郎は愛紗の瞳をじっと見つめた。そこには、憂いを秘めつつも、固い決意を持った光がある。


「――その黄巾賊の中に、おぬしの『兄』がいるかもしれぬということを忘れるな。そして官吏の中に、おぬしの『兄』がいるかもしれぬということを忘れるな」

「……!」

「世を憂い、悩み、そして正そうと思っているのは……おぬしだけではない」


 初めて、愛紗の瞳が揺れた。


◆◆◆


 外に官吏が待っている。愛紗の兄は彼らに家族と別れる時間を願い、許された。両親は奥の部屋にこもって出てこない。息子を愛している。しかし、ほかの村人たちの前でその気持ちを示すわけにはいかなかった。村八分にされては生きていけない。愛紗は一人、兄にすがってひとしきり泣いた後、兄に問うた。


『兄様』

『なんだい』

『後悔してはおりませぬか?』

『してないよ』

『しかし』

『黄巾賊に入ったことは間違いだった。でも』

『でも?』

『お前たちを――村を守るために、何かをしなければと決意したこと。そのことは後悔していない。その気持ちを忘れぬ限り、オレは胸を張って生きることができる』

『……兄様』


 大柄な兄は愛紗と目を合わせるために、膝をついた。そして、愛紗の薄い胸を右手の拳で軽くこづいた。


『お前の中にも、そうしたものはあるかな?』

『な……。ありますとも!』

『ほう』

『私も、兄様と同じようにこの村を――いえ、この世の中をずっと良いものにしてみせますとも!』

『ははは、その意気だ』


 兄は優しい笑顔で、愛紗の頭を撫でた。


『その気持ち、忘れるなよ』


◆◆◆


 兄の笑顔が、目の前の男の顔に重なった。その顔がにじんで霞む。慶次郎はそんな愛紗に気づかぬように視線を外すと、手元に酒瓶と酒杯を引き寄せた。


「関羽殿。我ら武人は、確かに矛にて語り合うことができる者じゃ」

「……」

「だが、杯にて会話を交わすことができる者でもあると思うのじゃが……如何かな?」

「……」


 一瞬の躊躇の後、愛紗は無言で頷いた。慶次郎は杯になみなみと酒を注ぐと、愛紗に向かってそれをゆっくりと差し出した。愛紗は頭を下げて、それを両手で受け取った。そして、一気に飲み干す。


「……うまいですな」

「そうか」


 愛紗は慶次郎に杯を返す。そして、それになみなみと酒を注いた。慶次郎もまた、それを一気に飲み干す。そして、その杯を愛紗に差し出した。月が煌々と輝いている。鈴虫が鳴いている。ただ、それだけの時間が流れていった。


 入口の扉の鈴が鳴った。

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