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第四話

§



 わたしが旦那さまの素顔を見てから、数日が経ちました。

 幸子さんは、今日も元気に勢いよく怒っています。


「あたしはずっと認めていないんですよ! 皆、奥さまの命を一体何だと思っているのかしら!」


 ぷりぷりと怒りながら、幸子さんは、わたしの隣でおにぎりを握っています。

 初対面で怖いと感じてしまったのがまるで嘘のよう。幸子さんとは、時々、一緒に食事を作ったり食べるようになったのです。


「いえ……。わたしは父から『宝石病』を貰い受け、死ぬように言われて嫁いできましたので……」

「それが! どうにもこうにも! おかしいんです!」


 幸子さんが三角形に握ったおにぎりに、くるりぺたりと海苔をはりつけます。

 どんどんきれいなおにぎりが丸いざるの上に乗っていきます。

 具材は焼き鮭と梅干しのどちらか。食べてみての、お楽しみ。


「こんなに愛らしくて、お料理も上手で、笑顔のかわいらしいお方だというのに」

「.....幸子さんだけですよ。そんな風に言ってくださるのは」

「もう! 奥さまはご自分のことをまったく分かっていらっしゃらない!」


 次のおにぎりのため、手を濡らしながら幸子さんは大声を上げました。


「なにせ、旦那さまが宝石病を発症してからはじめて他人に素顔を見せましたから」


 わたしは手を止め、おにぎりへ視線を落とします。

 幸子さんは鼻息荒く言葉を続けます。


「だからこそ思うんですよ。せめて、旦那さまには愛を知っていただきたい、と」


 愛。おにぎりこそ愛だと言わんばかりに、幸子さんはおにぎりを掲げて見せました。


「……それで、このおにぎりですか?」

「奥さまの美味しいおにぎりを食べたら、氷のような心も融けるかもしれません!」

「氷……」


 わたしはわずかに首を傾げます。

 わたしには、旦那さまが氷のように冷たいとはどうしても思えないからです。むしろわたしを気遣って、遠ざけようとしているように感じるのです。

 掲げたおにぎりをざるへ乗せて、幸子さんがわたしへ顔を向けました。


「ところで、奥さまはお料理以外に好きなものがありますか?」

「好きなもの、とは……」


 急に話が変わって、わたしは言葉に詰まります。


「このお屋敷から出られなくて退屈でしょう。何でも買ってきますよ。旦那さまから奥さまの望むものはすべて叶えるよう言われておりますので、何でも、遠慮せずどうぞ」


 ――好きなもの。

 予想外の提案に、わたしは天井を見上げました。

 自分の希望を訊かれることなんていつ以来でしょうか。ぐるぐると考えてみますが、答えは見つけられませんでした。


「.....あまり思い浮かびません」

「まぁ。ではご実家では、いつも何をされていましたの?」

「……掃除と、炊事。それから洗濯でしょうか」

「他には?」

「……ありません」


 隠していてもしかたありません。

 わたしは実家(里見家)では使用人同然の扱いでした。娯楽も教育も、わたしからは程遠い場所にあったのです。


「あぁ! なんて不憫な!」


 今度は、幸子さんは涙ぐみました。

 ほんとうに喜怒哀楽の豊かな方です。


 そんな風にして出来上がったおにぎりは、いそいそと幸子さんが洋館へ運んで行きました。

 しかし、旦那さまには召し上がっていただけなかったようです。



§



「奥さまも体を動かすうちに、やりたいことが浮かぶかもしれませんよ」

「体を動かすこと……」


 幸子さんとの話し合いの結果。

 わたしは、和館の掃除をすることになりました。

 幸子さんが用意してくれたのは、年季の入った竹ぼうきと、新品の雑巾と桶。


 わたしにはある考えがありました。

 わたしが旦那さまの呪いの身代わりで死んだ後。

 市佳さんが和館に足を踏み入れたとき、清掃が行き届いていた方がいいと思ったから、掃除をしたいと言ったのです。

 しかし、それは敢えて幸子さんには告げませんでした。


 竹ぼうきは不思議なほど手になじみました。

 和館の外回りを掃いていくと、裏手の庭には立派な松の木と池がありました。

 そこで作業をしている中年男性がいました。 頭には頭巾。紺色の前掛けをつけています。

 幸子さんが紹介してくれます。


「庭師の草木さんです。週に二回、通いで来られているんですよ」


 視線が合うと会釈してくれるものの、特に会話はありません。草木さんは黙々と作業をされていました。


 桜花院家で数日過ごしてみて分かってきました。

 現在の桜花院家には、本当に旦那さましか住んでいないのです。

 幸子さんも草木さんも通い。

 旦那さまのお母さまは既に()()なられているそうで、お父さまは、京の山奥に拠点を移されているそうです。


 幸子さんが桜花院家に来ない日は、誰とも会話をすることがないので静かに感じます。

 そんなときは木枯らしの音がよく聞こえます。

 これまで、誰とも言葉を交わさない方が日常だったというのに。


 ざっざっ。


 わたしは竹ぼうきで枯れ葉を集めます。

 この時期は、掃いても掃いても枯れ葉が溜まるものです。


 空の青はかなり薄くなってきました。

 朝晩も冷えてきたので、幸子さんが羽毛布団を用意してくれました。もう少ししたら湯たんぽも納戸から引っ張り出してくると言っています。


 厠の隣で寒さに震えていた頃が嘘のようです。

 あと半年で死ななければならない身ですが、最後にこんな穏やかな毎日を送れるとは思ってもみませんでした。


「.....ふぅ」


 あっという間に枯れ葉の山がこんもりとできあがります。

 そろそろ、ごはんの支度にとりかかるとしましょう。

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