緊張
ステージの脇で、僕の出番を待つ。仲間が役を憑依させて、本気で演じている。スポットライトが当てられたとき少し顔が強張ったのが見えた。
やはり誰もが緊張はするものだ。しかし、この感情は何故生まれてしまったのだろう。
だって緊張しなければこんなに苦しむことはなかった。もっと演劇を楽しんでいたと思う。
緊張なんてもんがなければ、ピクピクと震えて失敗を恐れる必要なんてなかったのに。
「そこはだめだ! 行ってしまったら戻れなくなるぞ……?」
このセリフの次の次、場面転換をする。
そしてついに、僕の出番ということだ。
ドクドクとうるさい。もはや観客の息が詰まった音も聞こえてこない。
周りが見えない。何も、ただ、真っ暗だ。
視線が僕に突き刺さっている気がする。「こわい」という感情が脳を支配し、身体に命令が下されない。
出番はすぐそこだ、というのに直立不動している俺の背中を、誰かが手で叩いた。俺はそれにびっくりする。
「った! 誰ですか!」
「私だよ私。なんか浮かない顔だね」
何が浮かない顔だよ……。もうすぐで本番なのはあなたもわかっているでしょう……!
「まぁまぁ。演劇は楽しんでするものだよ。少なくとも君だけのものじゃない」
「僕のものだけじゃない……?」
「そ。役になりきってこそ、演劇と言えるんだよ。今の君は自分の感情しか表していない。そこに役のキャラの感情を上乗せするんだ」
「上乗せ……?」
「そ。簡単に言うけど、ここまで来てやらないわけにはいかないでしょ!」
照明が落ち、小道具班が動き出す。
それと同時に、舞台へと突き飛ばされた。
後ろの背景が変わり、西洋のお城の中みたいな風景になる。僕はそれを確認し、とっさに演じる役を思い出した。
「そうだ……。僕は……魔王か」
そう。臆病であがり症の僕が魔王、なんて言ったら弟に笑われてしまうな。
照明がパッと明るくなる。
「来たぞ魔王!」
勇者役が三人を連れて舞台に走ってきた。肩で息をしているという高度の演技を見せられてさらに身体が強張る。しかし、魔王という威厳を見せるため虚勢で声を張り上げる。
「やっと来たか……。待ちくたびれたぞ」
噛みそうになった。危ない。
「お前らのお仲間がどうなったか……。だが、もう遅い」
「なんだと!」
勇者の目が揺れている。あぁ、コイツはガチなんだな。
なら、期待に応えないと。ドーパミンが出てきた今こそ、本領を発揮するときだ。
「貴様らもさっさと堕ちることだな。地獄に」
「なにをー!!」
剣を魔王に向けて構えた。
そろそろ戦闘シーンだが、実際は切り合いなんてものはなく一回魔王の魔法で勇者たちを追い詰める算段になっている。
でまぁ、ここが一番意味不明なのだが……。
台本に底の部分は空白だった。つまり、アドリブでやれ、ということだ。
「……」
沈黙が落ちた。窓から入ってくる風が主役になっている。観客も困惑している。
あれ、次は誰のセリフだっけ? 僕? それとも目の前にいるコイツ? それとも誰か新しい人物……?
気まずい雰囲気に絶望感を感じる。
舞台上の奴は僕を含め直立不動だった。まるで時が止まったように、そして、長かった。あの一瞬の静寂がとても長かった。
そりゃそうだ。素人の高校3年生が急にやれと言われてもできないのだよ……。
「ちょっと待て!」
体育館のメインゲートが開いた。舞台上から一直線上にあるそれは、外の光をここに漏らす。
逆光の中、一人の男子生徒が額に冷えピタを貼ってそこに立っていた。息が切れていて、顔が赤い。熱がある。
僕はその生徒を知っていた。
本来の魔王役……。そう、僕はただの緊急で入ったに過ぎないただの3-2の一員だ。
「勇者め! そこで待ってろ!」
そいつは全速力で舞台上まで駆けてきた。
走っている残像に紫色の何かが残り火みたいに散った。まるで、本当の魔王がそこにいるかのように。
「まさか……お前影武者だったのか!」
僕を指差して、そう言ったのは勇者だ。これも完全アドリブだった。もう頭の中は何が何だかわからずとにかく呆気にとられていた。
「お前は下がってろ。後は俺だけで事足りる」
「……はい。わかりました」
それだけ言い残し、僕は舞台袖に引き返した。
なんとも僕の出番は一瞬で終わったが、願ってもない救世主によって救われたのだ。
この演劇中では魔王で悪役。だが、彼がやったことは、僕にとってのヒーローだった。
舞台袖で演劇を見届けると共に、何故かやるせない気持ちに襲われた。もともと本気でやっていないのに関わらず、なぜ。
いつの間にか、演劇は終わっていた。僕の背中を押した先生に声をかけられるまで、ただ舞台袖で立ち尽くしていた。
「おーい。片付け」
台本で頭をポテッと軽く打たれ、僕は覚醒した。正気が戻り、今どのような状況に置かれているかを理解した。
「はい! 今すぐ!」
照明と幕は落とされている。外からは観客の話し声が聞こえる。
そんなことを聞いている暇はなく、重い魔王のイスを運んで僕の出番は終わった。
―――――――――――――――――
帰り道。赤い陽が斜めに差し込んで、思い出に残しておくのも悪くはない。
しかし、僕はまだあの失敗を引きずっていた。
舞台袖で見ていたが、次のセリフは魔王だったらしい。つまるところ、僕の失敗だった。
担任の先生は「そんなこと気にすんなよ。成功したんだから」と、淡々な事実を述べて励ましてくれた。
だけどそれだけで、心がコロコロと変わるほど単純じゃない。あの記憶が鮮明にチラつき、それと共にイラつきまで覚えてくる。
「……」
真っ直ぐには家に帰らず、寄り道をしていくことにした。
このまま帰ってもぶつけようのないイラつきを収めることはできないと思ったからだ。
踵を返し、学校近くの駅に向かう。
普段僕は自転車通学なのだが、今日だけは電車で出てきた。それは、文化祭でお客さんが大量に来るから駐輪場は空けておきたい、という学校の思惑があった。
自分の生徒は大事にしろよ……。とは思ったが、考えても仕方がない。忘れることにして、改札を通る。
そこはおかしくも賑わってはいない駅だ。学校の最寄りだけあって学生は大量に居るが、社会人や一般人は見当たらない。もはや、貸切みたいなものだった。
今は文化祭が終了してからだいぶ経っているから、現在の駅にいる人もマバラで落ち着ける雰囲気だった。
電子板を確認する。次来るのは17時34分。
スマホを取り出し、画面をつけると17時26分。
「まだ短いほうだな」
とりあえず近くのイスに座り込み、イヤホンを耳とイヤホンジャックにぶち込み、ただ音楽の波に流されるまま時間を過ごした。
3曲目くらいで電車が来た。着いていないハイビームを見ると、何故か気分が上がる。
定刻通り、定着。
それまでも自分の失敗と対比するように、電車に乗り込んだ。
電車はなかなか失敗しない。失敗したとしても、取り返すことができる。
しかし、舞台上はそうでもいかない。
取り返そうと思ったらアドリブが必須になってくるし、そもそも演じている仲間に迷惑がかかる。
だが、電車は何人、何百、何千という人間に迷惑をかけることになる。その重圧に僕は耐えられるだろうか。
今こうしてたかが文化祭の舞台上でミスったくらいで、寄り道してるもんだから、無理だろうな。
窓を見ると、太陽が僕に直撃した。
眩い光にギョッとするも、なんだか落ち着いた。
失敗したとしても、自然は見捨てずに側に側にいてくれる。ただそこにあるだけ。
それでも楽に思えるのはなぜだろうか。
そんなことを思ってると、電車が止まった。僕はさっさと下り、とあるところに向かった。
そこは、バッティングセンター。通称バッセンだ。
ストレス発散にはもってこいだろう、という浅はかな考えのもと来てしまった。
発券機の前に立つ。値段を見る。
「……意外と高いな」
しかし、ここまで来てしまったのに何もしないで電車賃だけ無駄にする、というのもまた残念な話だ。
覚悟を決め、3千円を投入し、6回分のカードが出てきた。
カードを握りしめ、80キロ台のところに行く。最初はウォーミングアップだ。いきなり動くと明日は1日ベッドの上だ。それも悪くないが、折角の休日は満喫したかった。
荷物を置き、カードを入れ、打席に入る。
ピッチャーが振りかぶってボールが出てきた。なんとも言えない回転で、それに山ナリのボールで。
しかし、タイミングは合わせやすかった。怒りを溜め込んだような大根斬りで、ボールは地面に向かって飛び、激しく跳ねた。
実際の野球ならばピッチャーの頭を越えてショートゴロだろうが、今は関係ない。
次は高めに外れた。だからこそマシンは大嫌いなんだ。回転も変だし。
文句を言いながらもその日は、3時間くらい、徐々にスピードを上げて打ち込んだ。
―――――――――――――――――
忌々しい月曜日。残念なことに筋肉痛がまだ治っておらず、今日の授業は寝ることはできなさそうだ。
校門に立っている先生に形だけの挨拶をして、入ろうとした時、担任の先生に呼び止められた。
「ちょっといい?」
「……? まぁはい」
先生が歩き出すと、その後をついていく。
エレベーターに先生だけが乗り込み、こう言った。
「あ、学生はエレベーターダメだから。階段で来てね」
「えっ……。何階ですか?」
「8階。じゃ」
「え、ちょ!」
もうとっくに扉は閉まりきっていた。
嘘だろ……。筋肉痛を発症し、全身が痛いというのに? 無理だろ無理。今日はこの話が終わったら早退しよう。という楽観的な思考で階段を上り始めた。
だが、その楽観的思考こそが落とし穴だった。
階段を上るたびにまた、1階からやり直している感覚に陥る。階をみる限りきっちりと上がれてはいるが、どの階も同じような間取りなので錯覚に陥る。
「はぁ……今何階だ…?」
足は悲鳴を上げていたが、現実は残酷なものでまだ6階だった。
それから8階へ辿り着いた経緯を僕は知らない。正確に言うと疲労で記憶が飛んだ。
「やっと来た。遅いよ」
指に鍵についたキーホルダーを振り回し、怠そうな目を向けられた。
「……なんの鍵ですか?」
「黙ってついてきたらいいの」
妙に棘がある言い方だった。
先生はさらにもう1階分上がろうとしている。この高校は8階建てで、これ以上はないはずだ。
「上に何があるんですか?」
「普通に考えたらわかるでしょ。屋上だよ屋上」
階段を上りながら答えたその声は、反響してよく聞き取れなかったが、屋上という単語は辛うじて聞き取れた。
「屋上に行って何するんですか?」
「いいから」
鍵で扉を開けながら先生が答える。
「はい。行くよ」
扉が空けられた瞬間、鋭い風が僕と先生に襲いかかった。それに負けじと屋上へ出ると、街の景色が一望できた。まだ8時10分だというのに、街は忙しなかった。
先生が適当な所に座る。僕は立ったままだ。
「それで……どうしてここまで?」
「それはだな……」
ゴクリと、喉が動いた。
やっぱり、昨日の事だろうか? だが先生は気にするなと言っていたはずだ。なら、なんのことだ?
「お前に、文化祭実行委員の後片付けをしてもらう」
「……はい?」
文化実行委員会。それは文化祭に関する事柄を決定させる委員だ。
その委員を決めるホームルームでは見事に熟睡していたから僕は関係のないはずだ。
「……なんの話ですか?」
「もう忘れたの? だから成績不振なわけか」
ぐさっと胸が痛む。というか教師がそんなこと言ってもいいのだろうか。いや、だめだな。
「あなたは予備の文化実行委員会に入ってるよ。アイツが欠席のときはお前がやるの」
「アイツ……?」
「そうだ。舞台の日に熱で休むと連絡してきたくせに魔王役を演じるためにメインゲートこじ開けたやつだ」
記憶が蘇る。額に冷えピタを貼っていたのはそのせいか。
「……つまり、今日はその人は休みと」
「お、呑み込み早いじゃん。じゃ、頼んだよー」
始業のチャイムが鳴った。
「……先行って。後から行く」
「遅刻にはしませんよね?」
「何言ってんだ。するわけない」
僕は一安心して、階段を下りた。これからやる仕事にも目にくれず。
――――――――――――――――――――――――
放課後のチャイムが鳴り、ホームルームが始まった。いつも通りの僕には関係のない連絡事項ばかりが報告されていく。しかし、今日だけ、そうはいかなかった。
「あ、文化実行委員会の奴は残れ」
ビクッとした。なぜかって? そりゃ分かってるだろ。今日の朝、言われた言葉を思い出した。その瞬間、大人しかった心臓がドクドクと存在を証明し始めた。だからお前は出しゃばらなくていいんだよ……。
「起立。礼」
無機質な日直の号令でやるべきことから解放……されるはずだった。
はぁ……。仕方ない。今日だけ。今日だけはきっちりと仕事をしよう。
「うんうん。ちゃんと覚えてたんだね」
「そうですよ。で、何すればいいんですか?」
「こっからは全体説明があるから、体育館に行け」
またドキッとした。もう体育館が僕の忌詞となってしまっていた。
「はぁ……わかりましたよ」
文字通り、浮かばない顔をして体育館に向かった。
廊下は生徒で溢れかえっていた。続々と階段を下りる。どこの組も2人組で談笑に花を咲かしている。
全学年の全クラスの文化祭委員が集まるわけだ。僕のクラスでは一人だけど。アイツだけではなく、もう一人の文化祭委員の人も休みだった。おちゃらけた奴だから、片付けがめんどうで休んだんだろう。
「学年に別れて並べー」
ガタイのいい体育教師が誘導している。
体育館についた第一の感想は蒸し暑い。クーラーなどは存在せず、ただ窓が開け放たれているだけだった。
風はなく、日光の暑さだけが入ってくるというのに先生達は何を考えているのだろう。
そんなことを思いながら、3年生の集まりに紛れ込んだ。
「なぁなぁ。最初の魔王役の人だろ?」
「え、まぁ……そうだけど」
見知らぬ男子に声をかけられた。輝かしたその目に冷やかしの温度はない。むしろ尊敬の眼差しが含んでいる。
「いやほんとすごいな!」
「何がだよ……」
「だって、お前いなかったらあの展開なかったんだぞ!」
「ま、まぁ……」
「しかも、あれがあったからこそ、あんたのクラスが優勝したんだよ!」
「え? そうなの?」
たしかに文化祭当日、担任から成功したとは聞かされていたがまさか優勝とは思わなかった。
発表は体育館で行われて、実際僕も現場にいた。しかし、あの失敗が頭を渦巻いていたから、それどころじゃなかった。
「ふーん……」
メインゲートから悪役がやってくる……。生徒達から見ても審査員である先生にもその演出で胸を打たれたらしい。
観客席から、審査員席からもメインゲートから距離は近い。間近に役者の雰囲気を感じ取ったのだろうか。
「はーい。静かに」
拡声器の声が響く。文化祭委員はどちらかと言うと大人しめの生徒が多く、先生が一つ指示を飛ばしただけでザワザワが一気に扇風機の音に変わった。
「お、いつもは怒鳴って静かになるってのがこの高校の伝統じゃなかったっけ?」
嫌味を含んだ笑いを浮かべながらも、感心しているみたいだった。恐らくその嫌味はこの場にいない生徒に向けられたものだろう。
「さて……まずは体育館の現状をみてほしい」
首だけで周りを見渡すと、所々にカラフルなテープが転がっている。文化祭最終日にテープの大砲を科学部のやつが作ってぶっ放してたっけ。
「見ての通り、はしゃぎすぎた代償は払ってもらう。だが、お前らだけじゃかわいそうだから我らも参加する。可哀想な者同士、仲良くしよう」
気まずい笑いがパラパラと起こる。
内心では面白いと思うよ? 僕はね。
「では……1年は右側を。2年は左側。3年は舞台だ。じゃ、頼んだ」
生徒達が一斉に立ち上がり、それぞれ指示通りに別れる。その様はまるで軍隊みたいで、手際が良かった。恐らく、早く終わらして帰りたいのだろう。
周りに遅れを取るまいと、僕も速やかに舞台上に上る。そこで目にした光景はもう散々だった。
演劇で使った、空き教室のイスや机。ましてや教卓や黒板消しまで。これ全部を元の場所に戻すとなると、相当の労力が要る。労力もそうだが筋力もそうだ。
「3年生はこれで全部か……」
あたりを見回すと、男子の数は少なかった。女子の人数が圧倒しており、誰がどう見ても人数不足だった。
「しかたない。男子は机とか、そういうものを運んで、女子は掃除。あー……もちろん、女子の中でも持ちたい奴がいれば全然持ってくれていいぞ」
空気が重い。こういうことなら帰っとけばよかった。
文句を言っても仕方ないので下手に放置されたイスを一つ持ってみる。
「ぐっ……思ってたより重い……」
イス一つだけで苦戦していた。それを見かねたのか先生が、
「エレベーター使っていいからな」
と言ってくれた。救世主だ。
まぁそのおかげでエレベーターに向かうも長蛇の列が出来上がっており、イスのやつは階段で空き教室まで行く羽目になった。
肝心の空き教室が何処か、という問いには正解したくない。だって大体6階〜8階出身のイスだからだ。
僕は後悔した。昨日バッセンへ行ったこと。身体全体が悲鳴を上げるも、空耳だと思って無視した。
何も考えない。そうすると、何も感じない。
そういうおまじないを、頭の中で綴るしかなかった。
「おーい。こっちこっち」
僕を地獄に突き落とした担任が居る。無邪気に手を振って誘導している。
「重いっす……」
そういう言うと、
「がんばれ!」
という返事が返ってきた。もううんざりだ。
イスを置き、また体育館に戻る。
次は机だった。もちろんのこと、イスよりも重たく、かなりしんどい。
まだ体育館から出ていないのに、僕は息切れし、端っこの方で休憩していた。
その時、僕に降り注いだ影があった。
「ねぇ、大丈夫?」
ビクッと心臓が跳ねた。その声が女子の声だったためだ。
「え? あ、はい!」
声がうわずった。そのせいで女子に笑われてしまった。
「大丈夫? びっくりさせちゃった?」
「あ、いえ……」
嘘だ。心臓みたいに、真っ赤な嘘。
ドクドクと血液供給が早くなり、胸に手を置く。
なんだこの緊張は……? これを、緊張と言うのか……?
その心臓は動きを止めることなく、頭もオーバーヒートし始め、前が見えなくなった。
かすかに「大丈夫!?」という女子の声が聞こえる。
これは……どの緊張なのだろうか。
気が向いたら続き書きます。
お付き合いいただきありがとうございます!




