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恋姫†無双~慶次伝~  作者: RH
第4章 邂逅
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第2節 往路

「ご主人様?」

「はっ」


 その声に、我に返った。またもや、呆けていたようだ。声の主は、一刀の顔を心配そうにのぞき込んでいいる。


 愛紗は一刀から一旦目を離すと、周りの部下たちに目を向けた。そして彼らがこちらを見ていないことを確認すると、一刀に小声で話しかけた。


「今からでも遅くはありません。もう一人の御遣い殿にお会いになることは、お止めになるべきではないでしょうか」

「何を言ってるのさ、今さら」

「ですが、先程からご主人様は考えごとばかりされているようにお見受けします。失礼ながら、不安になっていらっしゃるのでは?」


 一刀は苦笑した。まさか、自分の厨二病的過去を思い出していたなんて言えない。


「愛紗、心配してくれてありがとう。でも、心配いらないよ」

「しかし」

「それに、本物かどうかまだわからないけれど……もう一人の天の御遣いに会うことは、天から与えられた自分の義務だと思うんだ」


 一刀の言葉に、愛紗は唇を噛む。そして、静かに目を閉じると小さく深呼吸をした。そして、ゆっくりと目を開ける。その目には、強い光がある。


「そうですか。ならば、これ以上は申しますまい。ただし」

「ただし?」


 愛紗の真剣な面持ちに、一刀はごくりと唾を飲む。どちらかと言えばあけすけに親愛の情をぶつけてくるほかの下邳の武将たちの中で、愛紗の態度だけは明らかに違っていた。その彼女が、何かを告げようとしている。そのことが、一刀を緊張させていた。


 誰よりも、一刀に敬意を示している。誰よりも、忠実な部下である。誰であれ、一刀を辱めることを許さない。天の御遣いのためならば、単騎で千の敵と戦うことも厭わない。そんな彼女を、下邳の人々は忠誠無比の勇将と讃えた。一刀も、そう思う。


 だが、不安もある。これだけ一刀に尽くしながら、彼女は何も『求めない』。ほかの武将のように、ほめて欲しいとか、大切にして欲しいとか、そうした気持ちをまったく求めない。まさに武将の鑑であるわけだが、ほかの女性たちと比べると、その態度はいささか奇異に見えた。


 いや。ただ一つ、愛紗が一刀に強く求めていることがあった。それは、面と向かって言われたことがあるわけではない。けれども愛紗と一緒にいる時、一刀は常にその『要求』を感じていた。それは――。


「――『唯一無二の天の御遣いたること』。そのことを決してお忘れにならないように」


 愛紗が静かに告げる。それはまぎれもなく要求――いや、『懇願』であった。その必死な表情に宿る感情は、尊敬でも、忠義でも、ましてや親愛でもない。その感情が意味するものを、一刀は読み取ることができなかった。


◆◆◆


「趙雲殿、ちょっとよろしいかしら」


 前を進む隊列の最後尾から離れて下がってきた紫苑が、星に声をかけた。


 星は改めて紫苑の顔を見つめた。歳は二十代後半だろうか。例えるならば、牡丹の花。その表情に、隠し切れない大人の色気がある。


「黄忠殿。何でしょうか」

「小沛の御遣い様のことなのだけど」


 そこまで言うと、紫苑はちらりと前方を見た。星も同じように前を見る。そして、前の隊列との距離を目測すると紫苑に告げた。


「ここならば、大丈夫でしょう」

「ごめんね。気を遣わせちゃって」

「いいえ。当然のご配慮かと」


 一刀が小沛の街へ天の御遣いを訪ねることが決定した後、下邳において軍師筆頭を務める朱里は、居並ぶ諸将に対して次のように提案した。


『小沛の天の御遣いらしき人物については、その存在が確認できるまで、あらゆる情報を秘匿すべきです』


 天の御遣いたる一刀を中心として繁栄を迎えつつある徐州をいたずらに混乱させてはならない、というわけである。星もその意見には納得できた。


 慶次郎自身、現時点では自らを天の御遣いとされることを避けているように感じられる。実際、慶次郎にはそのことを人に話すなと釘を刺されていた。風や稟が話してしまったことで、その意味は薄れてしまったが。


 その結果として、小沛の天の御遣いに関しては、同行する兵士たちにもそのことを告げていない。そのことを知るのは、一刀、愛紗、紫苑、桔梗、そして「もう一人」だけである。


◆◆◆


 紫苑を前にして、星はまず先日の非礼を詫びた。


「改めて、先日は失礼いたしました」

「気にしないで。ご主人様にも非はあったわ。こちらこそ、許してもらえるかしら?」

「はい。お気になさらずに」

「ありがとう」


 紫苑は微笑んだ。それにつられて、星も微笑む。そんな星に、紫苑は改めて問いかけた。


「そこでもう一度確認したいのだけど」

「はい」

「趙雲さん。私たちのご主人様に、お仕えいただくわけにはいかないのかしら」

「申しわけございません。既に主たることを決めた方がいる身ゆえ」

「小沛の天の御遣い様、かしら」

「はい。もっとも、まだ認めてもらったわけではないのですが」

「そう。残念ね」


 そう答えながら、紫苑は改めて星を観察した。例えるならば、白い薔薇。強さと美しさ、そして棘を備えている。


 ご主人様が、一人の武将にあれほどまでにこだわる姿を初めて見た。悔しくなかったと言えば、それは嘘になる。その薔薇が、これほどまでに随身を望む天の御遣いとはどのような人物なのだろう。ちょっと、意地悪しちゃおうかしら。


「ところで、その天の御遣い様、どのようなお方なの」

「どのようなお方、とは?」

「どのような殿方なの、ということよ。惚れていらっしゃるのではなくて?」

「惚れている。……まあ、そうですな」

「まあ!」


 恥じらうことなく堂々と頷く星に対して、紫苑はころころと笑った。


 戯志才や程昱から、この趙雲なる武人がこの国で並ぶ者がない槍の達人であることは聞いていた。実際にその武技を見たわけではない。しかし、彼女が醸し出す雰囲気、そしてその所作は、戯志才らの話を十分に裏付けていた。紫苑自身、手練れの武将である。そのことはすぐにわかった。


 そして、それほどの武人が「惚れている」と明言する「男」。私たちのご主人様と、どちらがいい男かしら。


<楽しみだわ>


 紫苑は右手の人差し指をそっと唇に当てると、小さく微笑んだ。


◆◆◆


 小沛の街が見えてきた。門前には、黒山の人だかりができている。


 お忍びであるとはいえ、街の長官にまで「天の御遣い」の来訪を秘密にするわけにはいかなかった。小沛の街に滞在中、それなりの宿泊場所や警護を提供してもらわねばならないからだ。一刀は、現在の徐州における最重要人物の一人である。その身の安全には、万全を期する必要があった。


 そして長官は黙っていることができず――そもそも、小沛の街に現れる筈だった天の御遣いなのだから、という気持ちもあった――そのことを街の長老に「秘密」として知らせた。それを知った街の長老は当然、そのことを街の人々に「秘密」として広め、現在のような状況に至ったわけである。


 愛紗が苦虫を噛み潰したような顔をしている。これでは、お忍びも何もあったものではない。長官には、責任を取ってもらわねば。少なくとも、警備の数を倍にしてもらわねばなるまい。そんなことを考える愛紗の顔を横目で見ながら、一刀は苦笑した。こうなれば、自分はその「役割」を果たさなくてはならない。


 彼は騎乗する白馬を街の住民たちに向かって一歩進めると、やわらかく微笑んで軽く手を振った。わっ、と歓声が沸いた。一気に騒がしくなる。住民たちは、口々に叫んだ。


「天の御遣い様、万歳!」

「万歳!」

「こちらに顔を見せて下され!」

「御遣いさまー!」


 その時、祭りのような様相を見せるその黒山の人だかりの中から、貧相な小男が飛び出してきた。小男は一刀たち一行の側を頭を下げながら走り抜けると、その後ろにいた星、稟、風たちのところまで来た。そして稟の前で平伏すると、ぼそぼそと何か告げる。そして、再度頭を下げながら一刀たち一行の側を走り抜けて人だかりの中へと戻っていった。稟も愛紗と同じように――別の意味で――苦虫を噛み潰したような顔に変わっている。


「どうしたんだ、戯志才?」


 浮かない顔の稟に、一刀は尋ねる。稟はしばらく黙っていたが、下を向いて小さくため息をついた。そして下馬すると、一刀の前まで歩いてくる。そして平伏すると、小さな声で告げた。


「北郷様に申し上げます。現在、小沛の街に前田様はいらっしゃらないとのこと」

「え?」

「な!……どういうことだ、稟!」


 乗馬したまま追ってきた星が稟に食ってかかる。それには構わず、稟は平伏したまま言葉を続けた。


「私どもの小間使いに聞いた話では、前田様は今から一週間程前、小沛の街を発たれたとのこと。何でも、ここから西へ五里(約二〇km)のところにある臥牛山、その頂上にある鏡池に現れたという物の怪を、街の長老の依頼を受けて退治するために向かわれた由」

「物の怪退治?」

「はい。そして、そのまま戻られていないとのこと」


 一行の周辺を沈黙が包んだ。その沈黙を打ち破るように、星が低く響く声でつぶやく。


「……物の怪退治に向かって、そのまま行方不明、だと?」

「せ、星ちゃん!落ち着いて!」


 星の目が据わっている。その額には青筋が立ち、彼女はまさに臥牛山の方向に向かって今にも馬を走らせようとしていた。そんな彼女を、やはり馬から下りた風が必死で抑えている。彼らを知る者が見れば、きわめて珍しい光景がそこにあった。


 地面に伏せる稟を見下ろしながら、一刀は呆然としていた。同時に、安堵もしていた。一刀は、これまで緊張していた。いや、緊張の極地にあったといって良い。天の御遣いとして、慶次郎にいかに接するべきか。憧れの「漢」に、どのような言葉をかけるべきか。厨二病的過去を思い出していたのも、そうした緊張がもたらした心の動きであった。


 そして、彼には是非とも聞かなくてはならないことがあった。その聞いた内容は今後の自分の身の振り方に、いや存在意義に大きく影響するであろう。しかし、いないのなら……。


 そこまで考えて、ふと一刀はおかしなことに気づいた。


<静か過ぎる>


 一刀は顔を上げて、周りを見渡した。いつの間にか、先程まで歓声を上げていた住人たちが黙り込んでいる。自分たちの態度が、彼らを心配させてしまったか。慌てて改めて笑顔をつくろうとした一刀であったが、すぐさまそれが理由ではないことを理解した。住人たちは、こちらを見ていない。皆、呆けたように同じ方角を見ている。そう、西に顔を向けていた。


<西?>


 一刀は彼らの視線の先を追った。そんな一刀を見て、愛紗も、桔梗も、紫苑も、そして星も、稟も、風も、その方向を見た。

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